【完結】命玉(作品230512)

菊池昭仁

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第3話 言ってはいけない

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 夕飯の時間になった。

 「壮一、ご飯出来たわよー、今日はアンタの好きな酢豚だから、早く降りて来なさーい」
 「ハーイ!」

 私はマイケルに言った。

 「ねえ、マイケル、大丈夫かな?」
 「大丈夫だよ、サングラスさえしていれば」


 私はサングラスを掛け、マイケルを抱いて階段を降りて行った。


 「壮一、どうしたの? サングラスなんかして?」
 「なんだか眩しくてさ」
 「眩しくてって、もう夜よ、大丈夫なの? 明日、眼科に行きなさいよ。目は大切なんだから」
 「うん、少し様子を見てからそうするよ」
 「ダメ! 明日絶対に眼科に行きなさい! 目は大切よ」
 「わかったよ、うるせえなあ。
 おっ、うまそうだね? 酢豚」
 「お母さんの酢豚は旨そうじゃなくて美味しいの! どこの中華レストランにも負けないんだから。
 さあ、たくさん食べなさい。
 アンタの好きなパイナップルもいっぱい入れておいたから」

 マイケルは溜息を吐いた。

 「またこのキャットフードかあ~。 これ、あんまり美味しくないんだよなあ~、たまには缶詰も食べたいよ」

 私は戸棚の中から、とっておきの『猫グルメ』の缶詰を開け、キャットフードの上にそれを乗せた。

 「ありがとう壮一! いっただきまーす!」
 
 マイケルは美味しそうに夢中でエサを食べ始めた。


 「どうしたの? 急にマイケルに缶詰なんかあげて」
 「うん、たまにはね? ここ最近はキャットフードばっかりだったから。
 母さん、どこか調子が悪いところはない?」
 「ないわよ、どうしてそんなこと訊くの? めずらしいわね」
 「母さんには長生きしてもらいたいから・・・」
 「ヘンな子ね? でもうれしいわ、ありがとう。
 大丈夫よ、孫の顔を見るまでは死ねないから」
 
 私は泣きそうになってしまった。
 それは母が死ぬなんて、今まで考えてもみなかった事だからだ。

 瞳から電話が掛かって来た。
 
 「壮一、明日、ご飯食べに行こうよ」
 「うん、いいよ。何が食べたい?」
 「焼肉! さっきテレビのグルメ番組でさあ、石ちゃんが「まいうー」って言っていたのを見ていたら、急に焼肉が食べたくなっちゃったの」
 「あの人、本当に旨そうに食べるもんな?」
 「じゃあ明日ね
予約しておいて」
 「じゃあ、19時に『明洞』を予約しておくよ」
 「よろしくね」

 それを聞いていた母が言った。

 「瞳ちゃん?」
 「うん、母さん、明日は夕食いらないから」
 「はいはい、あんたたち、結婚するんでしょ?
 早い方がいいんじゃないの? 私、瞳ちゃんならうまくやっていけそうよ」
 「そのつもりだけどね?」

 私はまだプロポーズをしていなかった。
 そろそろプロポーズをしようとしていた時に、球体が見えるようになってしまった。
 はたして瞳の玉はどうなっているのだろうか?
 私は瞳の寿命を知るのが怖かった。



 私は地元の銀行員をしていた。
 もちろん、銀行にはサングラスなんてして行けるわけがない。私は覚悟を決めた。


 支店に出勤すると、やはり、みんなの頭には球体が浮かんでいた。
 だが、安心したのはみんな、十分すぎるほど長生きだったことだ。
 ただひとりを除いて。


 「1」と書かれた、直径2メートルくらいの大きなミカン色の玉が浮いている男がいた。
 それはいつも私に厳しい、島崎次長だった。

 島崎次長は優秀な銀行員で、今度の人事異動では支店長に昇進するとの噂だった。
 
 「おい、三浦代理、なんだこの稟議の書き方は! もっと簡潔明瞭に書け! 書き直し!」
 「はい、すみませんでした」

 私が島崎次長の頭の上をジッと眺めていると、

 「なんだ? 俺の頭に何かついてるか?」
 「いえ」

 私は自分のデスクに戻った。
 
 (島崎次長に虐められるのも、あと、もう少しの辛抱か・・・)

 私は自分が恐ろしくなった。
 すぐに私はその想いを打ち消した。

 島崎次長には中学3年生のお嬢さんと、小学校4年生の男の子がいる。
 確か奥さんは元同僚だったはずだ。
 そんなことを考えると、なぜか急に次長が気の毒になった。


 銀行に来ている人たちにも様々な玉が浮いていたが、段々それが気にならなくなっていた。
 慣れというのは恐ろしい物だ。
 そして「ああ、あの人は長生きだなあ」とか、「いつもクレームばかり言っているこの爺さんはあと2年か? 人に意地悪ばかりしているからだ」と、勝手に観察するようにさえなってしまっていた。
 そして意外だったのは支店長だった。
 いつもニコニコしていて人当たりのいい森支店長の額には、赤くバツが描かれていたからだ。
 自宅の隣の意地悪オバサンのように。




 仕事が終わり、予約していた焼肉に行くと、瞳が少し遅れて焼肉屋にやって来た。

 「ゴメンねー、ちょっとトラブっちゃって。
 どうしたの? サングラスなんかして?」
 「ちょっと「物もらい」が出来たみたいでさあ」

 私は嘘を吐いた。

 「大丈夫? うつさないでよ」
 「大丈夫だよ、濃厚接触さえしなければ」
 「何やってんだか。今日は折角高いワコールの下着で来たのに。
 ガッカリ」
 「また今度ね? さあどんどん食べて! お店が潰れるくらい!」
 「よーし、じゃんじゃん食べて、ガンガン飲んじゃおっと!」

 私はそんな瞳を見ていて辛かった。
 せめて私よりは大きい数字が書かれていることを願った。
 だがサングラスを外す勇気はなかった。




 家に帰ると、マイケルが玄関に迎えに来てくれた。

 「お帰り~、壮一。
 どうだった? 瞳ちゃんとの焼肉デートは?」
 「うん・・・」
 「そうか、知りたくないよな? 瞳ちゃんの寿命なんて」
 「見て安心したい気もするんだけどね? その逆だったらと思うとサングラスは外せなかったよ」

 私はマイケルを抱いて、二階の自分の部屋に上がって行った。


 「そういえば大事なこと言ってなかった。あのね、その玉のことは絶対に本人に喋っちゃダメだよ。もちろん他人にも言ってはいけない」
 「言わないよそんなこと、言えるわけないじゃないか」
 「そうだろうけどさ、万が一だよ、万が一。
 もし、それを破ったら、壮一は猫にされちゃうからね。
 それだけは気をつけてよ」
 「どうせなら犬の方がいいな」
 「ふざけないで! わかった?」
 「わかったよ」

 私はスーツを脱いでスウェットに着替え、マイケルを膝に乗せて缶ビールの蓋を開けた。
 おつまみのチータラをマイケルに分けてあげた。

 私は再び、自分の大切な人たちの事を思い浮かべた。

 少なくともみんな、私より先に死んで欲しくはないと思った。
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