太陽を愛した狼

カナメ

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本編 第一章 【伏縁編】

傷の深さ、愛の深さ

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 医務室の窓から吹き込む風に、光を遮るカーテンが揺れている。
 医薬品の少し独特な匂いが鼻を掠める。
 ベッドに横たわりながらぼんやりと眺めて、僕はされるがままに治療を受けていた。

 先日説明があった通り、この訓練場は本当に充実しているな。
 医務室は大部屋ではなく小部屋が幾つか併設されており、治療に専念したり、冒険者同士の衝突を避けるためにこうした設計なのだろう。

 術師に施された治癒により、徐々に回復してきてはいるものの未だ鈍痛が響く腹部。
 緩やかな時間、空虚な心と体に風の揺らぎで布の擦れる音と鳥の鳴き声だけが僕の心に響いていた。


 ——ガチャ…

「…っ!」
「勇者様!どうか安静に!」


 扉の開く音がして、思わず体を起こす。
 隣で静止を促す術師の言葉も構わず目線を向けた、その先に……


「術師の方を困らせてはいけませんわ、レオニス様」


 見慣れた…揺れる銀色の髪と紅玉の瞳。
 ルミアは変わらず優しく微笑み、僕の隣に椅子を置いて座った。
 勢いのままに起こした身を再びベッドへ投げ出す。
 期待していたのか?来るわけがない。


「代わりますわ」
「…はい」


 そう言って術師を下がらせ、僕の腹部に手を翳して治癒魔法をかけ始めた。
 差し込む光と薄く魔力を帯びて輝く銀色が、今の僕には刺さるほど痛々しいものに感じ、天井を見上げる。


「……」
「……」


 再び訪れる静寂。
 先ほどよりも腹部の痛みが急速に引いていくのがわかる。さすがは聖女。戦う力を持たない代わりに魔を払う力と治癒魔法に特化している。
 チラリと目線をやると、彼女はただ目を伏せて治療にだけ専念していた。

 いつもならなんて事のない沈黙だが、今日はなんだか居た堪れずに口を開く。


「…傷は深いかな?」
「術師の方が手を焼くほどに。あの一撃でよくもまあここまでズタズタに出来るものですわ」
「…そうかい」


 自分で思っていたよりも傷が深いことを告げられて、納得する。
 あの男は今まで僕に引っ掻き回された黒い感情を全てこの腹に叩き込んだというわけか。
 僕の腹黒さが生んだ行動を、そっくりそのままお返ししますとでも言いたいんだろう。
 皮肉屋め。
 通りで思うように体が動かず、手に震えが出るわけだ。

 顔の前で開いて閉じてを繰り返して見る手は、僅かに震えて止まらない。


「あれほど堂々と挑んでおいて負けるとは、レオニス様の無様に磨きがかかりましたわね」
「…傷に塩を塗るとはね。こういう時くらいは、優しい言葉をかけてくれても良いんだよ?」


 治癒魔法を施しながら、僕に目もくれずにルミアが告げた言葉に恨めし気に視線を送った。
 本当に彼女は厳しい。
 皆の前では聖女然とした振る舞いを心掛けているというのに、僕にはいつだって厳しい。
 その優しさの片鱗でも見せてくれたなら、僕だって『敗北』した悔しさに枕を濡らすことも出来るのにな。


「あら、同情をお望みでしたの…?」
「……」


 それまで伏せていた目を開いて、じぃと僕を見つめる彼女の瞳は真っ直ぐだった。
 まるで昨夜のアビゲイル嬢のように、真摯な瞳。彼女の髪の赤とは違う、しんとした気配を纏う赤い瞳。
 なぜかその瞳が、僕の脳裏にずっと浮かんでいたのに、気付こうとしなかった思いを引っ張り出させた。


「……終わったんだね」
「…はい」


 悔しさも悲しみもなく、ただ終わったという事実が僕の胸にストンと落ちて、滲むように溶けた。


「連れて帰るつもりだった。勝てば…ね」
「はい」
「でも負けた」
「はい」
「だからもう、やめるよ」
「はい」


 僕の独白に付き合うように、ルミアはただ聞いて返事をした。
 誰を、何をなんて野暮な事は聞いてこない。
 僕の気持ちや思惑など、彼女にはきっと最初からお見通しだったのだ。
 分かっていて、見届けた。

 僕がアラスターとの手合わせに、どんな思いで臨んでいたかも。

 負けるつもりはなかった。
 手合わせの勝敗で、僕はケリをつけるつもりだった。

 …いや、違うな。
 僕が信じて疑わないものを、それよりも圧倒的な思いで下して欲しかったんだ。
 自らが追い求めてやまない愛という憧憬を簒奪という手段では到底見ることは敵わないものだと。

 我ながら困ったものだ。
 これでは構ってほしくてイタズラをする子供と同じじゃないか。


「はは…僕は本当に哀れだな」
「ええ、本当に。…けれどレオニス様」


 僕の呟きにルミアはゆっくりと頷いて、僕の手を握る。


「わたくしはこうも思うのです」
「…」
「気持ちに折り目をつけるのは、時に戦いよりも残酷ですわ。でも貴方は、きちんと…終わらせましたのよ」


 ルミアの言葉に、その眩さに、僕は見ていられなくて天井を向き視界を腕で覆った。


「……そうだね」


 頬に伝う雫の気配に僕は声を押し殺した。
 ルミアはただ黙って僕の手を握り、治療を再開した。






 ーーーーーー





 戦いの余韻が残った訓練場。
 レオニスが丁重に医務室に運ばれていったことで、観客席にいた者たちが散っていった。
 本当にこの街の人間は祭り好きというか。冒険者も冒険者でらしく荒事が好きというか…

 呆れてものも言えないな。

 溜め息をついて、自分の手に握られていた折れた槍を地面に落とす。
 革手袋についた木屑を払い、その視界がぐらりと揺れる。

 視界が少し、回る。
 ああ多分、血を流しすぎた。


「アラスター大丈夫!?」
「はよ医務室にゆくぞい!」


 うるさいな。そんなことはわかってる。
 この二人はいつもキンキンと声を荒げて、本当に喧しいな。
 私の周りを囲む二人を押し除けて、歩き出す。

 自分の胸を見下ろすと、傷はそこまで深くないもののバッサリと切り捨てられた胴体が視界に映る。

 黒い装備はこういう時に重宝する。
 血の色が目立たないので、傷の割に出血の痕跡が見にくく相手を怯ませるのに効果的だ。
 まあ私よりもレオニスの方が深手だ。

 レオニスの『光刃』のスキルは、おおよそ検討がついていた。

 煌びやかな装飾とは打って変わってその剣の重さをほとんど感じさせないことから、重量軽減の類の付与がされていた。
 振りやすさを重視した長剣。
 討伐困難な魔物や邪竜をも討ち取るなど様々な功績を挙げているにも関わらず、使用している銀剣の刃先には大きな損耗はなかった。
 つまり、ほとんど刃こぼれさせることなく決定的な一撃を与えられるスキルを保持していることは容易に想像できた。

 …とはいえ、鍔迫り合いから至近距離で使用されるとは思っていなかったな。
 念のため木槍に『頑強』の付与をしていた事、とっさに使用した何重もの防壁魔術でこれだけのダメージで済んだのだ。
 それでも木槍や防壁ごと斬られてしまったが。

 まあ、どうでもいいか。
 揺れる視界に頭を抱える。
 足取りが少し重い。
『加速×5』はさすがにやりすぎたな。

 本当はもっと痛めつけても良かったんだが、きっとそれをアビーは望まないだろう。
 ああ、アビーは大丈夫だろうか。
 彼女には、戦う姿を見せたくなかった。

 穏便に済ませるにはこちらも多少の手傷を受ける必要があったから。
 まさかここまでやられるとは思っていなかったが。ああ思い出したら腹が立ってきた。
 昨夜のアビーの様子からして、レオニスと遭遇していたようだし。本当にどこまでも癪に障る。
 あの無防備な状態の彼女を見ていたという事実だけで歯止めが効かなくなりそうになる。
 やはりもう少し痛めつけておけば良かったな。

 踏み出した足に力が入らず、ふらつく。
 ああ、まずい。


「アラン様」


 芯のある声で名を呼ばれ、傾いた体を支えるように触れられる。
 太陽のように燃える髪、草原を思わせる萌葱の瞳、首元に揺れる金色。


 ——ああ、彼女だ。


 研ぎ澄まされた剣先のように張り詰めていた糸が、プツリと切れるのを感じる。
 私は、そこで、意識を手放した。






 ーーーーーー





 手からじんわり伝わる熱に呼び起こされるように、目を覚ました。

 眼前に広がる天井は、おそらく医務室のものだろう。思っていたよりも日が傾いて来ている。
 西陽が窓から差し込み、夕焼けの色で室内は染められている。

 あの後、かなり長い時間気を失っていたようだ。負わされた傷から考えても日付は跨いでいないと思う。

 再度、左手に伝わる熱を感じる。
 この触れていて心地の良い体温は、寝ている彼女特有のものだな。
 確信を持って起こさないように僅かに頭を動かして見る。


「…すぅ、すぅ」


 ベッドサイドに置いた椅子に座り、ベッドに伏せるようにして寝ているアビーに思わず笑みが溢れる。
 疲れを滲ませた顔。
 目尻に擦ったような赤い痕。
 相当気を揉ませてしまったようだ。

 気を失う前、私を支えた彼女は強くて真っ直ぐな面持ちのままだったけれど…内心は穏やかではなかったに違いない。
 きっと優しい君のことだ、双方とも傷付いてほしくなかったんだろう。
 それでも真剣での手合わせに挑む両者を、自分の不安を押し込めて尊重した。
 そう決めたんだ。

 本当に真っ直ぐで、暖かくて、眩しいね君は。

 込み上げる愛しいと思う気持ちに抗えず、ゆっくりと体を起こして繋がれていない右手で彼女の頬を撫でた。

 こうしたら、きっと君は目を覚ます。
 そう頭では理解しているのに、休ませてあげることより、触れたいという衝動が抑えられなかった。

 ゆっくりと目を開いて、体を起こす彼女を労わるように微笑みかける。


「おはよう、アビー」
「………アラン様!?」


 少しの沈黙の後、私が起き上がっているのに驚いて声を荒げる。
 本当に心配をかけてしまったようだ。
 けれど起き上がっても大した痛みはなかったので、おそらく傷は術師によって塞いでもらったらしい。出血による倦怠感だけは依然として残っているが。


「寝てなきゃダメですよ!」
「そうだよね。でもつい君に触れたくて」
「我慢してください。お水、飲まれます?」
「ああ、いただくよ」


 ぴしゃりと言い切られてしまった。
 私の手を離して、サイドテーブルにあるガラスピッチャーを手に取りグラスに水を注ぐ彼女を観察する。
 いつもはきちんと結ってある三つ編みが乱れてる。ここで寝ていたからだろうか。
 怪我を負ったり負わせたりしたことに怒っているのかな?
 …違うな、私の体調を考慮しているだけか。

 グラスを差し出され、受け取り口をつける。
 目を伏せて水を流し込めば、乾いていた体に水の冷たさと彼女の優しさが染み渡るのがよく分かる。
 気付かれないようにアビーを見ると彼女は心配そうな面持ちだ。

『心配』…それは彼女にそう思わせてしまった罪悪感など遥かに凌ぐほど、体内の奥底にしまったぬらりとした欲を煽る餌でしかない。

 叶うことならその欲を解放してしまいたい。
 けれど今、彼女はそれを望まない。
 だから私は欲を鎖で縛る。
 そうして欲を閉じ込めて、柔らかく微笑む。


「ありがとう」
「いえ、その…体調はいかかですか?アラン様」
「…傷は塞がっているみたいだからね、もう少し休めば動けるようにはなるよ」


 問題ない。とも答えられた。
 冷静に自分の体を分析しても倦怠感はあれど、戦闘はともかく動くことなら可能だ。
 だがアビーはその答えでは納得しないだろうな。無理してるかもしれないと思うだろう。
 だからここはもう少し休みたいと少し弱く出るべきだ。
 …君は、私の弱さに“弱い”から。


「そうですか。なら、もう少し休んでいてください」
「そばにいてくれるかな?」

 (聞くまでもない。君は私のそばに居続ける)

「も、もちろんです!見張っていないと大人しく休んでくれなさそうなので!」

 (少し照れてる。素直にそばに居たいって言えないみたいだ)

「そうだね。私が動かないようにしっかり見張っていてくれると嬉しいよ」


 今一度アビーの左手を取り、握る。

 ——離さないで。私の事を1秒たりとも。

 握った手を引き寄せ、口付ける。

 ——離れないで。私の側から一瞬たりとも。

 そう願いを込めて、ひどく弱々しいキスを手に受けた君は、困ったように笑う。
 その笑顔だけが、私の心を解きほぐす。


 ずっと腹を立てていた。
 私以外の存在が、執拗にアビーを振り回すことに。
 でも君が私を甘やかして、私に君を甘やかさせてくれるから…嫉妬という感情も君との幸せを噛み締めるためのスパイスになるんだと知った。

 なら勇者殿や聖女殿には感謝の意すら述べる必要があるな。そう思案して心の中で嗤う。


 指の腹で彼女の手の感触を確かめるように撫でる。
 先ほどから照れて黙り込んでしまった彼女。
 …本当にいじらしい。
 手にキスをしただけなのに。
 寄り添って寝たりしているのに。
 私はこれ以上を常に望んでいるのに。
 君が僅かに色づかせた頬を、もっと赤く染めてしまいたくなる。

 でもそうだな、ここは我慢をしよう。
 我慢をすればするほど、ご褒美の味わいはきっと特別だから。


「アビー、心配させてしまったよね。申し訳ない」
「……とても心配しました。でも…」
「…?」
「『必要な事』…だったんですよね?」


 不安の色を滲ませつつ「それでも」と、背筋を伸ばす彼女に目を見張る。

 そう、必要な事だった。
 私にとっても。レオニスにとっても。
 私は、確固たる思いで退けねばならなかった。
 奴は、確固たる思いで貫き通さねばならなかった。
 だから避けられなかった。
 どれだけ面倒だと思っても、私はこの手合わせを受けなければならなかった。

 その真意を彼女は全て理解しているわけではないだろう。
 だが、彼女の中ではきちんと答えが出ていたようだ。

 君は元から心根が清く、美しいのに…強さまで身につけてしまうんだね。
 夕日照らされて真赤に染まる彼女は、普段よりもずっとずっと鮮烈に焼きついた。
 …本当に敵わないよ。


「…あぁ、『必要な事』だったよ」
「なら、私は何も言いません」
「うん」
「無事でよかったです」
「うん、ありがとう」


 私の手を両手で包み込むように握り返し、彼女は少し照れくさそうに笑った。
 この穏やかなひとときに身を委ねるように、噛み締めるように私は目を閉じて微笑んだ。




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