狐に幸運、人に仇

藤岡 志眞子

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35 陽溜まり

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急げ。

雪庵からの知らせが来た。用意していた荷物と優紫を抱え、お風呂場に向かう。

「身分証はどうなったのですか。」

「雪庵先生が爺さんに飛脚でだいぶ前に送ってた、通行手形も出来てるだろう。途中、寄るぞ。」

「あかりさん、お腹は大丈夫ですか、苦しくないですか。」

優紫を抱き、あかりの身体を心配する。

「…なんとか。雪庵先生は、どうしたのですか。」

「…わからん。とにかく、制裁は滞りなく終わった。」

急いで、でも慎重に穴の中に入り、手に持つ灯りを頼りに進む。思ったよりしっかりした造りで、崩壊の心配はなさそうだ。
事前に出口を探していた祥庵によると、丁度お爺さんの家の近くに出る事がわかった。まるで、土竜になった気分である。

穴を進み、行き止まりになった。先頭の祥庵が天井を力一杯押し上げる。
途端、月明かりが差し込む。
祥庵がよじ登り、次いであかり、優紫、恭亮と、祥庵の手を借りて外に出る。
以前、火事の出火場所であった場所だった。
四人でお爺さんの家へ向かう。
夜中なのにも関わらず、家には灯が付いていた。
通行手形を受け取り、宿に向かう。
別れ際、お爺さんとあかりは手に手を取り、何の感謝か、とにかく礼を言い合った。

宿に一泊して、東の国を後にした。
数日歩き続け、仮住まいとして借りた長屋に着いた。蒼助と安記が合流する予定だったが、来なかった。

祥庵は着くなり親戚に預けていた娘を引き取りに、再び旅立った。

三人きり。心細さが募りに募った頃、祥庵が女性を連れて戻ってきた。娘だった。こんな大きい娘がいたなんて。暫く一緒にいると、娘は目がいつも虚(うつろ)で、話がなかなか通じなかった。祥庵の見立てでは、心を病んでいると言う事だった。

五人、長屋の二部屋を使って一ヶ月ほど生活をした。その間に、あかりは子を産んだ。

白い髪に、碧い目。

その次の日から不思議な事が起こり始めた。
祥庵の娘は正常に戻り始め、優紫の髪は黒くなり、目は焦茶になっていった。恭亮も然り。

数日後、手紙が届いた。蒼助と、安記からだった。
蒼助は久尾屋に残る、安記も母親と和解し、今まで通りの生活を送る、と書いてあった。
あかりの第二子は狐憑きだろうから、計画通り北の国で暮らして欲しい、とも書いてあった。
そしてもう一通。花江からの手紙が届いた。
雪庵は、本家で亡くなっていた。祥庵は知っていたらしく、黙って何も言わなかった。

北の国に向かう。
生まれたばかりの子を布で包み、人の目に付かぬよう気を付けた。
無事、永住の地に辿り着き、古いが立派な茅葺き屋根の家、そして田畑。少し離れた隣の家には祥庵と娘が住んだ。

さぁ、これから新しい生活を始めるんだ。
名前を変えて。仕事を変えて。心を入れ替えて。






(久尾屋)

蒼助さんは、紺屋の娘さんと再婚をした。世間では、私は亡くなった事になっており、それを知った紺屋の旦那様が最後のお願いだ、と婚期をだいぶ逃した、娘さんの嫁入りを懇願してきた。
こんなに長い事想ってくれたんだ、と、蒼助さんは結婚を決意した。
子供がふたり生まれた。もちろん、狐憑きでは無い。蒼助さんは自分にそっくりな、可愛いふたりの女の子の父親になった。
久尾屋は以前より景気が良くなり、紺屋に融資をして、久尾屋、紺屋ともに店をひと回りもふた回りも大きくした。
安記さんも、待望の二人目を授かり、久尾屋同様、婚家の米屋は繁盛し、店を二店舗別の街に出すまでになった。お義母様との仲は変わらず良好で、体調不良は無くなったものの、絢音ちゃんと息子さんを連れ、定期的に帰っている。
お義父様とお義母様も、噛み合わないすれ違いが続いていたのが終わり、隠居をしたお義父様と連れ立って、物見遊山や旅行を楽しんだりしている。今まで飼えなかった犬を貰い受け、蒼助さんの子供達と可愛がっている。

大川療養所は、息子さん三人がお嫁さんをそれぞれ連れて戻り、大層賑やかになった。
花江さんも一気に七人増えた生活に幸せを感じ、毎日忙しく暮らしている。
月冬さんは、髪も目もすっかり変わり、透けるような白い肌も、洗濯や家庭菜園などの家仕事を手伝う中、徐々に日に焼けて健康的になった。
弟さん達のお嫁さんも良い人ばかりで、お嫁さん同士、兄弟同士、親子同士、皆仲が良い。お嫁さん達は、立て続けに子供をそれぞれ三人ずつ産んで、総勢十七人。月冬さんが夢見た大家族になった。
月冬さんにもお嫁さんを、と花江さんは考え、祥庵先生に相談してきた。祥庵先生は歳も近いし良い子がいると、久しぶりに東の国に帰った。花江さんが今か今かと待ち侘びて待っていると、祥庵先生がきれいな女性を連れて来た。
そして、月冬さんと祥庵先生の娘さんは、結婚した。
それを機に祥庵先生は実家のお寺に戻り、真面目に住職をしている。お義父様のご両親や、祥庵先生の息子さん、小夜さん、小夜さんの横で眠る雪庵先生、そして無縁仏の墓守を、しっかりと勤めている。

あのお爺さん?
お爺さんは、わからない。花江さんに聞いたのだけど、見に行ったら家もお爺さんの姿も無かったそう。豆川屋の人達もいなくなって、今では別の人が旅籠を営んでいると聞いた。




(安森本家)

安森の本家は、あの制裁の数日後、不審火の火事により全焼した。怪我人や死人は幸いにも出なかった。ただ、ご当主様だけは見つからなかった。
本家、分家の狐憑きとされた人達は、髪の色や目の色はそのままだった人もいたが、障害や病気があった人達は症状が回復したり、薄れていったりした。
狐憑きの事実を知り、皆、目が醒めたように、預けていた子供や兄弟、姉妹を連れ帰った。離れを壊し、同じ家で、同じ仕事場で一緒に暮らしている。

僕とあかりさんの子も、ここの土地の人達に受け入れられ、他の子供達と一緒に手習いに通い、お互いの家を行き来し、良く遊んでいる。
いくら植えても育たなかった稲は、私達が来てから良く育ち、毎年豊作に恵まれた。
今では米所として有名になり、僕は村のお酒を造ろうと勉強し、人を集め、酒蔵を造った。皆協力的で、酒蔵が出来上がった時は祭りかと思うほどに祝ってくれた。
造ったお酒は北の国だけではなく、東の国でも名が知れて、お城への献上品にまでなった。
僕の見た目も、体調も随分と変わった。だけれど、あかりさんは前と変わらず気に掛け、たまに以前の事を思い出している僕に寄り添ってくれる。



庭先で、赤子をあやすあかりさんが見える。

「晴さん、」

恭亮さんが私の名前を呼んでいる。

「冬馬さん。」




私の名前は晴、二十九歳。
夫の名前は冬馬、三十二歳。息子の名前だけは変わらず優紫、十歳。
次男の名前は桂樹、九歳。
先月生まれた長女の名前は紗南、一ヶ月と二日。

陽炎が立ち登る。ふと、冬馬さんの後ろに白い物を見た。
ふわふわと、数本。
どんどん増えて広がり、孔雀の羽のように見える。他の者には見えていない。

「紗南はお父さん似ね。」

腕の中で笑う赤子には白い九尾。
目が紅く、髪は白い。

狐憑きは親を殺した者の毒気に負ける。
晴は、両親の顔を思い浮かべながら感謝した。





アカ、チカラ強ク、幸福共ニ呪イ強シ。

狐ト狸ノ呪イ合ハサレバ尚強シ、然レド人カラノ怨ミ程及バズ。

我、朱ノ狐憑キ為リ、我ガ孫、冬乃化ケ者為リ。          
                                 嘉詠









(完)











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