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13話
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朝の職員室は、休校中の静けさに包まれていた。
窓の外では体育館の屋根に淡い日差しが落ちていた。
藤崎は自分の机の鍵を外し、引き出しをそっと引いた。
ない。
昨昼、旧校舎の前で拾い机の一番奥にしまったはずの名札――
白いプレートにかすかに残っていた文字、「かしわぎ」。
そこにあるべき場所は、空白になっていた。
代わりに、一枚の紙切れ。
印刷用紙をちぎったような粗い端。鉛筆で、短く。
調べすぎない方がいい
藤崎は思わず周囲を見回した。
朝の職員室には三人しかいない。
窓際の席で、田所がコーヒーを片手に新聞を広げている。
視線は紙面に落ちているが、読むリズムがない。
ページをめくる指の速さだけが、妙に均一だった。
(鍵は、閉めた。見ていたのか、それとも――)
紙を折りたたみ、胸ポケットにしまう。
指先に、うっすら汗がにじんでいた。
午前、藤崎は校内を歩いた。
教室はどこも静まり、黒板の前に並んだ小さな机が明るい光の中で影を落としている。
子供たちが最後に見られた場所は、町のあちこちに散らばっていた。
公民館の裏、河原のベンチ、商店の軒先、
そして旧校舎……。
生徒たち机をひとつずつ開けていくと、春斗のノートが一冊だけ残っていた。
表紙は角がすり減り、ところどころ色鉛筆の跡がついている。
めくると、裏表紙に小さな字で走り書きがあった。
見たことを話す
藤崎は鉛筆の跡を指でなぞった。
決意に似た強さが、紙越しに指腹へ乗り移るようだった。
閉じたノートを丁寧に元の机へ戻し、深く息をひとつ吐く。
(春斗。君は何を見た。誰に話そうとしていた――)
昼休み、職員室に戻ると、田所が湯気の立つ紙コップを差し出した。
香りは甘く、少し重たい。
「藤崎先生。お疲れでしょう。こういう時こそ、落ち着きが必要です」
「ありがとうございます」
紙コップを受け取りながら、藤崎は真正面から田所の目を見た。
そこには、相手の反応を測る薄い膜のような笑みが張り付いている。
「先生、最近よく校内を回っておられるとか。熱心で結構です。
ただ――この町では“ほどほど”がちょうどいい。地面は、掘りすぎると崩れますから」
「私は、子供たちの行方が気になっているだけです」
「ええ、皆そう言います。
けれど“気にする”と“疑う”の境目は、案外あいまいでしてね。火種は、風で広がる」
田所は言葉の刃先を布で拭うみたいに、柔らかく笑って見せた。
視線が一瞬だけ、藤崎の机――鍵のかかった引き出しに触れる。
藤崎は紙コップを机に置き、会釈だけして席を離れた。
(名札のことを、言う必要はない。言っても、消えたものは戻らない)
胸の内側で、何かが音もなく固まっていくのを感じた。
放課後、藤崎はひとりで校庭の端を回り、旧校舎の外へ出た。
昼下がりの光は傾き始め、錆びた雨樋が細い影を地面に描いている。
昨日、男――“長谷川”が立っていた場所の近く、草の間に白いものが見えた。
小さな封筒。
開いてみると、折りたたまれたメモが一枚。鉛筆の筆圧が強く、ところどころ紙が凹んでいる。
『あの子たちが消えてから、
あの日のことを思い出さずに眠れる夜がなくなった。
私がれんを殺した。
それを隠した町も、何も変わらない。
けれど――あの子たちがいなくなったのは、
罰なんかじゃなく、私の罪を思い出させるためだと思う。私は、このまま苦しみ続けるしかない。』
行末に、短い線が震えて途切れている。
涙の跡のような染みが、乾いて薄い輪郭になって残っていた。
(長谷川……いや――)
藤崎は顔を上げ、旧校舎の壁を見た。
昼の光はやわらかいのに、木材の継ぎ目だけが妙に暗い色をしている。
誰かが塗り重ね、隠したもの。
見なかったことにするための手つき。
胸ポケットにメモをしまい、校庭へ戻る。
砂利を踏む自分の足音が、いつもより遠くで響いた。
校門を出ようとしたとき、ポケットの携帯が震えた。
画面には「非通知」。
少し躊躇うが、通話ボタンを押す。
「……藤崎です」
すぐに、低い声が耳を叩いた。
距離の分からない、押し殺した声。
「先生。見たことを話すと、あの子たちのようになりますよ」
息の混じらない一文。
続くはずの音はなく、プツ、と回線が切れた。
藤崎はしばらく携帯を握ったまま立ち尽くした。
校舎の影が午後の光の中で長く伸び、運動場の白線をゆっくり飲み込んでいく。
(見たことを、話す――)
ポケットの中で、紙切れの角が指先に当たる。
“罪”と書かれた線の震えが、皮膚越しに伝わってくる気がした。
誰が名札を消したのか。
誰がメモを置き、誰が電話をかけたのか。
すべては“見えないまま”だ。
けれど、名札が消え、ページが破られ、言葉が抑え込まれるたび、
逆に輪郭ははっきりしていく。
藤崎は携帯をしまい、校舎の方へ踵を返した。
鍵のかかった扉、無人の職員室、空の廊下。
沈黙のすべてが、今はひとつの方向を示しているように思えた。
窓の外では体育館の屋根に淡い日差しが落ちていた。
藤崎は自分の机の鍵を外し、引き出しをそっと引いた。
ない。
昨昼、旧校舎の前で拾い机の一番奥にしまったはずの名札――
白いプレートにかすかに残っていた文字、「かしわぎ」。
そこにあるべき場所は、空白になっていた。
代わりに、一枚の紙切れ。
印刷用紙をちぎったような粗い端。鉛筆で、短く。
調べすぎない方がいい
藤崎は思わず周囲を見回した。
朝の職員室には三人しかいない。
窓際の席で、田所がコーヒーを片手に新聞を広げている。
視線は紙面に落ちているが、読むリズムがない。
ページをめくる指の速さだけが、妙に均一だった。
(鍵は、閉めた。見ていたのか、それとも――)
紙を折りたたみ、胸ポケットにしまう。
指先に、うっすら汗がにじんでいた。
午前、藤崎は校内を歩いた。
教室はどこも静まり、黒板の前に並んだ小さな机が明るい光の中で影を落としている。
子供たちが最後に見られた場所は、町のあちこちに散らばっていた。
公民館の裏、河原のベンチ、商店の軒先、
そして旧校舎……。
生徒たち机をひとつずつ開けていくと、春斗のノートが一冊だけ残っていた。
表紙は角がすり減り、ところどころ色鉛筆の跡がついている。
めくると、裏表紙に小さな字で走り書きがあった。
見たことを話す
藤崎は鉛筆の跡を指でなぞった。
決意に似た強さが、紙越しに指腹へ乗り移るようだった。
閉じたノートを丁寧に元の机へ戻し、深く息をひとつ吐く。
(春斗。君は何を見た。誰に話そうとしていた――)
昼休み、職員室に戻ると、田所が湯気の立つ紙コップを差し出した。
香りは甘く、少し重たい。
「藤崎先生。お疲れでしょう。こういう時こそ、落ち着きが必要です」
「ありがとうございます」
紙コップを受け取りながら、藤崎は真正面から田所の目を見た。
そこには、相手の反応を測る薄い膜のような笑みが張り付いている。
「先生、最近よく校内を回っておられるとか。熱心で結構です。
ただ――この町では“ほどほど”がちょうどいい。地面は、掘りすぎると崩れますから」
「私は、子供たちの行方が気になっているだけです」
「ええ、皆そう言います。
けれど“気にする”と“疑う”の境目は、案外あいまいでしてね。火種は、風で広がる」
田所は言葉の刃先を布で拭うみたいに、柔らかく笑って見せた。
視線が一瞬だけ、藤崎の机――鍵のかかった引き出しに触れる。
藤崎は紙コップを机に置き、会釈だけして席を離れた。
(名札のことを、言う必要はない。言っても、消えたものは戻らない)
胸の内側で、何かが音もなく固まっていくのを感じた。
放課後、藤崎はひとりで校庭の端を回り、旧校舎の外へ出た。
昼下がりの光は傾き始め、錆びた雨樋が細い影を地面に描いている。
昨日、男――“長谷川”が立っていた場所の近く、草の間に白いものが見えた。
小さな封筒。
開いてみると、折りたたまれたメモが一枚。鉛筆の筆圧が強く、ところどころ紙が凹んでいる。
『あの子たちが消えてから、
あの日のことを思い出さずに眠れる夜がなくなった。
私がれんを殺した。
それを隠した町も、何も変わらない。
けれど――あの子たちがいなくなったのは、
罰なんかじゃなく、私の罪を思い出させるためだと思う。私は、このまま苦しみ続けるしかない。』
行末に、短い線が震えて途切れている。
涙の跡のような染みが、乾いて薄い輪郭になって残っていた。
(長谷川……いや――)
藤崎は顔を上げ、旧校舎の壁を見た。
昼の光はやわらかいのに、木材の継ぎ目だけが妙に暗い色をしている。
誰かが塗り重ね、隠したもの。
見なかったことにするための手つき。
胸ポケットにメモをしまい、校庭へ戻る。
砂利を踏む自分の足音が、いつもより遠くで響いた。
校門を出ようとしたとき、ポケットの携帯が震えた。
画面には「非通知」。
少し躊躇うが、通話ボタンを押す。
「……藤崎です」
すぐに、低い声が耳を叩いた。
距離の分からない、押し殺した声。
「先生。見たことを話すと、あの子たちのようになりますよ」
息の混じらない一文。
続くはずの音はなく、プツ、と回線が切れた。
藤崎はしばらく携帯を握ったまま立ち尽くした。
校舎の影が午後の光の中で長く伸び、運動場の白線をゆっくり飲み込んでいく。
(見たことを、話す――)
ポケットの中で、紙切れの角が指先に当たる。
“罪”と書かれた線の震えが、皮膚越しに伝わってくる気がした。
誰が名札を消したのか。
誰がメモを置き、誰が電話をかけたのか。
すべては“見えないまま”だ。
けれど、名札が消え、ページが破られ、言葉が抑え込まれるたび、
逆に輪郭ははっきりしていく。
藤崎は携帯をしまい、校舎の方へ踵を返した。
鍵のかかった扉、無人の職員室、空の廊下。
沈黙のすべてが、今はひとつの方向を示しているように思えた。
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