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第4話 初めてのバイト

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 「ああ、王子様と会いたいなあー。
 何か会えるきっかけはないかしらねえ?」

 静香お嬢様がパンを買いにロールスロイスで『トーマス』に行くと、そのチャンスは突然訪れた。


      バイト急募! 時給850円以上

      明るくて笑顔がステキな人 求む!


 「ちょちょちょ、ちょっとこのアルバイト募集ってホントですか! お姉様!」
 「あら、静香さん。
 そうなの、もう私たちだけでは限界になっちゃって。
 静香さんのお友だちで、誰かいい人はいないかしら?」
 
 パン王子の姉上、恵子は言った。

 (チャーンス!)

 「お、お姉様! あ、あの、あのですね? も、もし、もしかしてですよ? あのー、わたくしではダメでしょうか?」
 「えっ、静香さんが?」
 「そ、そそそ、そうなんです!
 わたくし、明るくて笑顔がステキなんです!」

 恵子は笑っていた。

 「あはははは。
 確かに静香さんなら明るくて、笑顔がステキよね?
 ウチは大歓迎だけど、でも大丈夫なの? 西園寺財閥のご令嬢のあなたがこんな小さなパン屋でバイトなんかして?」
 「ぜぜぜ、ぜーんぜん平気です!
 わたくし、ガッツと根性だけはありますから!」
 「ガッツと根性ねー? かなり大変よ、パン屋って。
 朝は早いし、重労働だし」
 「大丈夫です、姉上様! わたくし、絶対にがんばります!」
 「ご両親が許してくれるの?」
 「社会勉強のためならと許してくれるハズです!」
 「そう? じゃあやってみる? パン屋さん? うちのお店で働いてみる?」
 「はい!」

 そして静香お嬢様はパン屋『トーマス』でバイトをすることになったのだ。


 

 「やったー! これで王子様といつも一緒だあ!
 いつ王子様とそうなってもいいように、いつも勝負下着でバイトに行かなくっちゃ! うふっ」

 執事の大野がお嬢様に苦言を呈した。


 「なりません! なりませんぞお嬢様!
 お嬢様はいやしくも西園寺財閥のご令嬢。その姫様があんな小さなパン屋で時給850円で働くなど、もっての外、言語道断ですぞ!
 この爺の命に替えましても、絶対になりませぬ!」
 「いいじゃん別にー。働かざる者、食うべからずでしょう?
 お爺様も中学を出てすぐに、赤羽の町工場で働いていたそうよ」
 「それは時代が違います! 時代が!
 お嬢様、絶対になりませんぞ!
 この爺の目の黒いうちは絶対に!」
 「じゃあカラコンでも入れてブルーにすればいいじゃん。
 黒じゃなくなるよ」
 「お嬢様・・・」
 「下々の人たちがどうやって働いているのか? それを体験するのは悪い事じゃないわ」
 「うーん、では1か月だけ、1か月だけですぞ。
 そうでなければ大野は、旦那様に会わせる顔がございません」
 「とにかく、わたくしはあの王子、じゃなかった、パン屋さんで働きますからね!」


 王子に会いたいという単純な動機だったが、静香お嬢様はかなりパン屋の仕事を甘くみていた。
 過酷なパン屋の仕事を。



 「きょきょきょきょ、今日からお世話になります、西園寺静香と申します。どうぞよろしくお願いします!」
 「よろしくね? 静香ちゃん」
 「よろしくです、静香さん!」

 姉上様とローラに温かく迎えられたが、

 「パン屋を舐めんなよ」

 黒沢はそれだけ言うと作業場に戻って行った。




 「おい新入り! このボールにそこの袋から1.5㎏とあっちの袋から2㎏、そしてこの袋から300gを入れて持って来い! モタモタするな!」
 「は、はい! かしこまりました!」
 「それが終わったら、洗い場にある洗い物をすべて洗っておけ!」
 「はい!」

 (うれしい! 最高! 王子様とお仕事ができるなんて! 夢みたい!)


 そう思っていたのも最初の30分だけだった。
 何しろ静香お嬢様は働くことはおろか、箸より重い物を持ったことがない。
 早朝3時から休憩なしで11時までの8時間は地獄のような忙しさだった。

 「大丈夫? 静香さん?」

 姉の恵子が声をかけてくれた。

 「こんなの平気です! どうってことありません! ゼイゼイ」

 そしてようやくバイトが終わってヘトヘトになっていると、黒沢が言った。

 「初日で疲れただろう? 明日も休まないで来いよ。ご苦労さん」

 そのぶっきらぼうだが思い遣りのある遼の一言で、静香お嬢様の疲れは一瞬で吹き飛んでしまったのである。

 「はい! 明日もよろしくお願いします!」

 どうやら愛のチカラはすべてを超越するらしい。
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