俺は勇者なんかじゃない

菊池昭仁

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勇者その1 「ここはどこ?」

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 「もしもし、もしもし」

 誰かが俺にトントンして話しかけている。
 薄っすらと目を開けると、ネロとパトラッシュを迎えに来た天使と同じような、ムチッとした金髪の天然パーマの天使が時折、背中の小さな翼をバタつかせてこっちを見ていた。

 Diorのブルーミングブーケのようないい香り。
 俺は夢を見ているのだろうか?

 「轟さん、轟心太郎さん。
 起きて下さいよ」

 まるでベルリンフィルのハープのような声。
 気持ちいい。
 俺はゆっくりと起き上がった。

 「ここはどこ?」
 「天国ですよ、天国。
 心太郎さんは選ばれたのです。
 天国で暮らす永遠の住民権を手に入れたんですよ。
 ほら、これが天国の住民票です。
 天国に入いるにはラクダさんが針の穴を通るよりも難しいと言われていますが、心太郎さんはそれを見事にクリアされました。
 あなたは選ばれし勇者なのです」
 「俺が勇者? 天国の住人?
 嘘だろ? そんなの絶対に嘘だ。
 俺はロクデナシだ。
 ポンコツでクズでゲスのロクデナシ男だ。
 そんな俺が天国なんてありえないよ。
 俺は真っすぐ地獄行きのはずだ」

 これは夢だ、夢なんだと思い、俺は自分のチンコをぎゅっと掴んだ。

 (普通はホッペだけどね?)

 「あれ? 痛くも痒くもないぞ。
 でも、この夢も醒めないぞ?」
 「それはそうですよ、だってここは天国なんですから。
 ここ天国には痛みも苦しみも悲しみもないんです。
 だからその小さな仮性包茎のオチンチンを握っても無駄です。
 痛くも痒くもありません。だってここは天国なんですから。
 あなたは出来もしない会社経営に手を出し、極度のストレスから糖尿病を発症しました。
 早めにお医者さんに行けばいいものを、長年放置しましたよね?
 あなたは神様から頂いた大切な肉体を粗末にしたのです。
 精神的にも追い詰められていたため、病院にも行けなかった。
 そうですね?」

 その通りだった。
 俺は黙って頷いた。

 俺は自分の能力を過信し、もっと家族にいい暮らしをさせたい、もっと女にモテたいと、無謀にも「会社ごっこ」をしてしまい、その結果、すべてを失ったのだった。


 「そしてあなたは、うつ病を通り越して両目を失い、両足も切断して腎臓透析になり、最後は心不全で死んじゃったのです。
 呆気あっけなく。
 あなたの慢心が「病気の総合商社」になったというわけです。
 蓮舫さんも言っていたじゃありませんか?
 宗男さんに「あなたは疑惑の総合商社よ!」って。
 あの売れないヘボ作家の気まぐれで連載している「口だけ番長 今日の迷言」なんかより、はるかに面白いですよ。
 「二番じゃダメなんですか!」とか、『蓮舫の名言 日めくりカレンダー』みたいにでもすればいいのに。
 兎に角、轟心太郎さんは死んじゃったんです。
 七日前に」


 俺はようやく思い出した。
 アパートの隣に住む、生活保護の三郎さんが持って来てくれた柏餅を葉っぱごと食べて、それを喉に詰まらせて死んだのだ。
 辞世の句を詠む暇もなく。

 誰も身寄りのない俺は役所の計らいで荼毘に付され、無縁仏としてその他大勢の骨と一緒に葬られてしまったのだ。
 花輪の一本もなく・・・。


 「あなたは地獄行き確定者リストの上位ベスト3にランクインしていたのですが、冥界の王であるプルート様がそんなあなたをとても不憫に思われたのです。
 何をやってもダメ、いろんな人から罵倒され、軽蔑されて蔑まれ、挙句の果ては、家族もお付き合いしていた愛人たちも轟さんから離れて行きましたもんね?
 『mother』や『フランダースの犬』、『火垂るの墓』よりも泣けたと仰っていました。
 そして異例中の異例ではありますが、超法規的措置により、あなたを天国に送迎することにされたのです。
 私も心太郎さんの前世のプロモーションビデオを観させていただきましたが、『いぬのえいが』よりも泣いちゃいました。
 バスタオルがビショビショになっちゃいました。
 あまりにかわいそうで」
 「そうだったんだ?
 俺、てっきり地獄行きだとばかり思っていたよ」
 「さあ参りましょう。轟心太郎様の天国のウエルカム・パーティーの準備はもう出来ておりますから。 
 みなさんもお待ちかねです」


 天使は俺の手を引いて、アイスクリームが溶けたクリームソーダのようなやさしい空へと飛び立った。


 しばらくすると、雲の上に大きな白いパルテノン神殿が見えて来た。

 正面の看板には「轟心太郎さま ようこそ天国へ!」と横断幕が張られていた。


 「さあ着きましたよ、早く参りましょう。あなたの歓迎会へ」


 神殿の中に入ると、私は驚いた。
 今まで私の事を応援し、励まし支え、助けてくれた死んだ人たちが大勢いたからだ。
 みんなが笑顔で迎えてくれた。


 「こんなに大勢の人たちに俺は支えられていたのか?」

 
 そこには何百、いや1,000人を超える人たちの顔があった。

 幼稚園の時にいつも主役をくれた粒針弥生先生や朱美先生。
 いつも何かしらおまけしてくれた新井肉屋の女将さん。
 お気に入りの支那そば屋の山田さんご夫婦。
 俺に読書の楽しさを教えてくれた和田先生や、オッパイを触らせてくれた『ダウト』のキャバ嬢のみゅうみゅうちゃん。
 大勢の人たちが集まってくれていた。


 「さあみなさん、主賓の登場です! 乾杯しましょう!」
 「かんぱーい!」

 湧き上がる歓声と拍手。
 天空のオーケストラが奏でるヨハンシュトラウスのワルツ。
 ここはまさに天国だった。


 「心太郎」

 俺が振り向くと、そこには10年前に死んだ、親父が立っていた。


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