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20XX/07/07(木)

a.m.8:40「木守家の人間・後」

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 穏やかに、ゆっくりと、温かな雰囲気で話していた木守鳴弓。彼が纏う空気がほんの少し、警戒している人間でなければ気付かなかったであろうくらい微かに、変わるのが分かった。

「ところで、お嬢さん」
「はい?」
「月島の家によその人間が入り込んでいるようですね」

 ああ、と悟る。

 本題はこれだったのか。

 一風は笑みが崩れないように気を付けながら、小さく首を傾げた。

「よその人間ですか? えっと、彼はわたしの婚約者で――」
「ああ、違います。そっちの彼のことではありません。月島のお嬢さんの婚約者の話は聞いていますよ。外の人間であることに、なんの問題もないどころか、島のためによくやってくれましたと、歓迎すべきことです。私が言っているのは彼ではなく、鬼石堂安のことですよ」
「鬼石堂安の……?」

 名前を聞いてつい眉を寄せてしまう。

(あ。笑顔崩れた)

 咄嗟に笑みを戻す。取り繕った表情に気付いたはずの木守鳴弓は、何故か嬉しそうに笑って、大きく頷いた。

「今の反応を見て分かりました。お嬢さんもあの鬼石堂安という男を良く思っていなんでしょう?」
「……まあ、万人に好かれるタイプではないかと」
「言葉を選ぶ必要はありません。環音螺島によその霊能者が足を踏み入れ、居つくなどいうことは、本来であればありえないことなのです。夏目家が食客として置いているから見逃していますが」

 鳴弓の後ろで蓮譲も頷いている。どうやら木守家は鬼石堂安を良く思っていないどことか、敵意を抱いているようだ。しかし夏目家が許している以上、声高には反対できないといったところだろう。

「八雲くんは、あの男に師事していたそうですね」
「詳しくは知りませんが、そう聞いています」
「私たちは基本的に他家の内情には干渉しません。島という閉鎖された場所で暮らしていくには、干渉と無関心の塩梅が大事なのです。なので八雲くんに師匠がいないことを知りつつ、手を貸さずにいましたが……失策でした。お嬢さん、私たちの愚かな判断をお許しください」

 そう言うと鳴弓と蓮譲が頭を下げた。

「ちょっ、やめてください! その、おふたりに謝っていただくようなことではありません。どうか頭を上げてください!」

 注目を浴びる前にやめさせようと焦る。一歩距離を詰めて声をかければ、ふたりはゆっくりと顔を上げた。周囲を見れば視線を集めてはいない。一風はひとまず胸を撫で下ろした。

「どうして、謝罪なんて……」
「他家への干渉を避ける慣例を守ったばかりに、月島の家を余所者に好き勝手させる口実を与えてしまいました。四家の一角の跡取りがよその霊能者の弟子になるなど……彼に他に頼るべき人間がいなかったのは予想がつきます。月島の子供は生まれにくく、分家の人間も極わずかしかない……母にも教えを受けれず、藁でも掴む思いだったのでしょう……」

 木守鳴弓が悲痛に顔を歪めている。木守蓮譲も痛ましげに一風を見つめ、その顔には後悔の念すら浮かんでいるようだった。

「あの、すみません。何故おふたりがそこまで親身になって、我が家のことを心配していただけるのか、分からないのですが……?」
「お嬢さんはまだ若く、早い内に外へ出たので、ピンとこないかもしれませんね。隔離された場所で生きるということは、そういうことなのです。先ほども言ったように大事なのは干渉と無関心のバランス……いざという時に我関せずの人間ばかりがいれば、人が集団で生活することはできません」
「では、今はその『いざという時』だと?」
「鬼石堂安は危険です」

 直球だ。

 回りくどくもなく、言葉遊びでもない、警告。

 鬼石堂安が危険かどうかはともかく、人を惑わすのに長けた人物であるのは分かっている。ある種の愉快犯だろう。こちらの反応を見ながらからかい、翻弄し、自分の目的はちゃっかり果たしていく……そんな男だ。

「あの男は……いえ、あの男だけでなく、外の霊能者は奪おうとしています」
「奪うって、何をですか?」
「力をです」

 鳴弓は凛とした口調で言い切った。

「環音螺島で生まれ育った人間は高い能力を有しています。神に愛されているだけでなく、神の手足として動き、また、神を守る役目があるからです。外の、不浄に触れて俗世にまみれて生きている能力者の力は、私たちの持つ力と比べて、遥かに澱んでいます。ゆえに純度の高い、強い力を奪おうとしているのです」

 なんということだ。オカルトに陰謀論まで加わった。

 そう思いはしたが、もちろん口には出さない。それに顔が引きつらないように気をつけ、浮かべる表情に細心の注意を払った。

「鬼石堂安がなんの見返りもなく、八雲くんを弟子にし、彩乃さんの呪いを解く手助けをしていると思いますか?」
「それは……思いません。いずれ、なんらかの見返りを要求されると思います」

 その点に関しては同意だ。

 霊能力云々、異能者云々を置いておくとして、鬼石堂安という男が善意の施しをするタイプだとは思えない。八雲は簡単な御札を書く手伝いなどをしていると言っていたが、それ以上の要求をされるはずだったのは間違いない。

「月島の魚も龍も、大いなる力です」

 話を父親に任せていた蓮譲が口を開いた。

「鬼石は奪い取ろうとしているのでしょう。しかし何百年もの間、月島の血を拠り所にしていた魚を引きはがすのは、並大抵のことではできません。実際、何重にも呪いをかけられているにも関わらず、彩乃ちゃんの龍はまだ生きている」
「月島の龍が逝く時、島内である程度の力を持つ者であれば、不思議と喪失感を覚えるのです。これまでもそうでした。お嬢さんにとって祖父にあたる男……月島泯(みん)が亡くなり、共に龍が逝った時……私も突然涙が出ました」
「そうなんですか……すみません。祖父の顔は知らなくて……」
「ああ、そうでしたね。泯が亡くなったのは、お嬢さんが生まれる前のことでした。いけませんね。歳を取るとそういったことが曖昧になってくる……」

 苦笑する鳴弓を見つめる。名前で呼んでいたし、年齢的に祖父とは付き合いがあったのかもしれない。じっと見ていると、彼は首を小さく横に振った。

「話を戻しましょうか」
「……はい。鬼石堂安を家に入れるな、ということでしたよね? わたしも好きで入れているわけではないのですが……」
「勝手に上がり込んで来るのでしょう?」
「八雲が何度も招いていたからか、完全に勝手知ったるという感じです」
「お嬢さんの細腕では、鬼石堂安を追い返すのは難しい。もしよろしければ、我が家の呪術師をお貸ししますよ」
「……え?」
「鬼石堂安でなくとも、解呪や呪いの進行を抑えることを専門にする人間はいるのです。木守の中にも得意な者は何人か心当たりがあります」

 穏やかな顔で、ゆっくりと、温かい声音で、木守鳴弓は言う。

「その呪術師と、鬼石堂安を追い返せる程度に腕力のある者を数人、月島の家に行かせましょう」
「……いえ、そこまでしていただくのは申しわけないので。お返しできるものもありませんし……」
「見返りなど求めていません。私はね、島の宝を余所者に渡したくないのです。環音螺島を守るために、力は島に残しておかなければ……八雲くんが目覚めていない今、月島の龍を守るのは、お嬢さんの役目です」
「わたしの……?」
「はい。けれど……失礼ですが、お嬢さんにはその力がないようにお見受けします。ならば同じ島に生きる同士として、木守が手を貸しましょう」

 純粋な厚意。

 木守鳴弓も蓮譲も、そう言いたげな顔をしている。

 漠然と、その誘いに乗ってはいけないと思った。能力の話は一切関係なく、家の中によその家の人間が入り込む口実を与えたくはない。気を抜いてゴロゴロすることはできないし、プライベートも何もあったものではないだろう。

 断らなければならない。

 鬼石堂安を支持しているなんて、馬鹿げたことを思われないように、それなりに根拠のある理由で、しっかりと――

「ごめんなさい。せっかくのお申し出ですが、今は婚約者の彼とふたりきりで過ごしたいんです。一緒に料理をしたり、お風呂に入ったり、ふたりで眠ったり、やりたいことがいっぱいで……でもぉ、家に他の人がいると思うと……恥ずかしくてできないです!」

 きゃっ! と、照れる素振りをしてみせる。

 短い時間でいろいろ考えた結果、出てきたのはこれだ。一風は恥を投げ捨て、バカップルの片割れで『恋に浮かれる二十歳の女の子』を全力でやりきった。

「……そうですか。はは、若さとは、いいものですね。では何かあったら、いつでも言ってください。力になりますので。あとそれから鬼石堂安のことは……」
「はい、しっかり頭に入れておきます」

 鳴弓はなんでもないように笑みを浮かべる。その後ろにいる蓮譲は若干、顔が引きつっていたが、気付かないフリをした。

 木守家のふたりとはそこで別れ、一風は着替えを置いている幕で仕切られたスペースへ足を運んだ。このあとは観伏寺へ戻らなくてはならない。気疲れと、これから長い石段と山道を降り、儀式の第二部へ参加しなければならないことへの、憂鬱さ。

(一日が長い……)

 一風は頭を抱え、溜め息を漏らさずにはいられなかった。





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