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第1話 幻のピーナッツ・コロネパン

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 月も凍るような寒い夜だった。
 スーパームーンが美しく輝く午前零時。
 
 今年で72歳になる西園寺財閥の執事、大野五郎はパン屋、『トーマス』の店の入り口にテントを張り、寝袋にすっぽりと入って、じっと朝7時の開店を待っていた。


 小さなパン店『トーマス』の一日限定、50個のピーナッツ・コロネパンを手に入れるために。


       ピーナッツ・コロネパンは人気のため 恐れ入りますが 
       おひとり様につき、1個でお願いいたします


 ドアに張り紙がされている。
 それは先日、多目的トイレでエッチをしたお笑い芸人がMCを務める『爆笑! 自称グルメ王』の番組を見ていた時のことだった。

 西園寺家のご令嬢、西園寺静香が叫んだ。

 「爺! わたくしもあのパンが食べたい! 幻のピーナッツ・コロネパン!」
 「お嬢様、あのパンは一日限定50個、前日の深夜から並んでも買えるかどうかの「幻のピーナッツ・コロネパン」でございます。 
 ご所望されるのは、チョッと無理かと・・・」
 「だったら並べばいいじゃないの!」
 「お嬢様、それはなりません! お嬢様は西園寺家の大切な跡取り娘、そんな下々と一緒にわざわざピーナッツ・コロネパンを買うために並ぶなど、言語同断でございますぞ!」
 「バッカじゃないの? なんでこのカワイイ西園寺静香様が並ばなきゃなんないのよー!
 行列に並ぶなんてわたくし、大っ嫌い。
 わたくし、ディズニーランドですら1日貸し切りにして、並ばないでミッキーやドナルドを独り占めしちゃうのに、並ぶわけないじゃないの!
 並ぶのは爺、そなたに決まっているでしょ!」
 「この爺がですか? この腰痛持ちで、血糖値130、毎日胡麻麦茶を飲んでかろうじて血圧130を維持している72歳のこの年老いた爺に並べと? しかもこの12月の寒空に!」

 すると静香お嬢様は優雅に紅茶『マルコポーロ』を口にすると冷たく言った。

 「キャバクラに通う元気があるんだから、パン屋に並ぶなんてへちゃらでしょう?」
 「それとこれとは話が・・・」
 「食べたいの! 食べたい! 食べたい! 食べたい! 食べたーい!
 どうしても食べたいの! 幻のピーナッツ・コロネパンが!」



 というわけで、執事の大野はこうしてこの師走にピーナッツ・コロネパンを買ってくるはめになったのだった。


 朝の5時になると、すでに定員の50人が並んでいた。

 ようやく7時の開店になると、西園寺家の執事、大野はテントからはい出し、一番乗りをした。

 「ピーナッツ・コロネパン、ピーナッツ・コロネパンを私にお売り下され!」

 執事の大野は前のめりになりながら、可愛いバイトの店員さんに懇願した。

 「寒いところ、ご苦労さまでした。
 ハイ、どうぞ。128円になります」

 大野はピーナッツ・コロネパンを受け取ると、その場に泣き崩れ、おいおいと泣き崩れてしまった。

 「お嬢様、爺は、爺は遂に、やりましたぞ!」

 すると、後ろに並んでいた男子高校生が声を掛けた。
 
 「良かったね、お爺ちゃん? ピーナッツ・コロネパンが買えて」
 「ありがとう、青年!」
 
 並んでいた人たちも、みんな泣いていた。
 沸き起こる拍手と歓声、そしてシュプレヒコール!
 それはまるで、あの「腐ったミカン」のテーマソングのようだった。

 「よかった、よかった」
 「うんうん、本当によかったわね!」
 「よかったですね? お爺ちゃん。
 本当に良かった」

 そしてお客さんたち全員で中島みゆきの『世情』の大合唱となった。


   シュプレヒコールの波♪ 通りーすーぎてーゆくー♪ 
   変わらな・・・


 まるでベルリンの壁が崩壊した時のような光景だった。
 みんな手を取り合い、爺の大野を囲んで輪になって泣きながら歌っていた。
 中にはハグしている者までいた。

 たかがパン1個でこんなにも盛り上がるほど、みんなが熱望する「幻のピーナッツ・コロネ」であった。
 たかがパンなのにである。 海崎のピーナッツ・コッペパンなら並ばなくてもコンビニで買えるのに。



 大野はダッシュで屋敷に戻ると、静香にピーナッツ・コロネパンを恭しく差し出した。
 
 「静香お嬢様、これ、これでございます! これが『トーマス』の、「幻のピーナッツ・コロネパン」でございます!」

 静香はすぐに銀の皿の蓋を開けると、

 「えーっつ、これがそうなの? こんなに小さいのね? ちょっとがっかり」

 静香の電子辞書には「ありがとう」という言葉はなかった。
 72歳の爺さんが、命懸けで手に入れたことに対する感謝と労いの言葉はない。

 「まずは「ありがとう」じゃろう? まったくお嬢様は」
 「なんか言った?」
 「いえいえ、どうぞご賞味下さいませ」

 静香お嬢様は上品にピーナッツ・コロネパンを口にすると、

 「おいしい! 美味しいわ! これ! ほっぺが落ちそう!」

 静香はあっと言う間にその幻のピーナッツ・コロネパンを食べ終えると、冷酷にもこう言い放った。


 「おかわり!」


 執事の大野は怒りに震えていた。

 「あの番組さえ、あのエッチなお笑い芸人さえいなければ・・・、ワナワナ」
 
 大野は震える手ですぐにゴミウリテレビのお客様相談室に電話を掛けた。
 
 「いいか、よく聞け! おまえんとこの『爆笑! 自称グルメ王』を今すぐ打ち切りにしろ! 今すぐにだ!」


 それから毎日、執事の大野はピーナッツ・コロネパンを買うために、ひたすら並び続けることになってしまったのである。

 かわいそうに。
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