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第1話 私 再婚しようかなあ

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 小夜子はシャンパングラスに注がれたキール・ロワイヤル、私は銅のマグカップに入ったモスコミュールを飲んでいた。

 正統派のBARのモスコミュールは、これにライムが付いてくる。
 レモンは邪道だ。

 反則かもしれないが、俺はこれにミントの葉を入れてもらう。
 なんとなくオアシスのようで好きなのだ。

 「マスター、ミントも入れて」
 「モスコミュールにミントですか?」

 マスターは名の知れたバーテンダーだったので、少し嫌な顔をする。
 それがまた楽しい。

 もちろん、ミントを入れる店もあるが、本来、ライムとジンジャエールにミントは邪魔だ。
 店にはスティングの『Englishman in New York』が流れていた。


 「それじゃ、カンパイ」
 「お疲れ様」

 小夜子は前の会社の同僚だった。
 月に1、2度、こうして一緒に酒を飲む。

 不倫ではない、今は。
 お互いに不倫がバレて、バツイチ同士になったからだ。
 ふたりとも飲んだくれていた。

 「サヨに似合っているよな? キール・ロワイヤル。
 『王家のキール』、なあ王妃様」
 「めずらしいじゃない? あなたがモスコミュールを頼むなんて。
 どういう風の吹き回しかしら? 新しい女でも出来たの?」
 「このカクテルの意味を知っていて言っているくせに。
 相変わらず嫌味な女だ」
 「だったら回りくどいことしないで、ちゃんと謝りなさいよ」
 「アイツとはただ一緒に食事をしただけだ。別に何がどうしたわけじゃない」
 「ふーん、最近ではホテルでエッチすることを「食事」って言うようになったんだあ? 知らなかった」
 
 俺は話題を変えた。

 「モスコミュールはな、ウオッカをジンジャエールで割ったやつだが、「モスクワのラバ」という意味がある。
 ラバは後ろ足で蹴る癖があり、強い酒のことを「キックがある」と表現することから、この名が付けられた。
 ハリウッドのBARで大量に余ったジンジャエールを処分するために考えられたカクテルらしい。
 そしてこの酒の酒言葉はサヨが言うように「仲直り」の意味がある」
 「しないわよ、仲直りなんて」
 「サヨこそ珍しいじゃないか? そんな弱い酒」
 「ホントはね、キールにしようか迷ったんだけど、ロワイヤルにしたの。
 なんとなく炭酸が飲みたくて」
 「ブリュットで作ると旨いよな? 殆どの店は安いスパークリングワインを使うが」
 「ウチの店はブリュットですよ、しかもモエ・エ・シャンドンですからね」
 「わかってるよ、マスターの酒は銀河一だ」

 マスターはうれしそうに笑った。

 
 「私、再婚しようかなあ?」
 「相手は?」
 「これから探す」
 「俺じゃダメか?」
 「その気もないくせに」

 私は一杯目を口にした後、カップの淵にあるライムを外し、モスコミュールに絞るとそのまま銅のマグカップへ落とした。
 鮮烈なライムの香りが広がった。

 「爽やかな香りね? なんだか頭がスッキリするわ」
 
 すると小夜子はグラスを一気に空け、
 
 「マスター、ワイルドターキーをダブル、ロックで」
 「かしこまりました」
 「ごめんなさい、やっぱりテキーラにして、それとライムも」
 「はい」

 それは彼女の俺への説教が始まる前兆だった。
 私もそれに備えてモスコミュールのお替りを注文した。

 「マスター、同じものを」
 
 小夜子は笑った。

 「もっと強いお酒にしたら? 今夜はたっぷり虐めてあげるから、言葉攻めで」
 「お手柔らかに頼むよ」

 私も小夜子も笑った。
 
 私たちの夜が更けていった。
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