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最終話

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 2018年12月20日

 医学の進歩により、人間は簡単には死ななくなった。
 人生100年は長いのか? それとも短いのか?

 俺の人生はこれでいいのかもしれない。
 人間の寿命は、信長の時代のように50年が妥当なのだ。

 最近までは定年は60歳だった。
 判断力も体力も、それを境に格段に低下して行くからだ。

 男の場合、28で結婚して30で子供が生まれれば、自分が定年になる頃には子供は30歳になる。
 子供も所帯を持ち、孫も出来て紅葉もみじのような手で、爺さんの顔を触ってくれるだろう。
 それで死ぬのが理想だ。
 親の役目はそこで終わる。

 「いいおじいちゃんだったよね?」

 と、ボロが出ないまま惜しまれて死ねるからだ。

 俺の人生はそうはいかなかった。
 だが後悔はない。
 それが俺の人生だからだ。
 テレビのホームドラマなど、所詮まやかしに過ぎない。


 終活が完了した。カード類と通帳は所持し、実印と通帳印、暗証番号のメモはアパートへ置くことにした。
 なるべくみんなに迷惑を掛けないようにしたい。
 俺は自分のクルマで死ぬことを決めた。
 睡眠薬と酒を用意する。
 俺にピッタリの死に様。「酔生夢死」




 2018年12月21日

 大好きな日本海を見て死にたいと思った。
 クルマで最期の旅に出た。

 初日は温泉旅館でのんびりと過ごす。
 帳場の女将と談笑する。
 まさかこれから死のうとする男には見えないだろう。
 それが少し面白かった。

 荒れ狂う眼前に広がる日本海。
 比較的、海水温度が高いのか? 海に雪が降り、海から湯気が上がっていた。


 沈黙の中にいると、死ぬのが怖くなるのでテレビを点けた。
 関西のお笑い芸人の大声でまくし立てる関西弁に苛立ち、チャンネルを変えた。
 布団に入るがなかなか寝付けない。 


 
 
 2018年12月22日

 日本海沿いをそのまま南下する。
 まるでシベリアを走っているような冬景色。
 死のドライブには丁度いい。
 これから死のうというのに、安全運転に気を配る自分が可笑しい。

 海沿いの駐車場にクルマを停め、ひとりで酒盛りを始める。
 潮騒と風の音、遠くから聞こえるカモメの鳴き声が寂しい。

 お気に入りのカラヤン、ベルリンフィルを聴く。
 アルビノーニ、弦楽とオルガンのためのアダージョ ト短調

 カラヤンとベルリンフィルは唯一無二だ。




 2018年12月23日

 明日はクリスマスイブ。
 家族に会いたい。

 それがあまりにも身勝手な望みであることはわかっている。
 家族を捨てた俺にはそんな資格はない。

 健太郎、瞳、そして直子。
 今さらだが幸せになって欲しい。

 
 人は自殺すると、神のお決めになった寿命の残りをひとりで臭くて、冷たい闇の中で過ごすことになるらしい。
 本来、85歳の寿命だった者が32歳で自殺した場合、残りの53年間をそこで過ごすことになるというのだ。
 ならば俺はその闇で過ごすのは数日か? それとも数か月か?
 いや、そんなことはないはずだ。
 どんな理由があろうと、自らの命を絶つということは神への冒涜なのだから。

 他人は言う、

 「死ぬことを考えれば、それ以上辛いことなんてないよ」と。

 そんな寝ボケたことを偉そうに言う奴は、死ぬほどの苦しみを味わったことがない奴だ。
 この世には死ぬより辛いことなんて山ほどある。




 2018年12月24日 クリスマス・イブ



        今までありがとうございました。
        私はしあわせでした。

                





 親父から俺に電話が掛かって来たのはその頃だった。


 「元気か?」
 「うん」
 「そうか、なら良かった。
 人生は楽しむためにあるからな? それじゃ元気でな?」


 それだけ言うと親父は電話を切った。
 嫌な予感はしたが、俺は折り返して電話をすることはしなかった。





 春になり、満開を過ぎた桜並木は昨夜の嵐で花は散り、道はピンク色に染まっていた。


 「親父を迎えに行かないか?」
 「そうね?」
 「パパをお家に連れて来てあげようよ」




 墓はなかったので親父の遺骨と位牌は寺に預けたままだった。
 親父の遺骨はずっしりと重かった。
 それは焼かれた骨の重さではなく、ホーロー製の骨壺の重さだろう。
 だが俺はその重さに救われた気がしていた。
 もし親父の遺骨が桐箱に入れられただけの軽さだったら、俺はその場で泣き崩れていたはずだ。



 助手席に遺骨と位牌を乗せ、シートベルトを締めた。

 「お帰りなさい、あなた」
 「パパ、お帰りなさい」

 俺も親父に声を掛けた。

 「親父、家族と一緒に家に帰ろう」

 助手席で親父が笑った気がした。


                    『沈黙の祭』完



 【あとがき】

 タイトルを『沈黙の祭』としたのは、富山県の『おわら風の盆』という無言で踊る、死者のための盆踊りに感銘を受けたからです。
 無言で死者を弔う。
 日本人の死に対する想いがあると思いました。
 この小説は、私と別れた家族の関係が、いつかこうあればいいなあという理想でもありました。

 最後までお読み下さり、ありがとうございました。

                         作者 菊池昭仁

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