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第5話 助言なき裁定
第5話 助言なき裁定
王宮の会議室に集められた貴族たちの顔は、いつにも増して険しかった。
長い楕円形の卓を挟み、互いに鋭い視線を投げ合っている。伯爵家と侯爵家――いずれも古くから王家に仕えてきた名門同士であり、その対立は水面下で長くくすぶっていた。
王太子アルベルトは、議長席に座りながら、その光景を見渡す。
胸の奥に、言い知れぬ重圧がのしかかっていた。
(本来なら、ここまで拗れる前に……)
そう思いかけて、言葉を飲み込む。
“本来なら”という考えそのものが、ここ数日、彼の頭を悩ませていた。
「では、殿下。裁定を」
貴族院の代表が促す。
アルベルトは、手元の書類に視線を落とした。
領地境界を巡る争い。
鉱山の採掘権。
過去の合意文書の解釈。
どれも一筋縄ではいかない問題だ。
以前であれば、この場に出る前に、論点は整理され、落としどころも複数用意されていたはずだった。
(だが、今は……)
書類には、生の主張が並んでいるだけだ。
どちらの言い分にも一理があり、どちらにも落とし穴がある。
「殿下?」
再び声をかけられ、アルベルトは顔を上げた。
「……意見を聞こう」
その言葉を合図に、伯爵家側が勢いよく立ち上がる。
「我が家は、三代前よりこの鉱山の管理を任されてきました。今さら侯爵家が権利を主張するのは筋が通りません!」
続いて、侯爵家側も黙ってはいない。
「管理を任されていただけで、正式な所有権があるとは聞いておりません。我が家の文書には、明確に王家からの許可が――」
声が重なり、会議室は一気に騒然となる。
アルベルトは、思わず眉をひそめた。
(止めねば)
そう思うのに、どこから手を付けるべきか分からない。
以前なら、ここで静かな声が割って入り、論点を一つずつ切り分けていた。
(……エレノアなら)
その名が浮かんだ瞬間、彼は奥歯を噛みしめた。
「静粛に!」
アルベルトは声を張り上げる。
「感情論ではなく、事実に基づいて話せ」
一瞬、場が静まる。
だが、それも束の間だった。
「事実を申しております!」
「それは貴殿の解釈でしょう!」
再び言い争いが始まる。
アルベルトは、深く息を吸った。
そして、勢いで言葉を選ぶ。
「……よい。今回の件については、当面、伯爵家の管理を継続とする」
その瞬間、会議室の空気が凍りついた。
「殿下、それでは――」
「異議ありです!」
侯爵家側から、怒りを含んだ声が上がる。
「理由は明白だ。これまでの実績がある」
アルベルトは、そう言い切った。
だが、その理由が十分でないことを、彼自身が一番理解していた。
会議は、不満と疑念を残したまま終了した。
貴族たちは形式的な礼をとりながらも、目には明らかな不服の色を宿している。
会議室を出た後、側近が恐る恐る声をかけた。
「殿下……侯爵家は、納得しておりません。このままでは、別の形で問題が表に出るかと」
「分かっている」
アルベルトは、短く答えた。
(分かっている、が……)
執務室に戻ると、彼は椅子に深く腰を下ろした。
胸の奥が、ずしりと重い。
――失敗だ。
それを認めざるを得なかった。
(以前なら、あの裁定にはならなかった)
エレノアは、必ず両家の面子を保つ案を提示してきた。
一方を立てつつ、もう一方にも見返りを用意する。
争いを「勝ち負け」にしない。それが、彼女のやり方だった。
(私は……決断しただけだ)
決断することが、王太子の役目だと思っていた。
だが、決断に至るまでの道筋を整える者がいなければ、その決断はただの独断に過ぎない。
夕刻、新たな婚約者候補の令嬢が、明るい声で執務室に入ってきた。
「殿下、今日は大変でしたでしょう? でも、堂々と裁定なさるお姿、とても素敵でしたわ」
「……そう、見えたか」
「ええ! さすが王太子殿下ですわ」
その無邪気な賞賛に、アルベルトは曖昧に微笑んだ。
だが、胸の奥の重さは、少しも軽くならない。
(彼女は、問題を解決したと本気で思っている)
それが、何よりも不安だった。
夜。
王宮の廊下は静まり返っている。
アルベルトは、またしても無意識に、あの控室の前に立っていた。
エレノアが使っていた部屋。
扉は、今日も閉ざされたままだ。
「……助言が、必要だったのか」
その呟きは、誰にも聞かれなかった。
一方、公爵家の屋敷では、エレノア・フォン・ヴァイスが夕食後の紅茶を楽しんでいた。
穏やかな時間。
誰からも呼び出されず、誰のためにも決断しなくていい時間。
(裁定、うまくいったかしら)
ふと、そんな考えがよぎる。
だが、すぐに首を振った。
(考える必要はありませんわね)
もう、助言する立場ではない。
助言なき裁定がどんな結果を招こうと、それは彼女の責任ではない。
エレノアは、静かにカップを置いた。
王宮では今、確かに“決断”が下された。
だがそれは、王宮を支えてきた見えない土台が、また一つ崩れ落ちた瞬間でもあった。
王宮の会議室に集められた貴族たちの顔は、いつにも増して険しかった。
長い楕円形の卓を挟み、互いに鋭い視線を投げ合っている。伯爵家と侯爵家――いずれも古くから王家に仕えてきた名門同士であり、その対立は水面下で長くくすぶっていた。
王太子アルベルトは、議長席に座りながら、その光景を見渡す。
胸の奥に、言い知れぬ重圧がのしかかっていた。
(本来なら、ここまで拗れる前に……)
そう思いかけて、言葉を飲み込む。
“本来なら”という考えそのものが、ここ数日、彼の頭を悩ませていた。
「では、殿下。裁定を」
貴族院の代表が促す。
アルベルトは、手元の書類に視線を落とした。
領地境界を巡る争い。
鉱山の採掘権。
過去の合意文書の解釈。
どれも一筋縄ではいかない問題だ。
以前であれば、この場に出る前に、論点は整理され、落としどころも複数用意されていたはずだった。
(だが、今は……)
書類には、生の主張が並んでいるだけだ。
どちらの言い分にも一理があり、どちらにも落とし穴がある。
「殿下?」
再び声をかけられ、アルベルトは顔を上げた。
「……意見を聞こう」
その言葉を合図に、伯爵家側が勢いよく立ち上がる。
「我が家は、三代前よりこの鉱山の管理を任されてきました。今さら侯爵家が権利を主張するのは筋が通りません!」
続いて、侯爵家側も黙ってはいない。
「管理を任されていただけで、正式な所有権があるとは聞いておりません。我が家の文書には、明確に王家からの許可が――」
声が重なり、会議室は一気に騒然となる。
アルベルトは、思わず眉をひそめた。
(止めねば)
そう思うのに、どこから手を付けるべきか分からない。
以前なら、ここで静かな声が割って入り、論点を一つずつ切り分けていた。
(……エレノアなら)
その名が浮かんだ瞬間、彼は奥歯を噛みしめた。
「静粛に!」
アルベルトは声を張り上げる。
「感情論ではなく、事実に基づいて話せ」
一瞬、場が静まる。
だが、それも束の間だった。
「事実を申しております!」
「それは貴殿の解釈でしょう!」
再び言い争いが始まる。
アルベルトは、深く息を吸った。
そして、勢いで言葉を選ぶ。
「……よい。今回の件については、当面、伯爵家の管理を継続とする」
その瞬間、会議室の空気が凍りついた。
「殿下、それでは――」
「異議ありです!」
侯爵家側から、怒りを含んだ声が上がる。
「理由は明白だ。これまでの実績がある」
アルベルトは、そう言い切った。
だが、その理由が十分でないことを、彼自身が一番理解していた。
会議は、不満と疑念を残したまま終了した。
貴族たちは形式的な礼をとりながらも、目には明らかな不服の色を宿している。
会議室を出た後、側近が恐る恐る声をかけた。
「殿下……侯爵家は、納得しておりません。このままでは、別の形で問題が表に出るかと」
「分かっている」
アルベルトは、短く答えた。
(分かっている、が……)
執務室に戻ると、彼は椅子に深く腰を下ろした。
胸の奥が、ずしりと重い。
――失敗だ。
それを認めざるを得なかった。
(以前なら、あの裁定にはならなかった)
エレノアは、必ず両家の面子を保つ案を提示してきた。
一方を立てつつ、もう一方にも見返りを用意する。
争いを「勝ち負け」にしない。それが、彼女のやり方だった。
(私は……決断しただけだ)
決断することが、王太子の役目だと思っていた。
だが、決断に至るまでの道筋を整える者がいなければ、その決断はただの独断に過ぎない。
夕刻、新たな婚約者候補の令嬢が、明るい声で執務室に入ってきた。
「殿下、今日は大変でしたでしょう? でも、堂々と裁定なさるお姿、とても素敵でしたわ」
「……そう、見えたか」
「ええ! さすが王太子殿下ですわ」
その無邪気な賞賛に、アルベルトは曖昧に微笑んだ。
だが、胸の奥の重さは、少しも軽くならない。
(彼女は、問題を解決したと本気で思っている)
それが、何よりも不安だった。
夜。
王宮の廊下は静まり返っている。
アルベルトは、またしても無意識に、あの控室の前に立っていた。
エレノアが使っていた部屋。
扉は、今日も閉ざされたままだ。
「……助言が、必要だったのか」
その呟きは、誰にも聞かれなかった。
一方、公爵家の屋敷では、エレノア・フォン・ヴァイスが夕食後の紅茶を楽しんでいた。
穏やかな時間。
誰からも呼び出されず、誰のためにも決断しなくていい時間。
(裁定、うまくいったかしら)
ふと、そんな考えがよぎる。
だが、すぐに首を振った。
(考える必要はありませんわね)
もう、助言する立場ではない。
助言なき裁定がどんな結果を招こうと、それは彼女の責任ではない。
エレノアは、静かにカップを置いた。
王宮では今、確かに“決断”が下された。
だがそれは、王宮を支えてきた見えない土台が、また一つ崩れ落ちた瞬間でもあった。
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