その捕虜は牢屋から離れたくない

さいはて旅行社

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2章 帝国の呪い

2-57 冷静に聞け

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「んー、でも、俺は謎なんだー」

 更衣室兼休憩室に移動して、ハムとチーズを温めて上にのせたパンを幸せそうに頬張るファン。
 その横で、にこにことファンの話を聞く青年。
 一応、ファンが薬草茶をグラスに入れて出している。

 疑問を呈しても、緊張感がこの二人にはない。

 俺もハムとチーズを挟んだパンを食べているけど、おいしいはずの味が感じられない。もったいないとは思うけど意識はこの青年に向けられている。

「何が謎なの?」

「何で部屋長に惚れないの?普通、あれだけすごい人がいるのだから、凡人な俺に惚れるのはおかしいよ」

 ファンにしてみれば、部屋長に惚れないのはおかしいらしい。
 青年が不思議そうな目でファンを見ているのは、俺も同意できるが。

「キミのボスに?恐怖に陥れられることはあっても、恋に落ちることはないよ」

 、、、人外には部屋長が恐怖の塊に見えるのか?
 人外からは見えるものが違うのかもしれない。

「大魔導士だし、すごい薬師だし、優しいし、穏やかだし、包容力あるし、強いし、頭良いし、交渉力あるし、優しいし、格好良いし、惚れない要素がどこにもないじゃん」

 優しいところがファンは一番好きなのかな。二度言った。

 青年は困ったように微笑んでいる。
 同意しかねるらしいが、否定しないのは大人な対応だ。

「ファンからだと、そう見えるんだね」

「えー、ボレールだってそう見えるよね」

 俺に同意を求めるな。

「惚れるかどうかともかく、程度の差はあるだろうけど、言葉としては近いことを思っているには思っているが、尊敬の気持ちが大きい」

 字面だけを考えるなら思っていないこともないのだが、言葉が同じでもファンの想いと俺とでは全然違う気がする。
 正確に言っておかないと、ファンは誤解したまま言葉を受け取り、突っ走る気がする。
 どうもファンは自分の考えが一般的で普通だと考えているフシがある。

「んー?それってー?」

「ところで、あの彫刻なんだろ、人の姿だけど。そっちの方が疑問を持つだろ」

「だって、部屋長が人化するって言ってたじゃん」

 部屋長の言葉をすべて素直に受け入れるな。
 たとえ部屋長が言っていたとしても、不思議なことは不思議だと思え。

「そうそう、攫うのは禁止されたけど、本人が同意するなら花嫁にしていいと言われたから、今度は真正面からファンに結婚を申し込むよ」

 キラキラの青い瞳で見つめられて、今度はファンが困惑気味だ。

「うーん、俺はここにいる間、本人にはバレないようにこっそり部屋長のことを想っているつもりなんだけど」

 、、、本人から言葉にして言われると痛い。
 ファンは青年姿の彫刻に言っているだけなのだが、俺にもダメージが入っていく。

 それなのに、青年は笑顔のままだ。

「それはファンの意志だから、もちろん尊重するよ。僕は人外だからいつまでも待てるし、僕を選択するのは死ぬ間際だっていい」

「いや、そこまで待たせるのは、」

「それにキミは今、僕の忠告を聞いておかないと、薬師試験に失敗して薬師になれない」

「え?」

 ファンの表情が曇る。
 
「なっ、ファンを不安にさせることを言って丸め込もうとするのかっ」

 俺は大声を上げ立ち上がり、ファンを守ろうとした。
 俺たちがわざわざ午後に大教会の薬部屋にまで来ているのかというと、薬師になるため、さらなる研鑽を積むためだ。薬師になった後にもこの知識が役立てられるように。

「ファン、冷静に聞いてくれ。キミがキミのボスを敬愛することは悪いことではない。けれど、シエルド・アッシェンからも忠告されていただろう。オルド帝国の薬師試験に必要な知識と、キミのボスが扱う知識はかなりの隔たりがあると」

 青年は静かに言葉をつなぐ。ファンに対して。

「あ、ああ、確かに」

「妄信した先には悲劇しか生まれない。この国の薬師業界でキミのボスの知識が認められ始めるのはもうしばらく先のことだ」

 それはシエルド様も部屋長も危惧していたことである。
 部屋長の知識は別物であると。薬師試験の正解とは異なると。

 ファンはこのまま突き進むと、部屋長の知識を正しいものとして試験の答えにも書いてしまうのか。
 確かにそれも正しい答えなのだが、オルド帝国の薬師試験の正解はすでに別に用意されている。俺たちが試験を受けるまでに新しい正解が加わることはないだろう。

「お前には未来がわかるのか?」

「未来のことを正確にはわかりかねるが、精神世界に連れて行ったから、ファンのことはわかるよ。ついでにキミも連れて行ってしまったからキミのこともわかるけど、キミは大丈夫そうだね」

 青年は穏やかで柔らかい声で俺に言った。

 俺は部屋長の知識は素晴らしいものだと感じているが、薬師試験とは別物だと理解できている。
 あまりにも違うので、混乱することもない。
 これらは薬師になった後、実践の場で役に立つものとして頭の中で分類できている。

 シエルド様が見据えているのは、たぶん俺たちが薬師になってからだ。
 俺たちが部屋長の知識を薬師として使い始めて、ようやく帝国内の薬師がその素晴らしさを知ることになる。

 おそらく、それまでは他国であるリンク王国の薬師が、独自の製法で作り上げた真似できない薬としてしかこの国では思われることはない。
 帝国では手に入りにくい材料を使っているとか、知らない作り方とか、謎の保存方法、未知の手段を用いていると勝手に憶測されているに違いない。

 部屋長の場合、見習が作れるものに関しては既存のものからそこまで外れていない。
 魔法で作っているのを見たときは真似できないと思ったが、選ぶ材料や作り方、手順等について組み合わせが帝国と異なるだけである。
 部屋長が作る薬に使う薬草が、帝国では別の組み合わせを使うことが多い。
 
 効能が高いのだから、部屋長の薬はむしろ最適化されていると言ってもいい。
 安価な材料でここまで効能が高い薬が作れるのだから。

 シエルド様が大量に薬草などの材料を倉庫と化した部屋に詰めるのは、発注ロットが大きい安い薬草だからである。品質が良いものを仕入れても、安いものだからそれなりに大量に買わざるえないらしい。
 部屋長はこんなに薬を作らせる気かー、とたまにボヤいているが、多くの薬工房が安い薬草は大量在庫している。薬を作るのに安い薬草ほど大量に消費されるが、高い薬草ほど効能が高いと勘違いしている薬師も多い。
 
「薬師試験に受からない」

 ファンが俯いたままポツリと呟く。

「ファン、」

 俺はファンに声をかけようとした。
 が、一瞬、無責任な励ましの言葉を言うべきか迷った。

「今ならまだ冷静に聞いてくれることを願うよ。ファン、キミはこのままだと時間切れになって徴兵される。薬師見習だったからといって薬師ではない者に薬は任されない。後方支援ではなく前線に立つことになる」

 迷った隙に青年に言葉を紡がれてしまう。
 正確にはわかりかねると言ったくせに、コイツは断定的に未来のことを言う。

「そうなれば、キミは戦争で死ぬことになる。そうなると、キミの意志とは関係なく問答無用で僕がキミを攫うことになる」

「、、、お前は死ぬ間際まで待つんじゃなかったのか」

「うん、だから、死ぬ間際で攫う」

 青年は微笑んでいるのに、本気の目がそこにはあった。

 それは起こりえる未来だ。
 俺たち薬師見習は薬師試験に受からなければならないタイムリミットが存在する。
 現在、小競り合いはしているが大きな戦争をしていないオルド帝国の徴兵制は、十歳から二十歳になる年までに二年間の兵役を課される。ただし、例外があり、医療従事者も普通の徴兵制から外され、戦時に国の命令に従って後方支援という形になる。
 薬師もその例外に当たるが、薬師見習はそうではない。
 つまり、二十歳になる年までに薬師試験を合格してなければ、徴兵で戦地に連れていかれ、薬師の道が閉ざされることとなる。経験年数が満たされていても、二年間も薬師試験の勉強から離れていればどうなるか、もはや試験を受けたところで受かるわけもない。お金持ちの家なら支えてくれるかもしれないが、一般家庭では無理だ。
 戦地から無事に帰ることができても、とりあえず働ける道を探さなくてはならなくなる。

「どうしても僕の花嫁になるのは嫌だというのなら仕方ないが、できることなら僕はファンに生きてもらいたい」

 その未来に俺が関わってない、関われないことが痛いほどわかってしまう。
 ファンがこのまま部屋長に心酔してしまえば、その未来が現実のものとなる。

 それは、俺にとっても望ましいことではない。
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