天狐あやかし秘譚

Kalra

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第15話:黄泉平坂

第80章:絶体絶命(ぜったいぜつめい)

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♡ーーーーー♡
【絶体絶命】どうすることもできない危険な状況にあること。
ギリギリの戦いよ♡みたいな。
♡ーーーーー♡

激しい大地の鳴動が鳴り止む。
私と日暮は思わず頭を抱えるようにしてしゃがみ込んでしまっていたが、静かになったことを受けて、そっと周囲を伺った。

特に、何も・・・破滅的なことは起こっていない?

結界壁を見上げると、先程まで空を真昼のように照らしていた不気味な光は鳴りを潜め、再び夜の帷が周囲を覆っていた。

もしかして、ダリがうまいこと何かをした・・・?

事態がどうやら丸く収まったことを受けて、私がホッとしかけた時、日暮が小さく悲鳴を上げた。

「どうしたの?」
言いながら顧みた彼女の顔色が、予想以上に悪く、そっちの方に私は驚いてしまう。

「・・・綾音さん・・・だ・・・駄目です・・・急いで・・・大鹿島様に知らせなきゃ・・・」

カタカタと身体が震えていた。
青白い顔からなおさら血の気が引いていく。

「た、大変です・・・黄泉平坂が・・・黄泉の入口が、ひ、開き・・・開きました!!」
悲鳴のような日暮の声が、辺りに響き渡った。

その声を受けて、周囲にいた祭部、占部の陰陽師たちが色めき立つ。たちまちのうちにあちこちに伝令が走り、結界を維持している全ての陰陽師達に、そして、東京本庁、京都支所を含めた全ての陰陽寮支所に、その衝撃的な事実が伝わっていった。

黄泉平坂の北方で『玄武盤石厳界』を維持する要として祭壇の前に座して呪言を唱え続けていた大鹿島雪影(おおかしまゆきえ)にも、当然その知らせは届いていた。

「先程の鳴動、この結界内の瘴気の圧の高まり・・・感じてはいましたが、やはり、開いてしまいましたか・・・」
「大鹿島様・・・大丈夫なのでしょうか・・・」
傍らで結界の維持を補助していた祭部の陰陽師・敷島明日香は心配そうな声を上げた。
「明日香・・・私達の為すべきことは同じです。この結界が壊れれば、それこそ日本国中に黄泉の死者、そして魔物達が溢れてしまいます。・・・死守するのです。なんとしても・・・この玄武盤石厳界と水公・歳破反鬼血界を。ここが・・・、私達の立っているこここそが、生と死の境目なのですから。」

凛としてその姿勢を崩さない大鹿島の姿は、年若い敷島に安心感をもたらした。敷島もまた、大鹿島の隣で結界維持のための呪言を唱え始めた。

「伝令・・・烏丸及び全ての祭部の術者に伝えなさい。
 結界の維持を最優先に。
 皆で、日本を守るのです・・・と」

はっ!

伝令役の陰陽生が一度頭を垂れ、祭壇前から走り去る。
去りゆく彼の気配を感じながら、大鹿島は目を閉じ、必死に結界内の様子を探る。

ーお願いします。信じておりますよ、土御門殿・・・あなたなら、必ずやこの国を守ってくれると。

そしてなおさら強く、唱え続ける呪言に、念を込めていった。

☆☆☆
日暮の言葉により、伝令が駆け巡った後、やっと少し落ち着いたのか、彼女は私に自分が見た光景を説明してくれた。
日暮によると、黄泉の入口である「千引の大岩」を壊したのはダリだという。

「ダリさんとしても苦渋の選択だった・・・と思われます。
 急にあのカダマシの中で呪力が爆発的に増加したのです。
 あの呪力がもし、そのまま大鹿島様の結界の中で放出されたら、多分、結界内は一瞬の内に焼き尽くされてしまったでしょう」

カダマシから噴出したエネルギーが大鹿島の張った玄武盤石厳界の中で暴れまわり、行き場を失った熱量が中にいる陰陽師たちを焼き尽くす・・・。私の頭の中に、そんな地獄絵図と化した結界内のイメージが容易に浮かんだ。

「ダリさんはおそらく最初、爆発を抑え込もうとしたのだと思います。少しだけカダマシの方に進む様子を見せました。しかし、すぐに踵を返して、千引の大岩を彼の持つ槍で撃ち抜いたのです。」
「なんで・・・?」
「エネルギーの逃がしどころを探したのだと思います。そこで彼が目をつけたのが『黄泉路』だったのです。あの場にある無限に近い異空間への入口。しかも中にいるのは死者ばかり。たとえ莫大なエネルギーが注ぎ込まれたとしても黄泉路が破壊されることはないし、死者はこれ以上死にようがありませんから」

つまり、ダリは、結界内にいる皆を守るために、本来守らねばならない黄泉への入口をこじ開けざるを得なかった、というわけだ。

「で・・・でも、ダリさんの選択は正しかったと思います。というか、それしかなかったでしょう。多分、あのまま、あの位置でエネルギーの塊が炸裂すれば、どっちみち千引の大岩は壊れていたでしょう。だとしたら、結界を維持し、かつ、陰陽寮の陰陽師たちを生かすことに成功したのですから・・・、あれが、あの時点では最良の選択だったのです」

でも・・・と日暮は言い、そして黙り込んだ。

でも、そうだろう。結果的に黄泉路は開き、敵の思うツボなわけだ。

「さすがにカダマシは戦闘不能のようです。倒れたきり動く気配がありません。しかし、カダマシが連れてきた正体不明の『首無しの死霊』と、クチナワと呼ばれていた妖魅使いの放った妖怪たちは、黄泉路から溢れ出した瘴気を受けて強化されてしまっています。今は、なんとか土御門様達が押さえつけているようですが・・・」

日暮の言葉の歯切れの悪さから、戦況はあまり良くないのだろう。
「ダリは?・・・ダリはどうなったの!?」
「ダリさんは・・・かなり、ボロボロの姿になっています。おそらく、カダマシの放った力を黄泉路に流し込むために、莫大な妖力を使ったのでしょう・・・」

ダリの見た目がぼろぼろになっているというのは、とても良くない知らせだ。
通常、彼は自身の持つ超妖力で服だろうが、身体の傷だろうが、瞬時に治してしまう。つまり、今はそれができないほどの状態、というわけだ。

「ダリ・・・」
どうしよう、居ても立っても居られない。
自分が行ってどうにかなるとは思えないが、それでも、みんなを守るために力を使い果たそうとしている彼を放ってはおけない。
おそらく、私は見るからにオロオロと動揺していたのだろう。日暮が言った。

「行きますか、結界内に・・・?」
「行かれるの?」

二重の結界が張ってあり、外と中が物理的にも霊的にも遮られている状態であると言っていた。そこに、入る方法があるのだろうか?

「ええ、入れます。私と、猫神の力があれば・・・どう、なさいますか?」

日暮の言い方から察するにおそらく、彼女が試そうとしている方法は安全なものではないのだろう。しかし、私の気持ちは決まっていた。迷う余地などなかった。

「お願いします」
私は、静かに、しかし、力強く、日暮に向かってそう言っていた。

☆☆☆
「ヒャアッハァー!」

妙にハイテンションな声が上空から響いている。声の主は貧相な体つきに白色の領巾を肩からかけた男、クチナワだ。先程、麒麟を土門によって攻略され、あわや捕縛寸前まで追い詰められた瞬間に、カダマシとダリの衝突による千引の大岩の消滅、それに伴う瘴気の補充という追い風を受けて完全に復活していた。

いや、正確に言えばクチナワ自身は瘴気によって活性化されることは一切ないのであるが、クチナワが身につけた神宝・蛇肩巾とそれが呼び出す妖魅は一律に『黄泉の瘴気』によって一段階強くなっていた。具体的にいえば、蛇肩巾は一度に呼び出せる妖魅の数が増加し、かつ、呼び出された妖魅は速度、パワーが共に増大していた。

今、クチナワは再び呼び出した『ぬえ』にまたがり上空から戦況を一望している状態だった。実は土門にやられたダメージが癒えているわけではないのであるが、高いところにいるということと、蛇肩巾のパワーが増したことによる高揚感が、痛みを吹き飛ばしてしまっていた。

宙空でクチナワは両の手を振りかざし、ボロボロと小玉鼠を生み出す。その下では鵺が吠え、辺りに激しい雷と火球を降らせていた。

「ひやあ!あれは手に負えないのです!黄泉の瘴気で能力が上がっているのです!」
土門も雷や火球を避けるので精一杯の様子だ。その上、少しでも隙を見せれば、周囲に溢れかえった妖魅達が容赦なく襲ってくる。基本的には戦闘能力に乏しい土門は逃げの一手となることを余儀なくされていた。

「オラオラどうした。陰陽師ども!さっきまでの勢いはどこ行ったぁ?」
いやらしい笑みを浮かべ、クチナワは妖魅を召喚し続ける。

ーすげえ気持ちいい!まるで神様にでもなったみてえだ!

気分は、天井から地を這いつくばる愚民に対して、思うさまバチを当てている神様のそれだった。ちらりとみるとヤギョウが陰陽師たちを蹴散らしながら黄泉平坂に向かって猛スピードで駆けているのが見えた。その後ろを追いかけているのは、先日、自分を痛めつけた糸目の陰陽師だ。

腹の中でムラムラと復讐心が頭をもたげてきた。
「鎌鼬よ!雷獣よ!行け!あの糸目を血祭りにあげろぉ!」

命じると数十匹の妖魅が一斉に土御門めがけて押し寄せていった。そして、自分自身もヤギョウと土御門の間に立ちはだかろうとするべく、鵺を操作して空を駆けた。

「まずいぞ!」

左前が慌てて宙空の鵺を追いかける。あのまま土御門がクチナワによって邪魔されれば、ヤギョウが死返玉の適合者である可能性のある片霧麻衣と死返玉を携えた状態で黄泉平坂に入ってしまう。そうなれば、黄泉路は完全に開き、亡者たちが溢れかえってしまう。

「土門さん!九条!妖怪を頼む!俺はあいつを落とす!」
左前が自身の武器であるところの古代の銅鏡のような形態をした『水天鏡』を己の正面に構えた。
「左前さん!」
九条がその補佐に回るために背中合わせに立ち、金鞭を振るった。土門は逃げ回りながら夜魂蝶を召喚し、妖怪たちを撹乱している。

左前の口から重々しい調子で呪言が紡がれていき、それに応えるように水天鏡に莫大な霊力が蓄積されていく。

「太上老君 太上丈人 
 三師君夫人 門下典者 神省を垂れよ
 春三月寅卯辰の呪を祓え 東方九夷甲乙君
 夏三月巳午未の呪を祓え 南方八蛮丙丁君
 秋三月申酉戌の呪を祓え 西方六戒庚辛君
 冬三月亥子丑の呪を祓え 北方五狄壬癸君
 四季月の呪を祓え 中央三秦戊己君   
 二十八星宿 星宿真君 
 三天遐邈さんてんかばく 正気悠遠 鬼官滅没
 泰山府君の命なり 急ぎ急ぎて命に従い行為せよ・・・』

宙空を飛翔する鵺に狙いを定める。水天鏡が薄青く輝き、高い振動数で震え出す。その振動により発生した耳を突く金属音がじんわりとあたりにこだましていった。
そして、極限まで鏡に込められた呪力が、術者である左前の最後の言葉で一気に解き放たれる。

黒海こっかい 滅法解呪めっぽうかい詛章瀑じゅそしょうばく!」

ゴウ、と大気を震わせる音とともに退魔の爆流が黄泉平坂を目指して上空を飛行している『鵺』めがけて迸る。しかし、『鵺』もまた、背後で膨らむ膨大な霊力を察知し、素早く回避行動を取る。
「うお!なんだ!」
鵺のようには危機を察知していなかったクチナワが、突然、奇妙な旋回行動を起こし始めた鵺の背で慌てふためき、身を低くしてしがみつく。左前は水天鏡を微細に操作し、水流を鵺に当てようと努めるが、鵺の旋回性能もなかなかのものであり、ヒットするには至らない。

「なんぞ!無駄に高性能な!」

苛ついた左前が吐き捨てるように言う。その間も妖怪たちが周囲から何度も攻撃を仕掛けてくる。砲台となっている左前を守るため、九条が水の鞭を振るい、逃げ惑いながらも土門は夜魂蝶を振りまいていた。

「早くするのですぅ!」
「当たらんのじゃ!」

一方、その様子を見上げながら、土御門と瀬良はヤギョウを追いかけていた。ヤギョウも黄泉の瘴気によって、その肉体の機能が何倍にもなっており、俊敏に攻撃を躱しながら一目散に黄泉平坂の入口を目指していた。

「クソ!なんで、あの巨体であないに素早いねん!」
「土御門様、このままじゃ、入りこまれます!」
「わーとるわい!」

土御門はありったけの声で黄泉平坂近辺にいる祭部に指示を出す。

「結界や!そいつを、その首無しを黄泉平坂に入れるな!」

ー天狐は?天狐は無事なんか!?

先程、カダマシの身体から爆発的に放たれたエネルギーがどうなったのか、土御門にもだんだん分かってきていた。

ーおそらく、その身を犠牲にして、黄泉路にエネルギーを逃がしたんや・・・
 そないな無理したら、いくら天狐とは言え、無事じゃあすまんかもな

ダリが無事であればヤギョウを挟み撃ちすることもできるかもしれないが、そうでなければ祭部に頑張ってもらうしか方法はない。しかし、土御門が走っている地点から見ても、黄泉平坂の周辺にいる祭部たちもまた、黄泉路から溢れてきた大量のゾンビのようなものーその名を黄泉醜女よもつしこめーに襲われており、それへの対応で手一杯であった。

『一難去ってまた一難とは、このことやな
 強大になったクチナワと首無しの死霊、黄泉から溢れ出す黄泉醜女、天狐は戦えるかどうか不明、こちらの戦力は大分削がれ、敵は切り札である『死返玉』まで持っとる・・・』

背筋がゾクリとする。ややもすると、またしても脳細胞が粟立ち、軽いパニックになりそうになる。

ー瀬良・・・

自分の隣を走る瀬良を見る。何度もの戦闘でそのきれいな顔に土がつき、髪の毛は汗でぺたりと額に張り付いている。服はボロボロでお世辞にも可愛らしいとは言えない格好だ。

ーでも、それでも・・・

「行くで・・・あいつが黄泉路に入ったら、覚悟決め。追いかけて、常世の果てまで追い詰めるで」
「お供します!」

ついてこいや、と言おうとした矢先、あまりにもきっぱりと瀬良が言った。

ーやっぱな・・・

「当たり前や」

ぐん、と更に土御門はスピードを上げる。
瀬良もまた、その速度についてくる。
状況は絶望的にも関わらず、土御門の気持ちは不思議と先程よりも軽くなっていた。

☆☆☆
「結界内には黄泉の瘴気が溢れています。必ず、この瘴気除けの符を身に着けてください。それから・・・」
日暮が心配そうに私を見る。私はリュックに今準備できる最大限の装備を入れ、準備は万端だった。お腹のあたり、服の下には、先程日暮からもらった呪符が、そして、胸ポケットにはアレキサンドライトが入っている。

「・・・行ってらっしゃい・・・」

ぎゅっと、日暮が私のことをハグする。
5秒くらい、抱きしめ終わると、彼女は符を一枚取り出した。

縦長の符には五芒星と肉球を思わせる4つの円。一番大きな円の中には「鬼」と朱文字で書かれていた。それを右手の人差し指と中指ではさみ、ピンと立てる。

「鬼々夜叉神 太陰 生門 荒御魂来世」

符が黄色く光り、風もないのにひらひらとはためく。

「おいでませ!ニャンコ先生!」

日暮が指を離すと、ひらりひらりと舞い降り、その途中でくるりと回転して一匹の黒猫になった。

日暮の式神『猫神』である。

シュタと、地面に降り立つ凛々しい顔つきの黒猫。ぐぐーッと前足を伸ばしてノビをしている様子を見るとただの黒猫なのだが、まごうことなき妖怪であり、日暮の式神である。

「あの・・・さ、さっきも気になったんだけど、なんで、呼び出すときにニャンコ先生、なの?」

そう、作戦が始まる前も彼女は、この猫神を『ニャンコ先生』と呼んでいた。九条や土門、土御門なども式神を使うが、その時はちゃんとその式神の名前を呼んでいたような気がする。そう考えると、実は『猫神』というのがあだ名で『ニャンコ先生』が本名・・・なわけないか。

私のこの疑問に、ああ、と得心したように日暮が微笑む。
「最後のところ、あれ、別に何を言ってもいいんです。勧請の呪言は『鬼々夜叉神 太陰 生門 荒御魂来世』ってところまでなんですよ。呪言部分さえしっかりしていれば、式神は名を呼ばなくても現れますから」

言われてみれば、土御門も敵に名を説明しているときには式神の名を口にしていたが、呼び出すときには言っていなかった。九条がやたらと気取って『行け・・・僕の白鷺姫』とか言っていたのが印象的だったので、なんとなく式神の『名』を呼ぶものだと思っていたのだけど、それは個人の好みらしい。

「名前を呼んだほうがカッコいいから、という理由で言う人もいますし、イメージを高め、呪言への集中力を補助するためという意味で言う人もいますけど。」
「えっと・・・ちなみに日暮さんは?」
「可愛いからです!ね?ニャンコ先生!」

今呼び出したばかりのニャンコ先生・・・じゃなかった『猫神』に日暮が語りかけると、式神はにゃーと可愛らしく返事をした。要は趣味・・・ということか。

「えっと・・・」
自分で質問をしておきながら話が長くなってしまったことにちょっと焦れてきた。やっぱり中で何がどうなっているのかが気になるから早く行きたいのだ。

「あ!すいません。今準備しますね。」

彼女は黒猫の頭を2~3度撫でると、手にした呪符を胸に抱く。日暮いわく、結界内にいる猫神を呼んでいるのだそうだ。

「猫神は二匹いると、『にゃんこロード』を作れるんです」
「にゃんこロード?」
「抜け道、ですね。早い話が。結界とか、完全に閉じていると無理なんですけど、少しでも隙間があれば、そこをぬるりと通り抜ける事ができますし、人ひとりくらいならそこを通すこともできる。これ、猫神の能力なんですよ」

要は、結界を挟んであっち側とこっち側に猫神がいると、そこにある僅かな隙間を人が通れるようにできるということだった。確かにネコ、するりと隙間から入ってきたりするからなあ。

日暮によると、水公の結界の方は主に呪力に作用するもので、言ってみれば緋紅が『鬼道』を使ってちょっかい出してこないように張っているものだからあまり関係ないそうなのだが、四神クラスの結界である『玄武盤石厳界』は通り抜け不可なのだそうだ。そのため、大鹿島にお願いして、一瞬だけ針の穴ほどの隙間を作ってもらうのだという。

「大鹿島様に言った時間まで、あと30秒です」

日暮の言葉がわかっているのか、彼女の足元で猫神が『にゃあ』と、一声鳴いた。結界壁の向こう側でも恐らくもう一匹が同じように鳴いていることだろう。
「あと20秒です。綾音さん、先程伝えたことをお忘れなく。この壁の向こうはちょうど千引の大岩の北側にあたります。中に入ったら猫神を頼ってくださいね・・・」

分かった、という意味を込めて、私は頷く。
準備をしている間に日暮に聞かされた中の様子を思い出し、緊張が高まってくる。

「そろそろです。あと10秒・・・9、8、7、6、5、4・・・」

ごくり、と喉を鳴らす。緊張で背中に冷や汗が流れてくる。
でも、私が行かなきゃ・・・
いつも助けてもらってばかりだから、今度は私があなたを助ける番・・・。
ダリ・・・今、行くからね!

「3、2、1・・・お願いします!ニャンコ先生!」

日暮が言うと、足元の猫神が『にゃああっ!』とひときわ高く鳴いた。瞬間、その身体が金色に輝き出し、光が私を包みこんでいく。奇妙な浮遊感と、どこかに吸い込まれていくような感覚で一瞬目が回りそうになる。

「綾音さん!ご武運をぉぉぉぉ!」
日暮の最後の言葉が遠くなっていく。

そして、ふわりと突然足が地面についたかと思うと、私は暗い木立の中、ひとり佇んでいた。少し先で剣戟の音が幾重にも聞こえる。確かに、結界内に入ってきたらしい。

足元にするりと何かの気配を感じ、一瞬『ひぇ!』と声を上げそうになるが、見るとそれは結界の外にいたのとそっくりな黒猫。つまりは日暮の式である猫神であった。

びっくりさせないでよ・・・

ぽんぽんと頭を撫でると、鼻の頭を私の手に近づけてクンクンと匂いをかぎ、くりくりと額をこすりつけてくる。こういう動作を見ると本当にただの猫のように見える。

あ、いけない、いけない。和んでいる場合じゃない。
まずは、ダリを探さないと・・・。

そっと木立の隙間から覗いてみる。少し先に狭くて暗いこじんまりとした神社の境内のような雰囲気の広場があった。結界内にはいくつか陰陽寮の術者達が篝火を立てていたが、戦いの過程でほとんど倒されてしまっていた。真っ暗というわけではないがかなり暗い。それでも、目を凝らすと黄泉平坂を出たあたりで何か黒いものが何体も蠢いており、それを大勢の陰陽師が迎え撃っている様子が見えた。

っ!?

だんだんと目が慣れてくると、それが、洗いざらしたような髪の毛をバサバサと振り乱し、異様に細い手足を持った女性のようだとわかる。先程からうめき声のようなものが聞こえてくるが、これはあの女性『たち』が発しているものだと分かった。

ーあれが、黄泉醜女よもつしこめ・・・?

日暮が言っていた。
『黄泉平坂の入口である千引の大岩が破壊されたことで、そこからまずは黄泉の妖魔である黄泉醜女が溢れてきています。基本的にはゾンビのようなもので、切っても突いても通常の攻撃では死ぬことはないです。もし祓いたければ、退魔の呪力で清めるか、火を使うか、です』

しかも恐ろしいことに、黄泉醜女は肉食だそうで、襲われれば骨まで食われてしまうとのことだった。

『胸に入れているアレキサンドライトがあれば発見されるリスクはかなり下がるはずです。交戦はできるだけ避けてください!』

確かに、チカチカと時折術者たちから黄泉醜女に光が走っている。あれは恐らく火の術式を使って醜女を撃退しようとしているのだろうと思われた。

黄泉醜女・・・、私は乏しい日本神話の知識を記憶の底から引っ張り出す。あれは確か、イザナギが黄泉の国を訪問した際に出てきた魔物だ。
彼が死んだ妻であるイザナミを黄泉の国まで迎えに行った時、彼女から「黄泉の国の神と相談してくるので、覗くな」と言われたのに、待ちきれずに岩戸の中を覗いてしまった。すると、そこには腐りかかった身体に何体もの雷神を纏わせた世にも恐ろしい姿のイザナミがいた。辱めを受けたイザナミは怒り狂い、黄泉醜女を引き連れてイザナギを追いかけ回したーという、そんな話だったはずだ。

敵の狙いはおそらく、黄泉平坂の中に入って、黄泉の国の神がいる神殿の岩扉を再び開いてしまうことではないかと、陰陽寮では言われていた。死返玉の神力こそ、イザナギが宿していた、黄泉の国の神に通じる扉を開く力であると予想されていた。そして、黄泉の国の岩戸が開けば本格的に死者たちがこの世に溢れ出すのだ。

簡単に言えば、黄泉の国は『千引の大岩』と『神殿の岩扉』の二つで遮られているのだが、今は、この内のひとつが破られている状態にあるのだ。あとひとつ破られれば文字通り日本は『死の国』になってしまう。

目を少し向こうにやると、クチナワが召喚した鵺が空を舞い、雷を落とし炎を吐いていた。以前大鹿島が一撃で屠っていたものと同じ化物とは思えないほど大きく、そして威圧的になっているように見えた。

『結界内に溢れている黄泉の瘴気は妖怪変化の類を著しく強化する力があります。そのため、クチナワが呼び出した妖魅たちや、首無しの死霊の力は倍増どころか5倍くらいに強大になっています。こちらともくれぐれも交戦しないように!』

そう釘を差されていた。私自身も若干先程から息苦しさを感じている。もしかしたら服の下に縫い付けてある瘴気除けの札がなければ、命に関わるのかもしれない。

ダリはどこ?
目を凝らしてみる。
右・・・いない。
正面・・・いない。
左・・・あれ・・・?

大柄な男が倒れているらしい。その側にもう一つの影が動いているように見えた。
倒れているのはカダマシ、そばにいるのはダリ・・・ではないだろうか。
一体何をしているの?

とにかく、動いているらしいことに安心をした。早く傍に行ってあげたい。
がさりと、ヤブをかき分けて出ていこうとした時、正面の戦況が大きく変わった。

「うわああ!!」
「なんだ!」

前方がとたんに騒がしくなる。見ると、ジャングルジムくらいの大きな何かがうそうそと蠢いているのが見えた。しかも、一匹ではなく、4~5匹はいる。よく見るとそれは何本もの長い脚を振り回し陰陽師たちを蹴散らしており、時折口からなにか糸のようなものを吐いている。

「気をつけろ!牛鬼うしおにだ!」

牛鬼・・・。確かにそう言われれば、私の目にもその姿は頭部が牛、身体が蜘蛛の奇妙な生き物だと認識できた。明らかにこの世の生き物ではない、妖怪だ。恐らくクチナワが新たに呼び出したのだろう。

牛鬼達は長い腕をブンブン振り回し、陰陽師たちを牽制していた。どうやら腕の先は剣のような鋭い鉤爪になっているようで、迂闊に近寄れないようだった。かと言って距離を取ると、牛の口から大量の糸を吐いて絡め取ろうとしてくる。近づくことも遠ざかることもしにくい、厄介な敵のようだ。

その牛鬼たちの間を縫って、大男がひとりこちらにかけてくるのが見えた。男は小脇に棺桶のようなものを抱えている。頭の部分には頭巾のようなものを被っており、身体は戦国武将が身につけているような甲冑に覆われていた。

あれが首無し死霊・・・!
ということは、あの棺桶の中に片霧麻衣ちゃんが!?

どうしよう・・・どうやら死霊を追いかけているのは土御門のようだけど、牛鬼達が遮ってこちらに来られないでいる。しかも上空からは鵺が雷をバンバン落としている。黄泉平坂の周囲にいる祭部達も黄泉醜女退治で手一杯だ。

ダリは・・・
どうしてだろう?あの倒れている男のところから動こうとしない。もしかしたらこちらにあの首無し死霊が迫っていることに気づいていない!?

私がオロオロと迷っている内に、首無し死霊が黄泉平坂の入口に飛び込んでしまった。牛鬼達が暴れていて、当分、土御門もこちらに来れそうにない。

ど・・・どうしよう・・・

私はちらりと足元にいた猫神を見た。
そして、心に決める。

しゃがみ込んで猫神に言ってみた。
言葉通じるかわからないけど、式神ならきっと分かってくれるよね?

「ねえ、猫神・・・うん・・・ニャンコ先生?
 私、黄泉平坂に連れてかれた麻衣ちゃんを助けたいの。
 だからね、私の代わりにダリを、連れてきてほしいの。
 きっと、私が彼を呼びに行っていたら間に合わない気がする。
 お願い、聞いてくれる?」

はたから見るとネコに真剣にお願いしている変な人、のように見えなくもない気がするが、事態が事態だけにそんなことは言ってられない。自分が今持っているリュックの中の装備だけで、あの正体不明の筋骨隆々たる首無し死霊をなんとかできるかどうかはわからない。加えて麻衣ちゃんはあちらの言いなりになっている可能性が高い。

状況は絶望的だ。
でも、でも・・・
とても、嫌な予感がする。
なにかとてつもなく悪いことが起こりそうな、そんな予感だ。

その思いが私を突き動かしていた。

「お願い!ニャンコ先生!」

もう一度言うと私は駆け出した。
後ろで『にゃあ!』と鳴いた猫神の声は、私の願望も入っているのかもしれないけれど、なんとなく『任せておけ』とでも言っているような頼もしさを感じた。

ダリ・・・どうか、早く来て!

祈る気持ちで私は走る。地獄の入口のような妖気を漂わせている、黄泉平坂の洞に向かって。
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