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第1章『流浪の元聖女』

第17話「王が招いた凋落の兆し」

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 クラウス王は得体の知れない違和感に苛まれていたさいなまれていた
 もしや自分は取り返しのつかない過ちを犯したのか?
 目の前にぶら下がった、極上の獲物に目がくらんで言われるがままに、大司教の提案を呑んでしまったのでは、と。
 考えてみれば大司教が、聖職と聖女を天秤に掛けてみて、聖職を選び取るという根拠はあったのか?
 浮かれすぎて判断を誤ったのではないか。以前は望めば大体の事が思い通りになっていたが、ここの所は予想に反する事ばかりだった。

 それらの部分にクラウス王は言い知れぬ違和感を感じていた。
 直感と言うべきか。

 別にこの男が深慮遠謀しんりょえんぼうを巡らせたわけではない。
 ちょっと前まで上手く行かない事ばかりだったのが、急に上手く行った事で逆に不安を感じている。

 それがクラウス王を駆り立てていた。


 昨夜の事だった。
 クラウス王は大司教に預けたばかりのフローラを呼び出して、夜伽よとぎの相手を務めさせようと、下衆にも程がある考えをしていた。
 どうしてもと断るなら、酒の相手でも構わぬと言って大聖堂に配下を遣ったやったのだが、何度向かわせても、梨の礫なしのつぶてだった。

 こうなってくるといよいよ疑惑は深まってくる。

 そのまま夜を徹して遣いつかいを送り続けるが結果は同じだった。
 そして、とうとう堪え切れず、家臣の反対を押し切って大聖堂に近衛騎士団を派遣するが、王の疑惑は的を射ていた事が発覚したのだ。

 フローラは忽然と姿を消していた。

「国境地帯の関所をすべて封鎖しろ! それ以外にも他国へ逃れられそうな場所は隈なくくまなく警戒せよ! 決して逃がしてはならぬ!!」

 王のこの命令を、側近の男は苦々しく思って聞いていた。
 
「……畏まりましたかしこまりました、陛下」

 バカ王め。
 何時もはその玉座の上で、アホ面を下げている貴様が……

 側近の男は、謁見の間から、目当ての男を探しては目配せをした。
 そして王に頭を下げてからこの場を後にした。



―――



「シモン殿、最早猶予ゆうよは残されてはおらぬぞ?」

 側近の男は、ブレシア子爵シモンと内密の話の最中だった。

「シバ殿、気持ちはわかるが、まだ準備は済んでいない。急いでは失敗を招く」

「それは分かっているが、バカ王が送ったのは駿馬の精兵足の速い騎馬兵ばかりだ。聖女さまが街道沿いを避けて下さるとは思えん」

 クラウス王に仕える側近の男は、シバと言う名だ。
 彼もシモンと似たような理由でオルビアに仕えるようになった。

 シモンにはどこか日和見な面もある。
 絶好の機会を待ってクラウス王に背くつもりでいる。

 しかしシバは違う。この側近の男シバは彼なりの理由で、フローラに強い想い入れを持っている。
 その気持ちが、今この時のシバに焦燥感を与えていた。


「確かにな、婦女子が獣道を越えて国を出ると言うのは無謀が過ぎる。例え国境を越えても行く手は悪路が延々と続くことになる」

「そういう事だ。聖女さまの護衛役は、あのリコ司祭だから、無謀な策は採らずに現実的な方法で国境を越えようとするはずだ」

 シバは王に忠実に仕えるふりをしながらも、国教会やシモンと密接に関り続けていた。
 もともとこの男は、バカな王なら楽をして高い給金を貰えるし、敬愛するフローラの身近で仕事に従事することもできる。
 そういう想いでクラウス王に仕え続けていたし、そう在り続けていた。

「仕方が無い。予定を早めて決行しよう。しかしどんなに急いでもまだ十日は必要だぞ?」

「大丈夫だ、シモン殿のお陰で、王都の策は根回しもほとんど済んでいる」

 幾分か冷静さが戻り、シバは口元に笑みを貼り付けている。

「あちらの策はどうなのだ。まんまと王は、そなたに一任しただろう?」

「ああ、抜かりはない。全くあのバカ王ときたら、頭に詰まっているのはおが屑おがくずか?」

おが屑おがくずでも詰まっているだけマシだ。あの頭は空っぽだろうな」

 二人して声を殺して忍び笑いを漏らしている。

「聖女さまが向かわれたのは南の関所だ。そちらへ急いで配下を送って欲しい」

「承知した。だが今からでは間に合わんぞ?」

 シモンはそう言って懸念を口にしたが、意外にもシバはそうでもない様子だった。
 彼は含み笑いをしながらこう言った。

「それを間に合わせるのが、策士という人種だ。あの御方ならきっと聖女さまを救って下さる。何しろ機会は一度だけだ」

「その一度の機会が巡ってきたと言うのか。なるほどな」

「念には念を入れて、次善の策をシモン殿に託しただけだがな」



―――



 赤い髪の男は、栗色の髪の女性と息を潜めて様子を伺っていた。
 彼らの視線の先には、およそ百騎程度の騎馬兵たちが休息を取っていた。
 この道を真っ直ぐに進めば南の国境に至る。
 あの騎馬兵たちの目的は正にその国境だろう。
 国境に備えられた関所に向かうはずなのは明白だった。


「クレールさま、使いの者は信用できるのですか?」

 栗色の髪の女性は、赤い髪の男、クレールに声を掛けた。

「その者の主は、兄上の側近だからな。真に受けることはできないが、あいつらを追っていけば真偽もわかるはずだ」

 王都に滞在する事も多かったクレールだから、クラウス王の側近であるシバの事も顔くらいは知っている。
 だがクレールは国全体の守護も担っていた為、王都を空けることもあってか、王宮の事情にはあまり通じてはいなかった。
 もとより彼が権力に興味が無かったからと言う理由もあるが。

「幾らクレールさまでも、百人の騎兵が相手では……」

「申し訳ない。自分だけでなく、そなたの命も捨ててもらうことになるかも知れない。アナスタシア、本当に済まない」

 アナスタシアのほうに向き直り深く頭を下げた。

「頭を上げて下さい! 剣聖クレールの最期の戦いにお供できるのですよ? しかも聖女フローラさまをお守りして死ねるなんて、これほどの死に場所が他にありますか。私も武人の端くれです。雄を振って戦って、名を残して死にます」

 アナスタシアはクレールに仕える弓の達人だ。
 女性の身ゆえに決して力は強くはないが、正確無比な射撃精度を誇っている。

 アナスタシアもまた、潔い決意を口にするが、その彼女はクレールに熱を帯びた視線を注いでいる。口ではフローラの為にと言っているが、その実、クレールの為にも死にたいと思っている。

 理想の為の死を捧げるのが、フローラならば、愛の為に死を捧げるのはクレールだった。

 だから彼女の想いは決して挫けたりくじけたりはしない。
 どんな事よりも大切な想いの為に、殉じようとするはずだ。



―――



 クレールたちがすぐそばまでやってきている時に、フローラたちも船を降りて、すぐ近くに見える国境付近までやってきていた。

 見た所、関所の守備兵の数はそれほどでもない。

 南の国境を越えた先は、小部族や小さな都市国家が乱立する地域だから、それらの小勢力が、わざわざオルビアのような強国に手を出したりはしない。
 そういう理由もあるからか、ここの関所の警戒態勢は小規模なものだった。 

「まだこちらの動きは知られていないようですね」

 関所のほうへ目を遣りながらやりながら、リコ司祭がそうフローラたちに声を掛けた。

「あの程度の守備兵なら、こちらのほうが優勢です」

 こう言ったのはヴァージルだ。
 彼はいつもの商人姿ではなく、鎖帷子くさりかたびらや中型の盾に、長剣を持って武装している。

 キャラバンの面々も、男たちはそれぞれ武器や鎧で迫る戦いに備え、女たちは短剣や、軽量な杖のような物を武器にして、フローラの周りに集まっている。
 フローラだけは、何としてでも守り抜く構えのようだ。

「司祭さま!」

 その時、後方を警戒していたオルセンが叫び声を上げた。

「くそ! 追手か!」

 バッとオルセンのほうを振り返り、リコ司祭は視線の向こうに信じたくはない光景を見ていた。
 この場の皆も、リコ司祭のただ事ならない声色に釣られてか、申し合わせたように同じ方向に視線を向けていた。
 まだ幾分かは距離があるが、大きな砂煙が上がっている。

 一行の一人が地面に耳を当てて、遠くの足音を確かめる。

「聖女さま、かなりの数の騎兵が迫っているようです」

「仕方がありません。ここは我らに任せて、お急ぎを!」

 ヴァージルに目配せをしながら、リコ司祭がフローラを逃がそうと苦肉の策を選択した。
 
 例えて言うなら、前門の虎、後門の狼と言うべきか。
 全員で関所を攻めれば、或いは後方の敵が来るまでに抜けられるかもしれない。
 だが、それに懸かっているのは、フローラの命だ。危険は冒せないし、後ろの敵の足の速さを考えるなら、とても現実的な手段だとは思えない。

 こうなってはヴァージルにフローラを託して、すぐそばの密林から、悪路を進む事になるが、そのまま国境を越えるしか採れる選択肢が無い。
 それこそ森の中ならば、敵兵も馬を降りる必要がある。
 それならまだ望みはありそうだからだ。

「……私が残っても足手まといですね」

 沈痛な面持ちをしたフローラは、絞り出すようにこう言った。

 フローラにも残りたい気持ちはある。
 でも、残った所で彼らの邪魔になるだけだ。
 彼女にはそれが良く分かっているから。
 辛い気持ちを押し殺して、先に進む決意を固めていた。

「フローラさま、これにて今生の別れこんじょうのわかれです。貴女さまの為に、この身を捧げて死ねる事こそ、我ら一同の信仰を貫く何よりの証となります。どうかご無事で!!」

 砂煙を上げる敵兵はもう、遠くに薄っすら視認できる距離まで迫っていた。





*****

第1章、いよいよ大詰めです(´ー+`)

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