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第17話
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大学に行けない私に残されたチャンスは富山商船高専に合格することだった。
故郷の会津を離れ、見知らぬ富山で生活するしかなかった。
船は小学校の修学旅行で乗った、松島の遊覧船しか知らない。
そんな私の船乗りのイメージはと言えば、和製ジェームズ・ディーンと呼ばれた、赤木圭一郎の『霧笛が俺を呼んでいる』の映画でしかない。
カッコはいいが古臭い地味な仕事の印象でしかなかった。
取り敢えず過去の入試問題を見てみると、結構難しかった。
私は受験勉強に励んだ。
バレンタインデーが始まったのはその頃だった。
萩原健一がCMをしていたチョコレート、『デュエット』なども登場した。
両手に抱えるほどチョコを貰った。
家にそれを持ち帰ると妹から褒められた。
「お兄ちゃん凄いね?」
「食べるか?」
「うん」
妹は小学校1年生だった。
断っておくが私はマッチやトシチャン顔ではない。
ましてや郷ひろみや西城秀樹でもない。
中学生なのに同級生のお母さんたちからは「北大路欣也」と呼ばれていた。
「菊池君って北大路欣也に似てるわよね?」
微妙である。
あおい輝彦とか、既にヒゲが濃かったので巨人軍の「柴田」と揶揄する奴もいた。
他校の女子からもチョコを貰ったが私はその本人を知らない。
その友だちだという後輩の女の子が私の似顔絵(?)を添えてチョコを届けてくれた。
坊主頭の私が金髪のサラサラヘアで目はブルー。
外人のように描かれていた。
少女漫画の主人公のように。
チョコをくれた女の子と交換日記をすることになった。
何を書いていいのかわからなかった。
交換日記は1週間ほどで終わった。
高専の入試は一番早かった。
私は仙台の試験会場で受験することにした。
仙台には父の姉家族がいたので前日に泊めてもらえたからだ。
叔父は大きな郵便局の局長をしており、戦時中は海軍経理学校を出て主計中尉だったそうで、商船士官になろうとしている私を好意的に応援してくれた。
従兄弟は一人息子で、仙台一高から早稲田大学の法学部を出て銀行に就職した秀才である。
「書斎で試験勉強するといいよ」と言われ、書斎部屋に入って驚いた。
凄まじい蔵書に8帖の部屋の壁が埋め尽くされていた。
まるで図書館だった。
そのうちの二割が洋書で、ドイツ語の法学書も多数あった。
文庫本も多くあり、寝る前に一冊読むのが習慣になっていると言っていた。
その日の夕食時、私は従兄弟からアップル・ブランディーを沢山飲まされ、全然最後の詰めの勉強が出来なかった。
「試験の前日は寝るのが一番だよ」
と従兄弟は笑っていた。
試験は無事終わり、筆記試験は合格することが出来た。
筆記試験に合格すると次は富山の本校での面接試験になる。
二次の面接試験のために父が富山まで付き添ってくれた。
学校が斡旋してくれた、学校の近くにある「鯰鉱泉」という古い旅館に他の受験生たちと一緒に雑魚寝した。
全国から受験生が集まっていたが、その中で学生服の裏に龍と虎の長ランを着ている者が数人いた。
目地目な秀才タイプから、地元では暴走族に入っているというリーゼント頭の者もいた。
少し気がラクになった。
(誰でも受かるのかな?)
私の面接官は父親くらいの年齢の教授だった。
高専では先生を教官と呼ぶらしい。
そして助手、講師、助教授、教授がいることを知った。
「菊池君はなぜ本校を受験したのかね?」
「はい! 船乗りはとても辛くて厳しい仕事だとは思いますが、それに挑戦してみたいと思ったからです!」
と、私が答えると面接官の教授は笑った。
「あはははは 船乗りは辛いことばかりではないよ」
ほっとした。私があまりにも緊張しているのをみて教授は私をリラックスしてあげようと思ったようだ。
その教授はジャイロコンパスなどの舶用計器の権威で、後に私の結婚式でスピーチをしていただく関係になるとは思いもしなかった。
中学に戻って1週間が経った頃、担任が教室に来て、いきなり黒板にチョークで大書した。
菊池 富山商船高専 合格
おめでとう!
「凄えなあ!」
「よかったね! 菊池君!」
うれしかった。
うれしかったが富山の遠さを実感した私は、取り敢えず若松商業高校も受験するつもりだった。
どっちに進むかはその時また考えようと思ったからだ。
その後、担任に呼ばれた。
「よかったな菊池。合格出来て」
「はい・・・」
私は担任がキライだった。
すると担任は信じられないことを言った。
「若商は受験するなよ。もう合格したんだから」
「えっ?」
「話はそれだけだ」
私はその意味をすぐに理解した。
私が受験を辞退すれば合格枠が1つ空くからだった。
私はその担任を心の底から憎んだ。
だが他の先生達は私に同情的だった。
ビリから数えた方が早かった貧乏人の私が、先生たちも称賛してくれるほど「菊池の奇跡」と言われ、成績も良くなった私が今度は会津を離れ、中学を出て全寮制の富山県の学校へ行くことを気の毒に思い、励ましてくれた。
ある先生は授業を潰して、自分の大学時代の寮生活の話をしてくれた。
「いいか菊池、寮生活は大変だぞ。
〇〇先生、あの先生は寮での先輩でな? いつも俺たち下級生にメシを運ばせて布団の上でメシを食っていたんだ。
苦労はするかもしれんががんばれ。お前ならやれる」
私は先生に感謝した。
ウチのクラスはひとりだけ高校に進学出来ない女子がいたが、全員第一志望に合格した。
担任は同僚の先生たちや父兄から褒められた。
私は合格して当然だと思っていた。
なぜならその教師は生徒の希望は訊かずに、合格出来る高校に振り分けていたからだ。
進学校に合格した連中は勝ち誇っていた。
富山に発つ日、会津若松駅にひとりの女の子だけを残してクラスのみんなが見送りに来てくれた。
クラスのみんなの寄せ書きと一人ひとりにインタビューをしたテープ、そしてPARKERの万年筆を貰った。
私は不安を胸に、父とふたりで磐越西線の鈍行ティーゼルに乗って富山商船高専の入学式へと向かった。
故郷の会津を離れ、見知らぬ富山で生活するしかなかった。
船は小学校の修学旅行で乗った、松島の遊覧船しか知らない。
そんな私の船乗りのイメージはと言えば、和製ジェームズ・ディーンと呼ばれた、赤木圭一郎の『霧笛が俺を呼んでいる』の映画でしかない。
カッコはいいが古臭い地味な仕事の印象でしかなかった。
取り敢えず過去の入試問題を見てみると、結構難しかった。
私は受験勉強に励んだ。
バレンタインデーが始まったのはその頃だった。
萩原健一がCMをしていたチョコレート、『デュエット』なども登場した。
両手に抱えるほどチョコを貰った。
家にそれを持ち帰ると妹から褒められた。
「お兄ちゃん凄いね?」
「食べるか?」
「うん」
妹は小学校1年生だった。
断っておくが私はマッチやトシチャン顔ではない。
ましてや郷ひろみや西城秀樹でもない。
中学生なのに同級生のお母さんたちからは「北大路欣也」と呼ばれていた。
「菊池君って北大路欣也に似てるわよね?」
微妙である。
あおい輝彦とか、既にヒゲが濃かったので巨人軍の「柴田」と揶揄する奴もいた。
他校の女子からもチョコを貰ったが私はその本人を知らない。
その友だちだという後輩の女の子が私の似顔絵(?)を添えてチョコを届けてくれた。
坊主頭の私が金髪のサラサラヘアで目はブルー。
外人のように描かれていた。
少女漫画の主人公のように。
チョコをくれた女の子と交換日記をすることになった。
何を書いていいのかわからなかった。
交換日記は1週間ほどで終わった。
高専の入試は一番早かった。
私は仙台の試験会場で受験することにした。
仙台には父の姉家族がいたので前日に泊めてもらえたからだ。
叔父は大きな郵便局の局長をしており、戦時中は海軍経理学校を出て主計中尉だったそうで、商船士官になろうとしている私を好意的に応援してくれた。
従兄弟は一人息子で、仙台一高から早稲田大学の法学部を出て銀行に就職した秀才である。
「書斎で試験勉強するといいよ」と言われ、書斎部屋に入って驚いた。
凄まじい蔵書に8帖の部屋の壁が埋め尽くされていた。
まるで図書館だった。
そのうちの二割が洋書で、ドイツ語の法学書も多数あった。
文庫本も多くあり、寝る前に一冊読むのが習慣になっていると言っていた。
その日の夕食時、私は従兄弟からアップル・ブランディーを沢山飲まされ、全然最後の詰めの勉強が出来なかった。
「試験の前日は寝るのが一番だよ」
と従兄弟は笑っていた。
試験は無事終わり、筆記試験は合格することが出来た。
筆記試験に合格すると次は富山の本校での面接試験になる。
二次の面接試験のために父が富山まで付き添ってくれた。
学校が斡旋してくれた、学校の近くにある「鯰鉱泉」という古い旅館に他の受験生たちと一緒に雑魚寝した。
全国から受験生が集まっていたが、その中で学生服の裏に龍と虎の長ランを着ている者が数人いた。
目地目な秀才タイプから、地元では暴走族に入っているというリーゼント頭の者もいた。
少し気がラクになった。
(誰でも受かるのかな?)
私の面接官は父親くらいの年齢の教授だった。
高専では先生を教官と呼ぶらしい。
そして助手、講師、助教授、教授がいることを知った。
「菊池君はなぜ本校を受験したのかね?」
「はい! 船乗りはとても辛くて厳しい仕事だとは思いますが、それに挑戦してみたいと思ったからです!」
と、私が答えると面接官の教授は笑った。
「あはははは 船乗りは辛いことばかりではないよ」
ほっとした。私があまりにも緊張しているのをみて教授は私をリラックスしてあげようと思ったようだ。
その教授はジャイロコンパスなどの舶用計器の権威で、後に私の結婚式でスピーチをしていただく関係になるとは思いもしなかった。
中学に戻って1週間が経った頃、担任が教室に来て、いきなり黒板にチョークで大書した。
菊池 富山商船高専 合格
おめでとう!
「凄えなあ!」
「よかったね! 菊池君!」
うれしかった。
うれしかったが富山の遠さを実感した私は、取り敢えず若松商業高校も受験するつもりだった。
どっちに進むかはその時また考えようと思ったからだ。
その後、担任に呼ばれた。
「よかったな菊池。合格出来て」
「はい・・・」
私は担任がキライだった。
すると担任は信じられないことを言った。
「若商は受験するなよ。もう合格したんだから」
「えっ?」
「話はそれだけだ」
私はその意味をすぐに理解した。
私が受験を辞退すれば合格枠が1つ空くからだった。
私はその担任を心の底から憎んだ。
だが他の先生達は私に同情的だった。
ビリから数えた方が早かった貧乏人の私が、先生たちも称賛してくれるほど「菊池の奇跡」と言われ、成績も良くなった私が今度は会津を離れ、中学を出て全寮制の富山県の学校へ行くことを気の毒に思い、励ましてくれた。
ある先生は授業を潰して、自分の大学時代の寮生活の話をしてくれた。
「いいか菊池、寮生活は大変だぞ。
〇〇先生、あの先生は寮での先輩でな? いつも俺たち下級生にメシを運ばせて布団の上でメシを食っていたんだ。
苦労はするかもしれんががんばれ。お前ならやれる」
私は先生に感謝した。
ウチのクラスはひとりだけ高校に進学出来ない女子がいたが、全員第一志望に合格した。
担任は同僚の先生たちや父兄から褒められた。
私は合格して当然だと思っていた。
なぜならその教師は生徒の希望は訊かずに、合格出来る高校に振り分けていたからだ。
進学校に合格した連中は勝ち誇っていた。
富山に発つ日、会津若松駅にひとりの女の子だけを残してクラスのみんなが見送りに来てくれた。
クラスのみんなの寄せ書きと一人ひとりにインタビューをしたテープ、そしてPARKERの万年筆を貰った。
私は不安を胸に、父とふたりで磐越西線の鈍行ティーゼルに乗って富山商船高専の入学式へと向かった。
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