猟犬リリィは帰れない ~異世界に転移したけどパワハラがしんどい~

陸路りん

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9,理性の少年と意志の女性

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 ユーゴ・デルデヴェーズは、幼い時から大人びた子どもであった。
 いや、少し語弊がある。
 正確には、幼い頃から大人びた子どもに見えた、が正しい。
 なぜなら、大人だからと言ってユーゴほどに理性的に振る舞える人間もまれだからだ。

 ユーゴは理性の人である。
 そのことをユーゴが強く認識したのは、まだ10にも満たない年の頃だった。
 ユーゴは当時からすでに愛嬌があり、要領良く立ち回れるために周りからはそれなりに可愛がられる子どもであった。
 どのように振る舞えば自身に利益があるのか、それを見極められる思考があったからである。
 意識しているわけではなかった。けれどユーゴには表面上で思考する己の他に、頭の斜め後ろあたりから常に冷静に己の行動の欠点をあげつらう嫌な思考が存在していた。
 それは本当に嫌な奴で、ユーゴの行動だけではなく、他者の行動の浅慮な点も遠慮容赦なくあげつらい、常にぶつぶつとユーゴに能書きをたれるのだ。
 しかし、そのおかげでユーゴは浅はかな行動を留めることが可能だった。

 あるとき村で、諍いが起こった。
 それ自体はどこにでもありふれているようなことで、理不尽な目にあったが上役が怠惰で感情の振り幅が大きい人間であったために、その理不尽に対しての抗議がしづらい、という状況だった。
 大人達でどのように上に訴えかければ意見が通るのかという協議の際、何故だったか、ユーゴはその場にいた。
 まだ子どもだったユーゴは当然その会議には参加しておらず、たぶん、外に一人で放り出せるほどの年でもなかったために、おもちゃを与えられてその場で遊ばせられていたのだろう。
 状況をわきまえて静かに遊べるユーゴは、そのような場所でも邪魔にされることなく存在できた。
 直接被害を被った大人達は一見冷静に話しているように見えたが、その内容は受けた被害を攻撃的に伝えるような内容で、ユーゴには到底、そのような内容を話した所で余計な反感を買うだけで、意見がすんなりと通るようには思われなかった。
 意見を通すことを最優先に据えるならば、そのような被害の大げさな主張は悪手だ。
 上役の機嫌を取り、このような点で皆にとって不利益があることを伝え、そのことをぜひ、検討してもらえるように掛け合ってもらいたい、頼りにできるのは貴方だけなのだ、と上司を仲間にしてしまうのが一番良い。
 これなら、例え陳情が通らなかったとしても、今後の生活でも気まずくなる可能性は低いだろう。
 このような被害があるのに何故お前は助けてくれないのだと責め立てれば、当然、上司の心証は悪くなる。
 しかし、ユーゴにとっては不思議なことに、その主張こそが、男にとっては一番に伝えたい内容のようだった。
 
 目的と手段が矛盾している。
 ユーゴにはそう思われる。
 相手に不満をぶつけることが、大人の中では第一優先の目的になってしまっているのだ。
 それなのに、そのことに気付かず目的を陳情を通すことにしているから、議論に決着が付かなくなっている。
 しかし、不思議なことにそのことを指摘する大人はその場にはおらず、ひっそりと議論の方向を修正しようという人物もいないように見えた。
 ユーゴには、その感覚がわからない。
 感情がないわけではないのだ。
 大人の憤る気持ちはわかるし、その不満を誰かにぶつけたいのもわかる。
 ユーゴだって、泣きもすれば怒りもする。何かに奴当たることもある。
 しかし、その感情がすべての理屈を差し置いて、一番前面には出てこないのだ。
 ユーゴには、目的のために、自身の感情を一端脇に置いて取捨選択できる、という才能があった。

 それからしばらくして、母が死んだ。
 原因は病死と告げられたが、それはいかにも怪しいとユーゴは思った。
 死ぬ直前まで母には病の影などはなかったし、母の診察を行ったのは何故か村の医者ではなく、街から来たというよそ者の医者だった。
 彼は旅行でこの村へ訪れたと行っていたが、この村に観光するものなどはないし、彼が訪れてから母の体調が崩れ始めた。
 母の死を確認した直後、医者はわざとらしい仕草でユーゴの家にあった棚を指さし、そこからいかにも高級そうなブローチを取り出して見せた。
 ここに刻まれた紋章はさる約束の血族の家のもので、そこの主人と偶然知り合いであった医者は、偶然、彼が以前関わりのあった女性を探しており、ブローチを贈ったという話を聞いて知っていたのだという。

 そんな馬鹿な話があるか。
 そう吐き捨てるのは簡単だったが、そうすることで被る不利益は山のように考えられた。
 そうして初めて体面した自身の父だという男は、まるでユーゴの未来の姿のようだった。
 優秀だが残忍で、良く話し良く笑うが感情が薄い。
 彼は、自分自身の利益のためならばなんでもするような男だった。
「妻と子が死んでしまった。跡継ぎがいないと余計な婚姻を勧められるから貴様が必要だったのだ」と彼はユーゴに淡々と告げた。

「貴様は俺によく似ている。見た目ではなく中身が。こうして自分に似た人間を目の前にすると薄気味が悪いな」

 理性的であることを、冷たいと責められたことがある。
 しかしその時はなんとも思っていなかったことが、いざ目の前にこうして並べられると、ユーゴにも薄気味悪く感じられた。
 ユーゴは、自分の思考が他人のそれとは異なることをその時初めて自覚したのだ。
 己の考え方は非常に冷酷なものなのだと、父と名乗る男が目の前で知らしめてくる。
 この人の本心はどこにあるのだろうと考えるのと同時に、自身の本音がどちらなのかがわからなくなった。
 自分の斜め後ろから囁きかけてくるこの声が、己の本心なのか。
 だとしたら、ユーゴも将来はこの目の前の男のようになってしまうのだろうか。
 その恐怖に囚われて以降、ユーゴは己の本心らしき思考を語らなくなった。
 その行為は、ユーゴに不利益しかもたらさないことを悟ったからである。

 そして今、ユーゴにはそのような気づかいが無用な女が一人いる。

 奇妙な女だ、と思う。
 怯えているのに、屈しはしない。
 感情的なのに、妙に冷静な所もある。

「STとやらは、みんな貴様みたいなのか」
「まぁ、大半はそうですね」
「残りの少数は?」
「もっとすごいです」

 どういう意味のすごいなのかはわからなかったが、まぁ、これがいうほどなのだから色々な意味ですごいのだろう。
 莉々子と一緒にいると、ユーゴは呼吸に気を遣わなくて済む。
 己の支配下にいる逆らえない存在に、自分のろくでもない思考を垂れ流したところで、今更株が暴落することもないからだ。
 もうすでに莉々子にとってユーゴの評価など最底辺だろう。
 それに彼女はユーゴの冷たさに気づいても、大して思うところがないようである。
 時々出来れば関わりたくない、最低だという主旨の発言をするが、その言葉は非常に軽く、まるでその野菜は嫌いだから食べたくないという事実を伝えているだけのようであった。

(偶然呼び出したにしては当たりだったな)

 ぼんやりと悪戯に植物を燃やして治してを繰り返す女を見ながら思う。
 思うに、彼女は人や情緒に対する関心が薄い。
 だからユーゴの冷酷さにも、自らに被害が及んだ部分以外は無視していられるのだ。



 その時のことを思い出しながら、ユーゴは彼女が開け放ち、飛び降りていった窓から外を見下ろした。
 彼女の姿はもう、どこにもない。
 ユーゴはからり、と無言で窓を閉じた。唇をわずかに噛みしめていることに気がついて、は、と口を一度開いてから緩やかに閉じた。
 意識して、口元に笑みを浮かべる。

 今更、彼女を失うには惜しかった。
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