太陽を愛した狼

カナメ

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プロローグ

あなたは過労で死にました

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 ひしめく足音と話し声。
 作業に追われる人々の忙しなさ。
 上司の理不尽な注文と部下の悲痛な心の叫び。

 モニターを見ながらキーボードを打ち込む手の動きは止めずに、ぼんやりと自分の置かれた状況をまるで画面越しに見る映像のように俯瞰で見ていた。
 
 スーツを身に纏ってはいるものの、所々に布の耐久性の限界を感じる。ああ、この袖の部分なんかデスクに擦れすぎて摩耗してきているじゃないか。
 髪なんかオシャレのために染めたりなんかはもちろん、日頃から大したケアなんかできていないから黒髪なのにくすんでいる。

 そもそも風呂という行為は私にとっては不潔でない状態でいるための行為。自分の体を労ったり、美容のために何かをするものではない。
 人が排泄をするのにトイレに行くのと同定義となってしまった。
 そばかすだらけの肌もガサガサだ。
 元々乾燥肌気質だというのにそんなことに気を遣えなくなってしばらく経つ。


 私っていつからこんなだったっけ?
 学生の頃はそれなりに青春をして、それなりに美容にも興味があって、オシャレや化粧は好きだったはずなのに。
 会社のデスクに座る私なんか、後ろから見たら姿勢が悪くてとても20代とは思えないほどおばさんに見える。


 ……?
 後ろから見る?というか映像を見るように?
 いやいやていうか私、私が会社で仕事している姿を映像で見てないか?比喩的な表現じゃなく。

 はた、として画面以外の場所にも顔を向けたりすることができるか確認すると、本当に巨大な画面があるがそれ以外は白に包まれている。
 白以外何も見えない。
 部屋のようにも奥行きがあるようにも見えるし、ないようにも見える。
 どういうことだ?


「過労死ですよ」


 突然言葉が降ってきた。
 こんな意味のわからない状況で、声をかけられると思ってもいなかったのですぐさま周囲を見渡す。
 何もない。
 後ろを向いたまま本当に何もいないことを確認して向き直る。
 画面に映し出されていたデスクに縫い付けられていたように仕事をしている私が、こちらを向いてにっこりと笑みを浮かべている。
 うわなにこれきもちわる。
 というか、過労死?過労死って言った?


「ええ、そうです。あなたは過労で死にました」


 にっこりと笑みを浮かべたまま答える画面の私。
 私は思考と発言を分けているようにしているのだが、どうやら声を出すことは出来ないらしい。
 ここでは同一線上のようになってしまうけど、画面の私は発声していない私の声を聞いて応答してくれているようだ。
 いや思考を読んでるのか?よくわからん。

 色々と聞きたいことがあるが、過労死って本当にあるのか…しかもそれがまさか自分の身に降りかかるなんて。
 ニュースやひとづてに聞く単語ではあるがどうにも現実味がなかったのにまさか自分がそうなるとは。
 いやはや人生とは摩訶不思議なもんよ。
 
 しかし死んでしまえば妙にアッサリしたものだ。
 よく死とは何かとか、死ぬ時は苦しいのかとか…心を病んでいなくても一度は考えそうなところをうっかりすっかりわからないままこえてしまった。
 出来れば苦しかったのかどうかは知りたいところだった。惜しいことを。


「苦しいという自覚が無かっただけでは?」


 ……そう、なのかな。


 でもたしかに苦しいだけではなく、しばらく楽しいとか悲しいとかムカついたとか、感じたことなかったかも。


 だって、無駄だし。


 仕事する上で効率的にやるなら否定するのも反論するのも徒労だし。黙って仕事をこなしていれば煩わしいことには巻き込まれず賃金をもらえる。
 面倒ごとの種を自ら撒く必要はないしな。
 うん、実に効率的だ。


「本当に?」

 
 画面の私に目を向ける。
 問いかけてきた私はにっこりと笑みを浮かべてはいるものの、その目元には隈を同居させている。

 あの隈っていつからあるっけ、疲れてる顔してるな。さっきも見たけど改めてどこからどうみてもくたびれた社畜の典型例だ。
 花の20代とは思えぬ様相、正直40代と言われても仕方ない。
 楽しいことや生き甲斐、モチベーションなんていうものをすべてかなぐりすてた生身のお仕事マシーン。

 ひどいざまだ。
 これが本当に20代であるものか。
 無駄だと勘違いしていたものを片端から捨てて、一番私がなりたくない大人になって死んだのだ。
 苦しいし辛いし休みたいし楽しみたかったのにそんな当たり前のことすら不毛に思えて捨てた。
 なんて惨めなんだろう。


 そうか…私、苦しかったんだ。


 思えば入社してからしばらくは、どれだけ懸命に頑張っても頑張っても褒めてもらえることなんてなかったし、理不尽なことで責められたりして良く帰路については泣き腫らしたっけ。
 決まって次の日は目の腫れがすごいし、泣くのって体力使うから無駄だなって思い始めるくらい何度も泣いた頃くらいに、何を言われても自分の心が大きく揺さぶられることもなくなった。

 当たり前のように食事が美味しいとは思わず、生きる上で必要なエネルギー補給。
 時間を潰すために見ていたテレビや動画も楽しいよりもこんなもんか…くらいの。


 そっかぁ…死んだのかあ


 真っ白な世界の空を仰ぎ見る。
 そこにはなにも無いし、どこまで続いてるかもわからない。けれど全く予想のつかないその空間は自分のちっぽけさを理解するには十分で。
 
 どれだけ悔いても、もう、どうすることも出来ない。
 どうせならもっと旅行に行ったり買い物したり…
 ああそうだ、仕事仕事でそんな暇ないってないがしろにしてた両親にももっと会っておけば……


 おけば……よかったなぁ…


 仰いだ顔の頬に涙が伝うのがわかる。
 そしてその涙は、一度涙と認識すると止まらなくなる。
 今こそ泣いたって無駄なのだ。
 もう死んでしまったのには変わりはなくて、いくら泣いたところで生き返りはしない。
 
 不毛なのに、無駄なのに、涙が止まらない。

 悔しい、死んでから色んな大切なことに気がつくなんて。
 元々感情移入とか激しいし、泣き虫だったから一度泣き出すと治るまで時間かかるってよく学生時代の友達に笑われたっけ。
 誰かが泣いてると悲しかったし、誰かが怒ってると私も一緒に怒ったなあ。


「やり直したいですか?」


 画面に映る私が、にっこりと笑みを携えて告げた。
 その答えは誰もがYesと取るだろう。
 死んでから振り返る時間がこうしてあるなら、どんな偉業を成し遂げた人だってYesと言う。
 
 でも私はきっと何も成し遂げられない。今こんなに後悔したというのにやり直したってきっとまた死ぬ時に後悔する。
 即決でYesを取るほど、私はポジティブな人間じゃない。
 今まできちんと生きなかった罪を私は死んでからもずっと後悔し続けるのが妥当な罰だ。


「哀れな者よ。無欲な者よ。正直な者よ。汝に今一度の生を」


 今までとはうって変わった口調をする画面の私の言葉に目を剥く。
 薄々、もしかしてそうなのかもとか思っていたがやはり神様っぽい。
 いやでも今一度の生をとか言われても。
 私なにも誓えないし、たとえば何か大きな使命とかも出来ないし、また無益に時間を消費するかもしれないんですよ?
 それなのにホイホイそんなことしてしまっていいんですかね?


「木々をかき分け、気儘に抜ける風のように。
 時に流れ、時に止まる自由な水のように。炎のように身を焦がすほどの熱を帯びるか、寄り添い温めるか…如何様にもなり得るのが人であるが故」


 良い。と頷きながら紡いだ言葉に、妙に胸が熱くなった。
 確かに本来は人ってそういう可能性を秘めてるんだよなと、納得してしまった。
 使命なんてものは与えられるものじゃなくて自分で得るものか。さすが神様。


「次に相見える時は、良き語らいが出来ることを願っている」


 その言葉を最後に私の意識は徐々に曖昧になった。電池が切れたみたいに。
 色々と聞きたいことがあったが、あれこれと質問はさせてくれないようだ。
 優しいんだか、優しくないんだか。良くわからない神様だな。
 いやでも神様なんだから人が推し量れるような存在じゃないか…なんて思いながらゆっくりと、ゆっくりとじんわりと溶け出すような感覚。
 それが妙に心地よくて、ゆっくりと目を閉じた。


 目を閉じながらも、視界の端には先ほどまで何もなかった真っ白な空間に、私ではない1人の女性がいたような気がした。


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