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愛sing
しおりを挟む― 凍ったままの心に、言葉だけが届くなら ―
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第一章:合わせることで守ったもの
アキは昔からこの街で生きてきた。
団地の五階。古びたエレベーターと、うす汚れた廊下。
玄関を開ければ、薬の匂いと、静まり返った部屋。
母親はもう何年も働いていない。精神を病み、ベッドに伏せていた。
冷蔵庫は空っぽで、光熱費の請求書がキッチンに散らばっていた。
生活保護は「まだ若いから」と言って断られた。
アキには、誰も味方がいなかった。
だから、自分で稼いだ。
学校帰りに、スマホでアプリを開く。
「優しいパパ募集」「お食事だけOK」──そんな言葉が並んだ。
「支えなきゃ、生きていけないんだよ」
誰に言うでもなく、アキはそうつぶやいた。
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第二章:見てはいけないものを見た日
高校二年の冬。
ユウは駅前でアキを見た。
クラスでよく笑うあの子が、大人の男と歩いていた。
制服じゃなく、短いスカートにハイヒール。
いつもより濃いメイク。完璧な笑顔。
でも、それは“売り物”の笑顔だった。
ユウはその場から目をそらした。
胸の奥が締め付けられるように痛かった。
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第三章:話しかけてしまった
数日後の放課後。ユウは、アキに話しかけた。
「……この前、駅前で見たよ」
アキは笑った。いつも通りの、あの仮面の笑顔で。
でも目は笑っていなかった。
「見ちゃったんだ。最悪。
どうせ、“やめたほうがいい”って言いたいんでしょ」
「……違う。そういうことじゃなくて」
「じゃあ何?
『可哀想』? 『助けたい』?
そういうのが一番ムカつくんだけど」
声は静かだったけど、怒りが滲んでいた。
「うちは母親が働けなくて、家に金なんてない。
電気代もギリギリ。ごはんもロクに食べられない。
そんな中で“やめなよ”って、気軽に言えるの?」
ユウは、何も言えなかった。
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第四章:いじめられたくなくて
しばらくしてから、アキはぽつりと言った。
「中学のとき、いじめられてたんだ。
『服が古い』『団地の子って臭い』とか、そんなの。
怖かったよ。自分が“違う”って知られるのが」
だからアキは、自分を隠した。
流行の話題に笑い、無理に明るく振る舞い、
「誰かと違う」と思われないようにしてきた。
「合わせるのって、楽なんだよ。
本当の自分なんて、誰も望んでない」
ユウは、聞くしかできなかった。
アキの心の奥は、簡単に触れていいものじゃなかった。
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第五章:それでも、見ていたい
ある日、アキは言った。
「愛って、売れるんだよ。
“寂しい”って言えば、抱きしめてくれる人もいる。
でも、それって本物じゃない。
期限があって、冷たくて、
誰かに抱きしめられるたび、心のほうが遠くなる」
「……俺は、見てるよ」
ユウは言った。自分でもなぜ言えたのかわからなかった。
「君が仮面をつけてても、言わなくても、
それでもちゃんと、君のことを見てる」
アキは何も言わなかった。
でも、その目にはわずかに、揺らぎがあった。
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最終章:届いたものと、届かないもの
春、アキは学校に来なくなった。
LINEは既読にならず、連絡は途絶えた。
クラスでは誰も気にしていないようだった。
「休学したらしいよ」「やめたんじゃね?」
ユウはただ静かに、自分の席に座っていた。
ある日、机の中に小さな封筒が入っていた。
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**「助けてほしいって、言えたらよかった。
でも、誰にも期待しないって決めてたから、
あんたの言葉が一番、怖かった。
でもね──
本当は嬉しかったんだ。
また笑えるようになったら、
ちゃんと自分で、会いに行く」**
⸻
ユウは、青空を見上げた。
助けられなかった。でも、
あの時、確かに何かが届いた気がした。
笑顔じゃなくてもいい。
話せなくてもいい。
それでも「誰かに見られている」というだけで、
人は、ほんの少しだけ生きられるのかもしれない。
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