ダークチョコレート

仙崎 楓

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心を溶かす言葉

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  芳しいカカオの香りが漂うダークチョコレート。
美味しそうだと思って口に入れると一気に苦味が広がる。
俺は先生の心を溶かしたい。
甘い言葉でじっくり練って、顔もほころぶほど甘いチョコレートに変わるように。



「…あ、待ってください」
「何?」
   先生に両手で目の前にバッテンをされて、キスをやんわりと止められた。
   俺は素直に従い、先生の話に耳をすませた。
過去に何があったのかを聞くと、先生は最初こそ言いづらそうにしていたが、ぽつりぽつりとひとつずつ話してくれた。

「日本だと背格好が少し違うせいでしょうか。
よく知りもしない相手から好きだ、と言われることが多かった気がします。
家にまで来られることもあったので中学からは全寮制の男子校に入りました。
けど解決どころか寝食共にしていると、複数人でベッドに入ってこられるなんてこともありました。
抵抗して騒ぎになると、私が誘惑したと全員から責められて、保護者から厳重注意という罰を受けました」
「両親は先生を信じてくれなかった?」
先生は寂しそうに笑った。
「そのときの保護者は母方の祖父で、もめる時間があるなら勉学に励むようにと言われました。
両親は私が7歳の時に交通事故で他界したんです。
祖父はアメリカ人の父の事を嫌っていて、僕のことも可愛いとは思えなかったみたいです。
身寄りがなくなるまで会ったこともありませんでした」

俺は先生を抱き寄せた。
先生はためらいながら声を絞り出した。
「嫌、じゃないですか?
    その、最初の時もすんなり入って驚いたでしょう」

    あばずれ呼ばわりされて拒絶もできなくなった先生は、ついには肉体関係をもってしまったことも打ち明けてくれた。
   その時、身体は痛くても罵倒されなかった。
一度寝れば事は早く終息するのだと思ってしまった先生は、心を守ることに徹したのだ。

「そんなことない。
    俺を受け入れてくれて嬉しいよ」
  俺は力一杯先生を抱きしめた。
そして、俺はできる限り優しく先生の顔を包み込んで、キスをした。

   先生は睫毛を震わせながら瞼を閉じて、今度は抵抗しなかった。
    俺は先生の顔を覗きこんで言った。

「先生、俺に何でも言ってほしい。
    そして、セックスの時に素直に感じ 
    てほしい」
   先生の瞳が困惑でゆらゆらと揺れている。

「先生の鳴き声が聞きたい。
   好きだよ、先生」

俺は先生のトレーナーの裾から右手を差し入れた。
   最初のセックスで先生が反応したところを指でスルスルと刺激してみる。

「っ」
   先生の色っぽい吐息を聞きながら左手で先生の下半身を露にしていく。
「もっと聞きたい」

   俺は左手で先生をユルユルとこすりあげた。
「……あ」
   先生が悦んでいるかを確かめながら左手の動きを速めていく。
「っん、タケルくん……」
「何?
  何でも言って」
  先生は、おずおずと両手で俺の証を握りしめた。
「……一緒がいい」

   上目遣いで求められて俺は一瞬で我慢の限界を越えた。
先生にベッドの上で大きく足を開かせると、先生の入り口にピタリと先端を擦り付けた。
「いくよ」
「はい…」
性急にならないように気をつけながらズン、と押し込む。
先生の入り口は緩やかなのに中に入った途端強く吸い付かれて、危うくもっていかれそうになる。
慌てて腰を引くと、先生からため息が洩れた。

先生の心に少しでも近づきたい。
先生は、もう一度信じようと思う相手に俺を選んでくれたんだから。
今日はできる限り永く繋がっていたい。
なのに、先生の深みに分け入っていくと欲望が猛々しく沸き上がってくる。
先生に自分を受け入れてもらいたい。

結果として、果てては再び探り始めるという動きを続けることになる。
先生も俺を受け入れながら、自身も幾度となくシーツを濡らしていた。

俺たちは恋人としての初めてのセックスをいつまでも味わっていた。



「何?
   何かついてる?」
  先生は俺の方を見ながらずっと笑っている。
「いいえ。
セックスでこんなに満足感を味わったのが初めてで、余韻に浸ってるんです。
自分をさらけ出して良かった」

  すっかり無防備になった先生は、惜しげもなく愛おしい言葉を漏らしてくる。
計算でもなく、自分の本心をそのまま言っているだけなんだろう。
  俺はもう一度襲いかかりたい欲求を必死に抑えた。

「この傷ってさ」
  俺は先生の右足の太ももにある傷跡をそっとなぞりながら言った。
  ケロイドになった傷跡は少し盛り上がっていて、他の部分とは違ってつるっとした感触がする。

「ナイフが刺さった跡です」
  先生は触れられる傷跡を見ながら静かに笑っていった。
「逃げられないようにと、足を狙われました」

「………俺、前先生にコイツらと同じだなんて言った。
ごめんなさい」

  人と関わりたくなくなるのも当然だ。
  なのに謝るしかできないなんて、俺ってやつは。

「もう先生を傷つけないって約束する。
   俺は、相手を傷つける恋愛は絶対にしないって前の恋愛の時に決めたから」
「前の……」
「俺も過去に捕らわれてるのかもしれないな。
先生に偉そうに言っておいて」

「何があったか、聞いてもいいですか?」
  先生は深入りしていいのかためらっているようだ。
  俺の大事な部分をいたわろうとしてくれている。
「先生はすごいね。
    傷つけられてきてもまだ人に優しくできるなんて。
  もちろん聞いてほしい」
  先生は静かに笑った。

「先生に比べれば大したことじゃないよ。
   昔、本気で付き合ってたやつがいたんだけ 
   ど、あっちは実は遊びだった。
   俺だけ真剣に将来のこと考えてるのを知っ 
   て大笑いされたよ。
   それで、俺は実家を出て一人暮らし」
「実家ですか………?」
   俺は一呼吸おいて話した。

「相手は義理の弟だった」

    先生はどう反応すればいいのか困惑している。
俺は先生が分かりやすいように話を続けた。

「母親の再婚相手の息子なんだ。
    両親にどう説明しようとか色々考えてた。
    悩んだ挙げ句、両親と義弟揃ったときに真剣に話    したら、義弟からは一蹴で、親の顔はひきつってた」
「そうですか………」
「そ。
    だから」
   俺は先生を両手でがばっと抱きしめた。
  「 俺は人を傷つける人間にはならない。
   先生のこと大事にするから。
    無神経でごめん」
    先生は首を横に振りながら俺の背中に腕を回した。
コトンと頭を任せる感触が肩に伝わってきて、俺は胸が苦しくなった。

「タケルくんは無神経じゃないですよ」
    先生の手が俺の頭を優しく撫でる。
   慰められてるみたいだ。
「私や家族を気遣ってくれる優しい人です」
    抱き合って頭を撫でられていると、何だか段々眠くなってきた。

    このまま二人溶け合って眠ってしまいたい。
そうすれば、二人とも孤独の淋しさや傷つくことにもう怖れなくていいのに。

「私たち二人だけでもずっと仲良くしましょうね」
え、プロポーズ?
「二人だけずっと!?」
   俺が驚いて先生の顔を見ると、先生はキョトンとした顔で俺の方を見ている。

   ………多分深い意味はなかったんだろう。
   知り合って数日で生涯の伴侶を決めるわけないとは分かっているけど、ちょっと切ない。

「あ、私は身内がもういないんです」
    先生は俺が先生の身内のことを気にしたと思ったのか、生い立ちを話し始めた。

「交通事故で亡くなった両親の代わりに母方の祖父   に私は育ててもらいました。
   その祖父も私が歯科医になってまもなく亡くなってしまいました。
そして祖父の病院を私が継いだんです」
   俺に抱きついたまま話している先生の少し悲しそうな声が肩に響いている。

「お父さん方の身内は?」
   俺は先生が動く度にサラサラとなびくダークブラウンの髪を撫でた。

「父がアメリカ人なので、アメリカにいる    のだと思いますが、祖父が私を引き取るときに手紙などをすべて処分したので連絡先は分かりません」

「どうして処分なんか…」
「私がずっと日本に馴染めずメソメソしていたからだ思います。
…厳しい人でした。
祖父は病院を継ぐことをいつも念頭に置くようにと言っていました。
病気や怪我のときは…自己管理がなっていないと」
先生の目線は、刺された傷跡に向けられていた。
「痛かったな」
    身体も。心も。
    俺は先生の傷跡にそっと口づけた。
少しでも先生の悲しみが和らぐようにと願っていた。
「今は少しずつ感謝しています。
    自分の力で生きていけているのも祖父のお かげです。
    タケルくんの歯の治療だってでき………。
    あ────!!」
   突然先生はすっとんきょうな叫び声を上げてベッドから立ち上がると、急いで服を着始めた。
「え、どうしたの?」
「歯!
    治療が途中だったじゃないですか!」

    あっという間に先生は仕事用のキリッとした表情に変わった。
    さっきまでの甘いったるい雰囲気は微塵も感じられない。
    俺は名残惜しくて、どうすれば余韻が消えないか考えを巡らせた。
「いいよ、診療がある日で。
それよりどこか行こうよ」
 イベントを調べようと携帯を探した。

    あれ、携帯がない。
    どこいった?
「お探しのものはこちらですか?」
    歯科医の声になった先生がにっこりと笑いながら俺の携帯をかざしている。
「治療が終わったらお返ししますね」

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