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第15話:黄泉平坂
第77章:背水之陣(はいすいのじん)
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♡ーーーーー♡
【背水之陣】絶対に退けない状況で全力で事に当たること。
背後は河だし、もう一歩も退けないぞ!みたいな。
♡ーーーーー♡
おとうさん、ごめんなさい。
おかあさん、ごめんなさい。
みんな、みんな・・・ごめんなさい。
私が、私が、あんな・・・ならなければ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
麻衣のせいで・・・麻衣の・・・せいで・・・。
☆☆☆
【午後10時38分 島根県松江市出雲町揖屋】
月のない夜は更け、森閑としている。
伝説上の『黄泉平坂』であるとされているこの場所は、昼間こそは観光地のひとつとして訪れる人もいるが、この時間に訪れる観光客はいない。ましてや地元の人であればなおさらである。
石で作られた簡素で古びた鳥居にしめ縄が張られ、その奥が神域であることを示している。奥に社殿のようなものはなく、石碑がひとつと、その奥に大ぶりの石が三つ並んでいるのみである。
そこにある広場は20平方メートル程だろうか。
10人程度が入ればいっぱいになってしまうほどの空間しかなかった。
周辺は雑木林と小さな沼に囲まれており、200メートルほどいかないと人家はなかった。そして、そこまで行ったとて、田畑に隔てられてぽつりぽつりと民家が点在しているようなところである。
一番近い幹線道路は国道9号線だが、そこも通る車は少なかった。
聞こえるものといえば、時折飛び交う猛禽類の羽ばたきと、小動物が木の葉を踏む音くらいだった。
そんな暗い空間を100メートルほど離れた森の木の上から眺める二人の人影があった。
「んで?あれが『黄泉平坂』だと?」
「だ、そうだ」
「坂じゃねえじゃん」
「知るかよ」
ひとりは身長が二メートル近くある大男。もうひとりは痩せぎすで貧相な顔立ちをしている男性だった。貧相な方は肩から白い領巾をかけている。大男の方はそのままの目で100m先の暗がりを見ているようだが、貧相な男は赤外線暗視スコープを通して状況を把握しているようだった。
「一見何もいねえようだけど・・・んなわけねえか」
「あるかよ、んなこと。お館様も待ち伏せしてるって言ってただろ?」
「そうだよなあ・・・。はあ、面倒くせぇが・・・じゃ、ま、予定通りに」
「ああ・・・」
「時間は1045(ヒトマルヨンゴ)合わせろよ?」
「おめえこそ遅れんなよ」
こつん、と二人が拳を合わせる。
痩せ男が不思議な力でふわりと浮き上がるように飛ぶ。男は巨大なムササビのような獣に肩を掴まれて、民家がある方に飛んでいく。
大男の方は、その図体に比して身軽な様子で猫のように地面に飛び降りると、俊敏に闇の中を駆けていく。
大男はカダマシ。
痩せ男はクチナワ。
新月の夜、最終決戦はこうして静かに始まった。
☆☆☆
ー 月のない夜ってのは暗いもんだな。
カダマシは簡易舗装の道路を黄泉平坂に向けて歩いていた。右手は山肌、左手には木がまばらに生えていて、その向こうに陰鬱な沼地が広がっている。空に星はあるものの、街灯もなく、真っ暗闇であった。
その中にあって周囲の様子を認知し、普通に歩けているのは、とりも直さず彼が自身の身体の機能を自在に操れるからに他ならない。今は、目を夜行性の獣のそれに近い性能にしている。
ついでに聴覚、嗅覚、触覚も鋭敏にしていることから、音、匂い、空気の流れ、あらゆる事柄がカダマシに周囲の状況を知らせてくれる。
ー妙だな?
周囲にはほとんど人の気配がなかった。
隠れているならその息遣い、匂いなどで存在を知ることができるはずだ。隠形術かとも思ったが、いかに高度な隠形術とはいえ、すべての感覚を研ぎ澄ませた自分を誤魔化しきれるとは思えない、それがカダマシの考えだった。
だとすると、考えられることはひとつだった。
前方にある、唯一の気配。
あのひとりで、全てを迎え撃つ気、ということだ。
一瞬、昨晩のことが頭を過ぎり、上空から飛び降りてくる気か?とも思ったりした。
しかし、すぐにその可能性を否定する。
こちらは最初から全力で叩くつもりだ。戦力を分散させる意味がない。
ちらりと時計を見ると10時43分を回っていた。約束の時間まであと2分だった。
ーとりあえず、予定通りに行こう。
そう考えて、カダマシは黄泉平坂の鳥居が望めるところまで来た。目を凝らすと、先程100メートル先から見た時は分からなかったが、石碑の前に一人の男が立膝をして腰を下ろしている。その右手には直剣を持ち、剣先は地面に突き刺さるように立てられていた。
ふざけたアロハシャツと短パンのような服装。
およそ陰陽師には見えないその姿を見て、カダマシは状況に得心がいった。
ーなるほど・・・向こうさんもまた、局所的最大戦力で迎え撃つ、というつもりなわけか。
時計を見ると、予定時刻まであと30秒だった。
ーひとりなら、そのまま突っ込んでもいいのかもしれないが、慎重にいかせてもらう。
この短期間にカダマシは若干であるが、驕った気持ちを弱めてきていた。むしろ、これ以上失敗はできない、という思いの方が強くなっていたのだ。
あと20秒・・・
ー大丈夫・・・作戦通りにやれば、何があろうとも
あと20秒・・・
ー早く・・・早くしろ・・・クチナワ!
5、4、3、2、1・・・
「「爆ぜろ!」」
ドドドン!!
黄泉平坂の周辺がまるで絨毯爆撃を受けたかのように、地面が炸裂し、紅蓮の炎に包まれる。もし、この光景を上空から見ているものがいれば、黄泉平坂の石碑を中心とした半径500メートルほどが火の海になっているのが見えただろう。
その燃え盛る炎の中、小玉鼠の群れが地面を走り回り、跳ねるようにして炎をまとった猫の姿をした妖怪『火車』が何百匹と駆けずっていた。
あがる閃光の中、クチナワの人を食ったような下卑た声が響く。
「さあ!派手に行くぜ!!
鵺よ!雷獣よ!
この辺の奴ら、皆殺しにしろ!!」
先程まで星が瞬いていた空がにわかにかき曇り、虎の四肢に獣の身体、蛇の尾と猿の頭を持つ妖怪『鵺』が現れ、不気味な咆哮をあげる。鵺の声に反応して雲間が光り、雷が落ちる。落ちた雷は光るイタチのような動物に姿を変え、周囲の木々を燃やしはじめた。
雷から生まれる妖怪『雷獣』たちだった。
この盛大なファンファーレを合図に、カダマシはその形態を第2段階である『童子』に変えて大きく地面を踏み込む。
ー目的は敵を倒すことじゃねえ!
あの岩だ!
敵がクチナワの陽動に目がくらんでいる一瞬を突き、黄泉と現世を隔てている第一の関門・・・『千引の大岩』を破壊すること・・・
右拳を前、左手を引き、踏みしめた力を一気に右拳で炸裂させる。
「揺光っ!」
一瞬、カダマシの右拳が黄金色に光ったかと思うと、レーザーのような光弾が空を切り裂く。軌道上の空気は一瞬にしてプラズマ化し、暗闇に光の水脈を引いていく。
光の弾が鳥居をなぎ倒し、その奥に三つある大岩の内の中央を打ち貫いた。
バシっ!
大岩の中央にヒビが入り、それが縦に裂け、崩れ落ちた。すると不思議なことに、その向こう側に暗い洞が現れた。本来、岩の向こう側は単なる森、であるにも関わらず、確かにその割れた岩の向こうには洞窟の入口がポッカリと穴を開いているのだ。
ーよし!黄泉平坂への入口が開いた!
カダマシはぐっと拳を握る。手元の時計は、今やっと10時45分25秒を指していた。奇襲は成功だ、とカダマシは判断した。
ただ、その洞の前にはアロハを着た糸目の男、先日自分をボロボロにした張本人である土御門加苅が立っていた。
ーおいおい、舐めきってるのか?
ひとりで、防ぎきれるものかよ。
カダマシは薄く笑う。そう、コイツラは俺達の戦力を知らない。自分とクチナワ、もしかしたらお館様を警戒しているかもしれないけれど・・・、そう考える。
ーでも、残念だな!こっちには、もう一人いるんだよ・・・とびきりの戦力が!
カダマシは次に天を振り仰ぎ、あらん限りの大声を上げた。
「ヤギョウよぉおおおお!!」
その叫びに呼応し、ドンと遠くで地響きが起こる。数秒後、大音響を巻き起こして、黄泉平坂の前に着地したのは、紫の頭巾をかぶり、戦国武将が身につけるようないわゆる甲冑に身を固めた大男、緋紅からヤギョウと呼ばれていた男だった。
ヤギョウは、小脇に一見すると棺にも似た木製の箱を抱えていた。カダマシはあの中に緩衝材に埋もれている麻衣がいることを知っている。
そう、ヤギョウは3キロ以上離れた山の上で待機していたのだ。カダマシが千引の大岩を破壊し、黄泉路が開いたら合図することになっていた。そして、その合図でヤギョウが死返玉と麻衣を持って、ここまで跳んでくる、そういう事になっていた。
ヤギョウの膂力はカダマシの『童子』のそれを軽く凌駕する。
3キロほどを一気に跳ぶことなど容易であった。
着地をしたヤギョウが黄泉路に駆け込んでいく。
ここまでで10時45分32秒・・・
「予定通りだよなあ!おい!」
空から野衾に抱えられたクチナワが舞い降りてくる。
10時45分39秒・・・
ーよし!あとは、クチナワと俺とで、あの土御門をぶっ飛ばしちまえば・・・っ!
カダマシもまた入口に走る。
クチナワは、両手を掲げて、鎌鼬と雷獣を数匹召喚する。
あたりに立ち込める喧騒。
燃え盛る森、遠くで炸裂する家屋、雷が落ちる音、木々が焦げる匂い、
昏くどこまでも続いてるかのような黄泉への洞・・・
すべてが上手くいっている。他に陰陽師の気配もしない。それをカダマシは自分たちの速攻が殊の外うまくいったことだと考えていた。
「こりゃ余裕だな」
カダマシがにやりと笑った、その時だった。
土御門の目がにいっと細く三日月のように歪み、口が耳まで裂けた。
「月のない夜に歩くと・・・狐に誑かされると母に言われなんだか?」
その口から響いた声は、土御門のものではなかった。
ーこの声は!?
クチナワとカダマシは戸惑ったが、ヤギョウはそのまま洞に突っ込んでいく。その姿を見て、カダマシも思い直した。
ーとにかく、今は黄泉路に麻衣と死返玉を送り込むことが第一!
「行け!ヤギョウ!」
《ぐ・・・むぅ》
「解けろ」
黄泉の洞の前で、土御門が両手を広げ嗤う。
その瞬間、カダマシにとって信じられないことが起こった。
「なんだ・・・こりゃあ・・・っ!」
ビシ・・・ビシシシシッ!
周囲の景色にヒビが入る。
バリン!
ガラスの砕け散るような音が響き、周囲の景色が全て粉々に割れていく。割れた景色の破片はキラキラと夜の闇に舞い散り、消えていった。
「一体・・・なんだ!?」
クチナワは、キョロキョロとあたりを見渡す。
先程まで燃え盛っていた森はしんと静まり返ったままの姿を見せていた。燃える家屋もなければ雷の落ちた形跡すらなかった。そして、そもそも、この場所は黄泉平坂ですらなかった。
「はい、はい、おつかれさん。あんさんらの作戦、よおく、わかったわ。
陽動からの、一発ドン、で千引の大岩攻略、一気に中に攻め入るってな・・・」
「一体・・・何だ・・・何が起こった?」
ヤギョウは沈黙を守っているが、周囲を警戒しているようだった。それもそのはず。割れた景色の向こうには、十数台の篝火、そして、何十もの狩衣装束を身につけた、陰陽寮の陰陽師たちが彼らを取り囲んでいたからである。
将軍剣を担いだアロハの男、土御門が少し小高い丘の上からカダマシ、クチナワ、そしてヤギョウを見据えて、不敵に笑っていた。
そして、先程まで『土御門』だった者を見たカダマシは再び目を剥いた。
「貴様・・・天狐かぁ!!」
そこには、狐神モードのダリが、槍を肩に掛けて立っていた。
「残りの全て・・・今宵、返してもらうぞ・・・」
ダリもまた、愉しそうに目を細めていた。
☆☆☆
ーちくしょう、しくじった・・・
カダマシは歯噛みした。先程まで自分たちが思うさま荒らし回っていたのは、どうやら現世ではなかったようだ。
なにか、結界か、それとも異界のようなものだったのだろう・・・、いや、妖怪である天狐がその中央にいたところをみると、妖怪や神の類が作る『異界』に知らぬ間に入れられていたと考えるべきだ。
周囲を見渡すと、ざっと30ほどの陰陽師達。その中には、土御門以外にも、昨晩自分を追い詰めた白髪の術者、紫髪の妙な女術者、一昨日森の中で迎え撃った男の術者達の姿も見えた。そして、視線をその向こうにやると、自分たちをぐるりと円形に取り囲むように障壁がめぐらされているのも見て取れた。天から地に突き刺さるオレンジ色のオーロラを思わせるそれは、荘厳ささえ感じさせた。
ーいつの間にか、結界にも囲まれている・・・?
障壁は、ぐるりと半径3キロ程度を囲んでいるように見える。そして、カダマシには、その色と形態に見覚えがあった。
『玄武盤石厳界』
陰陽寮の者たちが使う結界術の中でも最高峰である四神クラスと言われる結界、さらにそのうちにあって最硬度を誇る術だと聞いていた。かつて、緋紅が八握剣で打ち破ったということは知っていたが、逆に言えば、緋紅ほどの術者が限界に近い出力を持ってしてしか破れない結界、ということだ。
そして、先程から身体が重いとも思っていた。このことはヤギョウも感じているようで、先程から《ぐも、ぐも》何事か呟いている。おそらく、術者達が先程から手印を結び小さく唱えている呪言が、何らかの束縛を自分らに課しているのだと想像がつく。昨日、弓を担いだ女に掛けられた呪術に似ているとカダマシが感じた通り、周囲の術者が彼らに施しているのは、呪力を溶かし拡散させる水気の捕縛術式だった。
ー周囲を囲まれ、何重にも掛けられた捕縛術式、その外側にはご丁寧に絶対防壁を誇る結界、・・・更にそこにいる日本最強の術者と神にも等しい大妖怪・・・
「ふ・・・フハハっ!」
カダマシが笑い出す。最初は小さく、それは次第に哄笑に変わっていく。
「あん?何がおかしい、あんさん?今度こそ、お縄につけや」
確かに身体の自由は殆ど効かない。
だけど・・・
「そもそもさ、性に合わなかったんだよなぁ
こういう、裏をかくとか、奇襲とかってよ・・・」
「何負け惜しみ言ってんねん。あっさり引っかかってくれてからによ」
「大体さあ・・・漢ならよ・・・正面突破だろうが・・・なあ?ヤギョウよ」
カダマシが身動ぎをすると、不可視の縛鎖がギチギチと軋みをあげる。やはり、力を入れようとしたそばから、抜けていく実感がある。
「ヤギョウっていうんか、そっちのでかいの。まあ、無理しなや、これだけの術者で縛っとるんや。指一本動かせないだろうし、水の術式であんさんらの神宝の発動をおさえられるの、先刻承知や。そっちの図体でかいのも、どんな神宝を持っとるか知らんが、同じことやで・・・」
数人の陰陽師がヤギョウに近づいていく。ヤギョウが小脇に抱えている箱を取り上げようとしていた。
しかし、カダマシの目は死んでいない。ぐっと土御門を見つめ返す。
その目に、万が一の反撃のチャンスもないと思っていた土御門も、いささかたじろいでいた。
ーなんや?こいつ・・・他になんかある言うのか?
無駄やで・・・緋紅であってもこの中に干渉することはできひん。
呪的にも、物理的にも、ここは絶界の中
お前らは文字通り、袋のネズミなんや・・・
その土御門の想いとは裏腹に、カダマシは吠えるように叫ぶ。
「一緒に、コイツラぶっ殺そうぜ!
なあ!・・・ヤギョウっ!」
《ぶぐぅ・・もっ!》
ヤギョウが奇妙な音をあげる。その瞬間、そこにいた全ての陰陽師の背筋が粟立った。なぜなら、彼らはヤギョウが『不遜なり。鏖にせむ』と【言った】のがわかったからだ。
「なんや!?こいつ!」
異変に気が付き、土御門が剣を構えた。そして、誰よりも早く反応したのはダリだった。
古槍を脇構えにして地面を蹴り、ヤギョウに向けて横薙ぎにそれを一閃させる。
目にも止まらない速さで槍撃がヤギョウの首を刎ねる。
「な・・・っ!?」
ダリが目を見開く。そこにあまりも手応えがなかったからだ。まるで布を打ち払った、ただそれだけのような軽い感触しかない。
ダリの槍の一閃でヤギョウが被っていた紫の頭巾がふわりと宙空に舞った。そして、そこには・・・何も、なかったのである。
「首!」
そう口にしたのは、近くにいた女陰陽師だった。彼女が言う通り、打ち払われたところ、本来首や頭部があるべきところには何もなかったのである。ヤギョウは『首無し』だったのだ。
「まずった・・・こいつ、死霊やったんか!」
そうか、だからか!
土御門は思った。先程まで彼らを縛っていたのは、呪力の収束を阻害し、収束したそれを宙空に逃がすことであやかしの類を束縛する『水気』を用いた縛鎖術だった。しかし、死霊はそれそのものが五行の『水気』に属するものであり、水気の術の効きが悪い。
ヤギョウと呼ばれた者を土御門達は、カダマシらと同じ『神宝を携えた人間』と考えていたのだが、それが違った。この違いによって縛鎖の効力が薄くなってしまっていたのだ。
ダリに『首』を刎ねられたヤギョウは、体を強引にねじり、それによって彼を縛り付けていた見えない水の縛鎖が全て引きちぎられるのを土御門は感じ取った。
「しもた!」
縛鎖術が解けた一瞬の隙を突き、ヤギョウが大きく地面を踏みしめる。途端、周囲の大地がぐらりと揺れ、陰陽師たちがよろめき、陣形が乱れた。
ーしめた!
「だいだらぼっち!!」
陣形が崩れ、呪術による縛鎖が緩んだ隙を見逃さず、今度はカダマシが神宝・生玉の呪力を解放する。解放された呪力はカダマシのイメージに呼応し、その肉体に変化を及ぼしていく。その身体はたちまち20メートルほどまで大きくなっていく。
『だいだらぼっち』は、当初カダマシが第三形態と呼んでいたものだ。当初は単に、その形態を考案した順番だったのだが、実はそれらが生玉から引き出す神力の段階をも意味していることを後に知った。
それを知るに至ったのは、第1段階である『宿禰』よりも第2段階である『童子』の方が、そして、『童子』よりも第3段階である『だいだらぼっち』や『大口真神』の方が、使用できる時間が短く、かつ使用後の身体にかかる反作用が強かったからである。特に『だいだらぼっち』は負荷が強いようで、その使用は概ね10分が限界であり、かつ、使った後には1時間程は身体が熱病に侵されたかのようにだるくなるのだ。
同じ第3段階である『大口真神』はまだ負荷が軽く、この状態は1時間以上を継続することができたが、やはり、使用後の状態は同じだった。
言ってみれば、『だいだらぼっち』はカダマシにとっての切り札のようなものなのだ。可能であれば第2段階の『童子』でケリを付けたいと思っているが、この状況では致し方ない。出し惜しみはできない。
カダマシに躊躇はなかった。
「ぐぅぉおおおおっ!!」
暗闇の中、小山のようにせり上がった巨躯が、天に向かって咆哮した。その声は大気をビリビリと震わせ、それだけで何人かの術者が気圧され、尻餅をつく。
ー全員・・・死ね!
モタモタしていれば、また例の『水の捕縛術式』とやらで束縛を受けてしまう。幸運なことに昨日自分を一瞬で呪縛した大弓を担いだ女は近くにいない。もしかしたら、周囲に巡らせている金色の結界を維持する方に回っているのかもしれない。
カダマシが大きくて両手を二度、三度と振り回した。それが発する強風が周囲の術者達を容赦なく吹き飛ばしていく。
チラと目をやると、同じく束縛を破ったクチナワが次々に妖魅の類を召喚しているのが見えた。クチナワの神宝・蛇肩巾(へびのひれ)は時間さえあれば強力な獣型の妖怪を召喚できるはずだ。今は小玉鼠や鎌鼬のようなもので周囲を牽制しているだけだが、大物を召喚させさえすれば、この場を乱すのに十分な戦力になるはずだ。
「クチナワ・・・避けろよ」
隙を作るため、クチナワと陰陽師たちの間めがけて、大きな拳を振り下ろす。クチナワは一瞬、カダマシの方を目を見開くように見つめていたが、諦めたのか、大きな狸のようなものを呼び出していた。
ドゴン!
破裂音が鳴り、振り下ろした拳の周辺がちょっとしたクレーターのように窪んだ。直撃しなくとも、その衝撃でまた、数人の陰陽師たちが吹き飛んでいく。クチナワの方を見ると、狸のような妖怪が薄いヴェールのようなものを何重にも張り巡らせ、彼を守る様子が見えた。
左サイドでは小脇に棺桶を抱えたまま、俊敏な動きで敵を翻弄し続けているヤギョウが見える。
ークチナワもヤギョウも戦える。陰陽師たちの陣形は総崩れだ。
なら、俺のやることはひとつだ・・・
田畑を蹴り、カダマシは奔った。
彼が狙うのは、黄泉平坂を塞ぐ千引の大岩だった。
☆☆☆
ヤギョウが自由を取り戻し、カダマシが『だいだらぼっち』となって暴れはじめた時、土御門の切り替えは早かった。
「土門、左前それから九条、お前らはクチナワを!御九里は俺と、あの『首無し』を祓うで!
祭部!陣形整えや、『首無し』には土公縛鎖術、その他にはもっぺん、水公縛鎖や!
ダリはんは・・・」
言う前に心得ていたのか、ダリは後ろ跳びに闇に消えていくのが見えた。
ーそや、おまはんは、いちばん大事なとこ、守ってや・・・
そこが落ちたら、日本終わりやねんから!
「残りの祓衆!ダリを援護せいっ!
黄泉平坂を守るんや!!」
黄泉平坂を中心に半径3キロに及ぶ広大な敷地を大鹿島と敷島の張る『玄武盤石厳界』が取り囲む。
黄泉平坂を見て右手にはクチナワが多数の妖魅を召喚し、祭部衆を襲わせようとしているが、そこには祓衆筆頭・左前甚助、占部衆筆頭・土門杏里、そして、祭部衆・属の三位である九条水琉が向かっていた。
左手では、麻衣を内に込めた『棺』を片手に暴れまわる怪力ヤギョウを土御門が将軍剣で牽制している中、御九里が攻撃の機会を伺っていた。
そして、黄泉平坂に向けて巨体を走らせているカダマシと、それを迎え撃とうとする天狐ダリ、ダリの援護をするべく追いすがろうとする祓衆の陰陽師たち。
黄泉平坂の前、事態は混戦の様相を呈していた。
時刻は午後10時50分を回ろうとしていた。
見えない月が、南中していく。
逢魔が時まで、あと半刻ほどとなっていた。
【背水之陣】絶対に退けない状況で全力で事に当たること。
背後は河だし、もう一歩も退けないぞ!みたいな。
♡ーーーーー♡
おとうさん、ごめんなさい。
おかあさん、ごめんなさい。
みんな、みんな・・・ごめんなさい。
私が、私が、あんな・・・ならなければ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
麻衣のせいで・・・麻衣の・・・せいで・・・。
☆☆☆
【午後10時38分 島根県松江市出雲町揖屋】
月のない夜は更け、森閑としている。
伝説上の『黄泉平坂』であるとされているこの場所は、昼間こそは観光地のひとつとして訪れる人もいるが、この時間に訪れる観光客はいない。ましてや地元の人であればなおさらである。
石で作られた簡素で古びた鳥居にしめ縄が張られ、その奥が神域であることを示している。奥に社殿のようなものはなく、石碑がひとつと、その奥に大ぶりの石が三つ並んでいるのみである。
そこにある広場は20平方メートル程だろうか。
10人程度が入ればいっぱいになってしまうほどの空間しかなかった。
周辺は雑木林と小さな沼に囲まれており、200メートルほどいかないと人家はなかった。そして、そこまで行ったとて、田畑に隔てられてぽつりぽつりと民家が点在しているようなところである。
一番近い幹線道路は国道9号線だが、そこも通る車は少なかった。
聞こえるものといえば、時折飛び交う猛禽類の羽ばたきと、小動物が木の葉を踏む音くらいだった。
そんな暗い空間を100メートルほど離れた森の木の上から眺める二人の人影があった。
「んで?あれが『黄泉平坂』だと?」
「だ、そうだ」
「坂じゃねえじゃん」
「知るかよ」
ひとりは身長が二メートル近くある大男。もうひとりは痩せぎすで貧相な顔立ちをしている男性だった。貧相な方は肩から白い領巾をかけている。大男の方はそのままの目で100m先の暗がりを見ているようだが、貧相な男は赤外線暗視スコープを通して状況を把握しているようだった。
「一見何もいねえようだけど・・・んなわけねえか」
「あるかよ、んなこと。お館様も待ち伏せしてるって言ってただろ?」
「そうだよなあ・・・。はあ、面倒くせぇが・・・じゃ、ま、予定通りに」
「ああ・・・」
「時間は1045(ヒトマルヨンゴ)合わせろよ?」
「おめえこそ遅れんなよ」
こつん、と二人が拳を合わせる。
痩せ男が不思議な力でふわりと浮き上がるように飛ぶ。男は巨大なムササビのような獣に肩を掴まれて、民家がある方に飛んでいく。
大男の方は、その図体に比して身軽な様子で猫のように地面に飛び降りると、俊敏に闇の中を駆けていく。
大男はカダマシ。
痩せ男はクチナワ。
新月の夜、最終決戦はこうして静かに始まった。
☆☆☆
ー 月のない夜ってのは暗いもんだな。
カダマシは簡易舗装の道路を黄泉平坂に向けて歩いていた。右手は山肌、左手には木がまばらに生えていて、その向こうに陰鬱な沼地が広がっている。空に星はあるものの、街灯もなく、真っ暗闇であった。
その中にあって周囲の様子を認知し、普通に歩けているのは、とりも直さず彼が自身の身体の機能を自在に操れるからに他ならない。今は、目を夜行性の獣のそれに近い性能にしている。
ついでに聴覚、嗅覚、触覚も鋭敏にしていることから、音、匂い、空気の流れ、あらゆる事柄がカダマシに周囲の状況を知らせてくれる。
ー妙だな?
周囲にはほとんど人の気配がなかった。
隠れているならその息遣い、匂いなどで存在を知ることができるはずだ。隠形術かとも思ったが、いかに高度な隠形術とはいえ、すべての感覚を研ぎ澄ませた自分を誤魔化しきれるとは思えない、それがカダマシの考えだった。
だとすると、考えられることはひとつだった。
前方にある、唯一の気配。
あのひとりで、全てを迎え撃つ気、ということだ。
一瞬、昨晩のことが頭を過ぎり、上空から飛び降りてくる気か?とも思ったりした。
しかし、すぐにその可能性を否定する。
こちらは最初から全力で叩くつもりだ。戦力を分散させる意味がない。
ちらりと時計を見ると10時43分を回っていた。約束の時間まであと2分だった。
ーとりあえず、予定通りに行こう。
そう考えて、カダマシは黄泉平坂の鳥居が望めるところまで来た。目を凝らすと、先程100メートル先から見た時は分からなかったが、石碑の前に一人の男が立膝をして腰を下ろしている。その右手には直剣を持ち、剣先は地面に突き刺さるように立てられていた。
ふざけたアロハシャツと短パンのような服装。
およそ陰陽師には見えないその姿を見て、カダマシは状況に得心がいった。
ーなるほど・・・向こうさんもまた、局所的最大戦力で迎え撃つ、というつもりなわけか。
時計を見ると、予定時刻まであと30秒だった。
ーひとりなら、そのまま突っ込んでもいいのかもしれないが、慎重にいかせてもらう。
この短期間にカダマシは若干であるが、驕った気持ちを弱めてきていた。むしろ、これ以上失敗はできない、という思いの方が強くなっていたのだ。
あと20秒・・・
ー大丈夫・・・作戦通りにやれば、何があろうとも
あと20秒・・・
ー早く・・・早くしろ・・・クチナワ!
5、4、3、2、1・・・
「「爆ぜろ!」」
ドドドン!!
黄泉平坂の周辺がまるで絨毯爆撃を受けたかのように、地面が炸裂し、紅蓮の炎に包まれる。もし、この光景を上空から見ているものがいれば、黄泉平坂の石碑を中心とした半径500メートルほどが火の海になっているのが見えただろう。
その燃え盛る炎の中、小玉鼠の群れが地面を走り回り、跳ねるようにして炎をまとった猫の姿をした妖怪『火車』が何百匹と駆けずっていた。
あがる閃光の中、クチナワの人を食ったような下卑た声が響く。
「さあ!派手に行くぜ!!
鵺よ!雷獣よ!
この辺の奴ら、皆殺しにしろ!!」
先程まで星が瞬いていた空がにわかにかき曇り、虎の四肢に獣の身体、蛇の尾と猿の頭を持つ妖怪『鵺』が現れ、不気味な咆哮をあげる。鵺の声に反応して雲間が光り、雷が落ちる。落ちた雷は光るイタチのような動物に姿を変え、周囲の木々を燃やしはじめた。
雷から生まれる妖怪『雷獣』たちだった。
この盛大なファンファーレを合図に、カダマシはその形態を第2段階である『童子』に変えて大きく地面を踏み込む。
ー目的は敵を倒すことじゃねえ!
あの岩だ!
敵がクチナワの陽動に目がくらんでいる一瞬を突き、黄泉と現世を隔てている第一の関門・・・『千引の大岩』を破壊すること・・・
右拳を前、左手を引き、踏みしめた力を一気に右拳で炸裂させる。
「揺光っ!」
一瞬、カダマシの右拳が黄金色に光ったかと思うと、レーザーのような光弾が空を切り裂く。軌道上の空気は一瞬にしてプラズマ化し、暗闇に光の水脈を引いていく。
光の弾が鳥居をなぎ倒し、その奥に三つある大岩の内の中央を打ち貫いた。
バシっ!
大岩の中央にヒビが入り、それが縦に裂け、崩れ落ちた。すると不思議なことに、その向こう側に暗い洞が現れた。本来、岩の向こう側は単なる森、であるにも関わらず、確かにその割れた岩の向こうには洞窟の入口がポッカリと穴を開いているのだ。
ーよし!黄泉平坂への入口が開いた!
カダマシはぐっと拳を握る。手元の時計は、今やっと10時45分25秒を指していた。奇襲は成功だ、とカダマシは判断した。
ただ、その洞の前にはアロハを着た糸目の男、先日自分をボロボロにした張本人である土御門加苅が立っていた。
ーおいおい、舐めきってるのか?
ひとりで、防ぎきれるものかよ。
カダマシは薄く笑う。そう、コイツラは俺達の戦力を知らない。自分とクチナワ、もしかしたらお館様を警戒しているかもしれないけれど・・・、そう考える。
ーでも、残念だな!こっちには、もう一人いるんだよ・・・とびきりの戦力が!
カダマシは次に天を振り仰ぎ、あらん限りの大声を上げた。
「ヤギョウよぉおおおお!!」
その叫びに呼応し、ドンと遠くで地響きが起こる。数秒後、大音響を巻き起こして、黄泉平坂の前に着地したのは、紫の頭巾をかぶり、戦国武将が身につけるようないわゆる甲冑に身を固めた大男、緋紅からヤギョウと呼ばれていた男だった。
ヤギョウは、小脇に一見すると棺にも似た木製の箱を抱えていた。カダマシはあの中に緩衝材に埋もれている麻衣がいることを知っている。
そう、ヤギョウは3キロ以上離れた山の上で待機していたのだ。カダマシが千引の大岩を破壊し、黄泉路が開いたら合図することになっていた。そして、その合図でヤギョウが死返玉と麻衣を持って、ここまで跳んでくる、そういう事になっていた。
ヤギョウの膂力はカダマシの『童子』のそれを軽く凌駕する。
3キロほどを一気に跳ぶことなど容易であった。
着地をしたヤギョウが黄泉路に駆け込んでいく。
ここまでで10時45分32秒・・・
「予定通りだよなあ!おい!」
空から野衾に抱えられたクチナワが舞い降りてくる。
10時45分39秒・・・
ーよし!あとは、クチナワと俺とで、あの土御門をぶっ飛ばしちまえば・・・っ!
カダマシもまた入口に走る。
クチナワは、両手を掲げて、鎌鼬と雷獣を数匹召喚する。
あたりに立ち込める喧騒。
燃え盛る森、遠くで炸裂する家屋、雷が落ちる音、木々が焦げる匂い、
昏くどこまでも続いてるかのような黄泉への洞・・・
すべてが上手くいっている。他に陰陽師の気配もしない。それをカダマシは自分たちの速攻が殊の外うまくいったことだと考えていた。
「こりゃ余裕だな」
カダマシがにやりと笑った、その時だった。
土御門の目がにいっと細く三日月のように歪み、口が耳まで裂けた。
「月のない夜に歩くと・・・狐に誑かされると母に言われなんだか?」
その口から響いた声は、土御門のものではなかった。
ーこの声は!?
クチナワとカダマシは戸惑ったが、ヤギョウはそのまま洞に突っ込んでいく。その姿を見て、カダマシも思い直した。
ーとにかく、今は黄泉路に麻衣と死返玉を送り込むことが第一!
「行け!ヤギョウ!」
《ぐ・・・むぅ》
「解けろ」
黄泉の洞の前で、土御門が両手を広げ嗤う。
その瞬間、カダマシにとって信じられないことが起こった。
「なんだ・・・こりゃあ・・・っ!」
ビシ・・・ビシシシシッ!
周囲の景色にヒビが入る。
バリン!
ガラスの砕け散るような音が響き、周囲の景色が全て粉々に割れていく。割れた景色の破片はキラキラと夜の闇に舞い散り、消えていった。
「一体・・・なんだ!?」
クチナワは、キョロキョロとあたりを見渡す。
先程まで燃え盛っていた森はしんと静まり返ったままの姿を見せていた。燃える家屋もなければ雷の落ちた形跡すらなかった。そして、そもそも、この場所は黄泉平坂ですらなかった。
「はい、はい、おつかれさん。あんさんらの作戦、よおく、わかったわ。
陽動からの、一発ドン、で千引の大岩攻略、一気に中に攻め入るってな・・・」
「一体・・・何だ・・・何が起こった?」
ヤギョウは沈黙を守っているが、周囲を警戒しているようだった。それもそのはず。割れた景色の向こうには、十数台の篝火、そして、何十もの狩衣装束を身につけた、陰陽寮の陰陽師たちが彼らを取り囲んでいたからである。
将軍剣を担いだアロハの男、土御門が少し小高い丘の上からカダマシ、クチナワ、そしてヤギョウを見据えて、不敵に笑っていた。
そして、先程まで『土御門』だった者を見たカダマシは再び目を剥いた。
「貴様・・・天狐かぁ!!」
そこには、狐神モードのダリが、槍を肩に掛けて立っていた。
「残りの全て・・・今宵、返してもらうぞ・・・」
ダリもまた、愉しそうに目を細めていた。
☆☆☆
ーちくしょう、しくじった・・・
カダマシは歯噛みした。先程まで自分たちが思うさま荒らし回っていたのは、どうやら現世ではなかったようだ。
なにか、結界か、それとも異界のようなものだったのだろう・・・、いや、妖怪である天狐がその中央にいたところをみると、妖怪や神の類が作る『異界』に知らぬ間に入れられていたと考えるべきだ。
周囲を見渡すと、ざっと30ほどの陰陽師達。その中には、土御門以外にも、昨晩自分を追い詰めた白髪の術者、紫髪の妙な女術者、一昨日森の中で迎え撃った男の術者達の姿も見えた。そして、視線をその向こうにやると、自分たちをぐるりと円形に取り囲むように障壁がめぐらされているのも見て取れた。天から地に突き刺さるオレンジ色のオーロラを思わせるそれは、荘厳ささえ感じさせた。
ーいつの間にか、結界にも囲まれている・・・?
障壁は、ぐるりと半径3キロ程度を囲んでいるように見える。そして、カダマシには、その色と形態に見覚えがあった。
『玄武盤石厳界』
陰陽寮の者たちが使う結界術の中でも最高峰である四神クラスと言われる結界、さらにそのうちにあって最硬度を誇る術だと聞いていた。かつて、緋紅が八握剣で打ち破ったということは知っていたが、逆に言えば、緋紅ほどの術者が限界に近い出力を持ってしてしか破れない結界、ということだ。
そして、先程から身体が重いとも思っていた。このことはヤギョウも感じているようで、先程から《ぐも、ぐも》何事か呟いている。おそらく、術者達が先程から手印を結び小さく唱えている呪言が、何らかの束縛を自分らに課しているのだと想像がつく。昨日、弓を担いだ女に掛けられた呪術に似ているとカダマシが感じた通り、周囲の術者が彼らに施しているのは、呪力を溶かし拡散させる水気の捕縛術式だった。
ー周囲を囲まれ、何重にも掛けられた捕縛術式、その外側にはご丁寧に絶対防壁を誇る結界、・・・更にそこにいる日本最強の術者と神にも等しい大妖怪・・・
「ふ・・・フハハっ!」
カダマシが笑い出す。最初は小さく、それは次第に哄笑に変わっていく。
「あん?何がおかしい、あんさん?今度こそ、お縄につけや」
確かに身体の自由は殆ど効かない。
だけど・・・
「そもそもさ、性に合わなかったんだよなぁ
こういう、裏をかくとか、奇襲とかってよ・・・」
「何負け惜しみ言ってんねん。あっさり引っかかってくれてからによ」
「大体さあ・・・漢ならよ・・・正面突破だろうが・・・なあ?ヤギョウよ」
カダマシが身動ぎをすると、不可視の縛鎖がギチギチと軋みをあげる。やはり、力を入れようとしたそばから、抜けていく実感がある。
「ヤギョウっていうんか、そっちのでかいの。まあ、無理しなや、これだけの術者で縛っとるんや。指一本動かせないだろうし、水の術式であんさんらの神宝の発動をおさえられるの、先刻承知や。そっちの図体でかいのも、どんな神宝を持っとるか知らんが、同じことやで・・・」
数人の陰陽師がヤギョウに近づいていく。ヤギョウが小脇に抱えている箱を取り上げようとしていた。
しかし、カダマシの目は死んでいない。ぐっと土御門を見つめ返す。
その目に、万が一の反撃のチャンスもないと思っていた土御門も、いささかたじろいでいた。
ーなんや?こいつ・・・他になんかある言うのか?
無駄やで・・・緋紅であってもこの中に干渉することはできひん。
呪的にも、物理的にも、ここは絶界の中
お前らは文字通り、袋のネズミなんや・・・
その土御門の想いとは裏腹に、カダマシは吠えるように叫ぶ。
「一緒に、コイツラぶっ殺そうぜ!
なあ!・・・ヤギョウっ!」
《ぶぐぅ・・もっ!》
ヤギョウが奇妙な音をあげる。その瞬間、そこにいた全ての陰陽師の背筋が粟立った。なぜなら、彼らはヤギョウが『不遜なり。鏖にせむ』と【言った】のがわかったからだ。
「なんや!?こいつ!」
異変に気が付き、土御門が剣を構えた。そして、誰よりも早く反応したのはダリだった。
古槍を脇構えにして地面を蹴り、ヤギョウに向けて横薙ぎにそれを一閃させる。
目にも止まらない速さで槍撃がヤギョウの首を刎ねる。
「な・・・っ!?」
ダリが目を見開く。そこにあまりも手応えがなかったからだ。まるで布を打ち払った、ただそれだけのような軽い感触しかない。
ダリの槍の一閃でヤギョウが被っていた紫の頭巾がふわりと宙空に舞った。そして、そこには・・・何も、なかったのである。
「首!」
そう口にしたのは、近くにいた女陰陽師だった。彼女が言う通り、打ち払われたところ、本来首や頭部があるべきところには何もなかったのである。ヤギョウは『首無し』だったのだ。
「まずった・・・こいつ、死霊やったんか!」
そうか、だからか!
土御門は思った。先程まで彼らを縛っていたのは、呪力の収束を阻害し、収束したそれを宙空に逃がすことであやかしの類を束縛する『水気』を用いた縛鎖術だった。しかし、死霊はそれそのものが五行の『水気』に属するものであり、水気の術の効きが悪い。
ヤギョウと呼ばれた者を土御門達は、カダマシらと同じ『神宝を携えた人間』と考えていたのだが、それが違った。この違いによって縛鎖の効力が薄くなってしまっていたのだ。
ダリに『首』を刎ねられたヤギョウは、体を強引にねじり、それによって彼を縛り付けていた見えない水の縛鎖が全て引きちぎられるのを土御門は感じ取った。
「しもた!」
縛鎖術が解けた一瞬の隙を突き、ヤギョウが大きく地面を踏みしめる。途端、周囲の大地がぐらりと揺れ、陰陽師たちがよろめき、陣形が乱れた。
ーしめた!
「だいだらぼっち!!」
陣形が崩れ、呪術による縛鎖が緩んだ隙を見逃さず、今度はカダマシが神宝・生玉の呪力を解放する。解放された呪力はカダマシのイメージに呼応し、その肉体に変化を及ぼしていく。その身体はたちまち20メートルほどまで大きくなっていく。
『だいだらぼっち』は、当初カダマシが第三形態と呼んでいたものだ。当初は単に、その形態を考案した順番だったのだが、実はそれらが生玉から引き出す神力の段階をも意味していることを後に知った。
それを知るに至ったのは、第1段階である『宿禰』よりも第2段階である『童子』の方が、そして、『童子』よりも第3段階である『だいだらぼっち』や『大口真神』の方が、使用できる時間が短く、かつ使用後の身体にかかる反作用が強かったからである。特に『だいだらぼっち』は負荷が強いようで、その使用は概ね10分が限界であり、かつ、使った後には1時間程は身体が熱病に侵されたかのようにだるくなるのだ。
同じ第3段階である『大口真神』はまだ負荷が軽く、この状態は1時間以上を継続することができたが、やはり、使用後の状態は同じだった。
言ってみれば、『だいだらぼっち』はカダマシにとっての切り札のようなものなのだ。可能であれば第2段階の『童子』でケリを付けたいと思っているが、この状況では致し方ない。出し惜しみはできない。
カダマシに躊躇はなかった。
「ぐぅぉおおおおっ!!」
暗闇の中、小山のようにせり上がった巨躯が、天に向かって咆哮した。その声は大気をビリビリと震わせ、それだけで何人かの術者が気圧され、尻餅をつく。
ー全員・・・死ね!
モタモタしていれば、また例の『水の捕縛術式』とやらで束縛を受けてしまう。幸運なことに昨日自分を一瞬で呪縛した大弓を担いだ女は近くにいない。もしかしたら、周囲に巡らせている金色の結界を維持する方に回っているのかもしれない。
カダマシが大きくて両手を二度、三度と振り回した。それが発する強風が周囲の術者達を容赦なく吹き飛ばしていく。
チラと目をやると、同じく束縛を破ったクチナワが次々に妖魅の類を召喚しているのが見えた。クチナワの神宝・蛇肩巾(へびのひれ)は時間さえあれば強力な獣型の妖怪を召喚できるはずだ。今は小玉鼠や鎌鼬のようなもので周囲を牽制しているだけだが、大物を召喚させさえすれば、この場を乱すのに十分な戦力になるはずだ。
「クチナワ・・・避けろよ」
隙を作るため、クチナワと陰陽師たちの間めがけて、大きな拳を振り下ろす。クチナワは一瞬、カダマシの方を目を見開くように見つめていたが、諦めたのか、大きな狸のようなものを呼び出していた。
ドゴン!
破裂音が鳴り、振り下ろした拳の周辺がちょっとしたクレーターのように窪んだ。直撃しなくとも、その衝撃でまた、数人の陰陽師たちが吹き飛んでいく。クチナワの方を見ると、狸のような妖怪が薄いヴェールのようなものを何重にも張り巡らせ、彼を守る様子が見えた。
左サイドでは小脇に棺桶を抱えたまま、俊敏な動きで敵を翻弄し続けているヤギョウが見える。
ークチナワもヤギョウも戦える。陰陽師たちの陣形は総崩れだ。
なら、俺のやることはひとつだ・・・
田畑を蹴り、カダマシは奔った。
彼が狙うのは、黄泉平坂を塞ぐ千引の大岩だった。
☆☆☆
ヤギョウが自由を取り戻し、カダマシが『だいだらぼっち』となって暴れはじめた時、土御門の切り替えは早かった。
「土門、左前それから九条、お前らはクチナワを!御九里は俺と、あの『首無し』を祓うで!
祭部!陣形整えや、『首無し』には土公縛鎖術、その他にはもっぺん、水公縛鎖や!
ダリはんは・・・」
言う前に心得ていたのか、ダリは後ろ跳びに闇に消えていくのが見えた。
ーそや、おまはんは、いちばん大事なとこ、守ってや・・・
そこが落ちたら、日本終わりやねんから!
「残りの祓衆!ダリを援護せいっ!
黄泉平坂を守るんや!!」
黄泉平坂を中心に半径3キロに及ぶ広大な敷地を大鹿島と敷島の張る『玄武盤石厳界』が取り囲む。
黄泉平坂を見て右手にはクチナワが多数の妖魅を召喚し、祭部衆を襲わせようとしているが、そこには祓衆筆頭・左前甚助、占部衆筆頭・土門杏里、そして、祭部衆・属の三位である九条水琉が向かっていた。
左手では、麻衣を内に込めた『棺』を片手に暴れまわる怪力ヤギョウを土御門が将軍剣で牽制している中、御九里が攻撃の機会を伺っていた。
そして、黄泉平坂に向けて巨体を走らせているカダマシと、それを迎え撃とうとする天狐ダリ、ダリの援護をするべく追いすがろうとする祓衆の陰陽師たち。
黄泉平坂の前、事態は混戦の様相を呈していた。
時刻は午後10時50分を回ろうとしていた。
見えない月が、南中していく。
逢魔が時まで、あと半刻ほどとなっていた。
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