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1.婚約解消
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しおりを挟むなにが? と聞くほど彼を知らないわけじゃない。
同期として入社して五年、恋人になってから二年。私が見てきた直はとにかく真面目で優しくて、気が弱い所もあるけれど、挫けることなく仕事に取り組んでいたし、他人を貶めるようなことも言わない。
私は彼を、尊敬していた。
彼もまた、私を尊敬していると言ってくれた。
私は気が強くて、仕事で妥協することはないが、料理はあまり得意ではなく、プライベートと仕事では出来が違う。
逆に直は料理が上手。
私と直は、お互いの不出来な部分を補い合える関係だった。だと思っていた。
「梓のことが嫌いになったわけじゃない。今も好きだ。けど――」
彼の言葉を聞きながら、先に続く言葉を予想した。
小説やドラマの王道でいけば『彼女が妊娠した』。
「彼女が妊娠して……」
面白くもなんともない、王道。
専務のひとり娘である彼女は、社内外に問わず男遊びが激しいと噂に聞いている。
事実だろう。
私の部下なのだが、とにかく相手が男か女かで態度も口調も声質もまるで変る。
合コン大好きで定時退社は当たり前。恋人がいてもいなくてもいい男と見るとシャツのボタンをひとつ外して、噂のEカップを武器にすり寄ってゆく。
実際、彼女に陥落して恋人と修羅場になった社内カップルもいた。
専務が退職金にイロをつけて退職させたという噂の真偽まではわからないが。
とにかく、女に嫌われる女、というやつだ。
まさか私まで……。
林海さんのせいで別れた恋人たちの噂を思い出し、頭が痛くなる。
自分もあんな風に噂の的になるなんて、冗談じゃない。
しかも、彼女が妊娠しているとなると、当然結婚するのだろう。
彼がそうしない男ではないことは、きっと私が一番よくわかっている。
いや、彼女もわかっていたのよね。
だから、こうなった。
つまり、退職に追い込まれるのは私ひとり、だ。
この二年間、直を愛し、私なりに尽くしてきたのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう。
この七年間、真面目に仕事をしてきて、こんな醜聞に晒されるなんて。
「直は――」
言いかけて、その先の言葉を飲み込んだ。
今さら、だ。
目を閉じて、ゆっくりと鼻で息を吐くと、私は彼を真っ直ぐに見た。
「――わかったわ」
「え?」
直が目を見開き、わかりやすく驚いた。
彼のその反応に、私もまた驚く。
私が泣いて縋るとでも思っていたのかしら。
絶対、泣いてなんかやらない。
可愛くなくても、冷めていても、私のプライドだ。
「今は時間もないし、私も混乱しているから、また改めてゆっくり話そう」
「なに……を」
はあ? と言いそうになった唇をぎゅっと結び、ごくりと唾を飲んだ。
「こうして――」と言いながら、抱えていた腕を解き、右手の親指と人差し指で、左手の薬指に納まっている直からの愛の証に触れる。
「――婚約指輪をくれて、両親へも結婚すると挨拶をした以上、『別れましょう、そうしましょう』じゃ済まないことはわかっているわよね?」
「……」
直の眼球が左右に動く。
その反応から、わかっていたことは明らかだ。
許されるとでも思っていたの?
それこそ王道の、『婚約指輪は慰謝料代わりに好きにしてくれ』なんて言ったのなら、お腹を抱えて笑ってしまうか、グーパン必至だ。
ともかく、今は昼休憩時間で、あと二十分ほどでそれも終わり。
この場は二十分後から会議に使用されるから、いつ誰が入ってきてもおかしくない。
「気持ちを落ち着ける時間をちょうだい」
「……わか……った」
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