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本編 第二章 【王都編】
帰依の揺かご
しおりを挟む程なくして、窓辺にアラスターのカラスが来てレオニス様からの仕事の手伝いを要請された彼は、支度を整えて出掛けて行った。
いつも通り…極めて不愉快そうな表情だったけれど、起き上がれない私に口付けて彼はこう言ったのだ。
『行ってくるね』
穏やかさを携えて微笑む彼は、どことなく余裕の色を滲ませていたので、直感的にそこまで不機嫌ではなさそうだなと感じていた。
それに彼が仕事へ出かけるのを見送れる事が、とても嬉しかった。なんだか新婚さんみたいだなって、そう考えて、顔に熱が集まる。
結婚だってしていないのに、もうそれ以上先のことを考えている自分が恥ずかしくて…でも同時にすごく満たされていた。
うん、私、すごく幸せなんだな。
——コンコン
扉をノックする音に気がつくけど、全身が軋んで起き上がれない。これ結構ひどい筋肉痛かも。
仕方なくベッドの上から応じる。
声を張るのも筋肉って使うんだな…大きく息を吸い込むだけで、全身がぎしぎしと悲鳴をあげている。
「どうぞ」
「失礼致します、アビゲイル様」
入室して来たのは、何かと私の手伝いをしてくれる青髪のメイドさんだ。
朝食の時間を教えに来てくれたのかもしれないが、移動するのは困難なので持って来てもらわないとな…と考えながら顔を向ける。
「アラスター様からお話を伺いまして、お手伝いとマッサージをさせていただきたく」
そう告げるメイドさんは、すでに持って来ていた朝食をテーブルへ置く。
「ありがとうございます。えっと…」
「イリスとお呼びください」
「はい、イリスさん」
青い髪に切れ長の目、クールな美人さんという印象の彼女は目を伏せたままベッドにいる私に歩み寄る。
痛む体をゆっくりと起こし、朝食を摂る為に歩き出すとイリスさんがそっと私に手を添えて助けてくれる。
「お疲れでしょうから、ご無理はなさらずに」
「うぅ…ありがとうございます」
「朝食が済みましたら湯浴みのお手伝いと体の痛みをほぐすマッサージを致しますね」
「いえそんな…寝て休めば治りますし」
イリスさんの手を借りながらソファに腰を下ろす。
テーブルに置かれた朝食は私が少食なのを考慮されたメニューで、焼きたてのパンとフルーツが入ったヨーグルトが並べられている。
そばに控えるイリスさんからそう告げられ、なんだかお嬢様にでもなったような心地がむず痒くて苦笑する。
「主人のお客様にこんな事を言うのは失礼かもしれないのですが」
「…?」
「アビゲイル様はとても努力していらっしゃったので、お手伝いさせていただきたいのです」
「…なら、お言葉に甘えさせてください」
相変わらず淡々と告げるイリスさん。
舞踏会に向けて彼女も色々と手伝っていてくれていて、ドレスアップの際は本当に助かった。
近くで見てくれていた彼女のその声色はどこか穏やかで、真面目で優しい人なんだな。
彼女の優しさに心が温かくなって、私は笑顔で頷いた。
私の言葉に一礼し、部屋のカーテンを開け始めたイリスさんを目で少し追ってから、目の前にある朝食に手を合わせる。
「いただきます」
身体の調子は良くないけれど、今までのどんな時よりもずっと気持ちが軽い。
焼きたてのパンの香りを胸いっぱいに吸い込んで、私はかぶりついた。
ーーーーーー
ルミアの屋敷に到着し、エントランスへ入ると私を見た使用人たちが次々と一礼していく。
レオニスから王都滞在中に時間があれば騎士団への指導をして欲しいという内容の文を朝一に受け取り、早々に済ませてしまおうと思っていたが結局夕方までかかってしまった。
勿論、無視をすることも可能だったが、レオニスが言う「政治的配慮」とやらが頭に浮かんで仕方なく受けた。
アビーのそばに居たいのは山々だったが、疲れている彼女のそばにいると構いたくなってしまう。それではきっと体を休めることも出来ないだろうと考えた。
以前は彼女に会えないというだけで身を焦がしていたのに、少しの時間でも離れることを許容する自分がいることに我ながら驚いた。
彼女が舞踏会の日に告げた言葉が、常に胸中にあった焦燥感をどこか遠くへ攫ってしまったように無くなっている。
同時に飢えや渇きが満たされるような感覚。
(私は、満たされているのか)
笑顔を携えたまま足早に歩いて、アビーがいる部屋の扉の前に立ち、ノックをする。
「どうぞ」
朝よりも元気そうな声の彼女の返事を聞き、扉を開く。
ソファに座り、紅茶を飲みながら本を手にしていたアビーがこちらを向いて微笑んだ。
「おかえりなさい、アラン様」
「…ただいま、アビー」
その声は何よりも胸を弾ませ、その言葉は何よりも安心し、その微笑みに何よりも満たされる。彼女が待っていてくれるという事実が、私を何よりも生かす。
装備を取り外して部屋の隅に置き、アビーの隣へ腰を下ろす。
嗅ぎなれない品の良い花の香りがして、普段の彼女の陽だまりのような匂いがしない。おそらく上等なラベンダーの香油。メイドに彼女の世話を頼んだので、マッサージか何かを受けたのだろう。
その証拠に彼女の肌ツヤは朝よりも良く見える。私が贈ったメガネをかけて、愛らしいそばかすを携えた彼女の肩へ顔を擦り寄せる。
「お疲れですか?」
「いや…良い香りがするね」
「ああ、マッサージしてもらっちゃいました」
「体は大丈夫かい?」
「はい。朝よりもずっと楽です」
「それはよかった」
そのまま彼女の胸元に顔を埋め、少しだけ体を預ける。香油の先に彼女のいつもの香りがほのかにしている。やはり、こっちの方が私は好きだ。
私の髪を梳くように撫でる彼女の優しい手つき。満たされるという言葉では足りず、満ち足りた多幸感に胸が張り裂けてしまいそうだ。
なぜだろう。彼女とこうしていると、普段は必要がないと割り切っていた1日の出来事を言いたくなってしまう。
(君に知って欲しいと、願ってしまう)
「今日はね」
「はい」
「騎士団への指導を頼まれたんだ」
「すごいですね。騎士団の皆さんはどうでした?」
「…うん。悪くはなかったよ」
「ふふ、手厳しいですね」
私の頭を撫でながら、くすくすと笑う声が頭上から聞こえる。
触れられることや笑われることなど、今まで誰にも望まなかった。弱みを見せることなどもってのほか。不快ですらあった。
けれど彼女にそれらをもたらされることを、切望してすらいる。強さも弱さもアビーになら全て曝け出しても、彼女は優しく包んでくれる。
——聞いて、俺の想いを。
聞かせて、君の想いを。
「レオニスは意地が悪い」
「そうですか?アラン様を頼りにしてくださってるんですよ」
ぽつりと呟く。
私がアビーと共に過ごしたいのを知っていて、仕事を手伝うように言うレオニスは意地が悪い。きっと私とアビーの邪魔をしたいに違いない。
きっとまだ君に未練があるのかもしれない。ならもっと完膚なきまでに叩きのめさないといけない。
けれど、アビーがそう言うなら。
もしかしたらそうなのかもしれない。
アビー以外に頼られる事は、ただの手間でしかないが…喜ぶべきことなのだろう。
「ルミアも意地が悪い」
「私は優しい人だと思いますけどね。アラン様には厳しいんですか?」
またぽつりと呟く。
どうにも私とアビーを見て楽しんでいるように思える。財や権力で彼女を着飾って見せる。本当は私がアビーのドレスを選びたかった。彼女をエスコートしたかった。それらをわざと一時でも私から奪うなんて、意地が悪いどころの話ではない。
けれど、アビーがそう言うのなら。
彼女は優しい人なのかもしれない。
私にとって“優しい”という言葉や行為は全て君とのためにしかないけれど、他にも優しいという人がいるんだろう。
「…私は君を愛してる」
「はい。私もアラン様を愛してます」
またぽつりと呟いた。
脈絡もなく、子供じみた事を言っているのは自分でも分かっている。取り繕うためや彼女を喜ばせるための言葉ならいくらでも口に出来る。策を巡らせることはいくらでも出来る。
ただ自分の事を話すのは慣れない。
私がどれだけ稚拙でも彼女は静かに聞いて、応えてくれる。私はそれがたまらなく嬉しい。
柔らかい彼女の手つきに体が重く感じる。
次いでまぶたも重く感じて、ゆっくりと閉じながら彼女の膝元に身を沈める。
きっと彼女はまだ万全の体調ではないから、私が身を預けたら重たいだろう。
でも今は、今だけ、許してほしい。
「……俺は、君のもの、だよ」
「…アラン様?」
名を囁く声を最後に、私は微睡みから静かに意識を落とす。
眠ってしまったはずなのに、彼女が機嫌良さそうに鼻歌を口ずさんでいるのがずっと聞こえていて…深い闇の中で、一筋の暖かい光が差し込んでいるような夢を私は見ていた。
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