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第19話

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 「私、あやまらないわよ。
 不倫してたのはアンタたちの方なんだから。
 信じらんない! いきなり家に上がり込んで手料理まで作るなんて!
 この泥棒ネコ!」
 「謝って欲しいなんて思わないわ。だって殴られて当然だもの。
 キックされるかと思った。
 でも不倫じゃないわよ、明美さん結婚してないじゃない?」

 明美は3本目の缶チューハイを開けた。

 「じゃあ浮気、浮気よ! 私という最高の彼女がいながらアンタなんかと!
 いつから浮気してんのよー、アンタたち」
 「ずっと前からよ」
 「えっ! 何それ! キックするからお尻出しなさいよ!」
 「ずっと祐一のことを想っていたってことよ。
 私の片想い。
 明美ちゃんが浮気だっていうなら、愛情を持って想っただけでも浮気でしょ?
 たとえ手を握らなくても」
 「それはそうよ、何もしなくても相手に好意を持ってランチをしたら浮気だもの。
 わかったわ、それじゃあ質問を変える。いつ祐一とやったの?」
 「夕べ」

 優子は普段は吸わないタバコに火を点けると、そう言って気怠そうに煙を吐いた。
 年上の女の色香が美しく、それに明美は嫉妬した。

 「夕べ? 昨日ってこと!
 1回やっただけでもう同棲! ありえない!」
 「そうよ、「善は急げ!」って言うでしょ?」
 「善じゃないし! 最悪」

 明美は哀しそうな目をして、優子の作ったロールキャベツを口にした。

 「何このロールキャベツ? 塩味が足りないじゃないの! 不味まずっ」
 「そうよ、だってケチャップを掛けて食べるから。ハイどうぞ」

 優子は明美にケチャップとマスタードが添えられた小皿を渡した。

 「祐一はね? そんなの掛けないの!
 私のロールキャベツの方が好きなんだから! ねえ祐一?」

 私は料理には手を付けず、ジャックダニエルのハイボールを飲んでいた。
 とても食べ物が喉を通る状況ではない。
 私は無言のオブザーバーに徹していた。
 頭の中でビートルズの『The fool on the hill』がエンドレスで鳴っていた。

 
 「どうせ罰を受けるなら、早い方がいいと思ったからよ」

 優子が水割りを飲んだ時、グラスと氷の触れ合う音がした。

 明美もチューハイを飲み、ロールキャベツを食べた。
 優子が置いたケチャップとマスタードを付けて。

 
 「祐一、どうしてこの女と付き合うことにしたの?」
 「ラクだから」
 「何、そのラクだからって? 何がラクなのよ!
 エッチがラクなの!」

 私はくだらない弁明をした。

 「こうしなきゃ、ああしなきゃって思わなくていいからだよ。
 明美といると、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、あれもしてあげたい、これもしてあげたいっていつも考えてしまう。
 だけどそれが叶えられない自分にストレスを感じていたのも事実だ。
 君はどんどん輝いて、僕の手の届かないところへ行くような気がした」
 「それはただの言い訳でしょう? この女とやりたいだけじゃない、バッカみたい!」

 明美は自分のチューハイを飲み干し、私のバーボンを飲んだ。

 「私にも言わせて、祐一のあなたに対する愛情は今も変わっていないと思う。
 好きだから、大切にしたいから別れようとしたの、明美ちゃんと。
 少なくとも私にはそう思えた。
 だから私はそこにつけ込んだだけ。
 どう? このロールキャベツ、美味しいでしょう?」
 「微妙。どこの世界に自分の彼の浮気相手が作った料理を誉める本妻がいるのよ!」
 「愛人が作った料理を食べる彼女もいないけどね? あはははは」
 「それもそうね? あはははは」
 「でも良かった、食べてくれて。
 明美ちゃんにも食べて欲しかったから。お詫びの印として」
 「ちょっと、毒なんか入れてないでしょうね?」
 「あは、その手があったか? 思いつかなかった」
 「だってしょうがないでしょう、怒ってお腹空いてたんだもん。
 何も食べないで羽田から直行して来たのよ、祐一に早く会いたくて」

 明美は私を睨み付けた。
 だがそれは悲しく、慈愛に満ちた物だった。

 明美はまた、ロールキャベツを食べた。
 美味しそうに。


 自分を愛してくれる女性が目の前でお互いの想いを話している。
 まるでメスの虎とライオンが話をしているようで、どちらも美しい獣のようだった。
 女は強いものだ。特に恋愛については。


 「私ね? 好きじゃない人と結婚したの。
 好きな人から裏切られてボロボロだった私に、夫はすごくやさしくしてくれた。
 私はそのやさしさに縋ったの、とても辛かったから。
 そんな時、彼からプロポーズされた。私は何も考えずにそれを受け入れた。
 今思うと誰でも良かったのかもしれない。大好きだった彼を忘れるために。
 いい人だとは思う、でも好きじゃない。心の底から愛せなかった、夫のことが。
 夫も私のそんな気持ちをわかっていたと言ったわ。
 そのままズルズルとルームシェアみたいな生活を続けた。
 だからね? もう妥協したくないの。何を失ってもいい、たとえその想いが叶えられなくても。
 私は自分が納得出来る人生を生きることにしたの。
 自分の人生に後悔したくないから」
 「後悔のない人生なんて、あるのかしら・・・。
 だって人生って殆ど辛いことばかりでじゃない。今のこの状況みたいに・・・」
 「ごめんなさい。でも私は諦めないわよ、祐一のこと。
 だってそれが自分の本心だから。
 世間体がどうとか、常識とか明美ちゃんのことも考えない。
 そんなこと考えてたら何も出来なくなってしまうから。
 だって愛は勝つか負けるかでしょ?」
 「ヘンな人。
 世の中にはね? ルールってものがあるの!
 人の彼氏は盗らないっていうルールが!」
 「彼に捨てられた時、思ったの。
 彼が誰と付き合おうと、私と別れるのは決まっていたんだろうなあって。
 たとえ祐一が私を選ばなかったとしても、あなたとの別れはもう決めているんだと思う。
 あなたと祐一は合わない。
 明美ちゃんは女優さんみたいに綺麗だから」
 「アンタも美人じゃないの!」
 「明美ちゃんには負けるわよ。男性の憧れ、CAさんだもの」
 「おバカな優子。だから祐一が惚れたのか? バカだから。あはははは」
 「ありがとう。良かったバカで」
 「少し考えさせてよ。ハイそうですかってわけにはいかないから。
 もうこの話は止めましょう。さあ飲もう飲もう。
 祐一も飲みなさいよ、こんな美人たちと飲めるなんて、このしあわせ者!」
 「男冥利に尽きるわね? 祐一」


 明美と優子はまるで姉妹のようだった。性格が正反対の。

 私たち三人がただの兄妹だったら、どんなに良かっただろう。


 酒宴は朝方まで続き、いつの間にか優子と明美はそのまま眠ってしまった。
 ふたりとも眠れる森の美女のように。

 私はふたりにキスをしたい衝動を抑え、彼女たちを起こさぬよう毛布を掛け、静かに後片付けを始めた。

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