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20XX/12/24(土)

a.m.1:12「クリスマスイブ②」

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 スカイブルーのインプレッサは高速道路を行く。

 コンビニの駐車場で、神々廻は「ドライブ。付き合ってよ」と言った。自分よりも遥かに年下の一風に慰められたのが、恥ずかしかったのだろう。醜態を恥じているのを誤魔化すような態度に、一風は微笑みながらその誘いを受け入れた。

 きっと彼は気持ちを落ち着けるために、信号機を気にせず車を走らせたかったのだろう。車は博多区から高速に入り、夏とは反対に、九州自動車道を北上する。窓越しに街の明かりが流れていくのを眺めていた。

 行き場所は分からないが、不安はない。おそらくそんなもの、神々廻自身も決めてはいないのだろう。ただあてもなく、ドライブをしているだけだ。

 なかなか帰って来ない姉を心配しているであろう八雲には『帰るの少し遅くなるかもしれない』とメッセージを送っている。既読になっていないところを見ると、風呂に入っているか、もう眠っているかだろう。

 一風は窓の外に向けていた目を、隣へ移した。そして、前を見ながらハンドルを握る彼のスッと通った鼻筋をしばらく見つめ――彼女は口を開く。

「ねえ、神々廻さん」
「うん?」
「そろそろ話してくれますか?」

 静かな声音で問う。

「――お父さんのこと、かな」

 彼は前を向いたまま言った。

「はい」

 一風は頷いて、神々廻の話の続きを待つ。呼吸の間か、沈黙の入口か――そんなわずかな静寂ののち、神々廻が「そうだねえ」と話し始めた。

「月島金青(こんじょう)……彼の本名を知ってる?」
「本名? 旧姓なら、十郷(そごう)です。婿入りする前の名前は、十郷金青」
「十郷ね……まず、それが違うんだよ」
「……え?」
「十郷金青は偽名だ。彼の本名は雪木終夜(そそぎしゅうや)。青森県の下北半島に位置する恐山のイタコをルーツに持つ男だよ」

 神々廻の横顔を見つめたまま、一風は固まる。

「偽名……? それに、恐山とか、イタコって……」

 情報量が多すぎて、整理しきれない。

「恐山は日本でも有数の霊場でね。地蔵信仰を背景にした、死者への供養の場として知られている。そして、恐山を語るうえで外せないのが、イタコだ。東北地方の北部で口寄せを行う巫女たちだよ」
「父のルーツがそこだ、と?」
「彼の母も祖母も曾祖母も、先祖代々が強い霊力を持つ巫女だった。もしも娘として生まれていたら、彼もまた、強い力を持つ巫女になっていただろう。でも、彼は男として生まれた。男として生まれたことを周囲のイタコたちに残念がられるくらい、強力な力を持ってね」
「はあ……」
「……よく分からない?」
「納得するかは別として、まあ、なんとなくは、理解できているかと……?」

 首を傾げながら言うと、神々廻は『イタコ』について説明してくれた。

 イタコは、先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業らしい。

 そして、彼女たちが行う口寄せとは、霊を自分に降霊させて、その霊の代わりに意思などを語る術のこと、だそうだ。死霊、生霊、神仏などの霊体を自らの身体に乗り移らせ、厳密に言えば、それら全てはベツモノだとか。

 神霊に伺いをたてるものが神口、死者の言葉を伝えるものが仏口、生霊や葬儀の終わっていない死者の霊に対しての口寄せを生口、葬儀が終わった死者に対しての口寄せを死口と、分類しているそうだ。

「雪木の巫女が得意としているのは、神霊に伺いをたてる神口でね。巫女ではなかったけれど、雪木終夜は神との繋がりがあるんじゃないかってくらい力が強くて、こちらの界隈では有名だった」

 こちらの界隈――。

 その言葉に眉を寄せそうになるが、父の話を聞きたいと言ったのは一風自身だ。否定して拒否したりせず、今日は最後まで話を聞くつもりだった。

「イタコじゃないのに有名だったんですか?」
「そうだよ。雪木終夜は日本各地を渡り歩いては、怪異を祓い、あやかしを倒し、地元の呪術師や霊能者に喧嘩を売りまくっていたからねえ」
「……はい?」
「『怪獣』とか『歩く暴力』とか、散々言われていたよ。怪獣が来てる、気を付けろなんてねえ。でも、いつしか名前を聞かなくなった。どうしてかと思えば、名前を変えて環音螺島に潜んでいたんだね」
「何故、父は名前を変えてまで、島に来たんでしょう? そもそも、名前なんて簡単に変えれるものなんですか?」
「うーん、名前を変える人は、こっちの界隈にはけっこういるよ。名は体を表すし、存在を証明し、魂を固定する大事なものだ。あやかしや怪異に名を奪われたり、危険が迫っていると判断したら、名前を変えることが多々ある。それに……こちらの事情だけでなく、そっちの世界でも戸籍の売買はあるでしょう? まあ、だいぶアンダーグラウンドな話ではあるけどね」

 神々廻が肩をすくめる。

「名前を変えて島へ行った理由は……それは本人と、一風ちゃんのお母さんにしか分からないよ。結婚を機に変えたのかもしれないし、もしかすると、ふたりが出会った時にはすでに十郷金青だったのかもしれない」

 十郷金青が偽名であったことを、母は知っていたのだろうか。雪木終夜がどんな人間だったのか、そのルーツがどこにあるのか、果たして、何をどこまで聞いていたのか。今となっては確かめる術(すべ)はない。

 でも、騙されていたとは思えないのだ。

 記憶の中のふたりは、間違いなく信頼し合っていた。凛と立つ母と、その背を支える父の姿を覚えている。母の背を見つめる父の目は、いつだって尊敬と慈愛に満ちていて、ああ、この人は母のことが好きなんだと、幼心に分かっていた。クールな母は素っ気ない態度を取ることが多かったが、父と共にいる時、ふとした瞬間、幸せそうに微笑んだ。その顔が、一風は好きだった。

「父のことは、分かりました。ねえ、じゃあ、神々廻さん。教えてください。父はどうして死んだんですか? 島の人に――」
「それを説明するには、まず、神子について話さないとね」
「巫女って、今話してた……?」
「ううん、違うよ。イタコや巫女さんのほうの『巫女』じゃなくて、神の子って書く『神子』のほう。神に愛され、神を愛し、神の目となり手足となって俗世を渡り、やはて神の元へ還る存在……神以外の干渉を受けない、それが神子で――君のことだよ、一風ちゃん」
「え――」

 唐突に出てきた自分の名前に、頭が働かない。

 神子。

 初めて聞く言葉と、その意味を飲み込みきれない。彼女は目を見開き、混乱する頭のまま、神々廻の横顔を見つめた――。





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