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第4話 幽体

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 「ねえ、なるとくん。私の時と雪乃の時、分かりやすくするために合図決めよっか」
  雪乃に取り憑いているあられが言った。

「私が話すときには言葉の前にそっと息を吐く。それとか片目を一度瞑る。どう?」
「うん。わかった」
 僕は少し笑った。

 本当はそんなことしなくても分かるようになっていた。だけど、あられの言うことは全部聞いてやりたくて、提案に頷いた。

 事故現場で初めて会った者同士が、僅かな時間で相手を理解して好きになり恋人になる約束をする。しかも片方がもうすぐ死ぬという局面で。
 普通であれば、そんなことは有り得ない。

 あられは死を目前にして『恋も知らないまま死ぬのは淋しい』と言った。だから目の前に居た僕に恋人になって欲しいと頼んだにすぎず、僕は僕で、何とか元気づけようとして、『喜んでなる』と言ったのかも知れない。
 そんな極限の状況下での約束が効力を持たないことは、法的にも立証されている。

 だけど、車内のあられが押し上げた負傷者を、僕が窓の外から引き上げるという共同作業の中で、僕達の意思は通い合っていた。なによりあられ自身が重傷を負っていたのに人を助けずにはいられなかった事を知り、彼女の精神の気高さ、強さに僕は強く惹かれていた。

 僕が『喜んでなる』そう言って握り合った手と手には震えるほど深くて確かな情が通いあっていたのだ。
 だからこそ僕は、握り返す力と共に失われていく彼女の命に涙した。

 雪乃に憑依したあられが僕の前に現れたとき、僕は身体に付けている全てのお守りと御幣ごへいを外して、結界を取り払った。
 あられの全てを受け入れるために。

 僕があられと再会した場に座って目を瞑り、五感の全てを研ぎ澄ますと、現れたのは闇ではなく白い世界だった。

 身体が浮遊している感じがしてトランス状態になったのだとわかった。
 その僕の中にあられの意識と思考が入ってきた。

『なるとくん』
 あられはあの時のままのセーラ服で現れ、でも血の痕も傷も無く、微笑みながら僕の名を呼んだ。『私を感じられるの?』 そう訊ねてきた。

「あられ。君を感じている。白く輝いているのがわかる」
 爽やかな、そよ風のような意識と、聡明さと柔軟性をあわせ持つ思考。

 それが僕の手や指を動かして、僕の声が『すごい』と言って驚き、喜んでいる。

 あられの意識が抜けた雪乃が「あられなの?」と訊いた声に『うん、わたしだよ。男の子ってこんなだったんだ……』あられが僕の唇を使って答える。

『凄く力強い。女の子を見る感じ方が違うのね。それに、こんなにいろいろなこと知ってるんだ……でも私や雪乃ちゃんが知ってることは全然知らないのね』

「あられはあの時のままだろ? 僕は今、高3だから知識はあられよりも増えてる。でも、女の子のことは何も知らないんだよ」
 僕の『思考』がそう答えた。

 事故の時、雪乃とあられは高1で僕は中3だった。
 あられはその時のままで、雪乃は入院して1年留年した。だから僕と雪乃は同学年だ。

 雪乃が慌てて釘を刺す。「あられ。ファンデやコスメのことなんか教えちゃ駄目だよ。お洒落は女の子の武器なんだから」

『大丈夫。憑依された者は憑依した者を感じることしかできないから。私の意識にはアクセスできないのよ』 
「それは知ってるけど、シンって変に鋭いから」
『うん。そうだね。私達のことをどれだけ解ってるか見てみようか』

 僕の意識を調べるという会話が、僕を無視して僕の前で交わされた。

『やっぱりね。なるとくん、雪乃ちゃんが転校して教室に入ったときから私を感じていたんだ』
「私が、見つけたっ!て思ったとき、あられも、この子だっ!て言ったものね」

『あっ雪乃の制服の血液反応見たんだ。綺麗におちたと思ったのに』
「シンを家に呼ぼうとして断られたときにもあられ出てきたし」
『あとは宮田君のとき……あっ凄い。なると君、霊視ができるんだ。それで私達と宮田君を見ていたのね。次は中家君か……』

 あられが急に僕から出て雪乃に移った。

 あられから聞いたのだろう。雪乃が顔を真っ赤にしてスカートを押さえる。
「あっヤバイ」僕はその意味が判って、自分の顔も熱くなる。

「雪乃。そう言う態度やめろよ。変に意識するだろ。水着の時は平気なくせに」
「何よ。シンが私の足ぐらいでドキドキするからでしょう」

『ふふっ面白い。私は平気だけどな。そうだ。なるとくんにも見せてあげようか。美しいこの足とか』
「あられッ。止めなさい。はしたないわよ。自分の身体でもないのに」
『冗談よ。でも、私達の身体みてときめいてくれるのって嬉しくない? 幽体になると特にそう思うんだけど。でも、もう、なるとくんに憑依するのは止める。だってなるとくんの力だと私の意識を読まれそうだし、デートもお話も言葉でするから楽しいんだものね』 
 あられは僕のことを、なるとくんと呼び、雪乃はこの時から僕をシンと呼んだ。
 だから、どちらと話しているかは判るし、なによりも二人は空気感が違っている。

 雪乃は母さんみたいに『情』が細やかで、優しさとか優雅さを感じる。あられは明るくて、――魂になったものを、こう表現するのもおかしいのだが――活発で、そして聡明だ。



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