神の居る島〜逃げた女子大生は見えないものを信じない〜

(旧32)光延ミトジ

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20XX/07/01(金)

p.m.4:28「偽装婚約者」

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 左手の薬指には、ダイヤモンドをあしらった指輪がある。小さくて軽いリングなのに、呼び名ひとつでグンと重く感じるのは何故だろう。

 夏の海は、あまり好きではない。ぎらつく太陽を反射させて、波のしぶきが眩く輝いているのを見るのが苦痛だ。それでも、視界いっぱいに広がる海原を見ないで済む方法は目を閉じる他ない。その唯一の手段さえも、隣から話しかけてくる男に封じられ、一風は苛立ちを覚えずにいられなかった。

 週に一度、本渡と環音螺島の間を運航するフェリーに乗り、月島一風と神々廻慈郎は海を行く。船の隣をイルカの群れが泳いでいる。神々廻が「見てよ一風ちゃん、イルカだよ、イルカ!」とはしゃいでいた。

 浮かれたおじさんを無視して、一風は船の欄干に肘をつき、溜め息をつく。まだ島に到着していないのに、すでに疲労感が尋常ではない。全ては大学の午前の講義が終わり、門を出たところからはじまった――。

 ――午前十一時半を少し過ぎた頃、大学を出た彼女の足が止まる。門の前の道の端に堂々と停められた、派手な車――スカイブルーのインプレッサを発見したからだ。その傍らには派手な車と同じくらい目立つ、モデルのごとき“イケオジ”が立っており、学生たちの注目を浴びていた。

「おっ、一風ちゃ~ん!」
「なんでここにいるんですか?」

 カツカツとパンプスの低い踵を鳴らしながら近付き、一風は神々廻に詰め寄る。今日の彼は薄いブルーのシャツの上に、ベージュのスリーピーススーツを纏い、濃いブルーのネクタイを締めた装いだ。シュッとした貌によく似合う、夏でも暑苦しさを感じさせない着こなしだった。

 とはいえ、彼がこの場にいて、自分も含めて視線を集めている状況を喜べるはずもない。

「なんでって、出発は今日だろう?」
「約束が違います」
「集合時間?」
「時間もですが、場所もです。大学に来るなんて聞いていません。ご自分がどれほど悪目立ちするか、無自覚なわけありませんよね?」
「悪目立ちって、棘のある言い方するなあ」

 ヘラヘラ笑う顔が整いすぎていてムカついた。それを見た女子学生が後ろでキャアキャアと黄色い声を挙げて囀るものだから、余計に苛立ちが増す。嗚呼、自分もあちら側にいられたなら、さぞかし楽しめたことだろう。老若男女問わず、美男美女は少し離れたところから見て騒ぐくらいがちょうどいいのだ。

「そんな怖い顔しないで。僕たちの仲だろう?」
「はあ? どんな仲ですか。適当なことを――」
「婚約者なのに冷たいなあ」

 長い腕が肩に回される。仄かに香水が香った。

「偽装、婚約者です」

 腕をはたき落とせば、神々廻が肩を竦める。

「偽装は偽装だってバレちゃいけないって、わかってる? まあ、今はいいけど……島でバレないように頑張ってね。一風ちゃん?」

 神々廻が助手席のドアを開けた。後ろに学生が集まってきていることもあり、一風はおとなしくスカイブルーのインプレッサに乗り込んだ。

 そのまま一旦、彼女のアパートへ行き、荷物を積んで――当初予定していた時刻通りに、ふたりは環音螺島へ向けて出発した。

 福岡県の博多区から高速に入り、九州自動車道を南下する。スマホの地図アプリによれば目的地の港まで、三時間半にも及ぶ距離らしい。新幹線や高速バスを使う選択肢もあったが、どうやら神々廻という男は運転が好きなようだ。予定を立てた時、車でアパートへ迎えに行くとウキウキした様子で話していたのを思い出す。

(アパートへ来られるのも嫌だけど、大学に横付けされるよりはマシだった……)

 運転中、神々廻はずっと話し続けていた。最初はラジオを流していたが、高速が山の中に入ってからは途切れるようになったため、聞くのをやめた。それからは彼が十話し、一風が一か二返事をするという状態だ。塩対応の自覚はある。神々廻も分かっているだろう……にも関わらず、彼は不機嫌にもならないし、気まずそうにもならない上、空気を読んで黙ることもしない。まさに口から先に生まれてきたような男だ。延々と口を動かしている。

 途中サービスエリアで休憩を挟んだ。お昼時を少し回った時間で、フードコートは比較的に空(す)いていた。名物の豚骨ラーメンを食べて、その足で隣接する土産物のコーナーに入り、チョコレート菓子とサツマイモを使った菓子を買う。

「婚約者の親御さんに会いに行くのに、手ぶらってわけにもいかないしねえ。甘い物ばっかりじゃなくて、しょっぱい物も買ったほうがいいかな?」
「母と弟、ふたり暮らしの家にいくつ買うつもりですか?」
「あっ、消耗品ばっかりじゃなくて記念に残る物がいいね。置き物とかペナントとかキーホルダーとか!」
「……いりませんって」

 必要最低限のお土産を購入し、神々廻を土産物売り場から引き離す。車に戻る直前で缶コーヒーとソフトクリームを買ってもらった。どうしてかは分からないが、彼によるとサービスエリアでの定番らしい。

 車に乗り込んでしばらく、つまり、ソフトクリームを食べ終わるまでは、さすがの神々廻慈郎も喋るのをやめていた。しかしそれは十分にも満たない時間だ。

「一風ちゃん、アルバイト休むことになったわけでしょ? 玻璃木夫妻にはなんて言ってきたの?」
「普通に……試験が近いので、と……」
「虚偽報告か。やるねえ」

 一風は眉間に皺を刻む。

 何かと親身になってくれる玻璃木夫妻は、善人だ。面と向かって言われたことはないが、親元を離れてひとりで暮らす彼女を心配してくれているのが分かる。おそらくそれは、以前ポロッと中学を卒業して以来、帰省していないと漏らしたことがあるからだ。

 今回の帰省は複雑な事情が絡み、面倒な人間も関わっている。余計な心配はかけたくなかった。だから試験を理由に持ち出したが、今になって思えば、アパートの大家は玻璃木夫妻だ。自宅にいないことがバレても不思議ではない。

「もう一個のほうは? コンビニでもアルバイトしてるんでしょう?」
「それも調べたんですか?」
「大学が終わって、夕方から深夜過ぎまで働いてる。基本的に平日は毎日」
「気持ち悪いくらい調べてますね」
「この程度は大したことじゃないよ。その辺の素人のストーカーにだって、対象の勤務シフトくらい把握できるしねえ」
「……ストーカーにプロも素人もないでしょう」

 だとすれば、あなたはプロのストーカーですね……と、思いはしたが、辛うじてその言葉は飲み込んだ。

「李くんと佐々木さんと、店長にシフトを代わってもらいました」
「ああ、その三人! 中国からの留学生と、東大受験で二浪してる青年、暴走族上がりの店長ね」
「え? 暴走族上がり?」
「え? 知らなかった?」
「……ええ、まったく。どちらかと言えばスポーツに打ち込んでいたような雰囲気のおじさんだし、思ってもみませんでした……」

 思いもよらぬ店長の過去を知ってしまった。次に会った時、素知らぬフリができるだろうか。そんなことを考えながら、微糖の缶コーヒーのプルタブを開けた。

 その後、何度か休憩を挟みながら、インプレッサは南へ進んだ。そして高速を降りて一般道へ入り、目的地の港へと向かう。

 その港へ足を運ぶのは、以前、島を出てきた時以来だ。実に五年振り。到着して、周囲を見渡す。前回は島から出れた解放感と安堵で、寂れた港も輝いて見えた。しかし今回はどんよりと空気が重く感じる。

 出港の時間はすぐにきた。いくつかの席が並んだだけの小型のフェリーだ。神々廻の車は港付近の駐車場に停まっている。ひと気の少ない場所だからか、駐車場の料金は格安で、手頃な上限金額が設定されていた。

 カモメが鳴いている。

 日焼け止めクリームを塗っていても意味がないと嘲笑うかのように、夏の日差しが肌を焼く。ひたいに滲んだ汗を拭いながら、神々廻を見上げる。美形は暑さも感じないのだろうか。スリーピースのスーツを着込んでいるくせに、汗ひとつかいていなかった――。

 ――フェリーが海を行く。

 出港からおよそ一時間、環音螺島が近付いてきた。フェリーが停泊する島の南側は港になっているが、その向こうは緑が生い茂っている。北側には島民が崇拝する霊峰があり、民家は島の中央に集まっていた。

 距離が縮まるにつれて、だんだんと、心臓が、鼓動を速めていく。

「一風ちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」
「……船酔いです」
「ふーん、そうなんだ? 酔い止め飲むならあげるよ。ほら、僕って準備万端にして出かけるタイプだから、よーく効く薬、持ってきてるんだ」
「ほらって言われても知りませんよ。それに……今さら飲んでも、意味はないでしょうから」

 夏のせいではない、嫌な汗が背中を伝った。

「それより、本当に教えてくれるんですよね?」

 父の死の真相を。

 一風が声に出さなくても、何を言いたいかは分かるだろう。神々廻は軽快に動かしていた口を一度閉じると、うっそりと笑った。

「いずれ、時が来たらね」

 なんて、ふざけた答えだろう……そう思うのに言い返さなかったのは、ちょうどフェリーが止まったからだ。

 七月一日、金曜日。

 午後四時三十二分。

 定刻通り、船は環音螺島の港に停泊した――。






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