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第3話
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真由美はアイスココアを、そして私はメロン・クリームソーダを飲んでいた。
私のクリームソーダのバニラアイスは既に溶けてしまい、美しくクリアなグリーンは乳白色となり、サクランボはグラスの底に沈んでいた。
私はそのサクランボを掬い上げようと必死だった。
「さっきから何やってんの?」
「沈んだサクランボを取ろうとしてるんだけど、中々取れなくって」
「貸してみなさいよ」
真由美は私からグラスを取ると、あっという間にサクランボを掬ってみせた。
「凄い! 真由美は何でも出来るんだね?」
「アンタが鈍臭いだけよ。私、絶対に功作を振り向かせてみせるから」
「真由美なら大丈夫だよ、美人で頭もいいし」
「それだけ?」
「お料理も出来て家事全般が得意で、奥さんにするには最高な女」
私はやっとサクランボを食べることが出来たという喜びに安堵していた。美味しかった。
クリームソーダにこの赤いシロップ漬けのサクランボがなかったら、それはカツ丼に三つ葉が入っていないくらいに味気ないものになってしまうだろう。
私はクリームソーダが好きというよりも、このサクランボが好きなのだ。
だからといってレモンスカッシュでいいというわけではない。
アイスクリームとソーダ水、そしてこのサクランボの三位一体が良いのだ。
「セックスだって自信があるわよ。男を喜ばせるのなんか簡単」
「・・・」
その話題について、私は言及出来る立場にはない。
私はまだ、男性経験がなかったからだ。
「もう早苗も二十歳なんだからさあ、ロスト・バージンしなきゃ駄目よ」
真由美はそう言って、面倒臭そうに二本目のタバコに火を点けた。
美人がタバコを吸うと、こんなにも様になるものかと私は思った。
「連絡先とか交換したの?」
「してないわよ、するような雰囲気じゃなかったじゃない? アンタのせいで」
「ごめん・・・」
「でも心配しないで、彩がいるから大丈夫。
今頃次郎とよろしくやってる筈だから。
彩が次郎から功作の携帯番号を聞き出せば済む話よ」
「流石は真由美、やるわね?」
「恋愛なんてね? じっと待ってちゃ駄目。こっちからドンドン仕掛けていかないと。
あんなイケメン、周りが放おっておくわけがないんだから」
「そうかもね」
「そして今度はアンタには悪いけど、私と功作、そして彩と次郎で会うことにするから悪く思わないでね? 私と彩は恋愛上級者だから。あはははは」
私は安心した。これでふたりとも新しい彼氏が出来れば、自ずと忙しくなり、私は彼女たちに振り回されずに済むからだ。
私はアイスが溶け、炭酸が抜けたクリームソーダをストローで啜った。
学生アパートに戻ると、バッグから功作がくれた箸袋を取り出してみた。
驚いたことに、そこには彼の携帯番号が書かれていた。
心臓がドキドキした。
私は男子と付き合ったことも、告白した事も、されたこともなかったからだ。
だがそれは密かな憧れでもあった。
少女漫画のような、胸キュンの話にのめり込んだりすることもある。
でも現実には想像すら出来なかった。
「自分みたいな女の子には関係がない話・・・」
私は子供の頃から目立つような子供ではなかった。
クラスでは苛められ、よく泣いて家に帰った。
死にたいと思ったことも何度かあった。
だから私は自分を守るために、いつの間にかカメレオンのように周囲と擬態することを学んだ。
つまり空気は読めないが、それに同化することは出来た。
自分の考えをハッキリと主張出来る、真由美や彩が不思議でもあり、羨ましくもあった。
そんな私に彼は連絡先を教えてくれたのだ。しかも私だけにコッソリと。
こんな古典的なやり方で・・・。
中学の時、クラスメイトの男子からからかわれたことがあった。
好きだった男の子からの手紙が机の中に入っていたのだが、それは彼らが偽造したものだった。
「緑ヶ丘公園で待っています」
緊張してそこに行くと、男子たち数人が大笑いをして立っていた。
「なっ? やっぱり来ただろう? ほら、1,000円ずつ出せよ、俺の勝ちだ」
酷い苛めだった。
「バカヤロー、何で来んだよ! お前みたいなブス、誰も相手になんかするかよバーカ!」
死にたいと思った。私は泣きながら河川敷に向かって歩いた。
そのことがトラウマになり、それ以来私は男性不信になってしまったのである。
故にそれを手放しでは喜ぶことが出来ない自分がいた。
うれしさ半分、不信感が半分。いや、不信感の方が遥かに勝っていた。
(あんなイケメンが、私と本気で付き合いたいなんて思うわけがない)
私は電話番号の書かれた箸袋を、大切にクリアファイルの中に挟んだ。
「嘘でもいいじゃない? いい記念だと思えば」
早苗が功作に電話をすることはなかった。
翌日、大学に行くと彩は満面の笑みで昨夜のことを赤裸々に語り始めた。
「彼ね、とってもやさしかったわ。久しぶりにすごく感じちゃった。エヘッ」
「はいはい、それはそれは良かったわね? どうもごちそうさま。
私たちは最悪だったけどね? ねっ、早苗?」
「う、うん」
功作から電話番号を教えられたなんて、とても真由美たちには口が裂けても言えなかった。
「真由美、ありがとう、誘ってくれて。やっぱり湘南に行って良かったわ!
これで退屈な夏休みにならなくて済むわ」
「よかったわね? 今度、一緒にダブルデートしない?」
「ダブルって、早苗は?」
「今回、私はちょっとパスかな?」
「だから今度は次郎と功作を誘って私たちだけで会うの。
もちろん彩と次郎はすぐに離脱してよね? あとは功作と私で仲良く「する」から」
「キャーッ、真由美のベッド・テクニックで功作、メロメロにされちゃうわけだ。
メロンメロン・パーンチ! あはははは」
「私の魅力で蕩けさせてやるわよ、必ず」
「わかったわ、じゃあセッティングしておくわね?」
「頼んだわよ彩」
「まかせて頂戴!」
「ああ、ヤリ過ぎてお股がヒリヒリするう」
「あはははは」
私は複雑な心境だった。
(もし、本当に私に好意があって・・・。ないない、そんなの絶対にない!)
私はそれを必死に打ち消そうとした。
夜、大学のレポートを書いていても、功作のことが頭から離れなかった。
何度も箸袋に書かれた電話番号を見た。
それは功作のポートレートのようだった。
気が付くと、無意識に彼の携帯番号を入力している自分がいた。
携帯番号は嘘かもしれない、それならそれで諦めも付く。
私はそれを確かめてみたくなった。その奇跡を。
遂に私は発信ボタンを押してしまった。
少し遅れて呼び出し音が鳴り始めた。それは凄く長く感じた。
(どうか出ないで欲しい、でも出て欲しい・・・)
「もしもし」
功作の声だった。
「あ、あのー、幸村さんの携帯ですか? 私、昨日湘南の海でお会いした・・・、園田です」
「もう電話してくれないのかと思ったよ、ありがとう、凄くうれしいよ」
「どうして私に携帯番号を教えてくれたんですか?」
「園田さんが、早苗ちゃんが素敵だったからだよ」
「からかわないで下さい! 素敵だなんて。
私は根暗で地味な女です。みんなから『若オバサン』なんて呼ばれているんですから」
うれしかった。
「それは酷いなあ。でも僕はそうは思わないよ、君は光り輝くダイヤモンドの原石だから。
ぜひ僕に君を磨かせて欲しい。明日、忙しいかい?」
「いえ、別に用事はありませんけど・・・」
(ダイヤの原石? この私が?)
真由美たちの顔が眼に浮かんだ。
「だったら少し話をしないか? お互いのことをもっとよく理解するために。
東京駅の『銀の鈴』ってわかる?」
「あの東京駅の地下にある、待ち合わせ場所ですよね?」
「そこに夕方5時でどうだろう?」
「わかりました・・・」
「それじゃあ、明日5時に。
遅れてもいいから気をつけて来てね?」
「ありがとうございます、では5時に『銀の鈴』で」
電話を切った後、私は携帯電話を抱き締め、仰向けになって足をばたつかせて喜んだ。
夢を見ているようだった。
私は早く明日が来ることを願った。
私のクリームソーダのバニラアイスは既に溶けてしまい、美しくクリアなグリーンは乳白色となり、サクランボはグラスの底に沈んでいた。
私はそのサクランボを掬い上げようと必死だった。
「さっきから何やってんの?」
「沈んだサクランボを取ろうとしてるんだけど、中々取れなくって」
「貸してみなさいよ」
真由美は私からグラスを取ると、あっという間にサクランボを掬ってみせた。
「凄い! 真由美は何でも出来るんだね?」
「アンタが鈍臭いだけよ。私、絶対に功作を振り向かせてみせるから」
「真由美なら大丈夫だよ、美人で頭もいいし」
「それだけ?」
「お料理も出来て家事全般が得意で、奥さんにするには最高な女」
私はやっとサクランボを食べることが出来たという喜びに安堵していた。美味しかった。
クリームソーダにこの赤いシロップ漬けのサクランボがなかったら、それはカツ丼に三つ葉が入っていないくらいに味気ないものになってしまうだろう。
私はクリームソーダが好きというよりも、このサクランボが好きなのだ。
だからといってレモンスカッシュでいいというわけではない。
アイスクリームとソーダ水、そしてこのサクランボの三位一体が良いのだ。
「セックスだって自信があるわよ。男を喜ばせるのなんか簡単」
「・・・」
その話題について、私は言及出来る立場にはない。
私はまだ、男性経験がなかったからだ。
「もう早苗も二十歳なんだからさあ、ロスト・バージンしなきゃ駄目よ」
真由美はそう言って、面倒臭そうに二本目のタバコに火を点けた。
美人がタバコを吸うと、こんなにも様になるものかと私は思った。
「連絡先とか交換したの?」
「してないわよ、するような雰囲気じゃなかったじゃない? アンタのせいで」
「ごめん・・・」
「でも心配しないで、彩がいるから大丈夫。
今頃次郎とよろしくやってる筈だから。
彩が次郎から功作の携帯番号を聞き出せば済む話よ」
「流石は真由美、やるわね?」
「恋愛なんてね? じっと待ってちゃ駄目。こっちからドンドン仕掛けていかないと。
あんなイケメン、周りが放おっておくわけがないんだから」
「そうかもね」
「そして今度はアンタには悪いけど、私と功作、そして彩と次郎で会うことにするから悪く思わないでね? 私と彩は恋愛上級者だから。あはははは」
私は安心した。これでふたりとも新しい彼氏が出来れば、自ずと忙しくなり、私は彼女たちに振り回されずに済むからだ。
私はアイスが溶け、炭酸が抜けたクリームソーダをストローで啜った。
学生アパートに戻ると、バッグから功作がくれた箸袋を取り出してみた。
驚いたことに、そこには彼の携帯番号が書かれていた。
心臓がドキドキした。
私は男子と付き合ったことも、告白した事も、されたこともなかったからだ。
だがそれは密かな憧れでもあった。
少女漫画のような、胸キュンの話にのめり込んだりすることもある。
でも現実には想像すら出来なかった。
「自分みたいな女の子には関係がない話・・・」
私は子供の頃から目立つような子供ではなかった。
クラスでは苛められ、よく泣いて家に帰った。
死にたいと思ったことも何度かあった。
だから私は自分を守るために、いつの間にかカメレオンのように周囲と擬態することを学んだ。
つまり空気は読めないが、それに同化することは出来た。
自分の考えをハッキリと主張出来る、真由美や彩が不思議でもあり、羨ましくもあった。
そんな私に彼は連絡先を教えてくれたのだ。しかも私だけにコッソリと。
こんな古典的なやり方で・・・。
中学の時、クラスメイトの男子からからかわれたことがあった。
好きだった男の子からの手紙が机の中に入っていたのだが、それは彼らが偽造したものだった。
「緑ヶ丘公園で待っています」
緊張してそこに行くと、男子たち数人が大笑いをして立っていた。
「なっ? やっぱり来ただろう? ほら、1,000円ずつ出せよ、俺の勝ちだ」
酷い苛めだった。
「バカヤロー、何で来んだよ! お前みたいなブス、誰も相手になんかするかよバーカ!」
死にたいと思った。私は泣きながら河川敷に向かって歩いた。
そのことがトラウマになり、それ以来私は男性不信になってしまったのである。
故にそれを手放しでは喜ぶことが出来ない自分がいた。
うれしさ半分、不信感が半分。いや、不信感の方が遥かに勝っていた。
(あんなイケメンが、私と本気で付き合いたいなんて思うわけがない)
私は電話番号の書かれた箸袋を、大切にクリアファイルの中に挟んだ。
「嘘でもいいじゃない? いい記念だと思えば」
早苗が功作に電話をすることはなかった。
翌日、大学に行くと彩は満面の笑みで昨夜のことを赤裸々に語り始めた。
「彼ね、とってもやさしかったわ。久しぶりにすごく感じちゃった。エヘッ」
「はいはい、それはそれは良かったわね? どうもごちそうさま。
私たちは最悪だったけどね? ねっ、早苗?」
「う、うん」
功作から電話番号を教えられたなんて、とても真由美たちには口が裂けても言えなかった。
「真由美、ありがとう、誘ってくれて。やっぱり湘南に行って良かったわ!
これで退屈な夏休みにならなくて済むわ」
「よかったわね? 今度、一緒にダブルデートしない?」
「ダブルって、早苗は?」
「今回、私はちょっとパスかな?」
「だから今度は次郎と功作を誘って私たちだけで会うの。
もちろん彩と次郎はすぐに離脱してよね? あとは功作と私で仲良く「する」から」
「キャーッ、真由美のベッド・テクニックで功作、メロメロにされちゃうわけだ。
メロンメロン・パーンチ! あはははは」
「私の魅力で蕩けさせてやるわよ、必ず」
「わかったわ、じゃあセッティングしておくわね?」
「頼んだわよ彩」
「まかせて頂戴!」
「ああ、ヤリ過ぎてお股がヒリヒリするう」
「あはははは」
私は複雑な心境だった。
(もし、本当に私に好意があって・・・。ないない、そんなの絶対にない!)
私はそれを必死に打ち消そうとした。
夜、大学のレポートを書いていても、功作のことが頭から離れなかった。
何度も箸袋に書かれた電話番号を見た。
それは功作のポートレートのようだった。
気が付くと、無意識に彼の携帯番号を入力している自分がいた。
携帯番号は嘘かもしれない、それならそれで諦めも付く。
私はそれを確かめてみたくなった。その奇跡を。
遂に私は発信ボタンを押してしまった。
少し遅れて呼び出し音が鳴り始めた。それは凄く長く感じた。
(どうか出ないで欲しい、でも出て欲しい・・・)
「もしもし」
功作の声だった。
「あ、あのー、幸村さんの携帯ですか? 私、昨日湘南の海でお会いした・・・、園田です」
「もう電話してくれないのかと思ったよ、ありがとう、凄くうれしいよ」
「どうして私に携帯番号を教えてくれたんですか?」
「園田さんが、早苗ちゃんが素敵だったからだよ」
「からかわないで下さい! 素敵だなんて。
私は根暗で地味な女です。みんなから『若オバサン』なんて呼ばれているんですから」
うれしかった。
「それは酷いなあ。でも僕はそうは思わないよ、君は光り輝くダイヤモンドの原石だから。
ぜひ僕に君を磨かせて欲しい。明日、忙しいかい?」
「いえ、別に用事はありませんけど・・・」
(ダイヤの原石? この私が?)
真由美たちの顔が眼に浮かんだ。
「だったら少し話をしないか? お互いのことをもっとよく理解するために。
東京駅の『銀の鈴』ってわかる?」
「あの東京駅の地下にある、待ち合わせ場所ですよね?」
「そこに夕方5時でどうだろう?」
「わかりました・・・」
「それじゃあ、明日5時に。
遅れてもいいから気をつけて来てね?」
「ありがとうございます、では5時に『銀の鈴』で」
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