愛sing

夢喰

文字の大きさ
1 / 1

愛sing

しおりを挟む

― 凍ったままの心に、言葉だけが届くなら ―



第一章:合わせることで守ったもの

アキは昔からこの街で生きてきた。
団地の五階。古びたエレベーターと、うす汚れた廊下。
玄関を開ければ、薬の匂いと、静まり返った部屋。
母親はもう何年も働いていない。精神を病み、ベッドに伏せていた。

冷蔵庫は空っぽで、光熱費の請求書がキッチンに散らばっていた。
生活保護は「まだ若いから」と言って断られた。
アキには、誰も味方がいなかった。

だから、自分で稼いだ。
学校帰りに、スマホでアプリを開く。
「優しいパパ募集」「お食事だけOK」──そんな言葉が並んだ。

「支えなきゃ、生きていけないんだよ」
誰に言うでもなく、アキはそうつぶやいた。



第二章:見てはいけないものを見た日

高校二年の冬。
ユウは駅前でアキを見た。
クラスでよく笑うあの子が、大人の男と歩いていた。
制服じゃなく、短いスカートにハイヒール。
いつもより濃いメイク。完璧な笑顔。

でも、それは“売り物”の笑顔だった。
ユウはその場から目をそらした。
胸の奥が締め付けられるように痛かった。



第三章:話しかけてしまった

数日後の放課後。ユウは、アキに話しかけた。

「……この前、駅前で見たよ」

アキは笑った。いつも通りの、あの仮面の笑顔で。
でも目は笑っていなかった。

「見ちゃったんだ。最悪。
どうせ、“やめたほうがいい”って言いたいんでしょ」

「……違う。そういうことじゃなくて」

「じゃあ何?
『可哀想』? 『助けたい』?
そういうのが一番ムカつくんだけど」

声は静かだったけど、怒りが滲んでいた。

「うちは母親が働けなくて、家に金なんてない。
電気代もギリギリ。ごはんもロクに食べられない。
そんな中で“やめなよ”って、気軽に言えるの?」

ユウは、何も言えなかった。



第四章:いじめられたくなくて

しばらくしてから、アキはぽつりと言った。

「中学のとき、いじめられてたんだ。
『服が古い』『団地の子って臭い』とか、そんなの。
怖かったよ。自分が“違う”って知られるのが」

だからアキは、自分を隠した。
流行の話題に笑い、無理に明るく振る舞い、
「誰かと違う」と思われないようにしてきた。

「合わせるのって、楽なんだよ。
本当の自分なんて、誰も望んでない」

ユウは、聞くしかできなかった。
アキの心の奥は、簡単に触れていいものじゃなかった。



第五章:それでも、見ていたい

ある日、アキは言った。

「愛って、売れるんだよ。
“寂しい”って言えば、抱きしめてくれる人もいる。
でも、それって本物じゃない。
期限があって、冷たくて、
誰かに抱きしめられるたび、心のほうが遠くなる」

「……俺は、見てるよ」
ユウは言った。自分でもなぜ言えたのかわからなかった。

「君が仮面をつけてても、言わなくても、
それでもちゃんと、君のことを見てる」

アキは何も言わなかった。
でも、その目にはわずかに、揺らぎがあった。



最終章:届いたものと、届かないもの

春、アキは学校に来なくなった。
LINEは既読にならず、連絡は途絶えた。

クラスでは誰も気にしていないようだった。
「休学したらしいよ」「やめたんじゃね?」
ユウはただ静かに、自分の席に座っていた。

ある日、机の中に小さな封筒が入っていた。



**「助けてほしいって、言えたらよかった。
でも、誰にも期待しないって決めてたから、
あんたの言葉が一番、怖かった。

でもね──

本当は嬉しかったんだ。

また笑えるようになったら、
ちゃんと自分で、会いに行く」**



ユウは、青空を見上げた。
助けられなかった。でも、
あの時、確かに何かが届いた気がした。

笑顔じゃなくてもいい。
話せなくてもいい。
それでも「誰かに見られている」というだけで、
人は、ほんの少しだけ生きられるのかもしれない。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。

火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。 王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。 そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。 エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。 それがこの国の終わりの始まりだった。

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

一番でなくとも

Rj
恋愛
婚約者が恋に落ちたのは親友だった。一番大切な存在になれない私。それでも私は幸せになる。 全九話。

【完結】さよなら私の初恋

山葵
恋愛
私の婚約者が妹に見せる笑顔は私に向けられる事はない。 初恋の貴方が妹を望むなら、私は貴方の幸せを願って身を引きましょう。 さようなら私の初恋。

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

処理中です...