楽園 ~きみのいる場所~

深冬 芽以

文字の大きさ
151 / 182
17.愛を取り戻すため

しおりを挟む


「――ねぇ! 聞いてるの!?」

 雑音でしかない甲高い声に、俺は歯を食いしばった。

「あの家政婦! 私に少しは運動しろとか言うのよ!? 偉そうに! 私は明堂家の大事な跡取りを妊娠しているのよ? 何かあったらどうするつもりなのかしら! 食事も、マズいし!!」

 うんざりだ。

 目の前の書類に集中できない。

 中東で反政府デモが起こり、輸送が遅れている。

 このままでは、多額の損失を出してしまう。

「あの家政婦はクビにして! もっとベテランの、雇い主に口答えなんかしない人を雇ってよ! あと、ベビーシッターも! 生まれてから決めたんじゃ遅いわ。ただでさえお腹が重くて眠れないんだから、生まれた後はゆっくり眠りたいの」



 なんとかして、納期に間に合わせなければ。



「悠久も! いい加減マンションに戻ってよ。身重の妻を一人にするなんて、夫婦仲が悪いと噂にでもなったらどうするのよ!」



 実際に悪いんだから問題はないだろう。



「子供の名前も考えなきゃ! お義父様にはつけさせないでよ。古臭い名前なんて嫌よ!」



 俺はキラキラネームの方がよほど嫌だが、関係ない。



 俺の子じゃないのだから。

「明堂貿易の後継者なのよ? 時代に合った、インパクトのある名前じゃなきゃ!」



 安心しろ。



 その子が明堂貿易を継ぐことはない。



 こんな会社、俺がぶっ潰してやるんだから――!!



 けたたましい機械音が鳴り響く。

「あ! ママだわ。じゃ、ね、悠久。早く戻って来てよ!?」

 萌花が押しかけてきて三十分間、俺は一言も発しなかった。

 いつも、そうだ。

 勝手に押しかけてきて、一人でベラベラと喚いて、帰って行く。

 実家でも持て余された萌花がマンションに戻ったのは、三週間前。俺が楽と再会し、別れを告げられた頃。

 楽に去られた俺は、仕事に没頭した。

 そうでもしなければ、息をすることすら忘れそうだった。

 間宮の家にも帰っていない。

 俺はビルから徒歩五分の場所にあるホテルで寝泊まりしていた。

 毎日、日付が変わるまで働き、ホテルに帰ってビールを飲み、寝る。

 がむしゃらに働いた。

 目的のためなら、倒れようが病気になろうが構わない。



 全ては、明堂貿易をぶっ潰すため――!



 復讐と呼べば格好いいかもしれないが、そんなに意義のあることじゃないのはわかっている。

 ただ、何もせずにはいられなかった。

 自由に、なりたかった。

 俺は受話器を取ると、中東担当部にかけた。

 現地の担当者と綿密な連絡を取り、何としても納期を間に合わせるように指示を出す。

 この積み荷が届けば、明堂貿易を傾かせることが出来る。

 悪魔に魂を売ってでも、この取引だけは成功させなければならない。

「――社長。副社長!」

 就任から三か月が経とうとしているのに、未だになれない呼び方に、俺はハッとした。

 秘書がドアの前に立っている。

「なんですか」と、俺は聞いた。

「藤ヶ谷様と仰る方がいらしていますが」

「藤ヶ谷?」

「はい。藤ヶ谷修平様です」

 ガタンッと勢いよく立ち上がると、キャスター付きの椅子が背後の壁にぶつかった。

「すぐにお通ししてください!」

 楽に、何かあったのかもしれない。

 楽が去った日。

 半日も呆けていた俺は、我に返ると真っ先に藤ヶ谷さんに電話をかけた。

 恥だなんだと言っている場合ではない。

 聞いてどうするかも考えられないまま、楽の居場所を聞いた。が、当然だが教えてもらえなかった。

『楽が自分の意思で明堂さんと別れたのならば、その意思を尊重します』

 何度電話をしても、そうとしか言われなかった。

 その彼が俺に会いに来たということは、楽に関することに違いない。

 背中に汗が滲む。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

清掃員と僕の密やかな情状

MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。 青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。 肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。 44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。

処理中です...