太陽を愛した狼

カナメ

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本編 第一章 【伏縁編】

夜の矜持

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「平和だと、思ってたんだけどなあ…」


 誰にいうでもなく、私の言葉は浴室に反響して消えていった。
 腕から肩に滑らせるようにお湯をかけ、私は湯船にじっくり浸かっていた。

 昼食の後、街の商業地区なんかをみんなで散策して今日を終えた。
 問題のレオニス様とアラスターの手合わせは、視察最終日の明日に執り行われることになったのだ。

 風呂は心の洗濯、なんてよく言うけれど…ちょっと今回に関しては、風呂とて綺麗に洗い流してはくれなさそうだ。

 大体、勇者と手合わせって。
 落とし所が難しすぎる。
 勇者…というか第二王子に勝ってもいけない。言うまでもなく。でも負けたら負けたらこちらの評判に関わるわけで。

 レオニス様ならそんなことは百も承知なはずなのに、そんなことすらどうでもいいくらいアラスターの実力が気になったのかな。

 まあ、実際のところ私とてかなり気になっている。今まで一度も訓練だろうがなんであろうが、アラスターが戦っているところなど見たことがない。
 私は力なんかないから、おそらく目にすることは出来ないだろうなと思っていたので、興味がないといえば嘘になる。

 でもなんか嫌だ。
 いくら手合わせとはいえど、怪我をするときはするだろうし。
 そもそもレオニス様たっての希望で、真剣で行いたいとのことだ。本当に何を考えているんだろうか。
 レオニス様に万が一のことがあったらどうしたらいいんだろうか。そもそもなんでギルドマスターも許可を出しちゃったのかなあ。

 アラスターもアラスターだ。
 あれだけ嫌そうな顔をしていたのに「構わない」だなんて受けてしまうんだ。


「はぁぁ…」


 考えても出ない答え。
 これ以上考えてもキリがないかと、風呂を上がる。
 体を拭いて寝衣の上にナイトガウンを着る。
 取り外していたチョーカーを付け直そうと姿見の前に立つと、首についた痕が目に入る。
 アラスターが付けた痕。
 指先で触れると、甘い記憶が蘇ってきてしまう。思い出すたび羞恥に駆られて、けどそれが嫌じゃない。

 仕事中は彼と会話することはほとんどなかったけれど、さりげなく交わした視線が胸に甘い響きを残している。

 (今日も疲れたなぁ…アラン様に甘えたいや)

 ぼんやりとそんなことを浮かべて、チョーカーを着ける。
 ……いやなにナチュラルに甘えたいとか思ってるのか。
 チョーカーを結び終えて自分の頬を軽く叩いて気を取り直す。しっかりしろアビゲイル。



 風呂場を出て、頭をタオルで拭きながら自分の部屋へ戻る。
 日中の賑やかさがない静まり返ったギルドがなんだか慣れなくて、少し駆け足で戻る。
 階段を上がろうとした時に上から気配がして目線を上げた。
 あまり慣れない気配とこちらに感じる視線…凛としていて、その洗礼された佇まいが私の背筋を伸ばさせる。

 (レオニス様、こんな時間に…?)

 普段とは異なる気楽な装いをしたレオニス様もこちらを見て、驚いた表情をしていた。


「アビゲイル嬢?」
「レオニス様…」
「…」
「…」


 お互い面食らったまま、沈黙が落ちる。
 なんて言うべきかな。羽織っていたガウンを握る手の力が強まる。
 かける言葉に迷っているうちに、レオニス様は私を頭から足の先まで視線を巡らせる。次いですぐに口元に手を当てて顔を逸らした。
 え、私何かしたかな。


「レオニス様…?」
「あーー……少し歩こうかと思っていたんだけどね…」


 ほんのりと色付いた肌が手や髪の隙間から見え、あからさまに視線を泳がせる彼に首を傾げ……て気が付いた。
 自分が少し濡れたままの髪を下ろし、寝衣にガウンを羽織った姿だったということを。
 誰かに遭遇するなんて思いもしなかったので、胸の辺りなんかは雑にはだけている。
 大きく乱れた格好ではないものの、とても人様に見せられる装いではないことに慌ててガウンで身を包んだ。


「す、すみません!お見苦しい姿を!」
「…いや、見苦しいなんてことはないよ。君はとても可憐だから…」


 すっと伸びてきた彼の手が目にうつり、びくりと肩を跳ねさせて硬直する。

 (触られる…!)

 思わず身構えた私に呼応するかのごとく、彼の手は宙で止まり、戻っていった。


「いけないね、またルミアに叱られてしまう」


 そうして笑うレオニス様は、なんだか痛そうな顔をしていた。
 色にだらしがないと叱ったルミア様の和題を出したことで、自らの悪癖を卑下するような茶化し方。
 …らしくない、と思った。
 私を見た時の反応も、そんな笑い方も。
 だって色にだらしがないのなら、女性のあられもない姿なんて見慣れているはずなのに。
 自信に満ちていたはずの、彼の傷ついたような顔も。

 様子がおかしい。ただそう思って言葉を投げようにも、私にはかける言葉が見つからなかった。
 初日にレオニス様が見せた影の片鱗に、私は気が付いていた。けど、見るべきではないと距離を置いた。
 なら、やはり、私が声をかけるべきではないのだ。ここで優しい言葉をかけたとて、彼の心に余計な波風を立てるだけだ。
 ガウンを握った手に更に力をグッと込める。


「ですね。ルミア様、怒ったらきっと怖いですよ」


 笑え。何事もなかったように。
 自分の心にそう言い聞かせて、呆れたように笑って見せる。
 私の顔を見て、レオニス様は少しの間をあけてから肩を竦める。


「そうだね。僕としたことが、柄にもなく緊張していたようだよ」
「…明日の手合わせですか?なんでまた急に手合わせなんか」
「相手の実力を知りたいと思うのは、男として当然なだけさ」
「なるほど、男の矜持…というやつですか?」
「まあ有り体に言えばそうだね…くだらないだろう?」
「くだらなくありません」


 自分を蔑むようなレオニス様の問いに、私はキッパリと告げた。

 私には冒険者が一般的に考える力への興味も渇望もない。強者に挑む昂揚も分からない。
 行き過ぎた欲望で身を滅ぼす人だって見てきた。
 それでも私には、くだらないものだとは思えない。

 遺された人も、道半ばで膝を折った人も、誰もがその顔に絶望を宿してはいなかったから。
 悔いなくやり切ったことへの充足感。最期まで誇り高く生きたことへの賞賛。
 そんな彼らはいつだって輝いているのだ。

 だから私は笑わない。
 大層な思いはないけれど、ちゃんと生きてちゃんと死ぬと悔いた前世の自分に誓ったから。

 ちゃんと生きるために必要な矜持が手合わせなのだとレオニス様がそう言うなら、きっとそれは必要なことなのだ。

 私の思いは言葉にはしない。
 でも伝わってくれればいいなと思って、レオニス様の碧眼から逸らさずに真っ直ぐ見た。
 彼は私のその様子に目を見開いて、ゆっくり閉じた。


「ありがとう、アビゲイル嬢。勇気づけられてしまったね」
「私はなにも…」
「ひとつ、いいかな?」
「はい?」


 レオニス様は胸に手を当てて顔を伏せる。
 少しだけ腰を落とし、夜だというのに朝日を思わせる金色の髪を揺らして、ただ静かに告げた。


「僕がアラスターに勝ったら、ひとつ願いを叶えてくれるかな?」


 彼の言葉に「どんな」とか「なぜ」とか、この時の私は全く思いもしなかった。
 私は、彼の矜持を尊重し、“彼の冗談”に付き合うべきだと思った。


「考えておきます」


 歩み進め、彼とすれ違い様にそう答える。
 そうして階段を登り、彼の視界から私が見えなくなるまで私は一度も振り返らなかった。
 レオニス様もただ顔を伏せたまま、何も言うことはなかった。
 夜の帳が降りるように、澄んだ静けさが私たちの間を包んでいた。



 ーーーーーー



 ふぅ、と深く息をついて自室の扉へ手をかける。
 一瞬、静止して先ほどの妙なレオニス様の事を考えようとしてやめた。
 深入りしないと決めたし。

 気を取り直して扉を開ける。


「おかえり、アビー」


 ベッドに腰を下ろし、本を片手に寛いでいる。私の入室に気がつくなり本を閉じてベッドサイドのテーブルに置き、優しく微笑みかけるアラスター。
 テーブルに置かれたランタンを灯さず、窓辺から差し込む月明かりが彼を祝福するように照らしていた。
 暗闇でも揺らめく金色の瞳が、私を見ている。

『宵の明星』

 ふと彼の別称を思い出す。
 最初は随分ロマンチックな呼び方だなくらいにしか思わなかったのに、今は妙に納得してしまう。
 彼を想う女性たちが一晩過ごしたい相手という意味で付いた名だが、その言葉が持つ本来の意味は違う。
 日没後に輝く一番星。
 夜空でなによりも大きく輝くその星は、人々の一日の終わりを優しく見守り祝福している。
 現に私をこうして出迎えてくれるアラスターを見て、先ほどまで気を張っていた体から余計な力が抜ける。心の底から安心する。
 本当にその通りだなと、私はぼんやりと思いながら後ろ手に扉を閉めた。


「アビー?何かあったのかい?」
「いえ、アラン様が案じるようなことは何も」
「…ふふ、そうかい?ならいいんだけれど」


 明確な返事はしない。けど嘘をつくつもりもなくて、先日の彼のような言葉で返す。
 私の言葉に少しだけ目を見開いて驚きつつも、すぐに機嫌が良さそうに笑ってそれ以上は聞き出そうとしてこなかった。

 ぽんぽんと彼が手で自分の隣を叩く。

 それを見て私は少し急ぎ足で向かって、腰を下ろした。
 ベッドに沈む感覚と鼻腔をくすぐる静かな彼の匂い。それが私にはたまらなく心地よくて、彼に凭れ掛かる。


「今日もお疲れさま」
「アラン様も、お疲れさまでした」


 労いの言葉と共に肩に預けた私の頭へ口付けを落とし、頬を擦り寄せる彼。
 心臓をきゅっと掴まれるような息苦しさが不思議なくらいに心地が良くて、お礼の気持ちを込めつつ私も彼を労う。

 いつから私はこんなに彼に安心するようになったんだろう。
 あんなに手を焼いていたのに。
 あんなに心をざわつかせていたのに。
 いつの間にか最初からあったみたいに、自然と受け入れてしまっている自分になんだかおかしくて笑ってしまう。


「ふふふ」
「ご機嫌だね、アビー」
「はい。ご機嫌です」


 左手で腰を優しく抱きながら、まるで猫のようにすりすりと頬擦りし続ける彼もまたくすくすと笑っていて機嫌が良さそうだった。
 多くを語らず、聞かず、ただこうして寄り添ってくれることが私にとっては何よりの安らぎ。
 私がここにいてもいいと、どんな私でもいいと言ってくれているような気がして、それだけで私の心が軽くなるのだ。

 それでも脳裏に過るのは、明日の手合わせのことだった。
 レオニス様は緊張している様子だった。
 でも、それなら、彼は?
 私の膝の上に置いていた彼の右手を両手で握る。
 包帯は、綺麗に巻かれている。そう、手に怪我だってしているのに…手合わせなんて。


「アラン様は、明日の手合わせ…緊張してたりします?」
「緊張?どうしてかな?」
「その…一応王族の方とですし」
「うーん。そうだね…」


 握った私の手を親指の腹で優しく撫でながら、私の言葉を聞く彼の口調は穏やかでいつも通りだ。
 少し悩んだ様子に私はじっと答えを待つ。


「するかしないかで言ったら、しないかな」
「しないんですか」
「だって、この仕事が終わったら君からご褒美をもらう約束だからね…」
「…そうでしたね」


 そう言われてみればそんな話だった。
 しっかり覚えているところが彼らしいな。
 呆れた表情を浮かべつつ彼を見上げると…

 星のように輝く金色の瞳が、私を真っ直ぐ見つめていた。


「やり遂げるよ」


 そう、言い切った。
 彼の真摯な眼差しが、不安を巡らせていた私の曇りを吹き飛ばす。
 きっと大丈夫だと思わせてくれるその言葉が、私は何よりも嬉しかった。


「はい。信じてます…アラン様」


 頬に触れる彼の手の温かさに目を閉じると、彼は優しく口付けを落とす。
 甘くて、柔らかい口付け。
 夜の静けさに抱かれながら、私たちはゆっくりと眠りについた。




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