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9月14日(月)曇り 入院9日目
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いつになったら退院出来るのだろう? 入院した時の同室患者はもう誰もいない。
息子が入院したのか、母親が付き添いに来ていつまでも病室で話をしている。イライラする。
「ブドウでも食べる? 何か持って来て欲しい物はない?」
私だけではなく、同室のみんなは思っていたはずだ。
(談話室で話せよ! バカ親子!)
俺も「ブドウ食べる?」とか言われてみたいよ。
今ならシャインマスカットがいいなあ。
女房もそうだが、母親は息子がかわいいものだ。父親が娘を溺愛するように。
私はその親子の会話に耐えられず、自分から部屋を出て談話室に向かった。
温かい珈琲を飲みながら、5階の談話室でドクターヘリが飛び立つのを眺めていた。
私は数年前、広島へ向かう飛行機から見た、地上の風景を思い出していた。
高速道路を蟻のように走るクルマ。その小さなクルマの中に更に小さな人が乗っているのだ。あのビルにもあの家にも人がいる。
地球から見れば砂粒のような人間たち。そのちっぽけな人間があのクルマを作り、このジュラルミンの300トン近くの塊を、時速800~900kmのスピードで飛ばし、宇宙にも人類を送っている。
音楽、美術、文学。様々な美を産み出し、文明科学を発見し、発明を繰り返している。
人間は地球というひとつの生命体の一部なのだ。
そんな人間がこの地球を破壊してしまうほどの原爆や水爆を考え、1万発もの核爆弾を作り出した。
たったひとりの人間の脳がだ。
そしてその同じ人間の俺は今、左目を失いかけて沈んでいるのは実に滑稽だ。
左目が今、どうなっているのかわからない。目の周りを消毒し、眼帯のガーゼを交換する時に目を開けてもいいのだろうが、怖くて開けることが出来ないでいた。
(真っ暗だったらどうしよう?)
幸いなことに、閉じた瞼からも光は感じていた。
先生から「目を開けて見て下さい」と言われるまでは目を開けたくはない。
また元のように見えるはずだ。こんなに長く入院しているのだから。
アメリカの病院に飾られていた格言を思い出す。
金持ちになりたいと神様に願ったら
お金のありがたさを知るようにと貧乏になった
健康になりたいと神様に願ったら
健康のありがたさを知るようにと病気になった
そして俺は神様から目が見えていることの素晴らしさを教えていただいている。
たとえ左目がダメでも右目を残していただいた。
それだけで私は十分しあわせだ。
目が見える、なんてありがたいことだろう。
看護士さんたちとも親しくなり、入院も悪くはないと思った。
休みなく働いたことへの褒美なのかもしれない。
何度も叩き落され、何度も這い上がって来た。
高待遇に誘われて、2年ごとに会社を変わった。
嘘つきの経営者ばかりだった。
業績が良くなると約束した条件を守らなくなる。
会社がよくなれば、うるさい私は目障りになるらしく、自分から会社に呼んでおいて「イヤなら辞めてもらってもいい」と言われ、会社を辞めた。
そして半年から1年でその会社は消えた。
所詮、能力がないからサラリーマンをしているのだ。
仕事が出来るから社長になれたわけではない。運がいいだけなのだ。
自分のために働いてくれる人間が、なぜかそいつには集まって来る。
あとはそいつらが勝手にカネを稼いでくれる。
社長は高級車に乗りゴルフ三昧、女遊びをして社員を恫喝していればいい。
だがその社長以上の社員は会社にはいない。社長以上の社員であれば、自分で独立しているはずだ。
そして俺も社長になった。そして3回失敗した。口惜しいが俺は社長の器ではなかった。運もなかったし人望もなかった。
親の会社を継いだ親友から言われたことがある。
「お前はカネに執着しないからダメなんだ」
意外だった。カネの話をしない奴だったからだ。
何をやらせても一流な男だった。高専では決して人前で努力している姿を見せなかったが、勉強もスポーツもいつも一番だった。
そして人を惹きつける魅力のある男だった。
何度も助けてもらった。それなのに今だに恩返しが出来ていない。
「感謝」という言葉が俺には欠落していた。
「もっともっと」とカネばかりを追い駆けていた。
そして糖尿になり、左目を失いかけている。
運良く糖尿病の名医と出会い、奇跡的にインシュリンの注射もせずに血糖値は改善された。
だが腎臓や心臓、脳へのダメージは否めないと言われた。
「菊池さん、大学病院に勤めていた時の私の患者さんにね、両目を失明して両足も膝下から切断した人がいました。 「先生、これじゃ自殺することも出来ねえよ」と笑っていましたよ。
楽しみはラジオを聴くことだけだそうです」
俺はまだ歩けるだけましだな? まだ右目も見えているし。
息子が入院したのか、母親が付き添いに来ていつまでも病室で話をしている。イライラする。
「ブドウでも食べる? 何か持って来て欲しい物はない?」
私だけではなく、同室のみんなは思っていたはずだ。
(談話室で話せよ! バカ親子!)
俺も「ブドウ食べる?」とか言われてみたいよ。
今ならシャインマスカットがいいなあ。
女房もそうだが、母親は息子がかわいいものだ。父親が娘を溺愛するように。
私はその親子の会話に耐えられず、自分から部屋を出て談話室に向かった。
温かい珈琲を飲みながら、5階の談話室でドクターヘリが飛び立つのを眺めていた。
私は数年前、広島へ向かう飛行機から見た、地上の風景を思い出していた。
高速道路を蟻のように走るクルマ。その小さなクルマの中に更に小さな人が乗っているのだ。あのビルにもあの家にも人がいる。
地球から見れば砂粒のような人間たち。そのちっぽけな人間があのクルマを作り、このジュラルミンの300トン近くの塊を、時速800~900kmのスピードで飛ばし、宇宙にも人類を送っている。
音楽、美術、文学。様々な美を産み出し、文明科学を発見し、発明を繰り返している。
人間は地球というひとつの生命体の一部なのだ。
そんな人間がこの地球を破壊してしまうほどの原爆や水爆を考え、1万発もの核爆弾を作り出した。
たったひとりの人間の脳がだ。
そしてその同じ人間の俺は今、左目を失いかけて沈んでいるのは実に滑稽だ。
左目が今、どうなっているのかわからない。目の周りを消毒し、眼帯のガーゼを交換する時に目を開けてもいいのだろうが、怖くて開けることが出来ないでいた。
(真っ暗だったらどうしよう?)
幸いなことに、閉じた瞼からも光は感じていた。
先生から「目を開けて見て下さい」と言われるまでは目を開けたくはない。
また元のように見えるはずだ。こんなに長く入院しているのだから。
アメリカの病院に飾られていた格言を思い出す。
金持ちになりたいと神様に願ったら
お金のありがたさを知るようにと貧乏になった
健康になりたいと神様に願ったら
健康のありがたさを知るようにと病気になった
そして俺は神様から目が見えていることの素晴らしさを教えていただいている。
たとえ左目がダメでも右目を残していただいた。
それだけで私は十分しあわせだ。
目が見える、なんてありがたいことだろう。
看護士さんたちとも親しくなり、入院も悪くはないと思った。
休みなく働いたことへの褒美なのかもしれない。
何度も叩き落され、何度も這い上がって来た。
高待遇に誘われて、2年ごとに会社を変わった。
嘘つきの経営者ばかりだった。
業績が良くなると約束した条件を守らなくなる。
会社がよくなれば、うるさい私は目障りになるらしく、自分から会社に呼んでおいて「イヤなら辞めてもらってもいい」と言われ、会社を辞めた。
そして半年から1年でその会社は消えた。
所詮、能力がないからサラリーマンをしているのだ。
仕事が出来るから社長になれたわけではない。運がいいだけなのだ。
自分のために働いてくれる人間が、なぜかそいつには集まって来る。
あとはそいつらが勝手にカネを稼いでくれる。
社長は高級車に乗りゴルフ三昧、女遊びをして社員を恫喝していればいい。
だがその社長以上の社員は会社にはいない。社長以上の社員であれば、自分で独立しているはずだ。
そして俺も社長になった。そして3回失敗した。口惜しいが俺は社長の器ではなかった。運もなかったし人望もなかった。
親の会社を継いだ親友から言われたことがある。
「お前はカネに執着しないからダメなんだ」
意外だった。カネの話をしない奴だったからだ。
何をやらせても一流な男だった。高専では決して人前で努力している姿を見せなかったが、勉強もスポーツもいつも一番だった。
そして人を惹きつける魅力のある男だった。
何度も助けてもらった。それなのに今だに恩返しが出来ていない。
「感謝」という言葉が俺には欠落していた。
「もっともっと」とカネばかりを追い駆けていた。
そして糖尿になり、左目を失いかけている。
運良く糖尿病の名医と出会い、奇跡的にインシュリンの注射もせずに血糖値は改善された。
だが腎臓や心臓、脳へのダメージは否めないと言われた。
「菊池さん、大学病院に勤めていた時の私の患者さんにね、両目を失明して両足も膝下から切断した人がいました。 「先生、これじゃ自殺することも出来ねえよ」と笑っていましたよ。
楽しみはラジオを聴くことだけだそうです」
俺はまだ歩けるだけましだな? まだ右目も見えているし。
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