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第9話 洋介さんの秘密

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 洋介さんの事情聴取が長引いたのには別の理由があった。


 「野村洋介さん、いや、片桐礼司さんですね? 初めまして、公安の新里です。
 いつ、日本に帰国されたのですか?」
 「分かっているんじゃないですか? 公安さんなんだから」
 「その公安もあなたに尾行を簡単にまかれましたからねえ。それが偶然、こんなところでお目に掛かれるなんて。私たちは運命の糸で結ばれているのかもしれませんね?」
 「私はあなたたち公安に監視されるようなことは何もしていません。ただの一般市民ですから」
 「あなたが我が国にとって、非常に危険な存在だからです。
 これからはちょくちょくお邪魔させていただきますね?」

 片桐は新里を見下ろすように見て言った。

 「あの人たちは無関係ですのであの家には近付かないでいただきたい」
 「確かにあの人たちはあなたとは無関係のようだ。だからこそ、彼らをヘンな計画に巻き込んで欲しくはないのです。何をするために日本に戻って来たのです? 片桐礼司、元陸自一佐」
 「日本の寿司やラーメンが食べたくなったからですよ。ただそれだけです」
 「あなたは自衛隊の闇の暗殺部隊、『別班』の指揮官でした。そのあなたが突然自衛隊を辞めてアフガンに行く事になったのは何故ですか? 思想不適格により除隊させられたと記録にはありますが、そんなことは誰も信じちゃいない。あなたほどの優秀な自衛官が自衛隊を辞めるわけがない。防衛大学を首席で卒業し、ワシントンの大使館にも武官として駐在していたほどのあなたがです。
 それなのにあなたは幕僚の道を選ばなかった。
 片桐さん、あなた自身が最強の兵器なんですよ。たった一人で一個師団をせん滅してしまうほどのね?」
 「それは褒め過ぎですよ、新里さん」
 「いずれにせよ、あなたの監視は今後も続けさせていただきます。これが仕事なので」
 「お好きにどうぞ。まあこれで私も危ない組織から守られるわけですからね? よろしくお願いしますよ、新里さん。 
 もう帰ってもいいですか? まだ夕食をしていない、腹を空かせた仲間を待たせていますので」
 「では今日のところはお帰りいただいて結構です。長くお話をして申し訳ありませんでした」



 野村洋介は偽名だった。彼はただの元自衛官ではなかった。
 彼はある特殊任務を遂行するために3年間、世界の紛争地帯で傭兵として実戦経験を重ね、半年前にアフガニスタンから日本に帰国したのだった。
 そしてこの限界集落に潜むことで、その機を窺っていたのだった。


 野村洋介、本名、片桐礼司は防衛大学校からかつての陸軍中野学校の流れを受け継ぐ、自衛隊小平学校を優秀な成績で卒業し、陸上自衛官武官としてワシントンの日本大使館にも駐在してFBIやCIAとも関係を深め、その後帰国して『別班』の発足に伴い、その組織の幹部となった男だった。


 片桐は部下の西田二尉に乱数表を使い、モールス信号で暗号を打電した。
 モールスに乱数表など、昔のスパイのようではあるが、偏差値だけは高い、公安のエリートたちにはその知識も経験もない。
 彼らはサイバー技術には長けてはいても、アナログには弱かったのだ。


 「コウアンニホソクサレリ チュウイサレタシ」
 「リョウカイ」




 誠二が「道の駅」で収穫した野菜を並べていると、背後から声をかけられた。

 「渋山誠二さんですね?」

 そこには背広姿の男が二人、立っていた。

 「警察ですが、少しお時間をいただけませんか? ほんの5分ほどですので」

 ふたりの刑事は私に警察官の身分証明書を見せた。

 「・・・はい」

 私は駐車場に停めてあった警察車両に乗せられた。


 「実はお願いがありまして、これを身に付けていて欲しいのです」

 すると刑事はよく知られたブランドのボールペンを私に渡した。


 「これはカメラ付き小型マイクになっています。これをあなたに携帯していただきたいのです。常に」
 「なぜこれを私に?」
 「木下沙織さんが嘘を吐いていないか、確認するためです」
 「沙織ちゃんはそんな娘ではありません。お断りします」
 「これは木下さんの無実を証明するためでもあるのです。タダでとは申しません。これはほんの謝礼です」

 刑事は封の切られたタバコとボールペンを私の胸ポケットに強引に差し入れた。


 「では、お願いしましたからね? 戻っていただいて結構です。ご協力に感謝いたします」


 だがそれは、沙織を監視するためのものではなく、野村洋介こと、片桐礼司を監視するための物だった。


 私はトイレに入ると鍵をかけ、タバコの箱を開けた。
 するとそこには四つに折られた一万円札が5枚入れられていた。

 私は躊躇いながらもそれを自分の財布の中に入れてしまった。

 (沙織ちゃんの無実を証明するためだ)

 と、自分の良心に言訳をするかのように。
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