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最終話 惜別

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 沙織ちゃんは1年間の司法修習を終え、地裁の判事補になっていたが、幸一は2度目の司法試験に挑戦していた。


 「幸一、今度で終わりだからね? 私の予定よりも2年も遅れているんだからね、これ以上は待てないからね!」
 「わかっているよ、うるさいなあ、僕だって必死に頑張っているんだ! 少し黙っててよ!」

 そんな毎日が続いていた。




 だが、結果はまた不合格だった。

 
 「あなたがそんなにバカだとは思わなかったわ。 私たち、お別れしましょう、さようなら!」
 
 幸一はあっさりと沙織ちゃんからも捨てられてしまった。



 落ち込み、自暴自棄になる幸一。
 ソクラテスは幸一の手の甲を舐めながら言った。

 「あんなに勉強しとったのに残念やったなあ」
 「これが僕の実力だよ、沙織にも振られた」
 「幸一の気持ちはようわかるで。そやけどな? 松下幸之助はんはこう言っとるでえ。


       万策尽きたと思うな
       自ら断崖絶壁の淵にたて
       その時はじめて新たなる風は必ず吹く

         松下幸之助(パナソニック創業者)



 そしてイチローはんもこうも言ってはる。


       壁というのは できる人にしかやってこない
       こえられる可能性のある人にしかやってこない
       だから壁がある時はチャンスだと思っている

                  イチロー(元野球選手)



 とにかくやるんや幸一。
 ワシの目に狂いはない、幸一は必ずやれる男や。あんさんは出来る男や。
 物事にはな? 三度目の正直っちゅう言葉があるやないか!
 簡単にいかへんさかい、人生はおもろいんとちゃうんか?
 難しいからこそ、成功の喜びがあるんやで!
 沙織ちゃんはな、おそらく賭けに出たんや。
 ワテも沙織ちゃんも幸一を信じておるんやで!
 合格せえ、そうすれば必ず沙織ちゃんは戻ってくるさかい、心配はいらん!」
 「ありがとうソクラテス、僕、やってみるよ!」
 「そや、その勢やで!」

 ソクラテスは今度は幸一の顔を舐めまわした。

 「わかったよ、わかったからもう舐めなくてもいいよソクラテス」
 「アホ、これが舐めずにおれるか! ワレ! ベロベロ」


 その日から幸一はまた、猛然と司法試験の勉強を始めた。

 
 「ええか幸一、四当五落やで、人間は眠らんでも死にやせん!
 1日4時間も寝たら十分や!」

 幸一は毎日毎日勉強した。





 そして3度目の司法試験合格発表の日がやって来た。

 
 「あった! あったぞ!」

 幸一は掲示板の前で泣き崩れた。
 すると背中に柔らかい胸の感触と、身覚えのあるいい香水の香りがした。


 「おめでとう、幸一・・・」

 沙織ちゃんは後ろから幸一を抱き締め、泣いていた。

 
 「沙織、待たせてゴメン、まだ間に合うかな、君の家族計画に?」
 「大丈夫よ、予定に変更はつきものですもの」





 幸一はソクラテスの為に神戸牛を買い、家路を急いだ。


 「ソクラテス! 合格したんだ! 合格したんだよ、僕、司法試験に合格したんだ!
 ソクラテスのお陰だよ、ありがとう、ソクラテス! 今日はお礼に神戸牛を買って来たんだ!
 いっしょに食べよう!」

 だが、ソクラテスは横になったままだった。

 「ソクラテス?」
 「よかったなあ、そうか、合格したんか・・・。
 ホンマによかったなあ。おめでとうさん、幸一・・・。
 ようがんばったでー、幸一・・・」
 「具合でも悪いの? お医者さんに行こうか?」
 「幸一、ワシはもうダメや、アカン・・・。
 でもな、ワシは幸一とおって、ホンマに・・・、しあわせやったで。
 幸ちゃんが死んでしもうた時は、ホンマに悲しかった・・・。
 でも、幸一はワシを、かわいがってくれた。
 ワシは毎日が楽しかったで・・・。ハア ハア
 幸一、沙織ちゃんと仲良くしいや、あの子がいれば大丈夫や」
 「ソクラテスー! 嫌だよ! 嫌だよ! 死んじゃイヤだあー!」
 「幸一、男はな、泣いたらあかん。ワテはいつも幸一を見守っておるさかいな?・・・。
 ほな、幸ちゃんも迎えに来てくれたさかい、逝くで。 元気でな・・・、幸一・・・」
 「ソクラテスーーーーーーーーー!」


 幸一はソクラテスを抱いたまま、朝まで泣き続けた。
 朝日が差し込み、ソクラテスの背中から白い翼が生えてきた。
 するとソクラテスは言った。

 「幸一、ワシの最後の言葉や、


      いい犬生やった ワレ 後悔せず

            ソクラテス(哲学犬)


 ほな、さいなら。元気でな? 幸一」
 「ソクラテス・・・」 


 ソクラテスは翼を羽ばたかせ、太陽に向かって飛んで行った。
 それは決して夢ではなかった。
 

                『哲学犬 ソクラテス』完
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