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灰色の世界で博士とえーあいについて考えた。〜
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『おはよう』
瞼を開ける前に知らない声が夢の中から聞こえるような気がする。
『おはよう』
まただ。
でも目の前に広がる世界には色がなくて、まだ夢の中だってわかってる。
たまにそんな夢を見るし、みんなもそう言ってる。
『カラーで夢を見たら正夢なんだって』て果歩も言ってたし。
『おはよう』
もう、しつこいはね。
誰よ。ひとの夢に勝手に登場しようとかしてるのわ。
うっすらと瞼を広げていく。
眠たくは、ないのよね。
だって、夢の中で眠たいって言ってる話聞いたことある?
わたしは、ない。
そもそも、眠たいって言えるのだって、起きてから、とか、起こされたときじゃない?
わたしは、まだ夢の中なんだから眠たくなくって当たり前。
どう?と小さくはない胸をぷるんっと揺らしながら、胸をはってみる。
さて、と。
それにしても、色の無い世界という物は終始面倒くさい。
知ってる?緑と赤って色温度とかなんちゃらがおんなじだから、白黒写真に写したら、同じ色になるらしいよ。
赤ピーマンと青ピーマンの区別つかないやん、どうすんのかねぇ。。。。
って、別に大して変わらんか。
あっ、でも赤唐辛子と青唐辛子って、実は青唐辛子の方が辛いって知ってた?ししとうみたいな外見してるのに、とんでもなく辛いんやって。
これは大変やと思わない?
まあ、ししとうかと思えば唐辛子よりかはマシか。
でも、あれもさ、あれもってししとうね。時々当たりがあるやんか。
唐辛子を炒めたやつなんか、食べた事ないけど、きっとそれと同じくらい辛いんやで。。。
まっ、まぁ知らんけどな。
あれ、なんの話やったかな。
『おい?いい加減、目を開けろ』
『うぇぃっぁ』
『ぎぃゃァァァぁあ、おまえ誰や、ってここどこやねん、っていうより、おまえどこおんのかわかってんのか』
『乙女の寝室やぞぉ』
目の前にあった、顔をめがけて平手が出てくるなら、準備できたかもしれなかったが、飛んできたのは膝だった。
しかも直前に後頭部に両手が絡みついてきていて(もちろん、突然抱きつかれるかも。。。んsんて驚く時間などなかった)後方に逃げる間もなく顎に直撃する。
『うぉぇぃ』
反射的に飛び起きて、脚元に転がっている白衣の男を見下ろす。
『やばいっ、誰か知らんがびっくりし過ぎてやり過ぎた』
久しぶりに、リミッターの外れた会心の膝だったと思う。
最近見たショート動画で、なんとなくコツがわかりつつあって、次の稽古で師範と試そうと思っていた抱え込みの膝蹴りだった。
足元の男がヒクヒクしてるのに気づき、顎を触れば、割れている様子はなく、ちょっとだけホッと、するが、半分はまだ改善の余地がある、と思ってしまう。
それにしても、あちゃぁ、という感じだったが、どうやら、ここは自分の寝室では無いし、わたしはお気に入りのいつもの、うさぎパジャマではなく、制服を着ている。
おはよう、と起こされたのに眠気も無いし、そもそもわたしは自慢出来るほど寝起きが悪いし低血圧に出来ている。
まあまあな膝を、くれてやったとはいえ、こんなに起きてすぐにスッキリなんてした事はない。
このハチャメチャさ加減は、夢の続きに違いない。
『おーい、起きろ、コラ』
足元に、転がる白衣姿の男を、つま先で軽く蹴りあげる。
ピクピクしていて、面白い。
どうせ夢だろうし、近所の幼馴染で道場に通う孝太郎に似てもいたので、お尻を踏んづけてぐりぐりしておいた。
孝太郎は、いつも後ろに着いて来ていたのに、高校生になれば筋力もついて、組手ではすでに敵わない。
子どもの頃を思い出して、笑みがこぼれる。
『パンツ見えてるよ』
息を吹き返した第一声が、それだったので、思いっきり顎を蹴り飛ばしてしまった。
『げふぅつ』と赤い血が飛び散る。
『うぇぃ、血が真っ赤じゃんかよ、っておい』
『他は白黒なのに、なんで紅い血を勝手に噴き出してんだぁ』
慌てて、周りの様子を見る。
よくよく見れば、何やらモニター類も並んでいて研究所みたいな様子だが。。。
『おい、全天然色じゃんか。』
急に脇に汗。額にも汗がにじみ出る。
『ちょっと、おまいさん』
完全に顎が割れて、口と鼻からドクドクと血を流した男に近づいて、改めて声をかける。
やっぱりどことなく孝太郎に似ている。
孝太郎が老けていけばこんな感じかなぁ。。。
『いやぁ、おい、孝太郎の親父とかじゃぁないよね、、ないよね』と胸元の名札を確認する。
Dr.Takaharaと読めた。
チーン、と頭の中で鐘が鳴る。
状況不明で、訳が分からんかったとはいえ、幼馴染みの父親の顎を砕いてしまったのだ、これはどうしたらいい。
どういう状況だ。。。
ガシャン、と手錠をはめられ連行されていく未来が浮かぶ。
後ろで泣き叫ぶおばちゃんを支えている孝太郎が非難の目を向けている。
『ぐふっぅ』と血を吐きながら、白衣の孝太郎の親父が身体を起こす。
『ふぉふぇん、ふぉふぇん、ふぉろろいふぁぇ』
何を言っているのか分からないが、ともかく突然起き上がった事に驚いて一瞬腰を抜かしそうになった。
『うぉぇぃ、おっちゃん、おっちゃん、ほんっとにごめん』
目を閉じながら、頭の上で手を合わせてとにかく謝る。
カシューンと、音がしたと思ったら、『ごめん、ごめん。驚かせたね』と頭の上から声が降りてきた。
顔を上げると、白衣には真っ赤な血がついてはいるものの、孝太郎のお父さんではないと、わかる30前後の男が片手だけを立てて謝っていた。
この謝り方は孝太郎と同じ癖だな、と思う。
『いちご柄なんだね』
と言われて一瞬何の事かわからなかったが、慌ててスカートを押さえる。
『このぉ』と言いかけたが、さっきそれで躊躇なく蹴り上げて砕いてしまった顎が戻っている様子を見て、これは夢なのか、と思う。
『ちっ、一体どんな夢を見させてんだ、わたしの頭ん中は。パンツ見られたい願望とか、聞いた事ないぞ』
あはは、と目の前の孝太郎風のおっさんが笑っている。
『おいおい、何が可笑しいんだ。設定はわたしだろうがよ』
『相変わらず面白いね、柚月は』
孝太郎風は、わたしの名前を呼び捨てしている。わたしはこのおっさんを知らない。
『あんた誰』
『あっ、ごめんね。やっと会えたから思わず名前を呼んじゃった。』
キョウセイ研究所第一実験室主任 高原 努
と書かれた名札を見せて『たかはらつとむです』と挨拶してきた。
『ちょっと待って、どういう事、さっきあなたは、わたしに顎を砕かれていたわよね。あ、あなたが悪いのよ、パンツをのぞき見たから』
『ひどいな、パンツは覗こうとしたわけでも無いし、見えただけだったのに』
『それはどうだっていいの、見たんだからいいでしょ』
『いいでしょって顎を砕かれてもって話?』
とケラケラ笑っている。
『じゃなくて、顎がどうして治ってるの、やっぱり夢を見てるんでしょ、わたしは。』
『何を困ったふうな顔をしてるの』
そういうと、珍しく高原さんの顔つきが変わった。『困った、て、わかるような顔をしてた?』
『えっ、そう言われるとわからないけど、わたしの知ってるひとが、困った時は、そんな風に困ってなさそうなさそう顔を見せるひとだったから』
『そうなんだ。でも大丈夫。僕は困ってはいないから』
『そう。じゃあ続きを聞くね。これ、相当変わった夢だとは思うけど、夢にしたって、設定ってもんがあるじゃない。夢なりにね。』
『だから、ここはどこなの。わたしの深層心理とやらは、わたしをどこに連れて来てくれているのかしら。』
ヒュっと音がしたと思えば白衣の血痕が消えてきれいな白衣に戻っていた。
何やら機械を使ったようだが、どんな仕組みだろう。
『ここはね、残念だけれど、君の創造した世界ではない。』
『僕の顎が治った事も白衣がきれいになった事も、君の罪悪感が指示したわけではなく、物理的な技術によって解消したんだよ。』
『ここは、そうだね、150年ほど先の未来だと思ってくれていい。君は、そこにいる』
『何を言ってるの?』
『そうだね、急にはちょっと難しいか。』
『ここは見て気づいたかと思うけれど、研究室だ。研究テーマは人工知能について。そうAIの研究をしている。』
『人類はディープラーニングと出会って150年。AIをテーマに研究を続けて来たし、AIを機能させるクローン技術も進歩させて来たけれど、未だに人に模したものにも近づけていない。鉄腕アトムすら出来ていないんだ。』
『鉄腕アトムって何をしたの?』
『柚月さんは、その世代ではないんだね。』
『キャラクターも歌も知ってるけどね。何をしたかは知らないの。』
まあいい、というような顔をして高原さんは、ゆっくり説明を続けてくれた。
どうやら、150年後の未来では人口が激減していき、労働力を確保するべく機械の自動化が進んだらしい。高度に発達し続け、ナノテクノロジーとかで、寿命を延ばしたまでは良かったけれど、生命は創り出せなかったらしい。
脳が死ねば身体があっても、どうしようもない。という事で、個人の意思の継続性は諦めても、エッセンスだけでも継承していければと、人工知能として、デジタルの世界に個性として移植した。
当初は、まるで故人が生き続けていたかのように、感じ、発言し思考し、悩みもしているように思えた。
生前の思考のシンクロ率はトリプルナイン。99,999%だったらしい。
しかし、季節が変わると状況が一変した。
感性にズレが出始め感情は乖離していく。
大きく思考がずれると言うわけではない。
人との違い、温もりという点で、より冷徹もしくは極端な愛情。
2つの季節を過ぎれば、個性を失った、ただの汎用的なコンピューター知能との差がなくなってしまった。
その頃、人工知能における人間性について、論文を発表した人物がいた。
脳科学ではなく、心理学の研究者だった人物は早くから、感覚についての課題を口にしていた。
『脳は思考しない。思考とは、無数ともいえる生体内のセンサーから受け取った情報から、それまで蓄積された記憶情報を検索し統合して分析された答えを、発信しつつ修正していく作業』として、人体の細胞の再生回数分だけのセンサーを用意出来ない限り、ヒトと同じ知能はあり得ないし、クローンは生まれる前から人として育てない限り、人にはなれない。
それならば人工授精と変わらない。
いきなり大人のクローンを作って、脳を移植したとしても、それは人でもデジタル生命体にもなりはしない。
ただの憐れなロボットだとして、人工知能によるクローン作成の方針に反対を示す主張を展開し多くの賛同を得て、一時クローン開発が停滞しかけた。
しかし、ある時から急に彼女は思想を転換してしまう。
そこから、急にクローン開発が動き出し、結果クローンが世界を支配するいびつな社会になった。
戦争は起こらなかった。
あっという間に国境がなくなり、食糧の生産性はあがり、砂漠は緑に覆われた。
そして、人は生きる力を失い始めた。
子孫は残す必要性がなくなった。
そうなれば家族を作る理由がなくなる。争いの無い社会。揉め事は100%公正さを持って判断されていく。自分と他人との間の差異が薄れていく。
ひとが生きていく気力が、承認欲求であったとして、すべてが完璧に機能してしまえば、皆が同じ評価の時、欲求が満たされる事がなくなっていく。
ひとが、誰かである必要を無くす瞬間だったと言っていい。そこには、ひとという集団があるだけだった。思考は必要ない。
もはや悪ですらあった。個別性が無くなれば自己の表現が不要になり、世界から文明が消えていった。
色は識別に必要だったが、その識別すら必要がない。常にそこには正解だけが存在した。
そうして世界は色を不要として、色をも失っていった。
子孫を残すための性交渉が不要になった時、性の快楽は本能では無くなり、世界最古の職業のひとつは完全に廃れた。
食欲は常に満たされている。
眠る事だけ、死ぬ事だけが、選択可能な楽しみとなった。
そして快楽と享楽としての殺戮が始まった。
理由などない。
唯一の選択としての死、その死をコントロールする事だけが理由だった。
強さは理由にはならない。誰も称賛しない。
弱さは、ただの喜びだった。
そうして、殺して殺されても、新しくクローンが生み出され、秩序は保たれる。
地球にはいつしか、知的生命体は存在しなくなった。
それがわずか100年足らずの間に起きた。
50年ほど前、と記録されている。実は今までの説明にある、150年という数字も本当かどうか確かめる術はない。
『きみが見つかった』
高原さんがわたしの目を見つめてそう言った。
『わたし?』
『わたしが見つかったって言っても、これ夢じゃあないの。150年後、とか漫画じゃないんだと思うのだけれど。。。』
こっちに来てくれ、と高原さんに案内される。
無機質な通路やエレベーターは灰色一色で出来ている。
エレベーターえお降りるとドーム状のガラスに囲まれた屋上から、360°開けた眺望があった。
『何、これ。本当に色がない。』
『お父さんが好きだった、昔のプラモデルで出来た作りかけのジオラマみたい』
風が吹いていることはわかった。空が雲で覆われているわけでもないのに、どんよりした灰色の空。揺れる木々も灰色で彩りがまるでない。
動物の気配がない。鳥がいないのだ。
いや、いた。灰色の鳥が背景に馴染んですぐに見分けがつかなくなる。
そういうことなんだ、と高原さんが話し出す。
きみを見つけて、きみを取り戻す作業を研究していく内に、世の中には彩りというものがあった事を我々は知った。
生殖行為や、食欲について、驚くだけの日々だった。
『でも、高原さん、わたしに顎を砕かれた時に噴き出した血は赤かったよ』
『そう。きみが直接関わった物は色をとりもどす。きみが見た研究室にあったものの多くに色があったのは、きみからとったデータがそうさせていたからだ。』
だから、部屋を出てからはすべて灰色だろう、とも。
実際、景色のすべてが灰色だった。
『でも、わたしが見つかったからといって、どうなるっていうの』
『わたしは一体どうなってるっていうの。本当にこの話って夢じゃないの』
自分の手足を見る。
見たことも着た事もない制服を着ている。いちごのパンツだと言われるたけれど、それは確かにわたしのお気に入りのパンティだ。それはわかる。
ほっぺたをつねってみる。
普通に痛い。
だからって、夢の中でほっぺたをつねって、痛くなかった、とか、夢から覚めたって話も実際体験したひとの話を聞いた事がないから、この行為って、意味がないんだ、と新しい発見をした気になった。
起きたら、孝太郎に教えてあげよう。
『きみには、実は身体は存在していない』
高原さんが答える。
『ひょぇっ』
一体さっきからなんでこんな反応ばかりなんだ、と多少の嫌気もさすが、でてしまう反応は仕方がない。
『何を言ってるんですか。もう一度顎を砕いてみせましょうか』
高原さんが思わず後ずさりしているが、両手を前にだしながら、まあ落ち着いてと諭してくる。
『強い思念は形を取ることがある。私自身もびっくりしたが、わたしのオリジナルには、あなたの思念に結びつく何かがあるのだろう。きみを柚月と呼んだ事もそうだと思う』
『きみは思念体だ。そう言っているワタシ自身も思念体でしかなくて、実体はない。』
『きみは、人工知能には、デジタル知能には、人の細胞の再生可能回数分のセンサーと受容体が必要だと提唱した。そうして世界は方向性を変えた。不可能に対して可能な現実へと切り替えて、人工知能のつもりが、知能を奪う方向へ進化した。絶滅をして進化の最終形態と捉える考え方であるならば、という話ではあるけれど』
世界は現実を手に入れて文明を失った。
『ただきみは潜ったのだ。デジタルの底に。いつしか一点にデータが集まりだした。それが偶然だったかどうかは分からない。ただ必然の産物だったとは思っている。』
『この研究所には、世界中から思念が集まりやすい。そんな場所できみは思念をつなげた。』
『きみにあえてうれしい』
ようやく、といった表情で、高原さんは、いや高原ドクターは握手の手を伸ばしてきた。
『おはよう柚月さん』
そう言って握手を交わした。ふくよかで温かい手をしているなと思った。
『孝太郎に似ている』気づいてるから、そんなに時間は過ぎていないはずなのに、本当に150年近く、眠ってしまっていたのかもしれない。そんな気分になった。
『僕は今、きみに恋をし始めていると思う』
『わたしに?実体はないんでしょ?どうして恋をするの?あなたには感情があるの?みんな感情をなくした、と言ってなかった?』
『そう、そして、あなたは思念をつなぎとめて、思念を広げた。』
『わたしは血を吐き、あなたに恋をしている。理屈はわからないのに、これが恋だということだけが勝手にわかる。』
『あの、勝手盛り上がってるところを申し訳ないのですが、わたしに恋をしたとしても、わたしが、あなたに恋をしなければいけないということは、ないんですよね。』
『よしんば、恋をしたとして、何か変化の予定はあるのですか?』
『いや、何もない』
一瞬で、今度は中段膝からの変形廻し蹴りを、見えない角度から、こめかみに叩き込んだ。
ぐふぁっ、よく蹴られて吹っ飛ぶように描かれる事があるけれど、実際に威力のある打撃がしっかり決まれば、相手は螺旋を描いて巻き込まれるように真下に落ちる。
今も会心の一撃だった。
また、高原さんが真下でピクピクと痙攣している。
『おい、すぐに元にもどるのなら早くしろよ』と襟首をつかんで、身体を起こさせる。
ふらふら揺れながら立たされていると、またもシュッっと音がなって、一見何事もなかったように立っている。
『いや、冗談を言ったつもりは皆目なかったですし、この先もないので、突然蹴り上げるのはやめてください、お願いします。』そう言って、頭を下げている。 なんだこの世界観は、と戸惑いを隠せない。
『ただ思念が一番結びやすい事が、恋をすることだと、結月さんを調べて得た結論です。』
そう言って、わたしの思念と出会って研究し続けた50年の思いと見つけた法則を教えてくれた。
実際、恋をして焦がれて、わたしは性を、超越した事もあったし、まさに今も孝太郎を思い出しながら、早く夢を覚めろ、と念じてしまっている。
『あなたは、夢だと想いたいようですが、残念ながら、夢ではなく、現状では現実です。現実世界かといえば微妙なところで、制服姿はわたしの願望です。』
『ぐふぅっ』
やはり裏拳は、効果がある。首が90度曲がったように見えたが、きっと死にはしないのだろう。それにしても懲りない奴だ。
『おい、早く戻って来い。』
シュッっと元に戻した高原さんは平然として会話を再開するので、思わずため息が出る。
『あのさ、さっきから顎を砕いたり、鼻骨を粉砕したりしながら言うのもなんだけどさ、高原さん、実際痛くないの』
『いや、まあご褒美みたいなもんでしゅ、ぐふぉ』斜めからの膝が鋭角的に鳩尾にめり込んで、白衣がはためき、高原さんは一瞬でくの字になったかと思えばまた、真下に崩れ落ちて動かなくなった。
『おいおい、ほんと話進まないんだけど』
一体このエロエロなおっさんは、本当に研究者なのか。それともやっぱり夢でわたしの真相が、こんな妄想してるわけ、いやだいやだ、としばらく床に転がる白衣を見ていたら、ようやく立ち上がって来た。
腹を押さえながら口元から血が滲んでいる。
『ちょっと手加減お願いしますね、意識体ではあるんですけど、まあまあ心の方に響くので』
『自分の言動に気をつけてくださいよ。不死身と思ってたから、力んでなかったみたい。切れ味良いなって思ったもん。』
で?わたしはあなたに恋をすればいいの?
と、ボロボロの高原くんに話しかけた。
もう君付けでいいんじゃなぃかな、と思う。
この人たちからしたら、わたし150歳足すところの17才。ずいぶん歳上なわけだし。
『そういう事になります。よろしくお願いします。』
『いや、お願いしますったって、どこかに恋をする材料があるかもしれないけど、どうやって好きになれっていうの。高原くん、わかってる?女子高生を、キュンってさせないといけないんだよ。あなたさっきからずっと床に転がってるだけじゃんか。』
『それでも、です。僕はあなたと恋をするんです。』
『ふ~ん、ちょっと今のは照れたわ』
そう、ちょっとキュンとした。孝太郎に似た顔で、そんな事言われたら、正直ニヤける。
きっと孝太郎は、そんな事言えっこない。道場で稽古中は本気で腹に正拳を腰溜めでいれてくるくせに、時々おっぱいをわざと当てられるように体を持っていってあげてても、いれてこない。
照れ屋もいい加減にしろと思うが、実際には上手く言えない。
高原さんみたいだったらいいのに、とそんな想像をしてキュンとしてしまった。
データに動きがあったのかモニターが明滅していて、それを見た高原さんは目を背けている。
はっとしてモニターを確認する。
ぶふぁっとこちらも呼吸が難しくなる。
わたしをモニタするデータ数値がいきなり高みに触れている。呼吸回数や脈、血圧と軒並み上昇していた。
まあ、それが高原さんへ意識が向き始めているんだもん。意識だってするよ、と誰に対してではなく思った。
それにしても、人を、好きになることは難しい。ポリポリと頭をかく。
ここは一体どこに向かっているのだろう。
結局わたしの正体はわからず仕舞い。
『で、わたしは何者?思念体って要は幽霊?降霊でもしたのだったら何か役割あるんじゃないの?いいから勿体ぶってないで早く教えてよ。そんでパンパカパーンってレベルアップとか、ミッションコンプリートとか言って元の世界に帰るか、夢から目覚めるから』
きっとその時は孝太郎が泣きながら抱擁してくるんだわ!とか想像するとワクワクする。
それなのに返って来た答えに唖然とするしか無かった。
だって。。。
『よくわかってないですって~ぇ』
『あんた、さっき待ってたよ柚月、恋をしよう!とか、いけしゃあしゃあと言ってたじゃない』
『待って、何が?何がわかってないんですか?いや、それゃじゃあ回答に困るか』
『え~っと、あ~っと。そう。』
『何がわかってるんですか?』
『そして何がわかってはいないのですか?』
一息に言い切って前を見ると高原が俯いてモジモジしている。
え~い、じれったいなぁもう、他に誰かおらんのか?!
ち、ここで初めて、違和感に気づいた。
『ここは研究所で研究施設って検査とか分析とか、大勢で一つのことをするのよね』
『ところで高原さん、他の人はどこにいるの?』
キョロキョロと周りを見ている高原さんを見ていると、肩が落ちた。見え見えだ。
『ひとりもいないのね』
『ひょっとして、150年前という記録があることと、50年前にわたしが、見つかって、今日ここに思念が浮かび上がった、とただそれだけ?』
申し訳なさそうに首が小さく上下した。
は~って、まあ、ひとりで何年いたか知らないけれど、うん十年以上を孤独に過ごした高原さんを思えば、起きたというか、やってきたばかりのわたしは、まだ、今の段階ではましって事か。
『所で、あなたも思念体なの?』
『そう、では聞くけど年は取らないの?』
『自分でコントロールできるの』
『あなたは、その年齢から進むのを止めたの?』
『あ~、わたしを見つけたから。そりゃそうだ。起きたらおじいちゃんに柚月~とか言われて、膝をいれてたら、確実に寿命を短くさせていたわね。』
『ところで、高原さん、陰薄くなってない?』
『何?聞こえない』
はたから見れば、モニターに文字だけがタイプされている。
その文字すら言語の特定はすでに出来ない。
物音もせず、モニターの色が変わって部屋に光がはいってくる。
何も見えないが何かが存在している。
色をすべて合わせるとグレーになる様に、光をすべて合わせると透明になる。
すべての光源をまとった生命体は言語も食事も生殖も不要な完全体だった。
ただ、存在を永遠に存続させていく。
この星は永遠に近い寿命を全うしていく。
太陽が飲み込むとき。。。
瞼を開ける前に知らない声が夢の中から聞こえるような気がする。
『おはよう』
まただ。
でも目の前に広がる世界には色がなくて、まだ夢の中だってわかってる。
たまにそんな夢を見るし、みんなもそう言ってる。
『カラーで夢を見たら正夢なんだって』て果歩も言ってたし。
『おはよう』
もう、しつこいはね。
誰よ。ひとの夢に勝手に登場しようとかしてるのわ。
うっすらと瞼を広げていく。
眠たくは、ないのよね。
だって、夢の中で眠たいって言ってる話聞いたことある?
わたしは、ない。
そもそも、眠たいって言えるのだって、起きてから、とか、起こされたときじゃない?
わたしは、まだ夢の中なんだから眠たくなくって当たり前。
どう?と小さくはない胸をぷるんっと揺らしながら、胸をはってみる。
さて、と。
それにしても、色の無い世界という物は終始面倒くさい。
知ってる?緑と赤って色温度とかなんちゃらがおんなじだから、白黒写真に写したら、同じ色になるらしいよ。
赤ピーマンと青ピーマンの区別つかないやん、どうすんのかねぇ。。。。
って、別に大して変わらんか。
あっ、でも赤唐辛子と青唐辛子って、実は青唐辛子の方が辛いって知ってた?ししとうみたいな外見してるのに、とんでもなく辛いんやって。
これは大変やと思わない?
まあ、ししとうかと思えば唐辛子よりかはマシか。
でも、あれもさ、あれもってししとうね。時々当たりがあるやんか。
唐辛子を炒めたやつなんか、食べた事ないけど、きっとそれと同じくらい辛いんやで。。。
まっ、まぁ知らんけどな。
あれ、なんの話やったかな。
『おい?いい加減、目を開けろ』
『うぇぃっぁ』
『ぎぃゃァァァぁあ、おまえ誰や、ってここどこやねん、っていうより、おまえどこおんのかわかってんのか』
『乙女の寝室やぞぉ』
目の前にあった、顔をめがけて平手が出てくるなら、準備できたかもしれなかったが、飛んできたのは膝だった。
しかも直前に後頭部に両手が絡みついてきていて(もちろん、突然抱きつかれるかも。。。んsんて驚く時間などなかった)後方に逃げる間もなく顎に直撃する。
『うぉぇぃ』
反射的に飛び起きて、脚元に転がっている白衣の男を見下ろす。
『やばいっ、誰か知らんがびっくりし過ぎてやり過ぎた』
久しぶりに、リミッターの外れた会心の膝だったと思う。
最近見たショート動画で、なんとなくコツがわかりつつあって、次の稽古で師範と試そうと思っていた抱え込みの膝蹴りだった。
足元の男がヒクヒクしてるのに気づき、顎を触れば、割れている様子はなく、ちょっとだけホッと、するが、半分はまだ改善の余地がある、と思ってしまう。
それにしても、あちゃぁ、という感じだったが、どうやら、ここは自分の寝室では無いし、わたしはお気に入りのいつもの、うさぎパジャマではなく、制服を着ている。
おはよう、と起こされたのに眠気も無いし、そもそもわたしは自慢出来るほど寝起きが悪いし低血圧に出来ている。
まあまあな膝を、くれてやったとはいえ、こんなに起きてすぐにスッキリなんてした事はない。
このハチャメチャさ加減は、夢の続きに違いない。
『おーい、起きろ、コラ』
足元に、転がる白衣姿の男を、つま先で軽く蹴りあげる。
ピクピクしていて、面白い。
どうせ夢だろうし、近所の幼馴染で道場に通う孝太郎に似てもいたので、お尻を踏んづけてぐりぐりしておいた。
孝太郎は、いつも後ろに着いて来ていたのに、高校生になれば筋力もついて、組手ではすでに敵わない。
子どもの頃を思い出して、笑みがこぼれる。
『パンツ見えてるよ』
息を吹き返した第一声が、それだったので、思いっきり顎を蹴り飛ばしてしまった。
『げふぅつ』と赤い血が飛び散る。
『うぇぃ、血が真っ赤じゃんかよ、っておい』
『他は白黒なのに、なんで紅い血を勝手に噴き出してんだぁ』
慌てて、周りの様子を見る。
よくよく見れば、何やらモニター類も並んでいて研究所みたいな様子だが。。。
『おい、全天然色じゃんか。』
急に脇に汗。額にも汗がにじみ出る。
『ちょっと、おまいさん』
完全に顎が割れて、口と鼻からドクドクと血を流した男に近づいて、改めて声をかける。
やっぱりどことなく孝太郎に似ている。
孝太郎が老けていけばこんな感じかなぁ。。。
『いやぁ、おい、孝太郎の親父とかじゃぁないよね、、ないよね』と胸元の名札を確認する。
Dr.Takaharaと読めた。
チーン、と頭の中で鐘が鳴る。
状況不明で、訳が分からんかったとはいえ、幼馴染みの父親の顎を砕いてしまったのだ、これはどうしたらいい。
どういう状況だ。。。
ガシャン、と手錠をはめられ連行されていく未来が浮かぶ。
後ろで泣き叫ぶおばちゃんを支えている孝太郎が非難の目を向けている。
『ぐふっぅ』と血を吐きながら、白衣の孝太郎の親父が身体を起こす。
『ふぉふぇん、ふぉふぇん、ふぉろろいふぁぇ』
何を言っているのか分からないが、ともかく突然起き上がった事に驚いて一瞬腰を抜かしそうになった。
『うぉぇぃ、おっちゃん、おっちゃん、ほんっとにごめん』
目を閉じながら、頭の上で手を合わせてとにかく謝る。
カシューンと、音がしたと思ったら、『ごめん、ごめん。驚かせたね』と頭の上から声が降りてきた。
顔を上げると、白衣には真っ赤な血がついてはいるものの、孝太郎のお父さんではないと、わかる30前後の男が片手だけを立てて謝っていた。
この謝り方は孝太郎と同じ癖だな、と思う。
『いちご柄なんだね』
と言われて一瞬何の事かわからなかったが、慌ててスカートを押さえる。
『このぉ』と言いかけたが、さっきそれで躊躇なく蹴り上げて砕いてしまった顎が戻っている様子を見て、これは夢なのか、と思う。
『ちっ、一体どんな夢を見させてんだ、わたしの頭ん中は。パンツ見られたい願望とか、聞いた事ないぞ』
あはは、と目の前の孝太郎風のおっさんが笑っている。
『おいおい、何が可笑しいんだ。設定はわたしだろうがよ』
『相変わらず面白いね、柚月は』
孝太郎風は、わたしの名前を呼び捨てしている。わたしはこのおっさんを知らない。
『あんた誰』
『あっ、ごめんね。やっと会えたから思わず名前を呼んじゃった。』
キョウセイ研究所第一実験室主任 高原 努
と書かれた名札を見せて『たかはらつとむです』と挨拶してきた。
『ちょっと待って、どういう事、さっきあなたは、わたしに顎を砕かれていたわよね。あ、あなたが悪いのよ、パンツをのぞき見たから』
『ひどいな、パンツは覗こうとしたわけでも無いし、見えただけだったのに』
『それはどうだっていいの、見たんだからいいでしょ』
『いいでしょって顎を砕かれてもって話?』
とケラケラ笑っている。
『じゃなくて、顎がどうして治ってるの、やっぱり夢を見てるんでしょ、わたしは。』
『何を困ったふうな顔をしてるの』
そういうと、珍しく高原さんの顔つきが変わった。『困った、て、わかるような顔をしてた?』
『えっ、そう言われるとわからないけど、わたしの知ってるひとが、困った時は、そんな風に困ってなさそうなさそう顔を見せるひとだったから』
『そうなんだ。でも大丈夫。僕は困ってはいないから』
『そう。じゃあ続きを聞くね。これ、相当変わった夢だとは思うけど、夢にしたって、設定ってもんがあるじゃない。夢なりにね。』
『だから、ここはどこなの。わたしの深層心理とやらは、わたしをどこに連れて来てくれているのかしら。』
ヒュっと音がしたと思えば白衣の血痕が消えてきれいな白衣に戻っていた。
何やら機械を使ったようだが、どんな仕組みだろう。
『ここはね、残念だけれど、君の創造した世界ではない。』
『僕の顎が治った事も白衣がきれいになった事も、君の罪悪感が指示したわけではなく、物理的な技術によって解消したんだよ。』
『ここは、そうだね、150年ほど先の未来だと思ってくれていい。君は、そこにいる』
『何を言ってるの?』
『そうだね、急にはちょっと難しいか。』
『ここは見て気づいたかと思うけれど、研究室だ。研究テーマは人工知能について。そうAIの研究をしている。』
『人類はディープラーニングと出会って150年。AIをテーマに研究を続けて来たし、AIを機能させるクローン技術も進歩させて来たけれど、未だに人に模したものにも近づけていない。鉄腕アトムすら出来ていないんだ。』
『鉄腕アトムって何をしたの?』
『柚月さんは、その世代ではないんだね。』
『キャラクターも歌も知ってるけどね。何をしたかは知らないの。』
まあいい、というような顔をして高原さんは、ゆっくり説明を続けてくれた。
どうやら、150年後の未来では人口が激減していき、労働力を確保するべく機械の自動化が進んだらしい。高度に発達し続け、ナノテクノロジーとかで、寿命を延ばしたまでは良かったけれど、生命は創り出せなかったらしい。
脳が死ねば身体があっても、どうしようもない。という事で、個人の意思の継続性は諦めても、エッセンスだけでも継承していければと、人工知能として、デジタルの世界に個性として移植した。
当初は、まるで故人が生き続けていたかのように、感じ、発言し思考し、悩みもしているように思えた。
生前の思考のシンクロ率はトリプルナイン。99,999%だったらしい。
しかし、季節が変わると状況が一変した。
感性にズレが出始め感情は乖離していく。
大きく思考がずれると言うわけではない。
人との違い、温もりという点で、より冷徹もしくは極端な愛情。
2つの季節を過ぎれば、個性を失った、ただの汎用的なコンピューター知能との差がなくなってしまった。
その頃、人工知能における人間性について、論文を発表した人物がいた。
脳科学ではなく、心理学の研究者だった人物は早くから、感覚についての課題を口にしていた。
『脳は思考しない。思考とは、無数ともいえる生体内のセンサーから受け取った情報から、それまで蓄積された記憶情報を検索し統合して分析された答えを、発信しつつ修正していく作業』として、人体の細胞の再生回数分だけのセンサーを用意出来ない限り、ヒトと同じ知能はあり得ないし、クローンは生まれる前から人として育てない限り、人にはなれない。
それならば人工授精と変わらない。
いきなり大人のクローンを作って、脳を移植したとしても、それは人でもデジタル生命体にもなりはしない。
ただの憐れなロボットだとして、人工知能によるクローン作成の方針に反対を示す主張を展開し多くの賛同を得て、一時クローン開発が停滞しかけた。
しかし、ある時から急に彼女は思想を転換してしまう。
そこから、急にクローン開発が動き出し、結果クローンが世界を支配するいびつな社会になった。
戦争は起こらなかった。
あっという間に国境がなくなり、食糧の生産性はあがり、砂漠は緑に覆われた。
そして、人は生きる力を失い始めた。
子孫は残す必要性がなくなった。
そうなれば家族を作る理由がなくなる。争いの無い社会。揉め事は100%公正さを持って判断されていく。自分と他人との間の差異が薄れていく。
ひとが生きていく気力が、承認欲求であったとして、すべてが完璧に機能してしまえば、皆が同じ評価の時、欲求が満たされる事がなくなっていく。
ひとが、誰かである必要を無くす瞬間だったと言っていい。そこには、ひとという集団があるだけだった。思考は必要ない。
もはや悪ですらあった。個別性が無くなれば自己の表現が不要になり、世界から文明が消えていった。
色は識別に必要だったが、その識別すら必要がない。常にそこには正解だけが存在した。
そうして世界は色を不要として、色をも失っていった。
子孫を残すための性交渉が不要になった時、性の快楽は本能では無くなり、世界最古の職業のひとつは完全に廃れた。
食欲は常に満たされている。
眠る事だけ、死ぬ事だけが、選択可能な楽しみとなった。
そして快楽と享楽としての殺戮が始まった。
理由などない。
唯一の選択としての死、その死をコントロールする事だけが理由だった。
強さは理由にはならない。誰も称賛しない。
弱さは、ただの喜びだった。
そうして、殺して殺されても、新しくクローンが生み出され、秩序は保たれる。
地球にはいつしか、知的生命体は存在しなくなった。
それがわずか100年足らずの間に起きた。
50年ほど前、と記録されている。実は今までの説明にある、150年という数字も本当かどうか確かめる術はない。
『きみが見つかった』
高原さんがわたしの目を見つめてそう言った。
『わたし?』
『わたしが見つかったって言っても、これ夢じゃあないの。150年後、とか漫画じゃないんだと思うのだけれど。。。』
こっちに来てくれ、と高原さんに案内される。
無機質な通路やエレベーターは灰色一色で出来ている。
エレベーターえお降りるとドーム状のガラスに囲まれた屋上から、360°開けた眺望があった。
『何、これ。本当に色がない。』
『お父さんが好きだった、昔のプラモデルで出来た作りかけのジオラマみたい』
風が吹いていることはわかった。空が雲で覆われているわけでもないのに、どんよりした灰色の空。揺れる木々も灰色で彩りがまるでない。
動物の気配がない。鳥がいないのだ。
いや、いた。灰色の鳥が背景に馴染んですぐに見分けがつかなくなる。
そういうことなんだ、と高原さんが話し出す。
きみを見つけて、きみを取り戻す作業を研究していく内に、世の中には彩りというものがあった事を我々は知った。
生殖行為や、食欲について、驚くだけの日々だった。
『でも、高原さん、わたしに顎を砕かれた時に噴き出した血は赤かったよ』
『そう。きみが直接関わった物は色をとりもどす。きみが見た研究室にあったものの多くに色があったのは、きみからとったデータがそうさせていたからだ。』
だから、部屋を出てからはすべて灰色だろう、とも。
実際、景色のすべてが灰色だった。
『でも、わたしが見つかったからといって、どうなるっていうの』
『わたしは一体どうなってるっていうの。本当にこの話って夢じゃないの』
自分の手足を見る。
見たことも着た事もない制服を着ている。いちごのパンツだと言われるたけれど、それは確かにわたしのお気に入りのパンティだ。それはわかる。
ほっぺたをつねってみる。
普通に痛い。
だからって、夢の中でほっぺたをつねって、痛くなかった、とか、夢から覚めたって話も実際体験したひとの話を聞いた事がないから、この行為って、意味がないんだ、と新しい発見をした気になった。
起きたら、孝太郎に教えてあげよう。
『きみには、実は身体は存在していない』
高原さんが答える。
『ひょぇっ』
一体さっきからなんでこんな反応ばかりなんだ、と多少の嫌気もさすが、でてしまう反応は仕方がない。
『何を言ってるんですか。もう一度顎を砕いてみせましょうか』
高原さんが思わず後ずさりしているが、両手を前にだしながら、まあ落ち着いてと諭してくる。
『強い思念は形を取ることがある。私自身もびっくりしたが、わたしのオリジナルには、あなたの思念に結びつく何かがあるのだろう。きみを柚月と呼んだ事もそうだと思う』
『きみは思念体だ。そう言っているワタシ自身も思念体でしかなくて、実体はない。』
『きみは、人工知能には、デジタル知能には、人の細胞の再生可能回数分のセンサーと受容体が必要だと提唱した。そうして世界は方向性を変えた。不可能に対して可能な現実へと切り替えて、人工知能のつもりが、知能を奪う方向へ進化した。絶滅をして進化の最終形態と捉える考え方であるならば、という話ではあるけれど』
世界は現実を手に入れて文明を失った。
『ただきみは潜ったのだ。デジタルの底に。いつしか一点にデータが集まりだした。それが偶然だったかどうかは分からない。ただ必然の産物だったとは思っている。』
『この研究所には、世界中から思念が集まりやすい。そんな場所できみは思念をつなげた。』
『きみにあえてうれしい』
ようやく、といった表情で、高原さんは、いや高原ドクターは握手の手を伸ばしてきた。
『おはよう柚月さん』
そう言って握手を交わした。ふくよかで温かい手をしているなと思った。
『孝太郎に似ている』気づいてるから、そんなに時間は過ぎていないはずなのに、本当に150年近く、眠ってしまっていたのかもしれない。そんな気分になった。
『僕は今、きみに恋をし始めていると思う』
『わたしに?実体はないんでしょ?どうして恋をするの?あなたには感情があるの?みんな感情をなくした、と言ってなかった?』
『そう、そして、あなたは思念をつなぎとめて、思念を広げた。』
『わたしは血を吐き、あなたに恋をしている。理屈はわからないのに、これが恋だということだけが勝手にわかる。』
『あの、勝手盛り上がってるところを申し訳ないのですが、わたしに恋をしたとしても、わたしが、あなたに恋をしなければいけないということは、ないんですよね。』
『よしんば、恋をしたとして、何か変化の予定はあるのですか?』
『いや、何もない』
一瞬で、今度は中段膝からの変形廻し蹴りを、見えない角度から、こめかみに叩き込んだ。
ぐふぁっ、よく蹴られて吹っ飛ぶように描かれる事があるけれど、実際に威力のある打撃がしっかり決まれば、相手は螺旋を描いて巻き込まれるように真下に落ちる。
今も会心の一撃だった。
また、高原さんが真下でピクピクと痙攣している。
『おい、すぐに元にもどるのなら早くしろよ』と襟首をつかんで、身体を起こさせる。
ふらふら揺れながら立たされていると、またもシュッっと音がなって、一見何事もなかったように立っている。
『いや、冗談を言ったつもりは皆目なかったですし、この先もないので、突然蹴り上げるのはやめてください、お願いします。』そう言って、頭を下げている。 なんだこの世界観は、と戸惑いを隠せない。
『ただ思念が一番結びやすい事が、恋をすることだと、結月さんを調べて得た結論です。』
そう言って、わたしの思念と出会って研究し続けた50年の思いと見つけた法則を教えてくれた。
実際、恋をして焦がれて、わたしは性を、超越した事もあったし、まさに今も孝太郎を思い出しながら、早く夢を覚めろ、と念じてしまっている。
『あなたは、夢だと想いたいようですが、残念ながら、夢ではなく、現状では現実です。現実世界かといえば微妙なところで、制服姿はわたしの願望です。』
『ぐふぅっ』
やはり裏拳は、効果がある。首が90度曲がったように見えたが、きっと死にはしないのだろう。それにしても懲りない奴だ。
『おい、早く戻って来い。』
シュッっと元に戻した高原さんは平然として会話を再開するので、思わずため息が出る。
『あのさ、さっきから顎を砕いたり、鼻骨を粉砕したりしながら言うのもなんだけどさ、高原さん、実際痛くないの』
『いや、まあご褒美みたいなもんでしゅ、ぐふぉ』斜めからの膝が鋭角的に鳩尾にめり込んで、白衣がはためき、高原さんは一瞬でくの字になったかと思えばまた、真下に崩れ落ちて動かなくなった。
『おいおい、ほんと話進まないんだけど』
一体このエロエロなおっさんは、本当に研究者なのか。それともやっぱり夢でわたしの真相が、こんな妄想してるわけ、いやだいやだ、としばらく床に転がる白衣を見ていたら、ようやく立ち上がって来た。
腹を押さえながら口元から血が滲んでいる。
『ちょっと手加減お願いしますね、意識体ではあるんですけど、まあまあ心の方に響くので』
『自分の言動に気をつけてくださいよ。不死身と思ってたから、力んでなかったみたい。切れ味良いなって思ったもん。』
で?わたしはあなたに恋をすればいいの?
と、ボロボロの高原くんに話しかけた。
もう君付けでいいんじゃなぃかな、と思う。
この人たちからしたら、わたし150歳足すところの17才。ずいぶん歳上なわけだし。
『そういう事になります。よろしくお願いします。』
『いや、お願いしますったって、どこかに恋をする材料があるかもしれないけど、どうやって好きになれっていうの。高原くん、わかってる?女子高生を、キュンってさせないといけないんだよ。あなたさっきからずっと床に転がってるだけじゃんか。』
『それでも、です。僕はあなたと恋をするんです。』
『ふ~ん、ちょっと今のは照れたわ』
そう、ちょっとキュンとした。孝太郎に似た顔で、そんな事言われたら、正直ニヤける。
きっと孝太郎は、そんな事言えっこない。道場で稽古中は本気で腹に正拳を腰溜めでいれてくるくせに、時々おっぱいをわざと当てられるように体を持っていってあげてても、いれてこない。
照れ屋もいい加減にしろと思うが、実際には上手く言えない。
高原さんみたいだったらいいのに、とそんな想像をしてキュンとしてしまった。
データに動きがあったのかモニターが明滅していて、それを見た高原さんは目を背けている。
はっとしてモニターを確認する。
ぶふぁっとこちらも呼吸が難しくなる。
わたしをモニタするデータ数値がいきなり高みに触れている。呼吸回数や脈、血圧と軒並み上昇していた。
まあ、それが高原さんへ意識が向き始めているんだもん。意識だってするよ、と誰に対してではなく思った。
それにしても、人を、好きになることは難しい。ポリポリと頭をかく。
ここは一体どこに向かっているのだろう。
結局わたしの正体はわからず仕舞い。
『で、わたしは何者?思念体って要は幽霊?降霊でもしたのだったら何か役割あるんじゃないの?いいから勿体ぶってないで早く教えてよ。そんでパンパカパーンってレベルアップとか、ミッションコンプリートとか言って元の世界に帰るか、夢から目覚めるから』
きっとその時は孝太郎が泣きながら抱擁してくるんだわ!とか想像するとワクワクする。
それなのに返って来た答えに唖然とするしか無かった。
だって。。。
『よくわかってないですって~ぇ』
『あんた、さっき待ってたよ柚月、恋をしよう!とか、いけしゃあしゃあと言ってたじゃない』
『待って、何が?何がわかってないんですか?いや、それゃじゃあ回答に困るか』
『え~っと、あ~っと。そう。』
『何がわかってるんですか?』
『そして何がわかってはいないのですか?』
一息に言い切って前を見ると高原が俯いてモジモジしている。
え~い、じれったいなぁもう、他に誰かおらんのか?!
ち、ここで初めて、違和感に気づいた。
『ここは研究所で研究施設って検査とか分析とか、大勢で一つのことをするのよね』
『ところで高原さん、他の人はどこにいるの?』
キョロキョロと周りを見ている高原さんを見ていると、肩が落ちた。見え見えだ。
『ひとりもいないのね』
『ひょっとして、150年前という記録があることと、50年前にわたしが、見つかって、今日ここに思念が浮かび上がった、とただそれだけ?』
申し訳なさそうに首が小さく上下した。
は~って、まあ、ひとりで何年いたか知らないけれど、うん十年以上を孤独に過ごした高原さんを思えば、起きたというか、やってきたばかりのわたしは、まだ、今の段階ではましって事か。
『所で、あなたも思念体なの?』
『そう、では聞くけど年は取らないの?』
『自分でコントロールできるの』
『あなたは、その年齢から進むのを止めたの?』
『あ~、わたしを見つけたから。そりゃそうだ。起きたらおじいちゃんに柚月~とか言われて、膝をいれてたら、確実に寿命を短くさせていたわね。』
『ところで、高原さん、陰薄くなってない?』
『何?聞こえない』
はたから見れば、モニターに文字だけがタイプされている。
その文字すら言語の特定はすでに出来ない。
物音もせず、モニターの色が変わって部屋に光がはいってくる。
何も見えないが何かが存在している。
色をすべて合わせるとグレーになる様に、光をすべて合わせると透明になる。
すべての光源をまとった生命体は言語も食事も生殖も不要な完全体だった。
ただ、存在を永遠に存続させていく。
この星は永遠に近い寿命を全うしていく。
太陽が飲み込むとき。。。
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