72 / 120
9.結婚が怖くなりました
1
しおりを挟む兄がいつから両親の不貞を知っていたのかは、わからない。
子供の頃からひとりでいることを好み、食事の時以外の時間ほとんどを部屋にこもっていた兄だが、私が小学生の頃はまだ宿題を教えてくれたり、一緒におばあちゃんのお手伝いをしていた。
私が中学生、兄が高校生にもなると、会話は挨拶程度まで減り、目を合わせることもなくなった。
私にとって家族と呼べるほど長い時間を過ごしたのはおばあちゃんと兄だから、それは少し寂しいことだった。
だから、兄の大学進学が決まり、仕事で忙しい両親が揃って食事に行こうと言ってくれた時は、本当に嬉しかった。
けれど、兄はそうではなかった。
見るからに不機嫌そうな兄と、兄の進学を喜ぶ両親。そして、歪な親子団らんに戸惑う私。
それでも、笑っていた。
折角の両親との時間だ。
ふたりが私にも関心を持って、どこの高校を志望しているのか、学校生活はどうだと聞いてくれる。
食事の最後のデザートに選んだパフェはとても美味しそうで、それも嬉しかった。
だが、私がパフェの味を知ることはなかった。
スプーンを持つより先に、兄が口を開いたから。
『家族ごっこは楽しい?』
兄の口から語られる両親の不貞に、父は怒り、母は驚いていた。
『他に相手がいるなら、なんで離婚しないの? 夫婦でいる意味ってなに?』
兄が言った『離婚』の言葉に涙が溢れたのは無意識で、でもそれはきっと私が恐れていたことだから。
友達から聞く家族とは全然違う自分の家に、ずっと不安を持っていた。
おばあちゃんがいつも『しょーのない親ね』と困った表情で笑うから、私も笑っていた。
だけど、心の中では泣きそうだった。
友達のように、休日に家族で出かけることなんてない。
友達のように、両親が喧嘩しているのを見たことがない。
友達のように、両親がふたりで記念日に出かけるのを見たことがない。
友達のように……。
だから、兄の言葉にショックを受けたというより、『ああ、やっぱりうちはおかしかったんだ……』と思い知らされて、もう自分を誤魔化すことすら出来なくなったことが、悲しかった。
兄は兄なりに思うことがあったのだと思う。
大人になった今なら、わかる気がする。
多感な年頃で、息子が必死で大学受験に挑んでいる時に、両親はそれぞれ他の相手と会うのに忙しかっただなんて、許せなかったはず。
けれど、あの当時はわからなかったし、わかろうともしなかった。
辛うじて兄を詰るようなことは言わなかっただけ。
それでも、兄の顔を、目を見てしまったら、言ってしまいそうだった。
なんであんなことを言ったのかと、お兄ちゃんのせいで家族がバラバラになっちゃったじゃないかと。
結局、家族が壊れたあの夜から、兄の顔を見ないまま別れた。
そして、十六年。
我が兄ながら十五年を感じさせない整った顔立ちと考えが読めない表情をそのままに、記憶より少し大人の雰囲気を感じさせる姿で現れ、私の兄を名乗った。
須賀谷さんから助けてもらったことはありがたかったけれど、どんな表情をして、何を話せばいいかわからなかった。
それ以上に、私の複雑な胸の内を、篠井さんにどう話していいかも。
篠井さんがなぜ兄を知っていたのか、兄がなぜあの店に現れたのか、聞きたいことがたくさんあるのに、自分のことを話したくないがために聞けない。
そして、篠井さんもまた私に聞きたいこと、話したいことがあるのに、言えずにいる。
彼に気を遣わせてしまっていることは申し訳ないと思いながら、お互いに兄については触れないまま、十日ほどが過ぎた。
「夏依」
「はい」
「来週の出張が早まったんだ。明後日から三日留守にする」
「そうですか」
篠井さんと暮らし始めて、ひとりの夜は初めてか……。
3
あなたにおすすめの小説
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる