ありがとうを貴方に

村木 岬

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見知らぬ私

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「如月さん、電車通?」

不意に聞かれた私は、またコクりと頷くだけの私に戻っていた。

「じゃあ、駅まで一緒に帰ろっか。」
「えっ…。」

 思いがけない誘いだった。どう返事をしたらいいのか分からない。今まで、一緒に帰ろうなんて誘われたこともない、もちろん誘ったこともない。私は一人で混乱していた。そんな私を覗き込むようにして彼女は言った。

「あっ、ごめん、急に嫌だった?」
「ううん、嫌じゃない、ただ今まで、誘われたことなかったからびっくりしただけ…。」

 また彼女を困らせてしまった。それでも、私の返答を聞いて安心したようだった。

「じゃあ、ちょっと待ってて、帰る準備してくるから。」

 そう言って彼女は、体育館の中のボールを片付け、床にモップをかけ始めた。私のせいで、彼女は練習を早く切り上げることになったと思うと心が痛んだ。本当は手伝いに行った方が良いのだろうけど、私にそれを言い出す勇気はない。私の意気地なし、自分で自分を責めるしかなかった。そんなモヤモヤした気持ちを抱え、待っていると彼女は制服姿に着替えてやってきた。

「おまたせ!。帰ろっか。」

 私たちは徐に歩き出した。辺りはもう真っ暗だ。こんな時間に帰宅するなんて初めてかもしれない、それに、二人並んで誰かと歩くなんてことも。高校から駅までの道は、歩いて5分とかからないが、道幅が狭く車がやっと通れるぐらいしかない。
 夜、歩いてみて、気付いたが、この道は思いのほか、街灯が少ない。彼女は毎日、この夜道を一人で歩いているのか。

「如月さんの家は山の方?海の方?」

またも不意を突かれた。

「山の方だけど。」

 今度は、すんなりと言葉が出てきた。
 私たちが使う電車は山の上と港町を結んだ形に作られている。そして、風丘高校の最寄り駅、山の出駅は、その中間に位置している。だから、この学校の生徒は、家の方向を聞くとき、彼女みたいに聞く。

「そうなんだ。私も、山の方なんだ。それじゃあ、途中まで一緒だね。最寄り駅は?」

 とても嬉しそうに聞いてくる。なんだか、今の彼女は私が想像していた、長谷川さんとは違って見える。まるで、小学校に入りたての子供が、新しい友達を作る時みたいだ。

「月山中だよ。」
「うそ、隣の駅じゃん、私、月山上。」

 まさか、そんな近くに住んでいるとは思わなかった。月山上は、学校とは反対側の隣駅だ。

(私も何か返さないと話が終わってしまう…)

ふと思った。

「本当だね、思ってたよりも近かったね。私と長谷川さんじゃ変える時間が違うから、今まで会うことなかったかもしれないね。」

また、不思議と自然に言葉が口をついて出て来る。人付き合いが苦手な私が、珍しいこともあるものだと、感心してしまった。
 そんな調子で話しているといつの間にか駅に着いていた。ちょうど電車が来たところだった。普段の私なら一本飛ばしている状況だ。元々、運動は得意じゃないし、電車一本のために走る気にはなれない。しかし、この日は違う。彼女が先に走り出した。

「如月さん、走れる?」

走り出して言うセリフか、心の中で思わず突っ込んでしまった。もうこれはついていくしかない。人生で一番といっても過言でないぐらいの全力疾走をした。ドアが閉まるベルが鳴る。あと少し、あと少しで。目の前でドアは非情にも目の前で閉まった。そんな…こんなに頑張ったのに。息を切らしながら、ドアの前でしゃがみこんだ瞬間、ドアが再び開いた。見かねた車掌さんが開けてくれた。私たちは、急いで飛び乗った。

「なんとか、乗れた~。車掌さん、優しくて助かったね~。」
「ほんとに、優しくて良かった。あれだけ走って乗れなかったら辛いだけだもん。それにしても、長谷川さん急に走り出すから、びっくりした。」
「ごめんごめん、ついいつもの感じで、走っちゃった、大丈夫?しんどくない?」
「大丈夫、でも長谷川さん、さすがバスケ部って感じ。」

(どうしたんだろう、私、今日はすごくおしゃべりだ。)

 彼女と話していると、自然に言葉が出て来る。

「へへ、ありがと、それと、奏でいいよ。」
「えっ?」
「名前、長谷川さんじゃなくて、奏って呼んで。」
「あっ、うん」

 思わず返事をしてしまったことに後悔した。人を下の名前で呼んだことはない。いつも○○君か○○さんだった。一度返事をしてしまった以上、今更やっぱりそれは…とは言いにくい。私は、今、持てる限りの勇気を振り絞り、呟くように呼んだ。

「奏…。」
「はい、よくできました!」

 鼓動が止まらない。さっき走った時の熱がまだ残っているのか、頬が熱くなるのを感じる。そんな私のことなんてお構いなしに彼女は、笑っている。よっぽど嬉しかったのか、彼女にとっては、名前で呼ばれることなんて珍しくもないはずなのに。

「私も如月さんの事、名前で呼びたい!如月さん、名前、心咲だったよね?」
「う、うん。そうだけど…。」

 今日は、彼女に驚かされ続けている。私の名前を憶えている人がいるなんて思ってもみなかった。私が名前を言ったのは、入学した時と2年生で今のクラスになった時に、自己紹介させられた二回のはずだ。特に、彼女とクラスが同じだったのは、1年生の時だけだった。それにも関わらず彼女は、憶えていた。なんだか胸の奥が熱くなるのを感じる。頬、胸の奥、今、物凄く身体が熱い。

「どした?大丈夫?顔赤いよ?」

 私の顔を覗き込むようにして、尋ねてきた。彼女は、まるで病人を見るかのような顔をしている。彼女に心配をかけたようだ。

「大丈夫だよ、ちょっと走って疲れただけだから…。」
「それならいいんだけど…無理させちゃったね。」

なかなか彼女の顔の曇りが晴れない。

(何とかしなければ…)

 妙な責任感を感じた。どうすれば晴れるのかわからないが、とりあえず、別の話題を振る。

「か、奏は、いつも一人であんなに遅くまで練習しているの?」
「あっ、うん、そうだよ。私ね、エースって呼ばれてるけど、そんなにバスケ、上手いわけじゃないんだ。だから、ちょっとでも試合に出たくて、周りの皆に負けないようにって頑張るんだ。」
「そうなんだ、元から運動神経が良い子だと思ってたから、意外…1年生の体育祭の時だって凄く活躍してたし。」
「そんな前の事憶えてたの!?」
「う、うん」

(私の名前を憶えていたあなたにその言葉をそのまま返そう)

 思わずまた心の中で突っ込んでしまった。こんなのは、私のキャラではない気がするが、彼女がまた笑顔に戻ったからとりあえずは助かった。あのままの顔でいられたら責任感に押し潰されそうにになるところだった。
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