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3話
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四日目の朝。
藤崎は学校に出勤すると同時に、職員室の棚に置かれた書類箱を開けた。
星ヶ丘小学校 事故・災害報告書。
茶色いファイルが年度ごとに並んでいる。
──平成三十年度。
──令和元年度。
春斗が二年生だったのは、令和二年度。
そのファイルを取り出し、慎重に開く。
ページの左上には通し番号がついていた。
001、002、003……
だが、途中でひとつだけ抜けていた。
No.004が存在しない。
藤崎は眉をひそめた。
その下のページ、No.005は「給食室の転倒事故」とある。
記録の間隔は一週間。
つまり、No.004は確実に作成されていたはずだ。
誰かが、意図的に抜いた。
「なにを探してるんです?」
背後から声がした。
振り向くと、教頭の田所が立っていた。
いつもの柔らかい笑み――だが、目は笑っていなかった。
「事故報告書を、少し見てまして」
「……ああ、それは古いものですよ。
学校の保存期間も過ぎています。あまり開かないほうがいい。」
「でも、番号が飛んでるんです。
令和二年度のNo.004が抜けている」
一瞬、教頭の肩がぴくりと動いた。
けれどすぐに、淡々とした声で言った。
「たぶん、印刷のミスでしょう。
どこにもそんな事故はありませんよ。」
「ほんとうに?」
「……ええ。」
そのとき、職員室の窓の外から、子供たちの笑い声が聞こえた。
春斗の同級生たちが、校庭で何かを埋めている。
段ボール箱のようなものを、土の中へ。
藤崎は思わず窓辺に近づいた。
教頭も同じ方向を見たが、
その顔はどこか怯えているようだった。
「先生、見なかったことにしましょう。」
低い声でそう言い残し、教頭は職員室を出ていった。
藤崎はもう一度、抜けたページの隙間を見つめた。
何度数えても、確かにひとつ欠けている。
ファイルを閉じようとしたとき、
背表紙の隙間から、紙片の切れ端がひらりと落ちた。
拾い上げると、そこには赤いペンで小さく書かれていた。
「水原 れん (星ヶ丘町立)」
紙は焼け焦げたように、端が黒ずんでいた。
藤崎の指先が震えた。
そして、胸の奥で何かがはっきりと形を持った。
──春斗は、やはり“れん”を追っていた。
昼下がりの光が職員室のブラインドの隙間から差し込んでいた。
藤崎は、誰もいなくなった机の列を抜け、
棚の奥に積まれた古い書類を一つひとつ確かめていた。
春斗のノートに残された「れん」という名前。
そして、欠番になっていた事故報告書。
頭の中でそれらが重なり、藤崎の中に小さな確信が芽生え始めていた。
この学校には、まだ何か“隠された名前”がある。
書類の束をめくると、手書きの職員名簿が出てきた。
『星ヶ丘小学校 令和二年度 職員一覧』
そこに見覚えのない名前があった。
柏木誠
藤崎は眉を寄せた。
学校の話の中でその名を聞いたことは一度もない。
前任者の話を聞いたときも、そんな教師は出てこなかった。
そのとき、背後で椅子が軋む音がした。
振り返ると、教頭の田所が立っていた。
「まだ残っていたんですか、先生」
「はい。ちょっと、過去の名簿を……」
「柏木先生のことですか?」
田所の声が低くなった。
その瞬間、藤崎の背中に冷たい汗がにじむ。
「ええ、事故の年度に名前があったので」
田所は短く息を吸い込み、
ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「その人は……もう辞めています。ずいぶん前に。
もう、この町にはいません」
「そうですか」
藤崎が礼を言うと、田所は小さく笑った。
けれど、その笑みはどこかぎこちなく、
何かを押し殺すような沈黙を含んでいた。
田所が出ていったあと、
職員室の奥から用務員の佐々木が顔を出した。
七十を過ぎた、腰の曲がった穏やかな男だ。
「先生、ちょっといいかね」
廊下に出ると、佐々木は周囲を確かめてから声を潜めた。
「柏木先生のことを、聞いたのか」
「知ってるんですか?」
「まあな……あんた、こっちに来て二年目だったね。
そりゃ知らんのも無理はない。
柏木先生は、まだこの学校が旧校舎だった頃の人だ」
「旧校舎……?」
藤崎は言葉を繰り返した。
佐々木は静かにうなずく。
「この学校、五年前までは山のほうにあったんだよ。
今はもう森に埋もれちまってるが……
あの事故があって、建て替えになったんだ。」
「事故、ですか。やはり……」
「誰も口にはしねぇ。
でも、夜になると、まだ電気がつくことがあるらしい。
人なんていないはずなのにな。」
佐々木はそう言って、
小さなため息をつきながら廊下を去っていった。
藤崎は一人、その言葉を反芻した。
──旧校舎。
──柏木誠。
──事故。
放課後の光が窓を赤く染めている。
校舎の裏手にまわると、
遠くの森の奥に、屋根の影がぼんやりと浮かんでいた。
風に揺れる木々の隙間、
ひび割れた瓦屋根の一部が夕日に光る。
藤崎は息を呑んだ。
まるで、過去がそこにまだ息づいているようだった。
藤崎は学校に出勤すると同時に、職員室の棚に置かれた書類箱を開けた。
星ヶ丘小学校 事故・災害報告書。
茶色いファイルが年度ごとに並んでいる。
──平成三十年度。
──令和元年度。
春斗が二年生だったのは、令和二年度。
そのファイルを取り出し、慎重に開く。
ページの左上には通し番号がついていた。
001、002、003……
だが、途中でひとつだけ抜けていた。
No.004が存在しない。
藤崎は眉をひそめた。
その下のページ、No.005は「給食室の転倒事故」とある。
記録の間隔は一週間。
つまり、No.004は確実に作成されていたはずだ。
誰かが、意図的に抜いた。
「なにを探してるんです?」
背後から声がした。
振り向くと、教頭の田所が立っていた。
いつもの柔らかい笑み――だが、目は笑っていなかった。
「事故報告書を、少し見てまして」
「……ああ、それは古いものですよ。
学校の保存期間も過ぎています。あまり開かないほうがいい。」
「でも、番号が飛んでるんです。
令和二年度のNo.004が抜けている」
一瞬、教頭の肩がぴくりと動いた。
けれどすぐに、淡々とした声で言った。
「たぶん、印刷のミスでしょう。
どこにもそんな事故はありませんよ。」
「ほんとうに?」
「……ええ。」
そのとき、職員室の窓の外から、子供たちの笑い声が聞こえた。
春斗の同級生たちが、校庭で何かを埋めている。
段ボール箱のようなものを、土の中へ。
藤崎は思わず窓辺に近づいた。
教頭も同じ方向を見たが、
その顔はどこか怯えているようだった。
「先生、見なかったことにしましょう。」
低い声でそう言い残し、教頭は職員室を出ていった。
藤崎はもう一度、抜けたページの隙間を見つめた。
何度数えても、確かにひとつ欠けている。
ファイルを閉じようとしたとき、
背表紙の隙間から、紙片の切れ端がひらりと落ちた。
拾い上げると、そこには赤いペンで小さく書かれていた。
「水原 れん (星ヶ丘町立)」
紙は焼け焦げたように、端が黒ずんでいた。
藤崎の指先が震えた。
そして、胸の奥で何かがはっきりと形を持った。
──春斗は、やはり“れん”を追っていた。
昼下がりの光が職員室のブラインドの隙間から差し込んでいた。
藤崎は、誰もいなくなった机の列を抜け、
棚の奥に積まれた古い書類を一つひとつ確かめていた。
春斗のノートに残された「れん」という名前。
そして、欠番になっていた事故報告書。
頭の中でそれらが重なり、藤崎の中に小さな確信が芽生え始めていた。
この学校には、まだ何か“隠された名前”がある。
書類の束をめくると、手書きの職員名簿が出てきた。
『星ヶ丘小学校 令和二年度 職員一覧』
そこに見覚えのない名前があった。
柏木誠
藤崎は眉を寄せた。
学校の話の中でその名を聞いたことは一度もない。
前任者の話を聞いたときも、そんな教師は出てこなかった。
そのとき、背後で椅子が軋む音がした。
振り返ると、教頭の田所が立っていた。
「まだ残っていたんですか、先生」
「はい。ちょっと、過去の名簿を……」
「柏木先生のことですか?」
田所の声が低くなった。
その瞬間、藤崎の背中に冷たい汗がにじむ。
「ええ、事故の年度に名前があったので」
田所は短く息を吸い込み、
ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「その人は……もう辞めています。ずいぶん前に。
もう、この町にはいません」
「そうですか」
藤崎が礼を言うと、田所は小さく笑った。
けれど、その笑みはどこかぎこちなく、
何かを押し殺すような沈黙を含んでいた。
田所が出ていったあと、
職員室の奥から用務員の佐々木が顔を出した。
七十を過ぎた、腰の曲がった穏やかな男だ。
「先生、ちょっといいかね」
廊下に出ると、佐々木は周囲を確かめてから声を潜めた。
「柏木先生のことを、聞いたのか」
「知ってるんですか?」
「まあな……あんた、こっちに来て二年目だったね。
そりゃ知らんのも無理はない。
柏木先生は、まだこの学校が旧校舎だった頃の人だ」
「旧校舎……?」
藤崎は言葉を繰り返した。
佐々木は静かにうなずく。
「この学校、五年前までは山のほうにあったんだよ。
今はもう森に埋もれちまってるが……
あの事故があって、建て替えになったんだ。」
「事故、ですか。やはり……」
「誰も口にはしねぇ。
でも、夜になると、まだ電気がつくことがあるらしい。
人なんていないはずなのにな。」
佐々木はそう言って、
小さなため息をつきながら廊下を去っていった。
藤崎は一人、その言葉を反芻した。
──旧校舎。
──柏木誠。
──事故。
放課後の光が窓を赤く染めている。
校舎の裏手にまわると、
遠くの森の奥に、屋根の影がぼんやりと浮かんでいた。
風に揺れる木々の隙間、
ひび割れた瓦屋根の一部が夕日に光る。
藤崎は息を呑んだ。
まるで、過去がそこにまだ息づいているようだった。
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