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第4章
第2話 待ち伏せ
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七つ半。
雲に覆われた幸田村はまだ暗い。
いつもなら、主立った村役が集まる屋敷前の広場に、見ようによっては野盗と変わらぬ武士の集団ができていた。
「何だ。未だ揃って居らぬのか。何刻だと思っておるのか」
侵入した武士の采配を命じられた尾口典明は、集まった人数を見て呟いた。
百姓は早起きだ。寅の刻では気取られる。
万一に備え、屋敷の出入り口の全てを固めてから丑の刻限に襲撃せよ。というのが軍師の指示だ。
だがまだ軍勢が揃っていない。どうやら半数の五十人程かと思われた。
とは言え襲う相手はたかが女と子供。それに数人の従者だけだ。藤井なにがしと言う侍がいるかもしれぬが年寄りだ。なにを手勢が揃うのを待つことがあるか。
典明は、人が揃うことより刻こそ大事と考え、今の手勢で充分と判断した。
「勝手口を固めるに三名。ここに参れ。次に玄関の五名ここに」
暗がりのなかで、裏口、別棟の離れ、玄関と人数を分けていると、集団のほぼ中央付近に拳ほどの青白い炎がゆらりと灯った。
炎は周りを照らす明るさもなく、熱も無い。掴みようも無く彷徨うように、ただ浮かんでいた。
藩士が驚愕して凝視する中、また一つ、揺れながら炎がともり、その炎は手のひらの大きさから人の顔ほどの大きさに広がり、軍師を映し出した。
もう一方の炎が女と子供の姿を映すと、軍師が刀を抜き女を刺し殺す姿を描き出す。
次いで炎は軍師が幼い女児にまで刃を向ける姿を映し、藩士達に非難と恐怖の声をあげさせた。
「こっこれは、話しに聞く鬼火ではないのか。このような青い火、初めて見るぞ」
「それよりもお主は見たか。軍師の人と思えぬ所業」
軍師ばかりでは無い。
鬼火は次々と藩士の前で燃え上がり、見る者の業を映しては消え、新たな鬼火が浮かんだ。
武士達は恐れお戦きながらも刀の鯉口を切り、後ずさりして身体を寄せ合った。
すると、闇の中から「カンッ」と音がした。
「次は何ごとが始まるのか」と音の聞こえた方を見る。すると今度は後ろからも音がして、やがて広場の全周から鳴り始めた。
「この怪しい音はなんだ。ただ事でないぞ」
背を寄せ合い固まると、鬼火はいつか消え、屋敷の明かりが次々と灯されていく。
音のした場所からも炎が上がり、闇が払拭された。音は篝火を焚く火打ち石の音だったとわかり、武士達もようやく鬼火という『あやかし』を相手にする恐怖から解き放たれて胸を撫でおろした。
だが、闇を払った篝火と篝火の間からは幾十もの矢が向けられ、弓の間からは幾本も、棒が向けられている。
更によく見ると、棒を持つ者は黒く塗られた具足を着けていて、棒と見えたのは黒く塗られた槍であることがわかった。
武士達は、これほど不気味な槍を見たことがなかった。
戦の場では、光る槍の穂を揃えて敵を威圧することがある。
黒い槍が意味するものは逆だ。存在を隠し近付いてくる。だから脅しではない。
闇の中に潜む殺意に満ちた凶暴な獣の牙に似た凶器が、威嚇も脅しもなく、殺意という強靱な意志を持って襲いかかろうとしていた。
武士達は、百人もの数がおれば、自分が手を下さずとも誰かがやるだろうと、そんな安易な気持ちでこの場所に来ていた。だが、村人の決意はそんな生易しいものではなかったのだ。
武士達は如何に言い訳しようと、人を殺めてものを盗ろうとする集団の一人であることに間違いはなく、紛れもない村の敵なのだと思い知らされた。
鬼火が見せた軍師の残虐さは疑いもなく、その嫌悪感は、そのまま自分を否定する自己嫌悪となり、戦意を喪失させた。
そのうえ、闇の奥から湧く様に増え続ける弓と槍は幾重にも重なり、東の木戸に向かう道筋を残してなお、厚みを増している。
大里の藩士達は、一体何故これ程までの戦闘員が湧くように出て来るのかまったく理解出来ないでいた。
「坐射は正面の敵」
槍と弓の動きが止まったとき、具足を着け、長刀を帯びた組頭が、目標を指示した。
前縁の弓は片膝をついてしゃがみ、その後ろには立射の弓が立つ。なおその後ろには矢を渡し目標を指示する備えの者がいる。
槍はその両横で腰を落として、いつでも二段、三段に飛びかかれる様子を見せて弓を防護する。
「あそこはどうして開けてあるのだ。我等にあそこから立ち去れということか」
誰かが囁き、東の筋を指差す。
「違う。全周を囲えば逸れた矢で同士討ちをするから開けたのだろう。矢は全て我等を経てあの方向に射られる。とすればこれは……間違いなくやられるぞ」
「ど、どうすれば良い」
「どうにもできぬわ。一度に十数本の矢が来て、次に穂先の見えぬ槍が何本も繰り出されるのだぞ。それにあの具足。槍、弓の出で立ちを見ろ。どう見ても我等より実戦慣れしておる」
「我等よりと言うが。我等の中に実戦を戦った者など、一人もおるまい。それになんだ。この数は、こんなに手勢がおるとは聞いてもないぞ。誰がこんな愚かな戦を始めたのだ」
「戦にもならぬ。野盗にも等しい戦法を立て、あげくに見透かされて全滅したなどと、藩に言える訳があるまい。死ねば我等は出奔したことになり、禄は召し上げ家は取り潰されるに相違ない」
「儂は投降る。お主ら、刀は抜くなよ。抜いた途端に矢が飛んでくるぞ」
そう言った男は、腰に巻いた刀の下げ緒を解き始めた。
「尾口典明殿。前に出られよ」
忠兵衛が呼びかけた。
「なにゆえ我が名を知るか」
集団のほぼ中央から怯えながら男が出てきた。
「名乗れば武人、一方の将として遇するが、名乗らなければ野盗として処断する」
「まっ待たれよ。それがしが中州国、大里藩士。尾口典明でござる」
「それがし、藤井忠兵衛と申す者。また、あれにおられるのが幸田村の統領、幸田小夜様である。
小夜は朝の挨拶でもするように、にこりと笑い、
「幸田小夜である。見知りおけ」
そう言って白に緋を佩いた掛下に、純白の袴姿で刀を帯びて明かりの揺らぐ屋敷の縁に立った。
雲に覆われた幸田村はまだ暗い。
いつもなら、主立った村役が集まる屋敷前の広場に、見ようによっては野盗と変わらぬ武士の集団ができていた。
「何だ。未だ揃って居らぬのか。何刻だと思っておるのか」
侵入した武士の采配を命じられた尾口典明は、集まった人数を見て呟いた。
百姓は早起きだ。寅の刻では気取られる。
万一に備え、屋敷の出入り口の全てを固めてから丑の刻限に襲撃せよ。というのが軍師の指示だ。
だがまだ軍勢が揃っていない。どうやら半数の五十人程かと思われた。
とは言え襲う相手はたかが女と子供。それに数人の従者だけだ。藤井なにがしと言う侍がいるかもしれぬが年寄りだ。なにを手勢が揃うのを待つことがあるか。
典明は、人が揃うことより刻こそ大事と考え、今の手勢で充分と判断した。
「勝手口を固めるに三名。ここに参れ。次に玄関の五名ここに」
暗がりのなかで、裏口、別棟の離れ、玄関と人数を分けていると、集団のほぼ中央付近に拳ほどの青白い炎がゆらりと灯った。
炎は周りを照らす明るさもなく、熱も無い。掴みようも無く彷徨うように、ただ浮かんでいた。
藩士が驚愕して凝視する中、また一つ、揺れながら炎がともり、その炎は手のひらの大きさから人の顔ほどの大きさに広がり、軍師を映し出した。
もう一方の炎が女と子供の姿を映すと、軍師が刀を抜き女を刺し殺す姿を描き出す。
次いで炎は軍師が幼い女児にまで刃を向ける姿を映し、藩士達に非難と恐怖の声をあげさせた。
「こっこれは、話しに聞く鬼火ではないのか。このような青い火、初めて見るぞ」
「それよりもお主は見たか。軍師の人と思えぬ所業」
軍師ばかりでは無い。
鬼火は次々と藩士の前で燃え上がり、見る者の業を映しては消え、新たな鬼火が浮かんだ。
武士達は恐れお戦きながらも刀の鯉口を切り、後ずさりして身体を寄せ合った。
すると、闇の中から「カンッ」と音がした。
「次は何ごとが始まるのか」と音の聞こえた方を見る。すると今度は後ろからも音がして、やがて広場の全周から鳴り始めた。
「この怪しい音はなんだ。ただ事でないぞ」
背を寄せ合い固まると、鬼火はいつか消え、屋敷の明かりが次々と灯されていく。
音のした場所からも炎が上がり、闇が払拭された。音は篝火を焚く火打ち石の音だったとわかり、武士達もようやく鬼火という『あやかし』を相手にする恐怖から解き放たれて胸を撫でおろした。
だが、闇を払った篝火と篝火の間からは幾十もの矢が向けられ、弓の間からは幾本も、棒が向けられている。
更によく見ると、棒を持つ者は黒く塗られた具足を着けていて、棒と見えたのは黒く塗られた槍であることがわかった。
武士達は、これほど不気味な槍を見たことがなかった。
戦の場では、光る槍の穂を揃えて敵を威圧することがある。
黒い槍が意味するものは逆だ。存在を隠し近付いてくる。だから脅しではない。
闇の中に潜む殺意に満ちた凶暴な獣の牙に似た凶器が、威嚇も脅しもなく、殺意という強靱な意志を持って襲いかかろうとしていた。
武士達は、百人もの数がおれば、自分が手を下さずとも誰かがやるだろうと、そんな安易な気持ちでこの場所に来ていた。だが、村人の決意はそんな生易しいものではなかったのだ。
武士達は如何に言い訳しようと、人を殺めてものを盗ろうとする集団の一人であることに間違いはなく、紛れもない村の敵なのだと思い知らされた。
鬼火が見せた軍師の残虐さは疑いもなく、その嫌悪感は、そのまま自分を否定する自己嫌悪となり、戦意を喪失させた。
そのうえ、闇の奥から湧く様に増え続ける弓と槍は幾重にも重なり、東の木戸に向かう道筋を残してなお、厚みを増している。
大里の藩士達は、一体何故これ程までの戦闘員が湧くように出て来るのかまったく理解出来ないでいた。
「坐射は正面の敵」
槍と弓の動きが止まったとき、具足を着け、長刀を帯びた組頭が、目標を指示した。
前縁の弓は片膝をついてしゃがみ、その後ろには立射の弓が立つ。なおその後ろには矢を渡し目標を指示する備えの者がいる。
槍はその両横で腰を落として、いつでも二段、三段に飛びかかれる様子を見せて弓を防護する。
「あそこはどうして開けてあるのだ。我等にあそこから立ち去れということか」
誰かが囁き、東の筋を指差す。
「違う。全周を囲えば逸れた矢で同士討ちをするから開けたのだろう。矢は全て我等を経てあの方向に射られる。とすればこれは……間違いなくやられるぞ」
「ど、どうすれば良い」
「どうにもできぬわ。一度に十数本の矢が来て、次に穂先の見えぬ槍が何本も繰り出されるのだぞ。それにあの具足。槍、弓の出で立ちを見ろ。どう見ても我等より実戦慣れしておる」
「我等よりと言うが。我等の中に実戦を戦った者など、一人もおるまい。それになんだ。この数は、こんなに手勢がおるとは聞いてもないぞ。誰がこんな愚かな戦を始めたのだ」
「戦にもならぬ。野盗にも等しい戦法を立て、あげくに見透かされて全滅したなどと、藩に言える訳があるまい。死ねば我等は出奔したことになり、禄は召し上げ家は取り潰されるに相違ない」
「儂は投降る。お主ら、刀は抜くなよ。抜いた途端に矢が飛んでくるぞ」
そう言った男は、腰に巻いた刀の下げ緒を解き始めた。
「尾口典明殿。前に出られよ」
忠兵衛が呼びかけた。
「なにゆえ我が名を知るか」
集団のほぼ中央から怯えながら男が出てきた。
「名乗れば武人、一方の将として遇するが、名乗らなければ野盗として処断する」
「まっ待たれよ。それがしが中州国、大里藩士。尾口典明でござる」
「それがし、藤井忠兵衛と申す者。また、あれにおられるのが幸田村の統領、幸田小夜様である。
小夜は朝の挨拶でもするように、にこりと笑い、
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