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第1話
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白い診察室が今日はやけに広く感じた。
重い沈黙を破り、谷田貝医師は言った。
「検査の結果、末期の肝臓ガンでした。他の臓器にも転移しており残念ですが手術は・・・、出来ません」
誰が末期ガンなのか? 誰に対する告知なのか? 私はそれを理解することが出来ずに放心していた。
まるで他人事のように。
ようやくその意味を理解した私は谷田貝医師に訊ねた。
「先生、後どのくらい・・・、ですか?」
「それは私にもわかりません。5年大丈夫だった患者さんもいればそうでない人もいらっしゃいます。
実際、人間の余命は我々医者にも大体の事しかわかりません。
このデータの数値がいくらだからこうだというお話ではないのです」
谷田貝医師は慎重に言葉を選びながら続けた。
「緒方さん、ご家族はいらっしゃらないんでしたよね?」
「ええ、両親はすでに他界して8年前に妻とは離婚しました。それ以来家族とは音信不通になっています。今、どこに住んでどんな生活をしているのかもわかりません」
「ご兄弟は?」
「妹がひとりおりますが、色々と迷惑を掛けてしまい、今は疎遠になっています」
「そうでしたか。いずれにせよ痛みが激しい時はいつでもおいで下さい。 出来るだけのことはしますから」
「ありがとうございます」
谷田貝医師は慈愛に満ちた表情で私に言った。
「病気が治って退院して行く患者さんを見ると医者になって本当に良かったと思いますが、こんな時は自分が医者であることに対して複雑な気持ちになります」
「別に先生が悪いわけではありません。私は人は病気や事故で死ぬのではなく、それは神様がお決めになった寿命だと信じています。
私の寿命がそれだけだったというだけの事です。
今まで色々お世話になりました」
私は嗚咽していた。
それは酷く冷たい涙だった。
谷田貝先生は私の手をやさしく握ってくれた。
「緒方さん」
谷田貝先生も看護師さんも一緒に泣いてくれた。
「先生が私の主治医で本当に良かったです。ありがとうございました」
私はハンカチで涙を拭うと深く一礼をして何事も無かったかのように診察室を出た。
診察を待っている老婆が私を哀れむような目で見ていた。
抜け殻になった私が大学病院の燃え立つような銀杏並木を歩いていると、バーバリーのマフラーを首に巻いた女子高生とすれ違った。
40年前、私はこの女子高生のような美しい女の子に恋をした。初恋だった。
私が「オレンジ」と名付けたその彼女は今、どうしているだろう?
オバサンになったオレンジを想像することが出来なかった。
私とオレンジは青春のすべてを賭けて愛し合った。
(オレンジ、今、君は幸せなのか?)
秋晴れの突き抜けるような青空の下、私はオレンジの面影を抱いて駅への道を歩いて行った。
重い沈黙を破り、谷田貝医師は言った。
「検査の結果、末期の肝臓ガンでした。他の臓器にも転移しており残念ですが手術は・・・、出来ません」
誰が末期ガンなのか? 誰に対する告知なのか? 私はそれを理解することが出来ずに放心していた。
まるで他人事のように。
ようやくその意味を理解した私は谷田貝医師に訊ねた。
「先生、後どのくらい・・・、ですか?」
「それは私にもわかりません。5年大丈夫だった患者さんもいればそうでない人もいらっしゃいます。
実際、人間の余命は我々医者にも大体の事しかわかりません。
このデータの数値がいくらだからこうだというお話ではないのです」
谷田貝医師は慎重に言葉を選びながら続けた。
「緒方さん、ご家族はいらっしゃらないんでしたよね?」
「ええ、両親はすでに他界して8年前に妻とは離婚しました。それ以来家族とは音信不通になっています。今、どこに住んでどんな生活をしているのかもわかりません」
「ご兄弟は?」
「妹がひとりおりますが、色々と迷惑を掛けてしまい、今は疎遠になっています」
「そうでしたか。いずれにせよ痛みが激しい時はいつでもおいで下さい。 出来るだけのことはしますから」
「ありがとうございます」
谷田貝医師は慈愛に満ちた表情で私に言った。
「病気が治って退院して行く患者さんを見ると医者になって本当に良かったと思いますが、こんな時は自分が医者であることに対して複雑な気持ちになります」
「別に先生が悪いわけではありません。私は人は病気や事故で死ぬのではなく、それは神様がお決めになった寿命だと信じています。
私の寿命がそれだけだったというだけの事です。
今まで色々お世話になりました」
私は嗚咽していた。
それは酷く冷たい涙だった。
谷田貝先生は私の手をやさしく握ってくれた。
「緒方さん」
谷田貝先生も看護師さんも一緒に泣いてくれた。
「先生が私の主治医で本当に良かったです。ありがとうございました」
私はハンカチで涙を拭うと深く一礼をして何事も無かったかのように診察室を出た。
診察を待っている老婆が私を哀れむような目で見ていた。
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