【完結】陽炎(作品230623)

菊池昭仁

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最終話 夢

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 私は涼子を連れて、リンダと銀座でしゃぶしゃぶを食べていた。
 
 「ワンダフル! これって本当にビーフなの?
 お口の中でとろけちゃう!」
 「アメリカ人は赤身が殆どだからな?」
 「ホント、どうやってスライスするのかしら? こんなに薄く。
 これも宇宙食にすればいいのにね?
 火星への旅は長いから、食事は楽しみだから」
 
 器用に箸を使って肉を食べるリンダ。
 箸の使い方は私が教えたものだった。

 「デイビットは元気かい?」
 「元気よ、彼はベッドではいつも元気。
 私たち、2年前に結婚したの。
 彼もエイジに会いたがっていたわ。
 ジャパンに来たら、きっと彼も驚くはずよ、この「しゃぶしゃぶ」にね?
 彼にも食べさせてあげたいわ」
 「君とデイビッドが結婚?
 驚いたよ、そしてコングラチュレーション」

 私たちはリンダと握手をした。

 「がっかりした?」
 「俺に涼子がいなければね?」
 「リンダ、私たちは決めたの。もうは盗らないって」
 「それはダメよ、それは「恋愛泥棒」だわ」
 「じゃあ私は泥棒ね? 栄次を親友から強奪しちゃったから」
 「元カノの私が言うのもなんだけど、栄次はナイスガイよ。
 しあわせにしてもらいなさいね、リョウコ。
 ところでエイジ、電話でも話したけどNASAに戻って来る気はない? 報酬は倍よ、どう?」
 
 そして涼子が流暢な英語で言った。
 
 「ありがとう、Mrs.リンダ。
 喜んでお受けしますわ、火星は彼の夢ですから」
 「おい、俺はまだ何も・・・」
 「行きたいんでしょう? アメリカに?
 テキサスで始めましょうよ、私たちの新しい人生をそこで」
 「母さんを一人置いて行くわけにはいかないよ」
 「土地とお屋敷、農業は誰かにまかせて、お母さんと一緒にテキサスに行けばいいじゃない。
 そして将来、日本に帰国したら一緒に農業をすればいい。
 私は世界中、いえ、月でも火星でも栄次について行くわ。
 だから行きましょうよ、アメリカへ、ヒューストンへ。
 人生なんて、どこに住むかじゃなくて、誰と一緒に暮らすかでしょう?
 火星はあなたの夢じゃないの?
 私はその夢を追いかけるあなたが好き。
 あなたの夢は私の夢だから」
 「ステキなワイフね? Mrs.リョウコは?
 リョウコならエイジを渡してあげる」
 「いいえ、まだ私はミセスではなく「ミス」なの」
 「それは酷い! そして危険よ!
 エイジ、早く結婚しなさい! そうじゃないとこんな美人、誰かに盗まれてしまうわよ!」
 「そうだね? 盗まれたら大変だ」

 私は涼子の手を強く握った。

 「涼子、結婚しよう」
 「ハイ、よろこんで!」



 夢は真夏の陽炎かげろうのようなものだ。
 追えば逃げてゆくが、たとえ追いつくことが出来なくても、それを追い駆け続けることにこそ価値がある。
 夢は見る物ではなく、追いかけるものだからだ。
 それが叶うかどうかは問題ではない。

 


 3カ月後、私と涼子は日本を発つことにした。
 修一も晴美も、そして母も成田まで見送りに来てくれた。

 「涼子、ぜったい遊びに行くから泊めてよね?」
 「よろこんで!」
 「元気でな、栄次、涼子」
 「ありがとう、修一」
 「ありがとう」
 「お母さんなら大丈夫だからね? 無理はしないでね。
 家のことは紘一叔父さんと早苗たちが手伝ってくれることになったから、安心して行って来なさい」
 「当分は日本とアメリカの往復になるけど、母さんも無理しないでくれよな?」
 「栄次もね? もちろん涼子さんも」


 私と涼子は入籍を済ませ、アメリカへと渡った。




 テキサスの広大な小麦畑が、まるで緑の海のように風にそよぎ、波打っていた。
 私と涼子は爽やかなヒューストンの風に吹かれ、NASAのロケット発射台を見詰めていた。

                                       
                                       『陽炎』完 
 
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