沈黙のメダリスト

友清 井吹

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Ⅳ オリンピック代表

19 英国人の好意

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閉会式翌日、二人でロンドンを観光する予定だった。

その日も取材依頼が何件もあったが、もうテレビや記者にしゃべるのはほとほと疲れた。
「全部断ります」と大河原さんにメールを送り、彼からの連絡は受信拒否にした。
また怒られるだろうが、もう知らん。

計画では、午前も午後も博物館とその周辺を見学し、ビッグアイは、空いていたら乗ることにしている。その後デパートに行って土産を買い、夜は母親と3人で食事の予定だ。
明日、帰国するから自由時間は少ししかない。

日本選手のジャージを着て選手村の食堂に入った。もう大半の選手は帰国しているので閑散としている。昨日の閉会式に参加した日本選手団も、今日の便で帰ると聞いた。
食堂はセルフなので、適当に皿に食べ物を入れた。もう炭水化物食にこだわらなくていい。

厨房の人たちがカウンターに集まって来た。なぜかこちらを向いて一斉に拍手をする。
後ろに誰かいるのかと思って振り向いたが誰もいない。
首をかしげ、訳が分からないまま手を振って、隅のテーブルに座った。
ここはアルコール以外何でもある食堂だが、あと何回利用できるか?

数人の選手に取り囲まれた。胸の国旗を見るとオーストラリア人らしい。
握手を求められ、ユニファームにサインしろとせがまれた。
二人に漢字名を書いたが、何で俺なんだ。銀メダリストって百人以上いるだろう?

由佳とは10時に『ザ マル』のマラソンスタート地点で会うことにしている。
そこなら博物館もそう遠くない。着替えて部屋を出ようとすると、由佳の母親から電話が来た。

「淳一さん。どうしよう。由佳がイギリスのろう者のグループから招待されてね。あなたにも来てほしいって。すぐここに来てくれる?ホテルまでタクシーで来てね」
何が起きているんだ。彼女との時間がどんどん減っていく。

ホテルのフロントで、由佳の部屋を尋ねると「ジュンイチ?」と先に聞かれた。
うなずくとお祝いの言葉や何やら話しかけて来る。銀メダリストとはそんなに有名人なのか。

二人の部屋に入ると、笑顔の由佳が抱き着いてきた。やっと会えた。母親が、苦笑している。
「やっと会えたわね。由佳も昨日会えなくて寂しがっていたわ」
しまった。メダルを持ってくるのを忘れた。

「淳一さん。さっきBBC放送の日本人の方から連絡があってね。今日のお昼、ろうあ者の協会だったかしら。そこに来てほしいって言われたの。できたらあなたもだって。昨日、あなたがゴールした後、由佳と手話で話していたでしょう?それがテレビに映って字幕もついたんですって。朝、ロビーで由佳と手話をしていたら、知らない人が一杯話しかけてきてね、写真を撮られるし握手もしてくれって、もう大変だった。だからもう一度部屋に戻ってあなたに電話したの」

やっと会えて、今日は二人きりでデートのはずなのに。こんなので今日、博物館に行けるのかな?

「それで、その会では何をすればいいんですか?」
「一言話すだけでいいって。手話でもいいらしいけど、どんな会なんでしょうね?」
朝から何も食べてないと言うので、フロントに電話してサンドイッチを頼んだ。

二人並んで窓からロンドンの街並みを眺めた。何とも言えない気持ちで彼女の肩を抱いた。
でもロンドン滞在もあと一日しかない。

母親の呼ぶ声がした。テレビを指をさしている。
昨日、3位でフィニッシュした直後、手話をする映像が映し出されている。
画面には英語のテロップが付けてあった。
「すまない。3位になってしまった。君の期待に応えられなかった」
「何位でもいい。あなたが本当の金メダリスト。私はあなたを愛している」

何だこれは?大体俺や彼女がこんなこと言ったかな。
次にイギリス選手のインタビュー会場に連れて行かれた時の画面。
翻訳してくれた加納さんは映っておらず、下手な英語でしゃべっている姿が出ていた。
恥ずかしい。

ルームサービスが来た時も混乱した。サンドイッチだけのはずなのに、ワイン付きの豪華なオードブルセットが運ばれてきたのだ。
母親がミステークと言いながら、係の人と押し問答していたが、彼は笑顔で手を振りながら帰ってしまった。なぜか俺たちにすごく親切だ。

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