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エッセイ『電気が世界を変えた』
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ギリシャ神話によると、人類に火を伝えたのはプロメテウスだと言われている。
神の世界から火を盗んで人間に与えたプロメテウスはゼウスの逆鱗に触れ、内臓をワシに啄まれたという。
そしてゼウスはプロメテウスの弟であるエピメテウスに妻を娶らせた。
それが人類最初の女性、パンドラである。
パンドラはゼウスに貰った匣を好奇心に負けて開けてしまう。
その箱からは様々な災いが世界に散らばり、その後、その箱の中から声がする。
「私はエルピス(希望)です。ここから出して下さい」
中々いい話である。多くの災難の中、我々は希望があるから生きていける。
そして男を惑わす女性も生まれたわけである。
もちろん実際には落雷や火山噴火によって人間は火を使うようになった筈だ。
人類は火を使うことで大きく進化した。
煮炊きをしたり暖を取ったり陶磁器を作り、鉄を溶かして道具や武器を作った。
そして今から2600年前、火と同じように今度は「静電気」が発見された。
ギリシャの哲学者、ターレスによってである。
ターレスは宝石の琥珀が埃などを引き寄せることを見て、静電気の存在を知ったと言われている。
琥珀はその昔、エレクトロンと呼ばれ、それが電気の語源になっている。
私は若い頃、アフリカの沿岸諸国を訪れ、電気がない部落に行ったことがある。
唯一電気があったのは、インド人医師の家にあったエンジン式小型発電機だけだった。
彼はそれで小さな電球を灯し、ラジオを聴いていた。
しかし原住民たちの家には家電製品はなかった。
もちろん電気製品の存在は侵略者、白人によって知ってはいたが、たとえ電気製品を手に入れることが出来たとしても電気がない。
食事は火を起こして何やら煮込んで食べていた。
私は遠慮したけどね。
酒も同じ器でみんなで回し飲み。それも辞退した。
「食欲もないし、酒も欲しくないんだ」
「だったら女は?」
「ありがとう、気持ちだけもらっておくよ」
性病なんか貰ったら日本の彼女に申し訳ないからね。
電気の発明により世界は激変した。
物理学者でアメリカ第26代大統領でもあるベンジャミン・フランクリンは凧を上げ、雷が電気であることを発見する。
そしてエジソンの電球の発明により、世界は明るくなり、闇が消えた。
街は眠らなくなった。
電車が走る。電子レンジ、スマホにパソコン、そしてテレビにエアコン。
いつでも音楽や映画も楽しめるようになった。
すべて電気のおかげである。
ジェット戦闘機も原子力潜水艦も核兵器も原子力発電所も、みんな電気がないと動かせない。
挙句の果ては人工知能に命令される始末。
だが、昔は電気がなくても生きていられた。決して長寿ではなかったが生活をしていたのである。
蒸気機関車。ご飯は「かまど」で炊いた。
コミュニケーションは会って話すか手紙。インディアンは狼煙だったっけ?
テレビもエアコンもなく、移動手段は馬や馬車。牛車とか?
音楽も家族や仲間で演奏したり、コンサートに出掛けたりすれば良かった。
娯楽や情報が少ないから活字を読み、その結果、考えるチカラが養われることになった。
戦争は直接兵士同士が戦った。一瞬で大勢の人が死ぬことはなかった。
ノーベルによってダイナマイトが発明され、その罪滅ぼしのためにノーベル賞が生まれた。
能登の震災は大変だ。私も福島で東日本大震災を経験したので決して他人事ではない。
トイレは水洗トイレなので水がないと使えないし洗濯も出来ない。
もちろん水も飲めない。
電気が通っていないから照明が点かなくて暗い。テレビも見ることが出来ない。
ガソリンもないからクルマを走らせることが出来なかった。
ガスが使えないので温かい食事も食べられないし、風呂にも入れない。
そしてそのすべては電気がないと使えない物ばかりだ。
昔、トイレは汲み取り式だった。
畑には肥溜めがあり、その糞尿を土の栄養にしてリサイクルをしていた。
江戸時代には「糞問屋」があり、いい物を食べていた大名家の糞尿は高く売れたという。
江戸は世界一清潔なエコタウンだったという。
今は知らないけど、俺が滞在していたパリなんか、街に人間だか犬だかのウンコがよく落ちていたもんだ。
水は井戸水や沢水。洗濯は洗濯板を使って固形石鹸で洗っていた。
暖房や調理は火鉢や湯たんぽ、囲炉裏、カマドや焚き火で行った。焼き芋とか。
照明はロウソク。
暗くなると眠った。やることがないから自然と子沢山になる。
岸田総理も電気をなくせばいいのにね? 少子高齢化問題も簡単に解消するのに。
電気がないと寿命は短くなるだろうしね。年金や医療福祉の心配も減る。
電気のおかげで確かに世の中は便利で衛生的にはなったが、それにより「やさしい心」を失った気がする。
人は感謝をすることを忘れた。
白米を食べられることの幸福を今の人は知らない。
今、私は炊きたてのご飯に胡麻塩をかけて食べてみた。
凄く美味しいと思った。
芥川龍之介の小説、『一塊の土』の中に出てくる農家の未亡人の話が出てくる。
辛い野良仕事を終え、芋をガツガツと食べる農婦。
米を作りながら白米を食べることが出来ない貧しさが描かれている。
今の日本には美味しい物がたくさんある。
寿司屋で小学生のガキが言う、「エンガワ食べたい。カレイじゃなく平目のエンガワ」
それを目を細めてうれしそうに見ているバカ親。どうなってんだ日本は?
こども食堂って本当にあるのかよ! おい、自民党の安倍晋三の子分たちよお!
ピザにハンバーガー、牛丼にラーメン。回転寿司にトンカツ、餃子にカレーライス。
ウーバーイーツって何だよ。蕎麦屋の出前でいいじゃねえか。
店に行って食えよ、高いカネ払って冷めたメシを食わないでさあ。
料理は出来立てがいちばん美味いんだからさあ。
注文はタッチパネルで料理は猫型ロボットが運んで来る。
もし電気がなければこれらは使えない。人懐っこい店員さんが注文を取り、食事を運んで来てくれる。
「以上でご注文のお品はお揃いですか? ニコッ」
電気がない生活ってどうだろう? それが当たり前になったら別に不自由を感じないのではないだろうか?
電気は世の中を便利にしたが、人間の心を変えてしまった気がする。
世界中の多くの国を訪れたが、日本のような国はどこにもない。
キレイで美味しい水道水があり、下水も完備し、ぽつんと一軒家にも電気が通っている。
停電してもすぐに復旧する。
蛇口をひねれば水が出て、当たり前にガスが使えてリモコンで明かりが点く。
こんな国は日本しかない。
これらは決して当たり前ではないのだ。だが殆どの日本人はそれに気付かない。
それが当たり前だと思っているからだ。
俺もぽつんと一軒家で暮らしたいなあ。
でも虫とかヘビ、クマもダメだしなあ。
やっぱり電気が使えないとダメか? 口惜しいけど。
神の世界から火を盗んで人間に与えたプロメテウスはゼウスの逆鱗に触れ、内臓をワシに啄まれたという。
そしてゼウスはプロメテウスの弟であるエピメテウスに妻を娶らせた。
それが人類最初の女性、パンドラである。
パンドラはゼウスに貰った匣を好奇心に負けて開けてしまう。
その箱からは様々な災いが世界に散らばり、その後、その箱の中から声がする。
「私はエルピス(希望)です。ここから出して下さい」
中々いい話である。多くの災難の中、我々は希望があるから生きていける。
そして男を惑わす女性も生まれたわけである。
もちろん実際には落雷や火山噴火によって人間は火を使うようになった筈だ。
人類は火を使うことで大きく進化した。
煮炊きをしたり暖を取ったり陶磁器を作り、鉄を溶かして道具や武器を作った。
そして今から2600年前、火と同じように今度は「静電気」が発見された。
ギリシャの哲学者、ターレスによってである。
ターレスは宝石の琥珀が埃などを引き寄せることを見て、静電気の存在を知ったと言われている。
琥珀はその昔、エレクトロンと呼ばれ、それが電気の語源になっている。
私は若い頃、アフリカの沿岸諸国を訪れ、電気がない部落に行ったことがある。
唯一電気があったのは、インド人医師の家にあったエンジン式小型発電機だけだった。
彼はそれで小さな電球を灯し、ラジオを聴いていた。
しかし原住民たちの家には家電製品はなかった。
もちろん電気製品の存在は侵略者、白人によって知ってはいたが、たとえ電気製品を手に入れることが出来たとしても電気がない。
食事は火を起こして何やら煮込んで食べていた。
私は遠慮したけどね。
酒も同じ器でみんなで回し飲み。それも辞退した。
「食欲もないし、酒も欲しくないんだ」
「だったら女は?」
「ありがとう、気持ちだけもらっておくよ」
性病なんか貰ったら日本の彼女に申し訳ないからね。
電気の発明により世界は激変した。
物理学者でアメリカ第26代大統領でもあるベンジャミン・フランクリンは凧を上げ、雷が電気であることを発見する。
そしてエジソンの電球の発明により、世界は明るくなり、闇が消えた。
街は眠らなくなった。
電車が走る。電子レンジ、スマホにパソコン、そしてテレビにエアコン。
いつでも音楽や映画も楽しめるようになった。
すべて電気のおかげである。
ジェット戦闘機も原子力潜水艦も核兵器も原子力発電所も、みんな電気がないと動かせない。
挙句の果ては人工知能に命令される始末。
だが、昔は電気がなくても生きていられた。決して長寿ではなかったが生活をしていたのである。
蒸気機関車。ご飯は「かまど」で炊いた。
コミュニケーションは会って話すか手紙。インディアンは狼煙だったっけ?
テレビもエアコンもなく、移動手段は馬や馬車。牛車とか?
音楽も家族や仲間で演奏したり、コンサートに出掛けたりすれば良かった。
娯楽や情報が少ないから活字を読み、その結果、考えるチカラが養われることになった。
戦争は直接兵士同士が戦った。一瞬で大勢の人が死ぬことはなかった。
ノーベルによってダイナマイトが発明され、その罪滅ぼしのためにノーベル賞が生まれた。
能登の震災は大変だ。私も福島で東日本大震災を経験したので決して他人事ではない。
トイレは水洗トイレなので水がないと使えないし洗濯も出来ない。
もちろん水も飲めない。
電気が通っていないから照明が点かなくて暗い。テレビも見ることが出来ない。
ガソリンもないからクルマを走らせることが出来なかった。
ガスが使えないので温かい食事も食べられないし、風呂にも入れない。
そしてそのすべては電気がないと使えない物ばかりだ。
昔、トイレは汲み取り式だった。
畑には肥溜めがあり、その糞尿を土の栄養にしてリサイクルをしていた。
江戸時代には「糞問屋」があり、いい物を食べていた大名家の糞尿は高く売れたという。
江戸は世界一清潔なエコタウンだったという。
今は知らないけど、俺が滞在していたパリなんか、街に人間だか犬だかのウンコがよく落ちていたもんだ。
水は井戸水や沢水。洗濯は洗濯板を使って固形石鹸で洗っていた。
暖房や調理は火鉢や湯たんぽ、囲炉裏、カマドや焚き火で行った。焼き芋とか。
照明はロウソク。
暗くなると眠った。やることがないから自然と子沢山になる。
岸田総理も電気をなくせばいいのにね? 少子高齢化問題も簡単に解消するのに。
電気がないと寿命は短くなるだろうしね。年金や医療福祉の心配も減る。
電気のおかげで確かに世の中は便利で衛生的にはなったが、それにより「やさしい心」を失った気がする。
人は感謝をすることを忘れた。
白米を食べられることの幸福を今の人は知らない。
今、私は炊きたてのご飯に胡麻塩をかけて食べてみた。
凄く美味しいと思った。
芥川龍之介の小説、『一塊の土』の中に出てくる農家の未亡人の話が出てくる。
辛い野良仕事を終え、芋をガツガツと食べる農婦。
米を作りながら白米を食べることが出来ない貧しさが描かれている。
今の日本には美味しい物がたくさんある。
寿司屋で小学生のガキが言う、「エンガワ食べたい。カレイじゃなく平目のエンガワ」
それを目を細めてうれしそうに見ているバカ親。どうなってんだ日本は?
こども食堂って本当にあるのかよ! おい、自民党の安倍晋三の子分たちよお!
ピザにハンバーガー、牛丼にラーメン。回転寿司にトンカツ、餃子にカレーライス。
ウーバーイーツって何だよ。蕎麦屋の出前でいいじゃねえか。
店に行って食えよ、高いカネ払って冷めたメシを食わないでさあ。
料理は出来立てがいちばん美味いんだからさあ。
注文はタッチパネルで料理は猫型ロボットが運んで来る。
もし電気がなければこれらは使えない。人懐っこい店員さんが注文を取り、食事を運んで来てくれる。
「以上でご注文のお品はお揃いですか? ニコッ」
電気がない生活ってどうだろう? それが当たり前になったら別に不自由を感じないのではないだろうか?
電気は世の中を便利にしたが、人間の心を変えてしまった気がする。
世界中の多くの国を訪れたが、日本のような国はどこにもない。
キレイで美味しい水道水があり、下水も完備し、ぽつんと一軒家にも電気が通っている。
停電してもすぐに復旧する。
蛇口をひねれば水が出て、当たり前にガスが使えてリモコンで明かりが点く。
こんな国は日本しかない。
これらは決して当たり前ではないのだ。だが殆どの日本人はそれに気付かない。
それが当たり前だと思っているからだ。
俺もぽつんと一軒家で暮らしたいなあ。
でも虫とかヘビ、クマもダメだしなあ。
やっぱり電気が使えないとダメか? 口惜しいけど。
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