その捕虜は牢屋から離れたくない

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1章 敵国の牢獄

1-53 泥船を泥船としっかり認識する者は

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「おいっ、まだ研究資料が揃わないのかっ」

「ひっ」

 必要事項を大声で言っただけなのに、持っていた本をすべて落とす。

「た、大変申し訳ございませんっ。王宮図書館に問い合わせしているのですが返事がまだでして」

「アイツらの仕事が遅いのは今に始まったことではないっ。早急に出すように言って来い」

「はっ、はいっ」

 慌てて本を拾って、王宮図書館の方へ走っていく。
 怒鳴っているわけではないのに、この雑用係もすぐさまやめていくだろう。
 パワハラをするなと上から強く言われているが、パワハラと言われるほどのことをまだしていないのだが。
 だったら、前にいた黒髪の雑用係の方が他の班員からも酷い扱いを受けていたが、上から注意の一つすらなかった。平民は上の者に従って、口答えせず粛々と仕事をこなしていればいいのだ。

 現在の状況なんて生易しいにも程がある。


 リンク王国の宮廷魔導士団は、魔法を使えない平民の雑用係を大量に雇った。
 通常は下級魔導士が王宮にある魔道具や国を守る魔法障壁の魔力充填作業などを行うのだが、今はその下級魔導士が王宮まで戻って来ていない。
 再三、国境から戻ってくるように促していたのだが、退職して故郷に帰る者が後を絶たないそうだ。王都に少しだけ残っていた下級魔導士もいつのまにかいなくなっていた。

 それもそのはず。
 現在、王宮では上級魔導士が研究もそっちのけで魔力充填をしなければならない状況になっている。
 魔導士が総動員されても充填作業が全然終わらない状況が続いている。

 そんな状況のなか下級魔導士が宮廷魔導士団に戻ったら死ぬほど仕事をしなければならなくなるのは馬鹿でもわかり切ったことだ。

 下級魔導士は平民の魔導士だけではなく、子爵家、男爵家の者も含まれる。
 上級、下級を決めるのは、身分のみ。実家の爵位がすべてを決める。魔法の実力なんて関係ない。

 ならば、出世の道も閉ざされ研究成果も認められない下級魔導士がどうして宮廷魔導士団に戻るというのか。

 少し前までリンク王国の宮廷魔導士団に所属するのは魔導士だけだった。
 本来、平民の魔導士が雑用係として各班に配属されていたのだが、今はどんな魔導士でさえ本当の雑用に時間を割いている場合ではない。

 整理整頓、掃除の他、資料収集など、魔法が使えなくともできる仕事を雑用係として魔法を使えない平民を雇った。


 だがしかし。


「無能ばかりだな」

「そうかー?平民の魔導士でもこんなもんだぞ。貴族の下級魔導士ならともかく、教育を受けてない平民では使いものにならない。最初から期待するな」

 違う班の魔導士とお茶を飲む。
 休憩でも取らないとやってられない。
 団長、副団長は魔力が残っているなら少しでも魔力充填しろとうるさいが。それこそパワハラだ。
 最初はうちの班は魔力充填を免除されていたが、足りないからとすぐに撤回され、魔力充填に総動員されてしまった。
 研究成果の発表は例年通り予定されているし、本当にあり得ない。

 深い溜息を吐く。

「リーウセン、お前は何を言っているんだ。帝国への特攻隊に配属されてしまったが、うちの班の前の雑用係はこちらが指示しなくとも資料は準備されていたし、実験データは揃えてくれたし、研究論文の清書もしてくれた。発表した私をきちんと褒めたたえてくれた」

「、、、それ、丸投げレベルの案件だぞ。私に言ってもいいのか?」

「アイディアは私のものだからな。下級魔導士は我々上級魔導士の手足となって動いているだけだ」

「まあ、その発想自体が出てこないから、確かにそこが一番重要か。もう産み出すべき魔法は産み出され尽くしていると思うけど、毎年、新たな研究が発表されるんだよな。お前も昨年良いヤツ発表していたのを私も記憶している」

「そうだろう、そうだろう。うちの班の雑用係に話をしているとアイディアがうまい具合にまとまってだなー。優秀な話し相手は私には必要不可欠なものなんだ」

「あ、そう。」

 なぜ目が細くなる。良いアイディアの出し方を教えてやっているのに。他人に話すと頭のなかがうまく整理できるというではないか。

「じゃあ、今年もそうすれば?」

「いや、凡庸な者の受け答えでは何もひらめかない。何で、班長はあの雑用係を死地へと送ってしまったんだ。うちの班ではけっこう重宝する者が多かったのにっ。男爵家の生き残りなんて戻って来るくらいなら、一緒に戻してほしかった。平民じゃあ肉壁にでもされてさすがに生き残ってないだろうが」

 私は不満と要望を訴えているのに、茶飲み相手は茶を飲みながら、ますます目を細めてくる。
 その目は何なんだっ。

「お前は十六班だったか。その雑用係は黒髪の平民か」

「そうだ、黒髪の雑用係。黒髪のわりには使えるヤツで、」

「そうだな、使えるヤツだったのだろうな」

 なんか含みのある言い方だな。

「十六班の今までの研究が再調査されているのは知っているか。黒髪の雑用係が関与した研究の」

「ん?そんなことしてどうするんだ?」

「いや、知らないのならいいや。ああ、そうそう、魔導士団にある魔力回復薬の在庫がなくなりそうだという話は聞いたか」

「なっ、王宮の薬師は何をやっているんだっ。というか、薬師も手が足りていないのなら、他から調達すればいいのに頭がまわらないな。今でさえ魔力が足りてないのに、アレがなくなったら倒れる者が続出するぞ」

「ヤバイ状況だってことだけはわかるなー」

 言うだけ言うと、彼はお茶を残して席を立っていった。
 何だったんだ、いったい。










 本当にこの国がヤバイ状況だということだけはわかる。

 たった一人に魔力充填関係を依存していたということ。
 しかも、魔法薬だけでなく普通の薬関係も彼一人で薬師以上の薬を作り上げていた。あのレベルの魔力回復薬がリンク王国のどこにも存在せず、すでに誰にも作成不可能だということを在庫が尽きる今となって調査結果が出てしまった。
 調査が進んでいけばいくほど恐ろしくなってくる。

 他の国に転職活動をした方がいい。
 他国にも引く手あまたな有能な魔導士はもう動き出しているという。

 宮廷魔導士団に爵位持ちの魔導士は少ないので、リンク王国と心中するというシナリオは持ち合わせていない。
 なぜ爵位持ちが少ないのかと言うと、騎士団や宮廷魔導士団は貴族の跡継ぎにならない子弟が職を得る手段としていることが多い。
 剣や体術等の身体能力が優れているのなら騎士団に、魔力量が豊富なら宮廷魔導士団に入ることが多い。

 王宮での上層部の仕事は高位貴族で占められている。
 そこに爵位を持たぬ者の席は存在しない。たとえどんなに有能であったとしても、高位貴族だけで人数がそれなりにいるのだから。
 今のリンク王国では能力よりも身分が重要視されてしまっている。

「十六班にいた魔導士が一番危機感ないのか」

 幸か不幸か、あの噂の黒髪の雑用係がいた班だ。
 長年、あの班には雑用係が一人だけついていた。記録を読むと、たまに他の平民魔導士が一緒に雑用係をしていたこともあったようだが長続きしていない。
 他の班では少なくとも上級魔導士一人につき一人以上の下級魔導士という名の雑用係がおり、あの班がそれだけで異常だったことが今ではわかるのに、当時それを指摘した者は誰もいない。魔導士団花形の一班では雑用係でさえ慎重に決めていたが、他の班の雑用係のことなど誰も気にしていなかった。

 黒髪の平民である雑用係が長年勤め続けているのさえあり得ないことだ。
 それだけ重宝されながら、黒髪という特徴しか覚えられていないのも。そして、彼が何の仕事をしていたのかさえも調査しないと把握しきれないのだ。
 恐ろしいほど多岐にわたり、調べれば調べるほどこれでもかと出てくる出てくる。

「ああ、ちょうど良かった。リーウセン、今いいか?」

 宮廷魔導士団の研究施設の通路を歩いていたら、上司のネルタに話しかけられた。

「何だ。また魔力充填か?」

「やりたいなら、いくらでもまわしてやるぞ」

 冗談のようにネルタは笑うが、いくらでもあるのが現状だ。
 魔力充填は上級魔導士のやりたくない仕事という評価で一致する。ただし、王宮内の王族居住区域にある魔道具だけは別、というのが今も昔も普通の考え方だ。

「お前、他国で魔導士業をやる気はないか?俺の助手を探している」

「お?私でいいのか?もっと優秀なヤツがいるだろ」

 ネルタに誘われるとは意外も意外。
 一班は宮廷魔導士団のなかでも優秀な魔導士が集う班。そして、その一班のなかでもズバ抜けて優秀なのがこのネルタ。
 副班長という地位についているけれど、言動で敵を増やしているというのも事実。だが、改める気はないらしい。

 私は意外とそんなコイツが嫌いではない。

「実家の身分を鼻にかけるヤツは論外だ。国外ではその評価はまったくもって意味がない。それに、オルド帝国は実力主義だ。リンク王国での実績はないと思え」

「行き先はオルド帝国か、、、敵国じゃないか。身の安全は大丈夫なのか?」

「それは己次第だ。それにリンク王国の者が俺を彼の地まで追ってきたら、それこそ素晴らしい気概の持ち主じゃないか。あ、ただし、今の話は他のヤツらには言うなよ。出発前にバレたら出国できなくなる」

 その通りだが、そうじゃねえ、と叫びたかった。

 だが、面白そうなので、私もネルタについていくことにする。
 今の泥船にしがみついているよりはマシだし、私も実家のしがらみにはとらわれない人間だから。
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