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2話
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藤崎は、夜の職員室で独り机に向かっていた。
窓の外では、グラウンドの鉄棒が風に鳴っている。
まるで誰かがぶら下がって、ゆらりと揺れているように見えた。
机の上には、春斗のノート。
最後のページに書かれた、たった一行。
ぼくは、れんに会いにいく。
その文字を何度も読み返しても、意味はわからない。
“れん”という名前を、藤崎はどこかで聞いたことがある気がしていた。
けれど、思い出そうとすると、頭の奥がざらつくように痛む。
──れん。
──れんくん。
気づけば、指先が震えていた。
藤崎は古い職員用の名簿を引き出しから取り出した。
星ヶ丘小学校 児童名簿・過去5年分。
慎重にページをめくっていく。
2年生、3年生、4年生――
だが、「水原蓮」という名前はどこにもない。
奇妙だった。
この学校は小さく、転校や編入があれば職員全員が把握している。
名簿からまるごと消えるなど、ありえない。
そこへ、廊下のほうから足音がした。
藤崎が顔を上げると、田所教頭が立っていた。
白髪まじりの髪を撫でつけ、いつもの穏やかな笑顔を浮かべている。
「まだ帰ってなかったのか、藤崎先生」
「ええ……ちょっと調べ物を」
名簿を閉じかけた瞬間、教頭の視線が止まった。
目だけが、かすかに鋭くなった気がした。
「……昔の記録には、あまり深入りしないほうがいい」
その言い方が妙に冷たかった。
藤崎は曖昧に頷きながらも、胸の奥に引っかかりを覚えた。
その夜、帰り道で小さな雑貨屋の明かりが目に入った。
店先には灯油の匂いが漂い、
店主の老婦人が一人、湯飲みを手に座っていた。
「先生、こんな時間に珍しいね」
「ええ……少し探し物をしていて。
“れん”という子を知りませんか? 水原蓮という子です」
その瞬間、老婦人の手が止まった。
湯飲みの縁から湯気がゆらりと揺れ、
視線が宙に泳いだ。
「……その名前、もう言わないほうがいいよ」
「どういうことです?」
「だって……あの子は“消された子”だから」
その言葉に、背中を冷たいものが走った。
「事故だったって、みんな言うけどね。
本当は──」
老婦人はそこまで言って、
小さく首を振り、店の奥を指さした。
「もう、夜だから。お帰りなさい、先生。」
外に出ると、霧がまた濃くなっていた。
藤崎は息を吐き、坂道を見上げる。
その先には、
校舎の窓にまだひとつだけ灯りが残っていた。
春斗の席のあたり。
誰もいないはずの教室に、
淡い影が、窓越しに立っていた。
春斗がいなくなって三日が過ぎた。
町の掲示板には「行方不明者の情報を求む」と紙が貼られ、
テレビの地方ニュースでも短く報じられた。
けれど、星ヶ丘小学校の中は不思議なほど静かだった。
子供たちは春斗の話題を避けるように、
まるで最初からそんな子はいなかったかのように振る舞っていた。
昼休み、校庭の桜の下で、藤崎は立ち止まった。
風が吹くたびに花びらが舞い、
地面の上には春斗の描いたチョークの線がまだ残っている。
ドッジボールのコート。
昨日まであんなに賑やかだったのに、今は誰も遊んでいない。
そのとき、背後から声がした。
「先生」
振り返ると、5年生のひかりが立っていた。
白いカーディガンの袖を握りしめ、
どこか言いにくそうにしている。
「……春斗くん、ね、帰ってきたって言ってる子がいるの」
「帰ってきた? 誰がそんなことを?」
ひかりは首を横に振り、
「夜になると、階段のところで声がするの。
“まだ二十五人だよ”って」
と小さく呟いた。
藤崎の胸がざわめいた。
「それは、誰が言ってた?」
「みんな。三年生も、四年生も。
……聞こえるんだって。放課後になると。」
ひかりはそれだけ言うと、
まるで何かを怖がるように走り去っていった。
放課後。
藤崎は職員室を出て、静まり返った廊下を歩いた。
靴音がやけに響く。
階段の踊り場で立ち止まると、
二階の奥、理科室のほうからかすかな声が聞こえた。
──しずかに。
──先生がきてる。
息を潜めて近づくと、
ドアの隙間から光が漏れている。
中を覗くと、子供たちが三人、床に膝をついて何かを囲んでいた。
「おい、何してるんだ」
ドアを開けた瞬間、
子供たちは振り向き、何も言わずに立ち上がった。
床の上には、ノートが一冊。
ページにはぎっしりと文字が並び、
その最後の行に、見覚えのある名前があった。
れんくんが よんでる
藤崎が目を上げたときには、
子供たちはすでに廊下の向こうに消えていた。
夜になっても、そのノートの文字が頭から離れなかった。
まるで誰かが、学校そのものを使って何かを語ろうとしているようだった。
風が吹く。
窓の外、校庭の桜がまた一枚、音もなく散った。
窓の外では、グラウンドの鉄棒が風に鳴っている。
まるで誰かがぶら下がって、ゆらりと揺れているように見えた。
机の上には、春斗のノート。
最後のページに書かれた、たった一行。
ぼくは、れんに会いにいく。
その文字を何度も読み返しても、意味はわからない。
“れん”という名前を、藤崎はどこかで聞いたことがある気がしていた。
けれど、思い出そうとすると、頭の奥がざらつくように痛む。
──れん。
──れんくん。
気づけば、指先が震えていた。
藤崎は古い職員用の名簿を引き出しから取り出した。
星ヶ丘小学校 児童名簿・過去5年分。
慎重にページをめくっていく。
2年生、3年生、4年生――
だが、「水原蓮」という名前はどこにもない。
奇妙だった。
この学校は小さく、転校や編入があれば職員全員が把握している。
名簿からまるごと消えるなど、ありえない。
そこへ、廊下のほうから足音がした。
藤崎が顔を上げると、田所教頭が立っていた。
白髪まじりの髪を撫でつけ、いつもの穏やかな笑顔を浮かべている。
「まだ帰ってなかったのか、藤崎先生」
「ええ……ちょっと調べ物を」
名簿を閉じかけた瞬間、教頭の視線が止まった。
目だけが、かすかに鋭くなった気がした。
「……昔の記録には、あまり深入りしないほうがいい」
その言い方が妙に冷たかった。
藤崎は曖昧に頷きながらも、胸の奥に引っかかりを覚えた。
その夜、帰り道で小さな雑貨屋の明かりが目に入った。
店先には灯油の匂いが漂い、
店主の老婦人が一人、湯飲みを手に座っていた。
「先生、こんな時間に珍しいね」
「ええ……少し探し物をしていて。
“れん”という子を知りませんか? 水原蓮という子です」
その瞬間、老婦人の手が止まった。
湯飲みの縁から湯気がゆらりと揺れ、
視線が宙に泳いだ。
「……その名前、もう言わないほうがいいよ」
「どういうことです?」
「だって……あの子は“消された子”だから」
その言葉に、背中を冷たいものが走った。
「事故だったって、みんな言うけどね。
本当は──」
老婦人はそこまで言って、
小さく首を振り、店の奥を指さした。
「もう、夜だから。お帰りなさい、先生。」
外に出ると、霧がまた濃くなっていた。
藤崎は息を吐き、坂道を見上げる。
その先には、
校舎の窓にまだひとつだけ灯りが残っていた。
春斗の席のあたり。
誰もいないはずの教室に、
淡い影が、窓越しに立っていた。
春斗がいなくなって三日が過ぎた。
町の掲示板には「行方不明者の情報を求む」と紙が貼られ、
テレビの地方ニュースでも短く報じられた。
けれど、星ヶ丘小学校の中は不思議なほど静かだった。
子供たちは春斗の話題を避けるように、
まるで最初からそんな子はいなかったかのように振る舞っていた。
昼休み、校庭の桜の下で、藤崎は立ち止まった。
風が吹くたびに花びらが舞い、
地面の上には春斗の描いたチョークの線がまだ残っている。
ドッジボールのコート。
昨日まであんなに賑やかだったのに、今は誰も遊んでいない。
そのとき、背後から声がした。
「先生」
振り返ると、5年生のひかりが立っていた。
白いカーディガンの袖を握りしめ、
どこか言いにくそうにしている。
「……春斗くん、ね、帰ってきたって言ってる子がいるの」
「帰ってきた? 誰がそんなことを?」
ひかりは首を横に振り、
「夜になると、階段のところで声がするの。
“まだ二十五人だよ”って」
と小さく呟いた。
藤崎の胸がざわめいた。
「それは、誰が言ってた?」
「みんな。三年生も、四年生も。
……聞こえるんだって。放課後になると。」
ひかりはそれだけ言うと、
まるで何かを怖がるように走り去っていった。
放課後。
藤崎は職員室を出て、静まり返った廊下を歩いた。
靴音がやけに響く。
階段の踊り場で立ち止まると、
二階の奥、理科室のほうからかすかな声が聞こえた。
──しずかに。
──先生がきてる。
息を潜めて近づくと、
ドアの隙間から光が漏れている。
中を覗くと、子供たちが三人、床に膝をついて何かを囲んでいた。
「おい、何してるんだ」
ドアを開けた瞬間、
子供たちは振り向き、何も言わずに立ち上がった。
床の上には、ノートが一冊。
ページにはぎっしりと文字が並び、
その最後の行に、見覚えのある名前があった。
れんくんが よんでる
藤崎が目を上げたときには、
子供たちはすでに廊下の向こうに消えていた。
夜になっても、そのノートの文字が頭から離れなかった。
まるで誰かが、学校そのものを使って何かを語ろうとしているようだった。
風が吹く。
窓の外、校庭の桜がまた一枚、音もなく散った。
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