神様の胃袋は満たされない

叶 青天

文字の大きさ
18 / 20
7 犬小屋

しおりを挟む
 ♢    ♢    ♢

『恥の多い生涯を送ってきました』
 
 確か中学生の頃だ。
 学校の図書館で有名な一文からはじまる小説を初めて読んだ時……俺はどんな顔をしていたっけ。
 ……ああそうだ。笑ったんだ。
 面白いからでは無い。ふつふつと、胸の奥から抑えきれない嘲笑が込み上げたのだ。
 主人公の行動には理解出来る感情も少しはあった。しかしそれ以上に、この主人公はなんと可哀想なのだと嘲りの対象としてみていたのだ。
 可哀想に、かあいそうに……。誰からも理解されない憐れな存在。
 俺とは違う。
 だって俺には、昴くんがいるのだから。

  ♢    ♢    ♢
 
 俺……椎堂空には産まれて間もない頃からの記憶がある。おそらくギフテッドと呼ばれる特性を持っている影響なのだろう。
 一番古い記憶は生後二週間頃だろうか。母親がミルクを飲ませてくれているが、その腕に抱かれる回数は少なかった。
 母は未婚で俺を産んだ。海外出張中に一夜を共にした外国人が父親てある可能性が高いらしい。その血のせいか、俺の顔立ちは少し日本人離れしており容姿を褒められもてはやされる事がとても多い。
 母は仕事が好きな人間だ。仕事人間、仕事中毒と言っても過言ではないだろう。多くの妊婦が経験する妊娠初期から中期にかけてホルモンの変化に伴う体調不良も一切なかったため、子どもを腹の中に宿していることに気付いたのはもう人工中絶ができる周期を大幅に超えた後だった。
 誰しも子を成せば自動的に母になる訳では無い。
 母は腹の中の子を堕ろす事が出来ないと分かれば、それ以上何かをすることはなかった。それよりも今抱えている仕事の事に意識を回す方が重要だと判断したのだ。
 そうして十月十日。俺は産み落とされた。俺を産んで、母は次の日から病室でパソコンを触っていたらしい。
 退院してからも母は仕事を続けた。赤子が生命活動を維持させる最低限の……ミルクを飲ませ、排泄物を変え、時折身体を清潔にすることはしてくれたけれど、それだけだった。
 子を慈しみ、抱き上げ、微笑みかけ、玩具を揺らし、本を読み聞かせ、子守唄を歌い、誕生の喜びを心から伝える行為をする必要性が母には微塵も分からなかったのだ。
 結果、俺は世間から育児放棄だと言われる環境で育つことになる。机に向かいリモートワークに勤しむ母の姿を、犬用のサークルの中に入れられた俺は、ただそれを眺めるだけであった。
 母は賢い人だけれど多くの人間が持ちうる感情が欠落しており、子を育てることにあまりにも無知で興味が無い行為は、無自覚で悪意のない虐待といえるのだろう。
 俺は自分の性質上、乳飲み子の頃から記憶は残っているが、二歳を過ぎても言葉のひとつも話さずに笑うことも泣くこともない『ナニか』になっていた。悲しみも怒りも教わらなかったから、世界とはこういうものなのだと……ただ、それだけ。
 環境が変わったのは俺が三歳になった時。
 母はこの歳になれば幼稚園に入れるのだと思ったようで、家の近くの幼稚園に入園させられた。
 けれども、幼稚園で周りの子ども達が楽しそうに遊ぶ中、笑いもしない、泣きもしない俺は同世代の子からも、先生からも『異様』な存在だった。
 嗚呼。それでも母さん。俺はね、昔も今もあなたを憎むことはしない。
 寧ろ、感謝の気持ちでいっぱいだ!
 
 何故ならその幼稚園で、
 俺は、俺の唯一の――鈴岡昴と出会うことが出来たのだから。

  ♢    ♢    ♢

 俺が幼稚園に入園してから児童相談所にも連絡が行ったのだろう。その頃から定期的に家に訪れる見知らぬ大人も現れはじめて、この世界のルールを知ることが出来た。
 声をかけても反応が全くない俺に先生達は優しく接してくれた。しかしそんな事情を知らない同級の子ども達は、俺を『変な子』だと言って近づかなくなる。子どもは素直だから、それが当たり前だった。
 なのに、昴くんだけは……俺に何を言うことも無く、ただ静かに俺の隣に座ってくれた。
 小さく膝を抱えて座る昴くんの肩が触れて、その時母の手で持ち上げられた時には感じなかった、人の、温かさのようなものをはじめて知った。
 昴くんの両親は仕事をしていたけれど、同居する祖母がいて、昴くんは帰宅すると祖母と遊んでいた。たまたま家が二件隣だった俺たちは登園バスから降りて、そのまま昴くんの家で過ごすようになった。昴くんの祖母……おばあちゃんは、俺の家庭環境になにか思うことがあったのだろう。深く追求したり憐れまれたりすることはなかったけれど、昴くんに向ける眼差しと同じものを俺にもくれた。
 昴くんの家で過ごしても、はじめの頃は特に何をして遊ぶこともなかった。昴くんは言葉の発達が遅く、話すことが苦手だったから、お気に入りの絵本を俺の隣で開き、絵を眺めたりして過ごすことが多かった。
 
 ある日、昴くんは真っ赤な顔でたどたどしく俺に言葉を伝える。
「あ、あっあっ……あのねっ!! いま、からね? おっ……お……おばぁちゃ……と、ね? く、く、くっきー、ちゅくるから……。
 しゅばるくんが、しょ、しょらくん……に、あげっあげる、ね……っ!」
 当時の俺は、クッキーというものがお菓子の名前だということは知っていたけれど、実際に食べたことがなかったからよく分からなかった。ただ、いつものおどおどとした雰囲気を抑え、真剣な様子で材料を混ぜたり、生地を丸めたり昴くんの小さい身体をただぼんやりと眺めて待っていた。
「いい、すばるちゃん? よーくまぜて、まあるくまるめて、シナモンいりのきらきらのさとうのうえで、ころころ、ころがすのよ?」
「う、うん……むじゅかしい……ふぇぇ……」
 上手く形を作れなくてべそべそと泣く昴くん。
「……」
 どうして、こんなに不器用なのにそこまでしてクッキーを作りたいのだろう。
 当時の俺は育った環境により知らないことは山のようにあったけれど、幼稚園という環境や児童相談所の大人、外の世界に触れて得た経験から大体のことは理解出来た。
 それなのに……昴くんの行動は分からないことだらけだった。
 オーブンから練られたバターの焼ける香ばしく甘い香りが立ち上っている。クッキーを焼いている間、昴くんはいつもみたいに絵本を持ってきて俺の隣で開き小さな声でたどたどしく話し出す。
 今焼いているクッキーの作り方が絵本に描いてあるということ。
 焼きたては熱いから気を付けなければいけないこと。
 でも、とても美味しいから、俺に食べて欲しいこと。
 ……不思議だ。何も話さない俺に、話すのが下手な昴くんは、何故関わろうとしてくるのだろう。理由が一切分からない。興味もなかった。
 そうしている内に、オーブンはクッキーの焼き上がりをチンっと知らせてくれる。昴くんのおばあちゃんは両手にギンガムチェック柄の分厚いミトンをして天板を取り出す。冷めるまで触らないようにと声を掛けて、部屋から離れた。
 おばあちゃんからの忠告を無視して昴くんが天板に向かい、小さくふくふくとした幼児の指先で、角に置かれたクッキーに触れる。途端、昴くんの顔はくしゃくしゃに歪んだ。
「アッ!! つぅぅ゛……ッ……ふぅぅ……んッ!」
 それでも何とか手のひらにクッキーを乗せて、目に涙をたっぷりと溜めながら俺の所へ走ってくる。
 焼きたての熱い塊。それを摘む指先の熱さを相当なものだろう。昴くんはそれを我慢しながら半分に割ると、俺の口元に差し出した。
「ぅ……ぁ……、ま、まだ……あちゅい、けどね……?
 やぁらかくて、あまくて……ほっぺたが、うれしぃなって、なりゅから……しょらくん、どぅじょ!」
 ポロンポロンと昴くんの大きな瞳から涙が零れている。俺はその涙を眺めながら……口の前に差し出されたクッキーの欠片を、俺は言われるがまま咀嚼した。
 舌の上に熱い焼きたてのクッキーの味が広がる。
 砂糖と、蜂蜜の味。ふわりとシナモンの香りが広がる。
「ぁち……ぁっち……ほふぅ……。でも、おいちぃ、ねぇ?」
 美味しい……おいしい。
 ――そうか。今まで口にした食べ物の味を表す言葉は知っているが、俺はその時、産まれて初めて美味しいという感情を理解した。
「……おい、しい」
 クッキーを飲み込んだ俺の口からこぼれ落ちた言葉。
 昴くんは大きな目をさらに大きく開いて、花が綻ぶように笑った。
「しょ、しょらくん、おいち? あま、い? わぁ……! んふ、へへ……。しょらくん、あまいの、ほっぺた、うれしぃねぇ……?
 ま、ま、また! しょ、しょらくん、しゅばるくんが、ちゅくってあげゅから、ね!」
 ニコニコと笑う昴くん。
 自分が食べて美味しいと感じたものを、俺に食べて欲しいからという思いで、不器用なのに一生懸命作り、泣きながら熱さを我慢してて俺に食べさせてくれた。
 その瞬間――世界を超越した何者かに直接天啓を受けたかの如く衝撃が身体中を走った。
 俺は、そうだ。昴くん、昴くん。すばるくん。すばるくんすばるくんすばるくんすばるくんすばるくんすばるくんすばるくん……すずおかすばるくん。
「昴くん、ありがとう」
「んぅ……? ぇへ、しゅばるねぇ……?
 しょらくん、の、にこにこな、おかお、みたかったんだぁ」
 あの日、あの瞬間から。ねぇ、昴くん。

 君は僕の……神様なんだ。
 
 昴くんの隣にいたい。ずっと、ずっと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?

キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。 知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。 今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど—— 「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」 幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。 しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。 これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。 全8話。

王様の恋

うりぼう
BL
「惚れ薬は手に入るか?」 突然王に言われた一言。 王は惚れ薬を使ってでも手に入れたい人間がいるらしい。 ずっと王を見つめてきた幼馴染の側近と王の話。 ※エセ王国 ※エセファンタジー ※惚れ薬 ※異世界トリップ表現が少しあります

ある日、友達とキスをした

Kokonuca.
BL
ゲームで親友とキスをした…のはいいけれど、次の日から親友からの連絡は途切れ、会えた時にはいつも僕がいた場所には違う子がいた

【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました

キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。 けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。 そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。 なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」 それが、すべての始まりだった。 あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。 僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。 だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。 過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。 これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。 全8話。

【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。 モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。 このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。 「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」 恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。 甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。 全8話。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結】男の後輩に告白されたオレと、様子のおかしくなった幼なじみの話

須宮りんこ
BL
【あらすじ】 高校三年生の椿叶太には女子からモテまくりの幼なじみ・五十嵐青がいる。 二人は顔を合わせば絡む仲ではあるものの、叶太にとって青は生意気な幼なじみでしかない。 そんなある日、叶太は北村という一つ下の後輩・北村から告白される。 青いわく友達目線で見ても北村はいい奴らしい。しかも青とは違い、素直で礼儀正しい北村に叶太は好感を持つ。北村の希望もあって、まずは普通の先輩後輩として付き合いをはじめることに。 けれど叶太が北村に告白されたことを知った青の様子が、その日からおかしくなって――? ※本編完結済み。後日談連載中。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

処理中です...