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明神の孫
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父は、三島明神の子なのだという。
伊予国の人々にそう噂されるだけあって、剛の者であった。身の丈は六尺あまりで厳めしく、ひとたび怒れば大蛇が牙を剥くかのような凄まじい迫力があった。
河野四郎通信は顔をあげた。穏やかな西海の景色がゆれている。
父が討たれたとき、通信はまだ十八歳だった。
郎等から聞かされた父の訃報に、目の前が真っ白になった。わけのわからない大きくて熱い衝動が体中を駆けめぐり、気がついたときには仇の首を鋸引きにしていた。
年が明ければ二十三歳になる。
頬や額には大きなにきびがいくつもあって、肌は赤らみ岩場のようにごつごつしていた。父が本当に明神の子だとすれば、もしかしたら、これは鱗の名残かもしれないと通信は思っていた。明神は祖母の閨に大蛇の姿であらわれたのだそうだ。
舟の舷にぶつかった三角の青い波が白い泡となり、小さな渦を巻いては消えていく。銀色の魚の腹がきらきらと光り、みなも水面に透けて見えた。
今日は小潮だ。
西海の漁民は、こういう日は流れが速く、普段ならば近づくことすらままならないところまで舟を進めて漁をする。
「さて」
通信は紺色のひたたれ直垂の袖をまくりあげた。直垂はくたびれていて、裾のほうは糸が解れている。弓籠手は萌葱色。単衣の襟元は垢で黒ずんでいた。
小島の影から様子をうかがう。視線の先には平家の舟が五艘。むこうのほうに霞む島々の稜線は、いまの自分たちの位置を教えてくれる。
追い風、満潮。
通信は唇を舐めた。黒漆の弓と、おのれの名を刻んだ矢を握りしめる。七尺三寸の弓は三人張りの代物で、矢羽根は鳶の羽であった。
狙うは先を行く二艘。舟の両舷に取り付けられた船枻の上では水夫たちが気怠そうに櫂を動かしている。舟の上では男たちが忙しなく動いており、鎧をまとった武者もいるようだった。後続の三艘には主に兵糧が積まれているのだろう。人影もまばらで、舟体がやや沈みがちである。
対してこちらは三艘。漁民の使うような粗末な舟である。当然、帆もなければ船枻もない。
それぞれの舟には郎等の白石弥太郎忠員と、梶取の七郎を頭として、息のかかったものどもが乗りこんでいる。
七郎にいたっては、よほど退屈だったのだろう。釣り糸を垂らしていた。
平家の舟は、じりじりと陸をうかがっていた。舳先の向く方角には、通信たちの拠る今木の城がある。攻撃をするつもりはないのだろうし、放っておいてもいいのだが――通信にとって、城を攻めてくる敵を退けるだけの戦は、退屈でしかたがなかった。
敵の舟を見つけて城から飛びだそうとした通信は、臼杵惟隆と緒方惟栄に引き止められていた。臼杵、緒方の兄弟は、今木城にてともに蜂起した豊後国の武者である。たかだか五艘の舟など放っておけ――それが彼らのいいぶんであった。
しかし、通信はいっさい耳を貸さなかった。退屈しのぎに、手近なものたちだけを引きつれて海に出てきたのだ。
平家の軍勢は今木城をとりかこむようにして、吉井川の河口に展開している。あの兵糧は、そのものたちへ届けられるものだろう。
しゃらくさい。おれが奪ってやろうじゃないか。
「おい」
通信は手を振った。だが、忠員も七郎も気づいたそぶりがない。
「お前ら」
もう一度手を振ると、ようやく気がついた忠員が櫂で七郎を小突いた。
腕をまわして合図を送ると、七郎が露骨にいやそうな顔をする。「もう少し様子をみてもいいんじゃないですか」とでも言いたげに、首を横に傾けていた。
「これ以上、陸に近づかれると厄介だ。矢の雨はごめんだろう」
通信は舳先に立った。太刀を引き抜き、頭上で振りかざしてから方向の指示をする。こうすれば声が届かなくても、水夫に指示を出すことができる。河野水軍の技だ。
ぐんっと舟が前進する。小島の影から躍りでると、通信は弦を引き絞った。
「当たれ!」
びょう、と風を切り裂く音に続いて、どかっという乾いた木の破裂音が響いた。かいだて掻盾を破壊したのか、または舟の舷にでも当たったか。通信たちに気がついた舟が慌てたように方向を変える。
「なあ、二舟、繋いでる?」
「繋いでるんじゃないっすかね、動きが鈍いですし」
七郎が目を細めながら答える。
こちら舟の大きさを見て強気になったのだろう。二艘は舳先を通信の舟の舷に向けて接近してきた。
敵の矢が二、三飛びくる。通信は水夫に掻盾を背負わせた。陰に隠れ、続けざまに矢を放つ。一矢は敵舟の掻盾を貫き、もう一矢は身を乗りだして弓を引いていた男の兜に当たった。
「こりゃ、乗りこんだほうが早いな」
「え」
忠員と七郎が眉間に皺を寄せた。なぜおれたちがそんなことを――という顔をしているが、通信は無視をした。太刀を振り回して水夫たちに指示を出す。
「それ、行け、行け、行け」
忠員の舟が平家方の二艘のあいだに割り入った。互いの舷を綱で固定していた二艘は、突っこんできた小舟の舳先に突き上げられて大きく傾く。衝撃に水夫が数人海に落ち、弓を手にした男たちが大きく体勢を崩した。
「ははっ、いいぞいいぞ」
舟を横につけると、必死に舟の縁を掴む男たちを次々と矢で射った。忠員は鍵縄を使って舟に取りついている。七郎はというと虫の居所が悪いのか、敵の舟に乗りこんで、武装した男たちを次々と海に蹴落としていた。
「おい、首をとれよ、首を」
通信は、溺れまいと舟の縁に縋りついてきた平家方の武者に手をさしのべた。自らの舟に引きあげると、その背を踏みつける。
「胴巻きなんてつけるからよ」
そう吐き捨て、咳きこむ男の頭を叩き割った。
首を斬り舟床に転がして、邪魔な体は海に投げいれる。水を吸った鎧は重い。泡もまとわず密やかに沈む。白いしぶきのなかに赤黒い血の色だけが、糸を引いて残った。
敵味方のおめ喚きが潮風とぶつかって騒々しい。忠員と七郎が、次々と敵の首を投げよこした。血と海水の混ざった海水が通信の臑を濡らした。
空には海鳥が群れている。血の臭いを嗅ぎつけた鮫の背びれが波間に見え隠れした。
潮の流れが変わりつつあるのだろう。団子になった舟は、きりもみしながら方向を見失い、流されはじめている。
西海の潮は鋭く速い。
通信たちは平家の舟を奪った。兵糧を積んだ三艘を牽引しながら、悠々と今木城に帰還する。
いざぶつかってみれば実にあっけなく、しかし戦果は戦果だ。これだけの米や食料を持ち帰れば、城に籠もっている臼杵や緒方も文句を言わないだろう。
でも――通信は、はたと考えた。この兵糧、どうやって城に運びいれようか。
伊予国の人々にそう噂されるだけあって、剛の者であった。身の丈は六尺あまりで厳めしく、ひとたび怒れば大蛇が牙を剥くかのような凄まじい迫力があった。
河野四郎通信は顔をあげた。穏やかな西海の景色がゆれている。
父が討たれたとき、通信はまだ十八歳だった。
郎等から聞かされた父の訃報に、目の前が真っ白になった。わけのわからない大きくて熱い衝動が体中を駆けめぐり、気がついたときには仇の首を鋸引きにしていた。
年が明ければ二十三歳になる。
頬や額には大きなにきびがいくつもあって、肌は赤らみ岩場のようにごつごつしていた。父が本当に明神の子だとすれば、もしかしたら、これは鱗の名残かもしれないと通信は思っていた。明神は祖母の閨に大蛇の姿であらわれたのだそうだ。
舟の舷にぶつかった三角の青い波が白い泡となり、小さな渦を巻いては消えていく。銀色の魚の腹がきらきらと光り、みなも水面に透けて見えた。
今日は小潮だ。
西海の漁民は、こういう日は流れが速く、普段ならば近づくことすらままならないところまで舟を進めて漁をする。
「さて」
通信は紺色のひたたれ直垂の袖をまくりあげた。直垂はくたびれていて、裾のほうは糸が解れている。弓籠手は萌葱色。単衣の襟元は垢で黒ずんでいた。
小島の影から様子をうかがう。視線の先には平家の舟が五艘。むこうのほうに霞む島々の稜線は、いまの自分たちの位置を教えてくれる。
追い風、満潮。
通信は唇を舐めた。黒漆の弓と、おのれの名を刻んだ矢を握りしめる。七尺三寸の弓は三人張りの代物で、矢羽根は鳶の羽であった。
狙うは先を行く二艘。舟の両舷に取り付けられた船枻の上では水夫たちが気怠そうに櫂を動かしている。舟の上では男たちが忙しなく動いており、鎧をまとった武者もいるようだった。後続の三艘には主に兵糧が積まれているのだろう。人影もまばらで、舟体がやや沈みがちである。
対してこちらは三艘。漁民の使うような粗末な舟である。当然、帆もなければ船枻もない。
それぞれの舟には郎等の白石弥太郎忠員と、梶取の七郎を頭として、息のかかったものどもが乗りこんでいる。
七郎にいたっては、よほど退屈だったのだろう。釣り糸を垂らしていた。
平家の舟は、じりじりと陸をうかがっていた。舳先の向く方角には、通信たちの拠る今木の城がある。攻撃をするつもりはないのだろうし、放っておいてもいいのだが――通信にとって、城を攻めてくる敵を退けるだけの戦は、退屈でしかたがなかった。
敵の舟を見つけて城から飛びだそうとした通信は、臼杵惟隆と緒方惟栄に引き止められていた。臼杵、緒方の兄弟は、今木城にてともに蜂起した豊後国の武者である。たかだか五艘の舟など放っておけ――それが彼らのいいぶんであった。
しかし、通信はいっさい耳を貸さなかった。退屈しのぎに、手近なものたちだけを引きつれて海に出てきたのだ。
平家の軍勢は今木城をとりかこむようにして、吉井川の河口に展開している。あの兵糧は、そのものたちへ届けられるものだろう。
しゃらくさい。おれが奪ってやろうじゃないか。
「おい」
通信は手を振った。だが、忠員も七郎も気づいたそぶりがない。
「お前ら」
もう一度手を振ると、ようやく気がついた忠員が櫂で七郎を小突いた。
腕をまわして合図を送ると、七郎が露骨にいやそうな顔をする。「もう少し様子をみてもいいんじゃないですか」とでも言いたげに、首を横に傾けていた。
「これ以上、陸に近づかれると厄介だ。矢の雨はごめんだろう」
通信は舳先に立った。太刀を引き抜き、頭上で振りかざしてから方向の指示をする。こうすれば声が届かなくても、水夫に指示を出すことができる。河野水軍の技だ。
ぐんっと舟が前進する。小島の影から躍りでると、通信は弦を引き絞った。
「当たれ!」
びょう、と風を切り裂く音に続いて、どかっという乾いた木の破裂音が響いた。かいだて掻盾を破壊したのか、または舟の舷にでも当たったか。通信たちに気がついた舟が慌てたように方向を変える。
「なあ、二舟、繋いでる?」
「繋いでるんじゃないっすかね、動きが鈍いですし」
七郎が目を細めながら答える。
こちら舟の大きさを見て強気になったのだろう。二艘は舳先を通信の舟の舷に向けて接近してきた。
敵の矢が二、三飛びくる。通信は水夫に掻盾を背負わせた。陰に隠れ、続けざまに矢を放つ。一矢は敵舟の掻盾を貫き、もう一矢は身を乗りだして弓を引いていた男の兜に当たった。
「こりゃ、乗りこんだほうが早いな」
「え」
忠員と七郎が眉間に皺を寄せた。なぜおれたちがそんなことを――という顔をしているが、通信は無視をした。太刀を振り回して水夫たちに指示を出す。
「それ、行け、行け、行け」
忠員の舟が平家方の二艘のあいだに割り入った。互いの舷を綱で固定していた二艘は、突っこんできた小舟の舳先に突き上げられて大きく傾く。衝撃に水夫が数人海に落ち、弓を手にした男たちが大きく体勢を崩した。
「ははっ、いいぞいいぞ」
舟を横につけると、必死に舟の縁を掴む男たちを次々と矢で射った。忠員は鍵縄を使って舟に取りついている。七郎はというと虫の居所が悪いのか、敵の舟に乗りこんで、武装した男たちを次々と海に蹴落としていた。
「おい、首をとれよ、首を」
通信は、溺れまいと舟の縁に縋りついてきた平家方の武者に手をさしのべた。自らの舟に引きあげると、その背を踏みつける。
「胴巻きなんてつけるからよ」
そう吐き捨て、咳きこむ男の頭を叩き割った。
首を斬り舟床に転がして、邪魔な体は海に投げいれる。水を吸った鎧は重い。泡もまとわず密やかに沈む。白いしぶきのなかに赤黒い血の色だけが、糸を引いて残った。
敵味方のおめ喚きが潮風とぶつかって騒々しい。忠員と七郎が、次々と敵の首を投げよこした。血と海水の混ざった海水が通信の臑を濡らした。
空には海鳥が群れている。血の臭いを嗅ぎつけた鮫の背びれが波間に見え隠れした。
潮の流れが変わりつつあるのだろう。団子になった舟は、きりもみしながら方向を見失い、流されはじめている。
西海の潮は鋭く速い。
通信たちは平家の舟を奪った。兵糧を積んだ三艘を牽引しながら、悠々と今木城に帰還する。
いざぶつかってみれば実にあっけなく、しかし戦果は戦果だ。これだけの米や食料を持ち帰れば、城に籠もっている臼杵や緒方も文句を言わないだろう。
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