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『黒面の鬼様』(アヤメ)
「来た、来た! アヤメ、遅いよー!」
「ごめん、家の手伝いが長引いちゃって……」
アヤメは乱れた着物の袖を整え、額に浮かんだ汗を拭いながら、ふぅと息をついた。
苔むした石畳の小道を小走りに駆け抜け、ようやく友人たちと合流できた。春風に桜の花びらが舞うこの季節は、集落の若者たちを期待と不安で胸いっぱいにさせる。
「明日、ついに『黒面の鬼様』のお祭りだね!」
「……うん。」
アヤメは短く答えると、頬がほんのり熱を帯びた。視線をそらし、風に揺れる草花を見つめる。彼女の控えめな仕草に、友人の一人がくすっと笑った。
山奥にひっそりと佇むこの集落は、緑豊かな風景に囲まれ、瓦屋根の家々が連なる。
見た目はどこにでもある田舎の村だ。しかし、若者たちの笑い声や活気が響き合い、まるで祭りのような喧騒が絶えない。どの家からも若々しい顔が覗き、農作業や家事に精を出す姿が目立つ。
その賑わいの中心は、集落に古くから伝わる特異な婚姻の祭り
『黒面の鬼様』のお祭りだ。
この祭りは、厳格な掟のもと、若者たちが欲望に忠実に、複数の相手と交わることを許される。『黒面の鬼様』が良縁を結ぶとされるこの儀式は、集落の若者たちの心を強く惹きつける。
この集落で成人を迎えた若者は、祭りへの参加が認められ、自分の意思で参加を決める。
参加者はお面で顔を隠すことが絶対とされていて、誰なのか言ってはいけない。誰なのか聞いてはいけない。探ってもいけない決まりだ。
顔も分からぬ相手と気の赴くままに交わり、子を宿すと翌朝、女性の肌に家紋が浮かぶ。それは宿した子の父親である家の家紋が1つだけ。
鬼様の力によって記される。
それが鬼様の許した縁となり、結婚が決まる。家紋の現れた娘は、宿した子の父親と必ず結婚しなければならない。男も自分の家の家紋が出た娘と結婚しなければならない。
この縁は『黒面の鬼様』に守られ、末長く幸せに暮らせるとされている。
その言い伝えの通り、鬼様の繋いだ縁は大昔からどの家庭も順風満帆で笑顔が絶えない。恋愛結婚等、鬼様の儀式に参加せず、結婚した夫婦も多くいる。しかしこの集落で、離縁するものは恋愛結婚や外から来た夫婦が占めている。『黒面の鬼様』に縁を繋がれた両親の家庭に育った子は、親と同様に儀式で伴侶を探したいと思うのは自然な流れだった。
その日、アヤメは親しい友人と縁側に集まった。年に二度、この土地に住む成人の若者を集めて行われる『黒面の鬼様』の祭りが明日だ。
彼女達もまた、『黒面の鬼様』に縁を結ばれ、両親の仲睦まじい姿を見て育った者達。お祭りへの期待を胸に自分達の意思で明日参加する。
「誰と交わるのか考えるだけで眠れないよ~」
アヤメの友人が目を輝かせ、膝の上で手をぎゅっと握る。明るくおしゃべり好きな彼女は、いつも輪の中心だ。
「私だって。でも背が高くて声が低い人がいいなって思うの。みんなお面しているけど背と声なら判断できると思うの。」
もう一人の友人は扇子を手に持ったまま少し恥じらいが混じりながら笑う。大胆で自信家の彼女は、どこか色っぽい雰囲気がある。
「私は……恥ずかしくて死にそう。何人もと交わるなんて、頭くらくらするよ。」
「交わるのは一人でも良いって聞いたし、大丈夫よ。赴くままに~だから。…でも、出来るなら一人でも多くと交わりたいわ。」
「ふふっ、せっかくの機会だものね?」
それから、三人で「こうしたら理想の相手と会えるかな?」なんて、役に立つか分からない作戦を話し合った。
ひとしきり話終え笑い合うと、互いの健闘を祈りそれぞれの家に帰る。
皆、どこか緊張が和らいだ表情になっていた気がする。
◇ ◇ ◇
「ただいま。」
「アヤメ、お帰りなさい。」
家に帰ると、母が穏やかに言った。
「明日の着物は薄紫の藤模様にしようね。優しいアヤメに似合うよ。」
母はそう言いながら、丁寧に折り畳まれた着物を手に持つ。その柔らかな物言いに、アヤメの緊張が少し和らいだ。 隣で父が少し照れくさそうに笑う。
「お面作ったぞ。狐の面が人気だが…お前は猫が好きだから、少し変えて猫にしてみたんだ。」
父は可愛い猫の形をした面を手に聞いてくる。
『黒面の鬼様』に結ばれた両親の温かさが、アヤメの不安を和らげた。
◇◇◇
祭りの夜。
お面を被り、着物で着飾ると鏡の前に立って姿を確認する。とても可愛らしい。母も私の姿を見て微笑んだ。
「アヤメ、とても可愛いわね。きっと、多くの男性に見つけて貰えるわ。」
「可愛くしすぎてないかな?」
「これくらいしないと。男性は凄い人でも一晩で三回くらいしか子種を出せないと言うし…普通は一回らしいのよ。回数が限られる中で、より多くの人の目に留まる事って大切なのよ?」
「は、恥ずかしい事言わないでよぉ…」
「ふふふ」
アヤメの顔が真っ赤になると、母はふふっと笑って肩に触れる。その手から伝わる温もりが、とても心地よかった。
玄関に向かうと、父が静かに立っているのが見える。
「行ってらっしゃい、鬼様に良縁を結んで貰えるように祈ってるよ。」
「うん、頑張るね。」
何を頑張るんだ私は…と思いながらとっさに声が出た。なんだか私が恥ずかしい恥ずかしいと思っているだけで、両親の態度からはそんな感情を一切感じない。このお祭りへの敬意だとか…そんな気持ちを感じる。鬼様があらゆるものから若者を守り、縁を結ぶと信じているんだと思う。そして、その鬼様あっての若者が欲を発散できる行事なんだ。
「行ってきます!」
元気に外へ踏み出す。一歩外へ出れば、私は誰とも言ってはいけないし、聞いてもいけない。
それが少しわくわくした。
これから会う人達は、私だけど私だと知らない。
境内に近づくにつれ、お面をして着飾る若者達の姿が多くなってゆく。やはり狐のお面が人気かな?そうでなくても動物のお面が多い気がする。動物のお面はお口の所に空間があるから息苦しくないのが良いのかもしれない。
「みんな、可愛い。」
これからやることは全く可愛くは無いのだけどね。
そして、たまたま近くにいた誰とも知らない人に「緊張するね。」とか「俺はわくわくする!」とか話していたり「そのお面可愛いなぁ、私もそんな感じのお願いすれば良かった…」なんて話す。それがとても新鮮だった。
そして、ついにその場所へたどり着いた。
境内に集まった若者たちはお面を被り、名を明かせぬ掟の下にそこへ足を踏み入れる。
(たくさん人がいるわ…)
多くの若者が集まる境内。ここにアヤメの友達もいるはずなのだけど、お面と普段とは違う着物で着飾る人々から探すのは難しい。暗い境内と提灯の灯りは更に本人達の持つ特徴を消してしまう。
(確か…お祭りに呼ばれるのは20歳から35歳までだったかな…。他に分かるのは背丈とだいたいの体格くらい?ううん、体格も着物によっては分からないわ。)
提灯の炎が揺れ、笛の音が優しく響く。
気がつけば高台に立つ『黒面の鬼様』役の者が現れていた。漆黒の鬼の面を被ったその姿は威厳に満ち、遠くまで通る声で告げた。
「我は『黒面の鬼』なり。多くと交わり、縁を我に示せ。この夜を存分に楽しむが良い。されど、無体を働く者はその欲を奪う。家の繁栄は望めぬだろう。心せよ!」
その言葉には力が宿り、誰もが息を呑んだ。この人に逆らうといけない…そう感じさせる空気を持っている。
領主が『黒面の鬼様』役を決めるのだろう…と言われているけれど、この集落でその役割をしたという人物を見た者は居ない。本当に鬼なのだろう…とも言う老人もいる。しかし、どんな存在であっても良縁を結ぶ集落の繁栄を守る要だ。かつて無理に迫った者や乱暴した者が性欲を奪われたと聞く。その欲を奪われた者は生涯を真面目に…しかし、独りで終えてゆくらしい。
(緊張してきた~)
笛の音色が響き、お祭りが始まった。
鬼様役の人が笛を奏でると、ガチガチだった緊張が和らぎ、不思議と周囲へ目を向けられた。
こんなたくさんの人の前で恥ずかしい…そう思っていたのに私の身体は何故かポカポカとして鼓動が早くなる。
(あ…)
アヤメは近くの男と目が合い、彼の逞しい手が握手を求めるように差し出される。
(これは、多分!交わりのお誘いされてる。)
周囲を見渡すと、手を取り合い男女の組ができ始めていた。妙に焦る気持ちから、とっさに彼の手を取った。
アヤメの甘く欲にまみれた夜は、そんな焦りから始まった。
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