屋島に咲く

モトコ

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解纜(かいらん)

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 河野通信が伊予国へ帰ったらしいと、継信が伝えてきた。

 江口での会食と、昨日の短い軍議での印象だけでいえば、若いくせに腹の据わった男だというところだろう。少し梶原景季に似ているかもしれないと義経は思った。

 義経は景季のことが嫌いではなかった。景季は生まれながらに梶原家の嫡男であり、そこになんの疑問を持ったこともないだろう。そういうところは鼻につく。しかし明るく、こざっぱりとしていて、いわゆるいい奴だった。ぱぁっとした笑顔を向けられると、つられて義経も華やかな気持ちになる。

 一方で通信はというと、どこかほの暗い空気をまとっていたように思う。得体の知れない素性を武士という器で覆い隠して、しれっとした顔をして生きている鬼のようにも見えた。景季は純粋であり浅慮だが、通信は単純なように見えて複雑そうである。そう考えると異様に不気味ではあった。

 河野通信という男は、愛想のいい笑顔の裏側に、鬱屈した情動を抱いている――それが、義経の見立てだった。

 ふと、義経は江口遊び以来、田代冠者の姿を見ていないということに気がついた。無理もない。義経の動きを景時に流していたということが露見している。義経としては、ある程度そういうものの存在も考慮に入れていたので、いまさら責める気もなかった。しかし、田代冠者の感情としては顔を見せづらいのだろう。

「九郎判官、よろしいでしょうか」

 なにをするでもなく、ぼんやりと坪庭を眺めていると、弁慶が部屋に入ってきた。なにかを伝えたそうにしていたので、義経は脇息にもたれたまま、うなずいた。

「紀伊の熊野水軍ですが」
「うん」
「やはり一筋縄ではいかないようで、反応が鈍いですね」
「あそう」
「ですので旅路の道すがら、熊野水軍は源氏に味方するらしいと吹聴しておきました」
「ははっ」

 義経は膝を打った。

 熊野水軍の正式な意思を刈り取れなかったとしても、弁慶の吹聴で周囲のものたちが熊野水軍も源氏にかたむくと流言する。そうすれば源平のあいだで揺らいでいた勢力が、源氏勢に流れることは想像に難くない。

「いい働きだ、弁慶」
「恐縮です」

 むっつりとした表情のまま言う弁慶が面白くて、義経は笑った。笑いながら弁慶とともに拾った、もう一人の男のことを思いだした。

「そういえば阿万六郎はどうしている」
「どうもこうも」

 弁慶が苦々しい表情を浮かべる。

 軍議のあと、弁慶は景時とともに、阿万夫妻の壮絶な夫婦喧嘩の仲裁をさせられていた。しかし、景時はいつのまにか逃げてしまったらしく、その後は弁慶一人が阿万六郎と浮夏に、あれやこれやと話を聞かされることになってしまったのだという。

 阿万六郎の妻である浮夏の言葉を信じると、「阿万六郎は淡路が平家に攻められたときに一人で京都に逃げた。その後、国に残る妻や郎等に、自分の無事を伝えていなかった」ということになる。阿万六郎は、源義嗣と義久の援軍に向かおうとした海上で平家の水軍に襲われ、咄嗟に紀伊に逃れたのだから、一人身勝手に逃げたわけではないが、それにしても文の一つも寄こさないというあたり、ひとのこころがなさすぎる。

 浮夏は景時にずいぶんと飼い慣らされているようだった。しかし、夫不在で所領が荒らされるなか、敵である平家の軍勢を追い払ってくれた恩人という見方をすれば、その心はもっともであるように思えた。

 さすがの義経も阿万六郎を擁護してやろうという気が微塵も起きなかった。弁慶は阿万六郎と旧知の仲であるためか、ぼそぼそと阿万六郎の梶取としての有能さを説いた。問題なのは義経たちが使おうとしている軍舟が浮夏のものだということである。いずれにせよ、かたくなに拒む浮夏を懐柔しなければならない。

「浮夏御前を使って阿万六郎は使わないという手はないだろうか」
「それはわたしからはなんとも、もうしあげにくいことです」

 弁慶が珍しく言いよどむ。

「そういえば同じ六郎でも、近藤六郎親家のほうは」
「証文をお渡ししたとおりですよ」
「我々に味方するということだが、精兵揃いなのか」
「兵は問題ないと思います。ただ、もしかしたらあまり猶予はないかもしれません」
「というと」
「これはわたしの感想でしかありませんが、阿波民部太夫からの抑えつけが厳しいのだろうなと感じました。このまま体制を維持していくのは困難だ、というような疲れきった顔をしていましたよ」

 軍勢招集に応じるようにと平家方の使者が再三訪れるのを、いろいろな理由をつけては、のらりくらりとかわしているのだろう。さすがに苦しくなってきたというところか。

「なるほど。それほどまでに四国において、阿波民部太夫の力は大きいか」
「わたしは紀伊のものです。四国の内情にそれほど精通しているわけではありませんが、四国の勢としては、まず第一党が阿波民部太夫であり、彼のもとに平家の本体がおりますから」

 そう言って弁慶は再び黙ってしまった。坪庭では雀が砂浴びをしている。

「河野四郎通信とは、どういった男なのだ」

 ふともたらされた義経の言葉に、弁慶が困惑した表情を見せた。

「河野殿ですか……彼の父親は舟乗りのあいだでは有名でしたから存じておりますが、その息子については、危なっかしいという印象しかないです」
「危なっかしい?」
「あまり関わりあいになりたくない手あいというか。ですから昨日はじめて本人を拝見して、どうも印象が違うなと思いましたけど」

 義経は弁慶に続きをうながした。弁慶は、「わたしの知りえることから見えていることでしかないですよ」と前置きをしたうえで、もそもそと口を開く。

「噂に聞く河野通信という男は、もっと、嵐のような男です」
「ふぅん」
「普通は心が源氏、平家、どちらにあろうとも、一族のためにうまく立ちまわるでしょう」
「まあ、な。お前、それはおれの前で言うことではないのでは――まあいいけども」
「もうしわけございません。しかし、これが本音ですよ。とくに西国の武士たちにとっては、それはもう。おそらく東国の武士とは本質的に我々、違ったものですから」

 義経は口元を隠した。弁慶は知らないのだろうが東国の武士たちとて一枚岩ではない。彼らも自己の利権のために身を削っているだけだ。

 ただ、ほとんど統一されている東国においては、源氏方に敵対するという選択肢はない。実際に源氏に盾突くものたちは、ことごとく排除されている。みな心根はどうであれ、恭順を余儀なくされていると言っていい。

 一方で西国は院につくもの、平家につくもの、源氏につくものと、おのれの身の置きように選択の余地がある。

「そういう日和見的なものが多いなかで、河野通信という男は、攻めたてられ続けながらも、ずっと源氏方を貫き通してきたのです。それが父親の遺志だったのかもしれませんが。身も蓋もない言いかたをすると、無謀であり無茶であり、すべてを失うことすら恐れない不屈の男でもある。だから負けても負けても、生きているかぎり這いあがってくる。正直、気味が悪いのです」

 普段、必要以上に言葉を紡ぐことをしない弁慶が、めずらしくつらつらと語る。

「河野水軍というのは、熊野水軍のように大規模なものではないのです。ただ舟の運用方法が独特らしく。わたしはよくは知りませんが、とにかく素早いと聞きます。ゆえに平家方……同じ四国に根ざす阿波民部太夫から恐れられているのです」
「素早い動きができるのは好ましいな」

 義経が茶化すと、弁慶は少し拗ねたようだった。

「いずれにせよ、わたしにはあの男のような生き様は、ちょっと理解がおよびません」
「くさくさして、なりふりかまわず自分で剃髪したお前も、なかなかではないかな」

 そう言ってからかうと弁慶は今度こそ、むくれて顔を背けてしまった。
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