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第4話
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「今夜は飲み会だから、食事はいらない」
「そう」
朝食に、夫婦の会話はなかった。
朝の情報番組がそれを補ってくれていた。
食事を終え、歯を磨いて玄関に行くと、いつも通りにピカピカに磨かれた革靴が、きちんと揃えて置いてあった。
だが、私たち夫婦には生活に於ける最低限の会話しかなかった。
離婚しても同じ屋根の下で暮らしているという矛盾。
そんな奇妙な関係ではあるが、決してそれは苦痛ではなかった。
私の毎日のルーティンに、妻の存在がなくなっただけのことだ。
朝起きて、ジョギングをしてシャワーを浴びる。
朝食を食べ、仕事へ出掛けてゆく毎日。
夜はスポーツジムかゴルフ練習場、仕事仲間との飲食。
そして愛人たちとの逢瀬。
つまり、殆ど家に寝に帰るだけの生活に変わりは無かったのである。
子供たちも成人した今、私たちは既に夫婦と呼べる関係ではなかったのだ。
それは夫婦ではなく、「同居人」という関係性になっていた。
弥生は家事をしてくれて私は彼女の生活を保証し、カネを渡した。家政婦のように。
婚姻関係が必要なのは、弥生に対する老後の年金と、私の生命保険を受け取る権利があるということだけだった。
その他の遺産相続については遺言状があればいいことであり、法定相続などによるものは不要だった。
子供たちと弥生の関係は良好であり、仮に離婚したとしても私の死亡保険は子供たちが相続し、それを子供たちと分ければいいことだし、今の年金制度では、離婚したとしても手続きさえすれば年金受給も可能である。
つまり、結婚していようが離婚しようが何も変わりはないということであり、夫婦である理由は既になかった。
では婚姻関係に意味はあるのだろうか?
私はあると思う。
それは女性には理解出来ないかもしれないが男にはある。
妻は愛人ではない
身体の関係がなくなっても、男は妻を愛し続けるものだからだ。
テレビドラマでは不倫している男は最低だと演じられ、罵られる。だが、決して妻に対して罪悪感がないわけではない。
寧ろ、普通の男であれば「不倫しなければならない不安定な関係」を引き摺っている自責の念に、苛まれ続けていることが多い。
男が不倫を隠蔽しようとするのは、妻や家族への配慮でもある。
私は愛人たちとの行為に及ぶ時、いつも結婚指輪を外す。
それは性行為に没頭するために、妻を一時的に忘れるためだった。
身勝手な話ではあるが、私はどちらも失いたくはなかった。
弥生は愛しているが、愛人たちとの疑似恋愛を辞めることは出来なかった。
それはお互いの寂しさや不安、ストレスの解消としての「スポーツ」のようなものだったからである。
そんな「恋愛ゲーム」だった。
「そんなの男のエゴよ!」
それを否定はしないし否定出来ることではない。
その通りだからである。
男はなぜ外に女を求めるのだろうか?
それは女房が女を捨てたからだ。
そして往々にして妻はそれに気付いてはいない。
私と弥生は上の子供が産まれてからは寝室が別になっていた。
新婚時代にはダブルベッドも購入せずに布団で寝ていたこともあり、それは自然の流れだった。
女は男の生理を理解出来ない。
男は自分が進化すればするほど、精神的にも肉体的にも女が欲しくなる。
英雄色を好む
それは自分のDNAを存続させたいという本能から来るものだ。
より良いメスを求め、自分の遺伝子を残そうとするのである。
もちろんそれは女性にもある筈だ。この世に男と女がいる以上は。
人間は優秀な子孫を残し、進化するために、より美しいメスやイケメンのオスを求めて交尾をする。
それが証拠に、最近の子供たちは顔立ちも整い、均整のとれた子供が多くなっているからだ。
私が子供の頃のような、鼻垂れ小僧はあまり見かけることがなくなった。
結果的に男が浮気をするのは、
女房とのセックスに満足していない
ことが原因なのだ。
もちろん弥生がそうなってしまった責任は私にある。
私に男としての魅力がなくなり、弥生も母となり、いつの間にか私自身が彼女にとって「抱かれたくない男」になっていたからである。
そしていつの間にか「仕事」と「セックス」は家に持ち込まないようになっていた。
事実上の「一夫多妻」の始まりだったのである。
「そう」
朝食に、夫婦の会話はなかった。
朝の情報番組がそれを補ってくれていた。
食事を終え、歯を磨いて玄関に行くと、いつも通りにピカピカに磨かれた革靴が、きちんと揃えて置いてあった。
だが、私たち夫婦には生活に於ける最低限の会話しかなかった。
離婚しても同じ屋根の下で暮らしているという矛盾。
そんな奇妙な関係ではあるが、決してそれは苦痛ではなかった。
私の毎日のルーティンに、妻の存在がなくなっただけのことだ。
朝起きて、ジョギングをしてシャワーを浴びる。
朝食を食べ、仕事へ出掛けてゆく毎日。
夜はスポーツジムかゴルフ練習場、仕事仲間との飲食。
そして愛人たちとの逢瀬。
つまり、殆ど家に寝に帰るだけの生活に変わりは無かったのである。
子供たちも成人した今、私たちは既に夫婦と呼べる関係ではなかったのだ。
それは夫婦ではなく、「同居人」という関係性になっていた。
弥生は家事をしてくれて私は彼女の生活を保証し、カネを渡した。家政婦のように。
婚姻関係が必要なのは、弥生に対する老後の年金と、私の生命保険を受け取る権利があるということだけだった。
その他の遺産相続については遺言状があればいいことであり、法定相続などによるものは不要だった。
子供たちと弥生の関係は良好であり、仮に離婚したとしても私の死亡保険は子供たちが相続し、それを子供たちと分ければいいことだし、今の年金制度では、離婚したとしても手続きさえすれば年金受給も可能である。
つまり、結婚していようが離婚しようが何も変わりはないということであり、夫婦である理由は既になかった。
では婚姻関係に意味はあるのだろうか?
私はあると思う。
それは女性には理解出来ないかもしれないが男にはある。
妻は愛人ではない
身体の関係がなくなっても、男は妻を愛し続けるものだからだ。
テレビドラマでは不倫している男は最低だと演じられ、罵られる。だが、決して妻に対して罪悪感がないわけではない。
寧ろ、普通の男であれば「不倫しなければならない不安定な関係」を引き摺っている自責の念に、苛まれ続けていることが多い。
男が不倫を隠蔽しようとするのは、妻や家族への配慮でもある。
私は愛人たちとの行為に及ぶ時、いつも結婚指輪を外す。
それは性行為に没頭するために、妻を一時的に忘れるためだった。
身勝手な話ではあるが、私はどちらも失いたくはなかった。
弥生は愛しているが、愛人たちとの疑似恋愛を辞めることは出来なかった。
それはお互いの寂しさや不安、ストレスの解消としての「スポーツ」のようなものだったからである。
そんな「恋愛ゲーム」だった。
「そんなの男のエゴよ!」
それを否定はしないし否定出来ることではない。
その通りだからである。
男はなぜ外に女を求めるのだろうか?
それは女房が女を捨てたからだ。
そして往々にして妻はそれに気付いてはいない。
私と弥生は上の子供が産まれてからは寝室が別になっていた。
新婚時代にはダブルベッドも購入せずに布団で寝ていたこともあり、それは自然の流れだった。
女は男の生理を理解出来ない。
男は自分が進化すればするほど、精神的にも肉体的にも女が欲しくなる。
英雄色を好む
それは自分のDNAを存続させたいという本能から来るものだ。
より良いメスを求め、自分の遺伝子を残そうとするのである。
もちろんそれは女性にもある筈だ。この世に男と女がいる以上は。
人間は優秀な子孫を残し、進化するために、より美しいメスやイケメンのオスを求めて交尾をする。
それが証拠に、最近の子供たちは顔立ちも整い、均整のとれた子供が多くなっているからだ。
私が子供の頃のような、鼻垂れ小僧はあまり見かけることがなくなった。
結果的に男が浮気をするのは、
女房とのセックスに満足していない
ことが原因なのだ。
もちろん弥生がそうなってしまった責任は私にある。
私に男としての魅力がなくなり、弥生も母となり、いつの間にか私自身が彼女にとって「抱かれたくない男」になっていたからである。
そしていつの間にか「仕事」と「セックス」は家に持ち込まないようになっていた。
事実上の「一夫多妻」の始まりだったのである。
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