モノクローム〜イロトリドリの灰色の世界で旅に出たら恋に堕ちていました〜

うえ野そら

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灰色の世界で

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灰色の世界を訪れた少女は
『僕』と自分を呼ぶ
性別不詳のひとに会う
それが
友人から『みるひと』と呼ばれたひと

そこから少女の
自分の色探しの旅が始まる


 雨が降り出した
 窓には少しずつ斜めに流れ落ちる線が増えていく。ポトっポトっと雨樋からの音が聞こえ始めた。じきに本降りになる。
 ベッドから起き出して、風呂場に向う。
 ボタンを押せばお湯がゆっくりと流れ出した。
 タイマーだってあるのだから、とは思うのだが、以前間違えて、入ろうとして服を脱いだ後にお湯が全然なくて困った事があった。
 それ以来、なんとなく朝のルーティンとして、起きてからお風呂の準備をするようになった。
 お風呂が沸くまでの間に、トースターにパンをセットして、冷蔵庫から濃い色の紙パックを取り出して、コップに注ぐ。少しパックより薄い色のオレンジジュースが流れ出る。
 冷蔵庫に戻すと同時に上の棚から今度は、マーガリンを取る。
 出来上がったパンに同じ色をしたマーガリンを塗っていく。
 ここには、『色が無いと』いつもやってきた人たちは、そう言う。
 色というものは、すべてにあって、個別に識別できる。ここではすべて灰色で、見分けがつかない。
 そう言って、ため息色のため息をついていく。

 ここには、ありとあらゆる色が存在している。
 ひとつひとつに固有の色がある。その時々に合わせて、必要な色が。
 それに気づいてもらえるよう、やってくる人たちを『みる』のが僕の仕事だ。

 お風呂場から音が聞こえる。朝のパンを食べ終えて、お皿を洗ったあと、服を脱いで椅子にかける。ラベンダー色のパジャマがサラリと、椅子に彩りをそえる。
 湯船に肩まで沈み込む。肩先まで伸びた髪が濡れるが、気にならない。
 そのまま底まで沈み込んだ。
 ぷくぷくと泡が水面にあがる景色をしばらく眺めて、ゆっくりと水面に顔を出す。
 今日はきっと、新しいひとがやってくる。
 そんな気がした。
 髪を洗ってお風呂から出た後、丁寧に身体から水気をとって、金木犀の香りを纏う。
 そのまま、外出用のローブを身に着けて家を出る。
 秋の気配が濃密に漂う小川には少し落ち葉が増えていた。色とりどりの葉を眺めながら、昨日帰った人のことを思い出した。
 負った傷は大きい人だった。きっとまた、こちらに顔を見せるだろう。
 それでいいと思うし、いまはそうするしかないとも思う。
 僕は答えを出せるわけではない。
 みて、伝えて、みれるようにそばにいて、帰る準備を手伝うだけ。
 少しずつ、行って帰ってを繰り返して、戻ってこなくなる人もいる。
 そうでない人もいる。
 ここはそういう場所でしかない。
 朝の雨は、まだ続いていて、ローブが少しずつ重たくなってきていた。
 小さな橋を渡って、森の小径を抜けて仕事場のドアを開けた。
 椅子には、それほど背の高くない高校生くらいの女の子が座っていた。
 濡れたローブをハンガーにかけて、仕事用のローブを纏う。
 『僕に何か用?』
 そう尋ねると、女の子はびっくりした顔をした。
 そうか、今回は女なんだなと思い至る。
 本来は僕は僕でしかないのだが、ここに来る人たちには、その時々によって、僕の見え方が変わる。
 そう、みる目を失っているのだ。
 『なんの御用でしょうか?』
 あらためて聞いてみる。
 『あの、あの、あの』と、戸惑ったように繰り返している。
 じっと言葉を待っていると、ようやく
 『みる人ですか』と尋ねられた。
 
 ここを訪ねてくる人からは、いつも『みる人』との称号を頂いている。
 誰がそう名付けたのかわからない。
 それでも、その言葉で契約は成立する。

 『どうぞ』
 ドアに手をかけて制服の少女を招き入れ、そのまま、ベッドにうつ伏せになってもらう。
 『身体に痛みはないですか』と尋ねたら、コクっと頷いた。
 背中から足先へと手の温もりを伝えていく。
ゆっくりと身体全体に圧をかけていき、血の流れを調えていくのだが、この少女にもあるように、それぞれ固有の流れがあって乱れがある。
 意識が手のひらから少しずつ同化していく。手のひらがつながり腕の感触はきっと、少女には自分のものなのか、わからなくなっていることだろう。
 少女の身体の中、血の巡りとともに流れていき、うずくまる少女を見つけた。
 近づいても気づかない少女のこころを、僕は身体全体で包みこむ。
 
 時間とともに、こころが緩みだすのがわかってくる。自分の心を守るように、肚を護っていた身体がゆっくり伸びていく。
 そろそろ、少女の声が聞こえてくる頃かと思って待っていた。
 
 が、待てど暮らせど起きてくる気配がない。しまいに、すーすーと寝息が聞こえてきた。
 
 どうなってるんだ、最近の若いやつは。
 そう思いながら腕を組んで座って待っていると、ようよう目をこすりながら起きてきた。
 『ここどこですか?』
 どこから出してきたのか、眼鏡をかけなおしながら聞いてくる。
 『どこですかじゃねーよ。どこに来たかったんだよ、オメーさんは。』
 『はぁ、レインツリーの国、ではないですよね。』
 『いま、思いつきで言っただろう。本は読んでるみたいだが、失礼だろ。雨の雰囲気くらいしかあってないだろ。他には?』
 『あの、え~っと』
 『お前、よくここに来れたな。誰にここに来る方法を教えてもらったんだ?経験者しか伝えられないし、想いの強さがなければ無理なはずなんだが。』
 『あ、え~っと、早苗ちゃん。松原の。』
 『そうだ、そうそう。わたし、大好きな彼女がいてね、柚月っていう。相思相愛だったの。毎日キスだってしてたんだから。』
 『なのに遥に持って行かれたの。悔しいでしょ。あんな女のどこが良いってのよ、ちょっと料理ができて、おっぱいが大きくて、バレーボール部でレギュラーで、たまに、お菓子作って来てみんなにって、配ってくれるくらいで。それだって凄い美味しくて、嬉しいんだけどさ』
 『それで』
 『それで、悔しい~って早苗に相談したのね。小学校からの親友だから。知ってる?』
 『いや、まあ』早苗のことだから、よく知っている。そういえばそんな親友がいて、かわいいんだよ、子犬みたいで、と言っていた。
 確かに子犬みたいだ。
 『それで』
 『それでね、早苗に相談したらさ、早苗も柚月と仲が良かったし、三人の関係は特別だって思ってたから。そしたらさ、ちょっとわたしには難しい。無理かも。って言うのよ。あ、早苗ってね、昔から自分のこと早苗って名前で呼ぶの、かわいいでしょ』
 『それでも、どうにか助けてよ~って、1時間くらい泣いてたら、何やら、いい匂いのする毛布をかけてくれて、わかったから、ゆっくり目を閉じてって言われて、その後に、出会った人に、みる人ですか、って聞いてごらん。って言われた。その後記憶がなくって、気づいたら貴方が部屋に入ってきた。』
 早苗め、と、少女に気づかれないように悪態をつく。
 ほいほいと、こっちの世界をいったりきたりしてるだけならまだしも。
 まあ、こやつなら仕方ないかもしれんな。どう考えても、夢の住人だ。
 『そういえば、ここって辛気臭いよね。どこもかしこも灰色1色。外は雨だし。あ、雨がやんでる』
 『で、今の気分?』
 『スッキリした』
 『だろうね』
 『どれくらい、ここにいたい?』
 『ここにいていいの?』
 『じゃあ、料理ができるようになるまでかな。あと、バレーボールは無理だから、お菓子も作れるようになるくらいまで。いい?』
 『いいよ』
 『ちゃんと教えてくれるの?』少女は眼鏡の奥の目をキラキラ輝かせながら、僕の目を見ている。しっかり両手を組んで。
 『おいおい手を組んで拝まれても、僕は神様じゃあないからな。自分で努力しないと身につかないよ。』
 『イヤだぁ、おっさんくさい。ていうか、僕って言ってるけど女性ですよね』
 今更のようにしげしげと眺めてくる。
 『早苗も知らないだろうけど、君が会いたいと思う、頼りたいと思う性になる。驚くかもしれないけれど、ここにはすべてがある。わたしだって、女であっておとこでもある。』
 『両性具有?』びっくりした様な顔の中に、興味津々に目が愉しげに歪んでいる。
 『まったく、本当に今どきのガキは、いらん言葉ばっかり使って。両性具有とは違うし、物体的なものでも精神的なものでもない。それも含めて、自分で見つけな。そろそろ戻るよ。』
 『は~い』と、わかってるのかいないのか、いたずらな顔で笑っている。
 
 ゆっくりと、意識を自分に取り戻していく。
 目の前では少女がまだすーすーと寝息をたてている。『たいしたもんだ』 

 ここには、いつもなら多くの切羽詰まった想いを抱えた男女がやってくる。性別、年齢、それらはまちまちで、年配、高齢の方も来る。
 自分をみてもらいに。想いを抱えて。

 少女が抱えていたものは、ここに来た事でほとんど溶けてしまった。
 後は戻るきっかけだけだ。
 それにしても、めずらしく今日は少女ひとりだけになりそうだった。


 雨が止んでも曇り空の中、少女の屋敷へと一緒に向かう。
 『ここも灰色1色。イヤになるねぇ』と、周囲を見回しながら、門をくぐって、ヨーロッパ風の豪奢な家に入っていく。
 室内を一旦見て回った後、ラウンジでアイスコーヒーを飲み、キッチンの手筈をを確認に行った。
 キッチンには、調理器具から食材に至るまで、一切が揃っていて、見たまま新鮮な野菜など、それでも不足があれば、いつでも手配してくれるらしい。
 それでも、どれもこれも同じ色で見分けがつかない、と叫びだした。
 確かに一見同じ色に見えるが、よく見ればそれぞれ固有、適切な色感覚がすべてのものに歴然と存在している。
 ここにいる間に身につけることは、技術ではなく心づもりだ。
 
 『て、おい。今から何を作るつもりだ?』
 少女はレタスを千切りにし始めたのだった。
 『えっ、これでわからへんの。あかんなぁ』と
急に関西弁を使い出した。
 『ちょっと待て、ちょっと待て』
 慌てて、包丁の動きを止めさせる。
 『作ろうとしているものは何となくわかったけど、ちょっと待て。確認させてくれ』
 『なによ。これ作るときは勢いが大切ってお母さん言ってるよ』
 そう言って、なおも包丁を動かそうとする。まな板の上では、切りきれていない、レタスの葉っぱ部分が中途半端に萎れている。いやレタスも千切りされるなんて、思ってもいなかっただろう。
 『いや、わかってるからちょと待て。』
 『今手に持っているのは何の野菜だ?』
 『え、キャベツに決まってるやん』
 『そうやな、お好み焼き作るつもりなんやろ?』
 『あったり~。よ~わかってるやん。』
 得意気に胸を反らして、再びまな板に向かおうとする。『いや、待て待て』
 『では、もう一度、じっくりそのキャベツを見てみろ。色が似てる、とか、わかりにくいとか言ってたけれど、よ~くみれば、色が同じでも葉っぱとか、違いはわかるやろ。』
 『なに言ってんですか、それくらい、さすがにわかりますぅう』
 まさか、である。
 『おい、その葉っぱを1枚ちぎってかじってみろ』
 『なんだよ』と言いながらも、ちぎってかじっている。『なんか、ちょと水っぽくて苦いね。このキャベツ、質が悪いんじゃない』
 は~、と肩の力が抜ける。
 抜けたままの肩で、キッチンテーブルに並んだ野菜から、本物のキャベツを取って、少女の元に戻る。
 『君、これは何に見える?』
 『うん?』とまじまじとのぞき込んでから、勢いよく『レタス。そんなんもわからないの』と、笑われた。
 
 腰を抜かすかと思った。
 こいつは、いつまでここで過ごさねばならないのだろう。
 そもそも、物事を知らなすぎる。
 味覚すらあやしいのだぞ。
 早苗のやつ、今度来たら覚えていろ。
 
 少女に背を向けて、火を吐いておく。

 それから踵を返して、少女の隣に立った。
 料理図鑑を見せる。後ろの方には野菜の切り方とともに、各種野菜の写真が載っている。
 『これがキャベツ』図鑑の横にわたしの手にあったキャベツを置く。
 『そして、これはレタス』さらに、少女の手からレタスを取り上げて図鑑のレタスの写真の上に置く。
 『よく見てみ』
 少女は目を白黒させている。本当に始めて知ったのか、そもそも普段、何を食べている。
 『知らんかった。レタスって丸なんや。葉っぱだけやと思ってたから、丸まった葉っぱもんは全部キャベツやと思ってた。』
 思わず、天井に顔が向く。
 この先は、間違っている理由探しから料理教室を進めねばならないらしい。
 まあ、包丁で指を落としそうな動きはなかったからまだ、先に明るさはある。
 
 結局、出来上がってみれば、カレーライスになっていた。
 超初心者向けプラス、『柚月がよく作ってくれたから』らしい。
 料理図鑑通りに作ったカレーライスが不味くなって出来上がってきたら、それはそれで才能だが。
 途中、砂糖と塩を入れ間違いかけていた。
 とにかく、自分の舌で一度確かめろ、と何度か叫んでいる。

 『自分で作っても美味しいね。でも柚月と食べてる時の方が美味しい。やっぱり下手なのかな。』
 そう言って、ゴミ箱に捨てられた、上手く切れてなくて、サラダに使えなかったレタスの端っこのように萎れていく。
 
 『まあ、今日はそれがわかればいいよ』と頭を撫でてあげると『何がさ』と不服そうではあったが、『さあ、片付けよう』と元気いっぱいに立ち上がって、荒れ狂った台所に向かって行った。
 料理なんて好きな人と食べた方が美味しいに決まってるんだよ、背中にそっと声をかける。

 しかし、その後は阿鼻叫喚。惨憺な有様だった。どうにか1枚も皿が割れなかったのは奇跡に近い。自分が神様ではなかったか、と改めて想い出した程だった。
 
 先月は出雲に出張だった。
 わたし達『神の一族は』年にひと月をかけて縁をみる。
 縁というものは赤い糸が伸びているわけでもなく、誰と彼と書かれたものがあるでもなく、ましてや、あみだくじでも、神様の合議制とかでもない。
 日本中の神様が集まって、縁を寄せ合う感じに近いかもしれない。
 一心不乱に踊り続けている、そんな一ヶ月を過ごす。
 そうして得た縁を導くべく、ここに、やってくる人をみていく。
 
 僕は彼女の様子からは、女性と見えていたようだ。彼女はいま、正確にはまだ、女性に恋をしている。
 それでも『僕』という声を聞いている。心の奥底では、男性に恋をする女の子なのだろう。
 
 恋に恋する乙女がまた、乙女に恋をする
 思春期特有の陶酔か、はたまた破壊衝動なのか。

 僕たちは神様にあって、奇跡を起こすわけでも、全能であるわけでもない。
 よその界隈の神様にはそういった、全能なうえに恩恵を与えたりできる神様もいるようだが、少なくとも僕は、みる力しかないし、導く事は出来ても、引き出したり、探し出したりは出来ない。
 ここに来る人を、みるだけでしかない。



 『ここに寝るの~』
 ドアの向こう側からでもシッカリ届くほどの大きな声で少女は聞いてくる。
 『そうだよ。僕は自分の家に帰る』
 途端に心配そうな顔を見せるのはいつもの事なので『ここでは望めば欲しいものが用意される。トイレと思えば、ドアを開けたらトイレがあるし、喉が渇いた時も思い方によってドアを開けたら冷蔵庫だか、蛇口のあるキッチンでも出てくるだろう。』
 ほえ~っという、少し間抜けた顔になった事は意外ではあったが、キャベツとレタスの区別がつかない子だったと思い出す。
 『ただし、君たちには、君にはか。』
 改めて言い直す事にする。
 『君はまだ、色の違いに気づけていない。だから、水だと思わないと、飲めないかもしれない』
 また違うな、と思い返す。
 『少し違うな。水だと思えないといけないし、トイレだと思えなければ、ただの灰色の壁だと言っていた人もいる』
 そんな~と、また情けない顔になっている。
 百面相のようで面白い。まあ本人にとっては、今はそれどころではないのだろう。なにせ排泄に関わる事なのだから。
 『まずは、トイレを例えに出したのは、そのままイメージが切実だからだ。』
 『心配しなくても、だいたいみんな2、3回目にはトイレに行けているよ。』
 『ちょ、ちょっと待ってよ。2,3回ってどういう事、どういう事よ。その2,3回はどうしてたのよ。おむつとか用意してくれてるの』
 おむつときたか、と思いもするが、おそらく少女の年齢ではおむつを見出だすことの方が難しいだろう。赤ちゃんの時にお世話になったものが出てきても困るだろう、と笑いをこらえた。
 『外に飛び出たと言っていたかな。』
 ちょっと、ちょっと。なんて、なんて言ったかわかってる、と顔を真っ赤にしている。
 『あんた、なに考えてるの。もしかして変態?そんな趣味でもあるの』と、つばまで飛んできそうな勢いだ。
 それに、『あんた』ときたか。
 どうやらだいぶ、僕が男と理解し始めているらしい。それはそれで良い傾向だ。
 ちょっと微笑むと、何が可笑しいの、とフンフンと鼻息も荒々しい。
 『半分は本当だよ。半分はね。』
 『どの半分よ。』
 『思い出してごらん。君はどこでご飯を作った?その前に、トイレにも、君は行ってたよね』
 あっ、とその時のことを思い出したらしい。トイレがないとなると、誰もが余程混乱するらしい。
 『あったでしょう。使えてたでしょ。目の前にトイレだと思って使えば意識できる。でもないものをイメージするには少し、力がいる。特にこの世界ではね。』
 『半分の本当は、ドアを開ける話。本当にここでは望めば欲しいものがドアを開けた先にある。2,3回。トイレは夜には階下ではなく、近くにあって欲しいと思うんだろうね。そのくらいでトイレを見つけられたそうだよ』
 ほっとしたような、それでも少し不安そうな顔をしてこちらを見ている。
 『どう、もう大丈夫?』
 『本当にここでひとりで寝ないといけないの?』
 『いや、そんな変な意味じゃなくてね、ここは他にも部屋があったでしょ。』
 さっきまでとは違って、うつむきながら小さな声で聞いてくる。
 『ここって知らない世界でしょ、ただでさえ心細いわけ。そこにきて夜がひとりなんて。確かにあなたは男性で、わたしは女で、一つ屋根の下ってのはわたしもいけないかもって思わないでもない。そうよ。そうなのよ、当然。そんなことわかってる。』
 一気に言ったかと思うと、い~っと口を真一文字に広げて気合いを入れたかと思ったら
 『もう、いい加減みなまで言わせないでよ』
 『心細いから、一緒にいてって言ってんでしょうが』
 少女の顔は真っ赤になっている。いま少女に鏡を渡せば、ひょっとしたら、その赤くなった顔を見ることが出来るかもしれない。
 おそらく望みはしないだろうけれど。
 『申し訳ないが、それは出来ない決まりなんだよ。君にとっても、それは良くない事だ。』
 みるみると、泣きそうな顔になってベッドの上で、毛布を引き寄せてうずくまって話の続きを聞いている。
 どうして、と口にする前に一息で言ってしまおうと思ったが、やめて置くことにした。
 君は明日から旅に出る事になる。それはひとりで行く事になる旅になる。
 口にしなくても明日、きっと自分で決めてここを出ていく。
 『おやすみ。大丈夫、よく思い出してごらん。ここには、すべてがある。君が望めば。』
 そう言って、僕は部屋を出た。
 雨はやんでいた。月明かりが眩しい。
 今夜は星の多くは休憩だな、と独りごちて川にかかる橋を渡る。
 『ただいま』と誰からも返事があるはずのない家のドアに声をかけて中に入る。
 『あら、おかえりなさい。結局帰ってきてくれたの?』とうれしそうな声が聞こえてきた。
 『驚いた。もう想えるようになったのか』
 『なんて~?』
 いや、なんでもないと言いながら、彼女の想いに身を寄せる。
 少し自分の頬が緩んでいる事を自覚しながら。
 『紅茶淹れるね。一緒にいかが』
 『ありがとう。もらうことにします』
 自分の部屋の、クローゼットにローブをしまって、自分の椅子に座る。
 少女が、ティーカップをソーサーにのせて持ってくる。
 あれ、と空のカップを見ていたら、茶葉の揺れるティーポットを持って再度やってきた。
 もう少し待ってね、と茶葉の様子を観察している。
 もういいかな、と頃合いを見てカップに紅茶を注いでくれた。
 『ダージリンに少しアールグレイで香りつけした感じ。どうぞ。』
 そう言った後、小菓子と言ってクッキーも用意してくれた。
 ふ~ん、と感心しつつお礼をいうと、紅茶好きの母に教えてもらって家でもよく淹れているらしかった。
 いい香りにつられて一口飲む。
 確かに、アールグレイしっかり香っているのに飲めば、ダージリンの味わいが口の中に広がったあとで、最後にスパイシーな感じが残る。
 『本当になんでもあるのね』
 『それだけ強く想えればね。』
 そういう事なのだが、僕を引っ張りだせている事にはきっと気づいていないのだろう。
 ここが僕の家だとは、きっと想像もしていまい。
 『ねえ、本当に帰ってきてくれたのよね。また家に戻るなんて言わない?』
 もう言わないよ、と伝えると、じゃあもう少し、一緒に話をしていていい?と聞いてきた。
 もちろん、と答えると、良かった。やっぱり不安だったのよね、と微笑んでみせた。
 『ここの時間ってどうやって流れてるの。わたしには、いまいちわからない。』
 『わたし達、カレーを作って食べたでしょ。あれって晩ごはんって認識だったの。なんでかって言ったら、わざわざ作って食べたから。お昼だったら、きっとレンジでチンってレトルトで食べてる。だから。』
 ふ~んと相槌を入れて話を促していく。
 『それから、寝室に案内もされて、あれやこれや、と説明を受けてあなたは出ていった。』
 『わたしは、お風呂に入りたくてドアを何度も開けてみてもうまくいかなくて、悲しくなって、家の中を探してみたけれども見つからなくて、あ~もうって座理ながら、どうしよ~って思っていたら、紅茶が飲みたくなったのね。』
 そうしたら、紅茶はすぐ見つかったという。
 『ティーセットも、家と同じ紅茶葉も全部揃っていてびっくりした。お湯を沸かして注いだら、紅茶の葉がポットの中で揺ら揺らしてて、うちのやつと同じポットだなって、改めて思った。おかげでいい香りの紅茶をたてれたよ』
 『そういや、名前は聞いてなかったね。でも教えてはくれないか。きっと、そんな気がする。』
 『まあいいや、紅茶どうでしたか?』
 すごく美味しかった、とお礼をすると、よかった~と伸びをしたあとで、ゆっくりお茶してたら、あなたが帰ってきてくれた、と心の底からほっと様子で、ありがとうと改めて頭を下げている。
 『だからね、いまは夜の8時過ぎのイメージ。違うかな?いま何時?』
 『そうだね。きっとそのぐらいの感覚であっていると思う。』
 『そっか。ここには時間ってのも無いんだね』
 言わずもがな、と納得している少女を見る。
 僕を呼び寄せた事、きっと紅茶を『見る事』ができている事にも気づいていないだろうけれど、こちらに来て、これだけの期間で見る事は、それだけ想いが強いという事だ。
 だからといって、急ぐ必要はない。今日は。
 『そうだね。時間がないっていうわけではない。時間はきっと夢の中でだって流れてる。ただ、それを区切るのは、実はひとそれぞれなんだ。何度か言ったように、ここにはすべてがある。時間もそのすべてに含まれる。』
 おそらく、ここでは望めば少女たち、くるひとは時間を逆方向に進める事はできるだろう。
 ただし、どうなったとしても時間は前にしか進まないものだけれど。
 『本当にここは不思議な世界ね。きた時はすべてが灰色だった。見分けがつかなくて、キャベツを取り違えたし、階段とか段差とか水の量とか。』
 キャベツは、そもそも間違えていただろう、とは言わないでいておいた。指摘しない方が良い時もある。
 『ここに来て、君が感じている感覚が君にとっての時間になる。』
 『君ももう、おそらくは、わかっているだろうけれど、身体と心はつながっている。だから疲れた、休みたいといった感情がこちらの世界をかたちづくる。』
 うん?と小首をかしげてこちらを見る。物言いたげな瞳には好奇心と力が漲っている。
 着いた時とはえらい違いだと感心してしまった。
 『あなたの言う通り、わたしが時間を作り出してしまったら、あなたや、他のひとは困った事にならない?夜は来ないし朝も来ないかもしれないなんて、わたしだったら困る。定期的に時間は動いてほしい』
 そう言って腕を組んでいる少女に聞いてみた。『あちらの世界では時間はいつも同じだった?例えば楽しくて仕方がない時間と、早く時間過ぎろ~って思うような時間。』
 少し間を置いてから聞き返す。
 『同じだときみの心は言っているかい?』
 ううん、それは違ってた。と首を振りながら応えてくれる。
 『そういうことだよ。ここでは見るひとが、きみのそばにいる。みるひとはきみの世界をみる。それぞれにみるひとがつく。』
 へ~っ便利な世界と独りごちている。
 そう、ここは便利な世界だ。それと同時にとてつもなく不便であったりもする。
 気づくのは、ずいぶんと先になるとは思う、いやまあ、この少女なら。そう遠くない未来に気づいているかも知れない。
 『きみはいま眠りにつきたい?それともどうしたい?』
 『そうだねぇ、あなたともう少し話をしていたい。違うか、話を聞いていてほしい。』
 『聞いてほしいではなくて、聞いていてほしいの?』
 そっ。と自分も新しくポットにお湯を注ぎに行って戻ってきた。
 揺ら揺ら揺れる茶葉をのぞき込みながら、もう一度、そっ。と口にする。
 よし、といってからポットからティーカップに紅茶を淹れる。
 『聞いていてほしいの。わたしの話』
 『あなたは、わたしの事を、早苗の友人の女好きな変な女としか、きっと思っていない。』
 『ここに来た理由だって聞いてくれなかったし、何故かご飯を作らせただけで、他はなにも。あなたの事を知りたくないわけではない。けれど、今はわたしを知ってほしい。』
 テーブルの向かいに座った少女は、僕の目をじっと見ながら話し終え、紅茶を口につけた。
 美味しい、と目元をゆるめている。

 身長は150cmくらいのほっそりとした小さな少女。
 目元はすっとした一重の目蓋と、拗ねるときにはアヒル口になる。それに、かわいらしい小鼻。
 男子が一斉に振り向くとか、クラスの人気者というタイプでもない。
 10人並みと言ったら、怒られるのかな。
 誰からも、ではないだろうけれど、きっと惹きつけられる男子はいると思う愛嬌がある。
 そんな少女がいま、こちらの世界にいる。
 
 少女の話を聞かない事には理由がある。
 それは、僕はみるひとだから、というものだからで、聞かなくてもみえている、という事でもある。
 おそらく、少女はそれもわかっていて、いま口にしているのであろう。
 自分の口から、自分を知ってもらいたいと欲したのだろう。

 それをこちらが悟った、と思ったのか、こちらの返事を待たずに話を始めだした。


 少女は、恋を知らなかった。
 ずっと一緒にいた仲良しの早苗が、高校にあがって、柚月がわたし達の仲に入ってきた。
 それまでは、わたしが早苗の一番の理解者だったのに、早苗は柚月に相談したりする事が増えていった。
 夜に電話をかけたら話し中で、繋がったと思ったら、柚月の話になって、わたしの話になるまで待ってたら、もう寝るね、って事の繰り返し。
 わたしはクラブに入ってないから先に帰るけれど、ふたりはクラブは違うけれど、どうも一緒に帰っているみたい。
 柚月だって、わたしと早苗の関係に入ってきたんだから、それくらいわかってくれてもいいじゃない、って思ってた。
 早苗は、水泳部とインターアクトを掛け持ちしてて、最近は珍しく水泳部の方によく顔をだしてる。きっと、そのほうがバスケやってる柚月と一緒に帰りやすいから。
 いつもだいたい、同じ時間に家に帰ってるみたい。早苗から電話が返ってきたら、かけ直すと言って、いったん切って、柚月と電話してたから。
 その後に、早苗と。そうしたらふたりの時間を奪えるかなって思ってたの。
 そんな事ばかりしていたら、なんだろう、目的がわからなくなってきた。
 柚月との電話はね、楽しかった。早苗とは違った感じで。
 なんだかね、ドキドキもしてた。最初は早苗との時間を奪うつもりで必死ってところもあったから、わたしの話もよくしてたし、まあ、あれね。柚月の家に行くきっかけになったといえばそうなんだけど、お菓子作りに失敗したって話をしたの。失敗話ってネタにしやすいでしょ。だから、そのつもりだけだったの。別に柚月の家に行きたいって下心はなかったの。そうよ、それだけだったんだから。
 そうしたら、柚月が、わたしも家でよく作るから、一緒にどう?って言われたの。
 そんなんチャンスじゃない。チャンス。柚月がどんな生活してるかわかったら、性格とかだってわかりやすいでしょ。部屋の様子とか。
 偵察するつもりだったんだから、別にやましい気持ち気分なんてない。
 それで、どう?って言われたから是非って言って、次の週の日曜日に柚月の家にお邪魔したのだけれど、きれいな大きな洋館みたいな家で、犬がいて、お手伝いさんも通ってるみたいで、でもひとりっ子で、両親とも働きに行ってる家。
 日曜日もお互い仕事で外出が多いんだって。
 だから、日曜日は家にひとりで、昔お母さんに教えてもらったお菓子を作って、夜に振る舞うって言ってた。
 お手伝いさんも優しいけれど、仕事で来てるし、日曜日は働き手も少なくなるらしくて、あまりいいお手伝いさんが来なくて、ひとりでなんでも出来たら、頼まなくて良くなる、って思ったらしくてがんばって料理とか覚えたみたい。
 だから、お菓子だけじゃなくて、ご飯とかもすごく美味しかった。
 家も部屋もキレイに片付いてて、同じ年とは思えないほど、家の中での柚月は大人びててかっこよかった。
 早苗もよく遊びに来てるんだろうなって、なんとなく、もう敵わない気分で聞いてみたら、早苗は来たことないよ、とか言われた。
 その瞬間、嘘つかれた、って腹がたって、嘘つかないでって叫んでた。
 そうしたらすごいショックを受けた顔になってて、こっちがびっくりした。
 嘘なんかつかないよ、早苗は日曜日も結構用事が昔から入ってなかった?わたしのほうが知ってるはず、と言われて、思い返したけれど、いつも平日に遊んでいたから思いあたらなかった。
 日曜日はわたしも家族で過ごしていたし、まわりの友人もそういう子が多かったから。
 すこし気持ちが落ち着いてソファに沈み込んでいたら、柚月が隣に座ってきたの。
 あの、なんていうの、しなだれかかってくるような感じで。
 わたしびっくりしてたら、そのまま腕を肩にまわされて、ドキドキしちゃった。
 しばらくこうさせててって言われたんだけれど、身動きとれなくなって固まってたら、くすくすって笑われた。 
 なんで笑うのってムキになって言い返したら、ごめん、だってかわいいから、なんて言われたら、顔だって真っ赤になるでしょ。今まで親とか親戚とか小学校の先生くらいにしか言われた事がないのに、目の前で言われたのよ。
 それも抱きしめられたまま。
 そのまま目を見つめられて、またかわいい、なんて言われたら、わたしはどうすればよかったわけ?なんだかよくわからないけれど、心臓はドクドク大きな音が耳の中から聞こえてるし、力を入れてるのに動かし方がわからなくなっちゃってたし、そうしたら『キスしていい』って耳元で囁かれたのよ。ゾクゾクって身体が小刻みに震えたわ。肌が経験した事がない感覚でゾクゾクってして言葉が出ないでいたら、柚月に口を塞がれた。
 決して無理やりとかではなかった。だってわたし受け容れてしまっていたから。
 長い長いキスだったと思う。頭から身体の芯を通って全身がしびれたような感覚で、呆然となって、柚月の身体に身を任せてた。下から抱きしめていてくれる感じでいたから。
 しばらくして顔をあげたらもう一度口を塞がれたけれど、今度はわたしからも腕を肩に回してた。どうしてそんな事をしたのかわからないの。気づいたら抱きついていた。その後、柚月が強く抱きしめてくれてぎゅってしてたら口の中に温かい柚月の舌が入ってきて、今度こそ全身を貫かれるような下腹部が疼いてキュッとなって力が抜けて気づいたら、わたしの舌も柚月の舌に絡ませていた。そんな経験もなかったし、もちろんやり方もわからなかったのに。
 どのくらい、そうやっていたのかな。よく覚えてない。気づいたら柚月の手が制服の中に入ってきてブラを押し上げて。
 そこで、ちょっと怖くなって手を押さえたら、柚月もそれ以上はしなくて、ただずっと頭を撫でてくれた。
 あんなに安心感に包まれた事はなかったな。
 気づいてたら眠っていて、目を開けたら柚月もす~す~と寝息が聞こえた。
 きゅんとしてね、これは恋だなって思った。
 柚月は女の子?そんな事すこしも気にならなかった。
 だって、あなただって、自分がどちらでもあるって言ってたでしょ。その時のわたしもそう。柚月である事だけが大切だった。
 それから、気づいたら結月を見ていた。早苗との時間も大切だったけど、それ以上。
 そう、それ以上にまた、柚月と早苗が一緒に過ごしたりしていると考えただけで、居ても立っても居られなくなっちゃった。
 だってそうでしょ。早苗は女子から見たって人気者だし、柚月もそう。
 その二人が、惹かれ合わない理由がない。そう思っていたから、結月が遥に行った時は驚いたというか、びっくりした、とか、あっ、驚くも、びっくりも一緒か。まあいいや。
 そう、驚くより、裏切られた気がした。わたしが、じゃない。早苗を傷つけられた気がしたから。
 でも、相談したとき、早苗はわたし達の感情に気づいていなくて、困った顔してた。
 そこで初めてあれって思ったのね。早苗は柚月と仲は良かったし、特別だと思っていたけれど、本人としては、すこし迷惑していたらしい。
 あと、わたしの心配をしていた。柚月は魔性だよって。だから、できるだけ結月をわたしに近づけないようにしていたのだ、と。
 あぁそうだったのだ、ずっと早苗はわたしを見ていてくれたのだと、今はわかる。
 早苗に相談した時は、何をそこまでして嘘をつくのって思ったりもしてた。
 だって、早苗を奪われたくないと思ってたわたしは、そんな柚月に近づいて、心を柚月に奪われてしまってたから。
 早苗のそばでね、ずっと涙が止まらなくって、わけがわからなくなって、助けてよって、そればかり言ってたから、きっと早苗も困ってたと思うよ。なんだか他人事みたいに言ってしまってるけどね。
 そうやって想いのたけを吐き出したあとに、ふ~っと大きく深呼吸ともため息ともとられるような息を大きく吐いた。
 
 
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