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第1話 教誨師
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細い針のように雨が降っていた。
ただでさえ陰気な刑務所の中で、教誨師の牧師、大湊は憂鬱だった。
目の前の29才の死刑囚は、夫婦と小学生の子供たち2人を惨殺後、冷蔵庫を開けてアイスを食べながら死体をスマホで撮影していたという。
そんな人間に何を改心させろと言うのだろう?
その男はしきりに貧乏ゆすりをしていた。
私はまず、天気の話をすることにした。
「外は雨が降っています。雨は嫌ですね?
でも、そのイヤな雨がないと・・・」
その若者は私の話をすぐに途中で遮った。
「牧師さん、これから死刑になるボクに、お説教しても無駄ですよ。
雨はイヤだけど、雨がないと大地は潤わないとでも言いたいんですか?」
「人間は死の、死のその瞬間まで悔い改めることが出来るのです。
さあ、あなたが犯した罪の許しを神に祈りましょう、私と共に」
その死刑囚は私に顔を近づけ、唾を吐いた。
私は何も言わず、ハンカチでそれを拭った。
「何のために?」
「神様はすべての人間に対して平等に愛を与えて下さるのです。
たとえ死刑囚のあなたでも、犯した罪を懺悔しなければならないのです、人間として」
「死んだらそれで終わりですよ。この世から消えてなくなるだけ、泡のようにね?」
「終わりではありません。死後、人は神によって裁かれるのです」
「許したり裁いたり、どっちなんですか? 神様って?」
「神様は我々の創造主です、父上なのです」
「創造主? 父上? ただ男と女がセックスして子供が出来るだけですよね?
そしてボクは親から虐待され、学校でも職場でも虐められて大人になりました。
悪魔の大人にね。ふふっつ。
死んだら体が焼かれて灰になるのに、どうやって裁くんですか?
死んだらそれで終わりですよ。
早くボクを死刑にして下さいよ、なるべく痛くないように。
麻酔とかしてくれないんですかねえ?」
「肉体は滅んでも魂は残るのです」
「魂? 何ですかそれ? 牧師さんは魂って見たことあんですか? 写メとか撮りました?
撮ったなら見せて下さいよ」
「魂は目には見えません。でも確実に存在するのです。
そして魂は永遠に不滅なのです」
「見えない? 見えない物を信じろと?」
「魂は死後、肉体から離れ・・・」
「牧師さんさあ、見たことないんだろう? 見たの? 魂?
見たなら信じるよ、そして死後の裁判も実際に見たことあるならアンタの話、信じてあげるよ。
俺は見た物しか信じない。自分で見た物しか信じない」
突然死刑囚の口調が変わった。
おそらく、別の人格が現れたのだろう、顔の表情も変わっていた。
私は激しい敗北感と無力感を携え、刑務所を後にした。
傘を差しながら、歩道の水溜まりを気にして歩いた。
3日前に買ったばかりの靴を履いて来るべきではなかったと、私は後悔した。
(あの時私は、彼をどうやって諭すべきだったのだろう?)
そもそも私は人に説教出来る人間ではない。
私自身、常に迷い、苦悩を抱えて生きていたからだ。
神学校を出て牧師になって10年、何も変わらない毎日。
そんな私を信者さんたちは「牧師先生」と慕ってくれる。
プロテスタントでは信者同志を家族として接するので「田中兄弟」「伊藤兄弟」と、名前に兄弟と付けて呼び合う。人は皆、神の子供だからだ。
収入の1割を教会に寄進し、幸福を願う。
そしてその一部を私は受け取り、生かされていた。
もちろん贅沢は望まないし、物欲もない。
「牧師先生は清らかなお方ですね?」
牧師になるには仏教のような厳しい難行苦行を強制されることはない。
神道もあまり知られてはいないが、それ以上の苦行を自らに課している神官も存在する。
つまり肉体に苦痛を与えることで、眠っていた神通力の覚醒を求めるのだ。
それに比べて牧師には自分の肉体を痛めつけることはないが、厳しい戒律を守り、聖書を読み解き、信者をイエスに導く義務がある。
牧師としての信者獲得と精神的な重圧は、並大抵の物ではなかった。
教会に戻った私はひとり、礼拝堂で祈りを捧げ、瞑想した。
十字架に架刑されたキリストの前で私は跪き、懺悔した。
「主よ、私は牧師でありながら、あの若者をあなたの元へ導くことが出来ませんでした。
私に彼を救い、あなたの元へ導く力をお与え下さい」
もちろんイエスからの返事はなかった。
私は執務室へ戻った。
私には物欲はなかったが、男性としての性欲はあった。
32才の私がそれを欲することは自然なのかもしれない。
今日のようなストレスを受けるとそれは尚、助長された。
神にお仕えする牧師の私が、女を求めることへの罪悪が私を苦しめた。
それが聖職者である私にとって、いかに重罪であるか分かっている。
だが、それに打ち勝つことが私には出来なかった。
聖職者が色恋に溺れるなど、絶対にあってはならない。
だが、やってしまう。
今日もまた、出会い系のアプリには、色々な女性たちがアップされていた。
長い黒髪の少し憂いのある女、新垣結衣のような爽やかな女性、金髪の巻き毛のギャルなど様々な女性が私にアプローチして来る。
そんな中でひと際目を惹いたのが「桃子」という女の子だった。
LINEで何度かの遣り取りをして、私と桃子は会うことになった。
私は桃子という不思議な女子高生に、次第に翻弄されて行くことになるのだった。
自分が牧師であることも忘れて。
ただでさえ陰気な刑務所の中で、教誨師の牧師、大湊は憂鬱だった。
目の前の29才の死刑囚は、夫婦と小学生の子供たち2人を惨殺後、冷蔵庫を開けてアイスを食べながら死体をスマホで撮影していたという。
そんな人間に何を改心させろと言うのだろう?
その男はしきりに貧乏ゆすりをしていた。
私はまず、天気の話をすることにした。
「外は雨が降っています。雨は嫌ですね?
でも、そのイヤな雨がないと・・・」
その若者は私の話をすぐに途中で遮った。
「牧師さん、これから死刑になるボクに、お説教しても無駄ですよ。
雨はイヤだけど、雨がないと大地は潤わないとでも言いたいんですか?」
「人間は死の、死のその瞬間まで悔い改めることが出来るのです。
さあ、あなたが犯した罪の許しを神に祈りましょう、私と共に」
その死刑囚は私に顔を近づけ、唾を吐いた。
私は何も言わず、ハンカチでそれを拭った。
「何のために?」
「神様はすべての人間に対して平等に愛を与えて下さるのです。
たとえ死刑囚のあなたでも、犯した罪を懺悔しなければならないのです、人間として」
「死んだらそれで終わりですよ。この世から消えてなくなるだけ、泡のようにね?」
「終わりではありません。死後、人は神によって裁かれるのです」
「許したり裁いたり、どっちなんですか? 神様って?」
「神様は我々の創造主です、父上なのです」
「創造主? 父上? ただ男と女がセックスして子供が出来るだけですよね?
そしてボクは親から虐待され、学校でも職場でも虐められて大人になりました。
悪魔の大人にね。ふふっつ。
死んだら体が焼かれて灰になるのに、どうやって裁くんですか?
死んだらそれで終わりですよ。
早くボクを死刑にして下さいよ、なるべく痛くないように。
麻酔とかしてくれないんですかねえ?」
「肉体は滅んでも魂は残るのです」
「魂? 何ですかそれ? 牧師さんは魂って見たことあんですか? 写メとか撮りました?
撮ったなら見せて下さいよ」
「魂は目には見えません。でも確実に存在するのです。
そして魂は永遠に不滅なのです」
「見えない? 見えない物を信じろと?」
「魂は死後、肉体から離れ・・・」
「牧師さんさあ、見たことないんだろう? 見たの? 魂?
見たなら信じるよ、そして死後の裁判も実際に見たことあるならアンタの話、信じてあげるよ。
俺は見た物しか信じない。自分で見た物しか信じない」
突然死刑囚の口調が変わった。
おそらく、別の人格が現れたのだろう、顔の表情も変わっていた。
私は激しい敗北感と無力感を携え、刑務所を後にした。
傘を差しながら、歩道の水溜まりを気にして歩いた。
3日前に買ったばかりの靴を履いて来るべきではなかったと、私は後悔した。
(あの時私は、彼をどうやって諭すべきだったのだろう?)
そもそも私は人に説教出来る人間ではない。
私自身、常に迷い、苦悩を抱えて生きていたからだ。
神学校を出て牧師になって10年、何も変わらない毎日。
そんな私を信者さんたちは「牧師先生」と慕ってくれる。
プロテスタントでは信者同志を家族として接するので「田中兄弟」「伊藤兄弟」と、名前に兄弟と付けて呼び合う。人は皆、神の子供だからだ。
収入の1割を教会に寄進し、幸福を願う。
そしてその一部を私は受け取り、生かされていた。
もちろん贅沢は望まないし、物欲もない。
「牧師先生は清らかなお方ですね?」
牧師になるには仏教のような厳しい難行苦行を強制されることはない。
神道もあまり知られてはいないが、それ以上の苦行を自らに課している神官も存在する。
つまり肉体に苦痛を与えることで、眠っていた神通力の覚醒を求めるのだ。
それに比べて牧師には自分の肉体を痛めつけることはないが、厳しい戒律を守り、聖書を読み解き、信者をイエスに導く義務がある。
牧師としての信者獲得と精神的な重圧は、並大抵の物ではなかった。
教会に戻った私はひとり、礼拝堂で祈りを捧げ、瞑想した。
十字架に架刑されたキリストの前で私は跪き、懺悔した。
「主よ、私は牧師でありながら、あの若者をあなたの元へ導くことが出来ませんでした。
私に彼を救い、あなたの元へ導く力をお与え下さい」
もちろんイエスからの返事はなかった。
私は執務室へ戻った。
私には物欲はなかったが、男性としての性欲はあった。
32才の私がそれを欲することは自然なのかもしれない。
今日のようなストレスを受けるとそれは尚、助長された。
神にお仕えする牧師の私が、女を求めることへの罪悪が私を苦しめた。
それが聖職者である私にとって、いかに重罪であるか分かっている。
だが、それに打ち勝つことが私には出来なかった。
聖職者が色恋に溺れるなど、絶対にあってはならない。
だが、やってしまう。
今日もまた、出会い系のアプリには、色々な女性たちがアップされていた。
長い黒髪の少し憂いのある女、新垣結衣のような爽やかな女性、金髪の巻き毛のギャルなど様々な女性が私にアプローチして来る。
そんな中でひと際目を惹いたのが「桃子」という女の子だった。
LINEで何度かの遣り取りをして、私と桃子は会うことになった。
私は桃子という不思議な女子高生に、次第に翻弄されて行くことになるのだった。
自分が牧師であることも忘れて。
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